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死の重み


「お兄さん!」

 グラーズがそう呼ぶこの青年は……色白の白い肌に、片目を隠すように伸ばされた銀糸の前髪はへその位置まで及び、後頭部で一つに結われた後ろ髪は腰まで真っ直と伸びている。

 そして身体全体を覆い隠す絹の外套からスラリと伸びた脚は組まれていてナイフで果実を裂いたような真っ赤な口を釣り上げると、紫水晶のような瞳を細めた。


 グラーズとこの青年は知り合ってまだ間もない、だが青年のどこか超越したかのような博識さにグラーズの好奇心は栓を抜いたみたいに溢れて何時も「なんで?」「どうして?」がグラーズの口癖になっていた。


「どうしたんだい、君は苔を見て歩く趣味はなかった筈だが?」

「お兄さん。あのね……僕、じーちゃんを怒らせちゃったみたい」

「そんなの何時もの事じゃないか」

「違うよ! 僕言ったんだ、死んだらご飯に困らないからいいねって」


 そしたら……とグラーズが言葉を発する前に青年は腹を抱えて笑いだした。

 グラーズは不思議だった、この青年は面白い話をしても眉一つ動かさず……心の底から笑った顔は見た事がない。笑うにしてもこちらが真剣な話をしようとする時に限って驕慢に笑うのだった。

「君は面白い事を言うね、それを死んでる奴に言うなんて」

「……うう」

 グラーズが悲しそうに縮こまると青年は一層面白そうに笑う。


「見てごらん、これが死ぬ事だ」


 青年はグラーズの目の前でヒラヒラと両手を広げてから掌を合わせて、そして焦らすように指を一本ずつ広げると先程まで何もなかったそこから白百合の花が花弁を広げた。

「良く見てごらん」

 青年の言葉に従い目を凝らすと花弁がユラユラと動いたように見えた。だが先程まで白百合と思っていたソレは混じり気のない純白の羽根を持つ美しい小鳥、揺れたと思った花弁は小鳥が翼を高らかに広げて揺らす仕草がそう見せさせていたらしい。

「綺麗……」

 うっとりと見惚れるグラーズ、だが美しい小鳥は急に苦しみだしたかと思うと純白の羽根がみるみる紅く染まり、小さなくちばしをパクパクと開くと嗚咽混じりに荒い呼吸を繰り返している。

「!?」

 グラーズにとってこの光景を見たのは初めてだった。自分より小さくて可愛らしいこの鳥が、美しいこの鳥が……段々と動かなくなって来ている。

 先程まで翼を動かし元気だった小鳥が今では青年の手の中で横たわり、最後の力を振り絞って顔を上げるとグラーズを瞳に映して小さな声でピィ……と鳴いた。


「お兄さんっ、なんだか苦しそうだよ……! ねえ! 段々動かなくなってきて……お兄さんっ」


 何度も縋るように鳴く小鳥にグラーズは恐怖した、今自分はとても恐ろしいものを見ていると。


 青年の手に包まれている小鳥。

 その小鳥が苦しむと自分も苦しく息が詰まる、助けてくれと懇願するように見つめる瞳に何もしてあげられる事が思い浮かばず、平常心が奪われて行くのだ。


 ー今その子は僕の心なんだ。


 息が上がって、顔から血の気がなくなって、

助けを求めている。

 見捨てないでと悲願している。


「助けて……お兄さん、お願いだよ……」

「ああ、それは聞けないなぁ。でも、きっとこの子は喜ぶよ。死んだらお腹が空かないから」


 青年は小鳥を包み込んでいた手を閉じていく。

 ゆっくりゆっくりと、顔を上げる事も鳴く事も出来なくなった小鳥は合掌するように閉じられていく手に挟まれて段々と身体が平らになっていった。


「死なせないで!」


 ーー青年の両手に挟まれている物が、自分の心臓にみえた。





 パチンと音を立てて青年が合わせ手をすると小鳥は消えて、グラーズの叫び声だけが静かに閉鎖されたような森に響き渡る。

「‥‥‥さっきの鳥は、もう死んでいるんだよ。数年前に」

 青年は蹲るグラーズの傍にしゃがみ込むと肩を抱く。

「グラーズ、君が思うより死ぬ事は辛いようだ。苦しくて、痛くて、そして恐い。生者は自分の骸の上を歩くんだ」

「森で……僕はずっと、この光景を知らないままに過ごしたから……」

「君が綺麗な物しか見ようとしなかったんだよ。純粋な坊や」

「じーちゃんも、こんな風に……」

 青年はグラーズに顔を上げさせると白く細い指を首に置いてなぞるように横へと滑らす。

「それはもう、悲惨だったよ」

「誰がじーちゃんにそんな事を?」

「彼の育てた子供さ」

 グラーズはその言葉に耳を疑った。偏屈で怒りっぽくて……それでも憎みきれない小さな老人が、自分の子供に命を断たれたと言うなんて。

「正確には血の繋がりのない子供さ。いやはや、まあそうなる運命だったのかもしれない。君の大好きなじーちゃんは騙していたんだ、その子供を」


 森の時間が止まったような気がした。

多くの生が所狭しと集合したある種の心地良さと迫り来る圧迫感のあるこの森が……息をしていないように感じたグラーズは、青年の瞳を息を飲んで見上げる。


「教えてあげるよ。君の……大好きな人の事を」


 青年はゆっくりグラーズと目線を合わせるようにしゃがみ込むと耳元まで顔を寄せると薄い唇を開いた。



✳︎


 青年の口から出た言葉はまるで遠いどこかで起こった出来事のようだった。

 現実味がなく、自分が良く知るあの老人にそんな過去があるとは思えなかった。

 その一方で、それが事実だとすんなり自分の胸に落ちたのだった。


「じーちゃん、その人を待ってるのかもしれない」

「何故そう思う?自分を殺した奴なんて会いたいかな?私なら殺し返しちゃうね」


 青年の不思議そうな顔を見つめ返すとグラーズは首を横に振る。


「それでもじーちゃんがその人を育てたんだもん。その人はじーちゃんに育てられたんだもん」

「たったその事実一つで、君達は心まで変わってしまうのかい。信じられない!」


 青年はグラーズの言葉に耳を疑った。

 昔から卑しく打算的なあの老人が、それ程の情を持ち合わせているのかと。


「お兄さん、その人は今どこにいるの?」

「知ってどうするんだい?」

「その人を呼びに行ってくる」

「ははは! それは無理だね」


 青年の、人を小馬鹿にしたような笑みにグラーズは不思議そうに見つめ返した。


「どうして?」

「君からその人を呼びに行く事は出来ない。その人がここに来る事は出来るけどね」


 グラーズは困ったように続けて青年に問う。


「じゃあ、その人はいつじーちゃんの所に来るの?」

「永遠に来ないよ」

「どうして?」

「彼が死ぬからさ」


 グラーズは先程の小鳥を思い出して心臓を炙られているような感覚に陥った。


「何でっ、その人はとっても強いんでしょ? 英雄になる人なんでしょ!」

「英雄は死んで伝説になる。死者に足はなしと言うだろう……今私が考えたんだ」

「そんな……そんなの……」

「だから、グラーズ。私は君に救いの手を差し伸べよう」


 悲しみを露わにするグラーズに青年は口角を釣り上げると、此れ迄にない程の優しい声色で話す。その優しい低音に何故だか擽ったくなったグラーズは耳を爪でかいた。


「君の命と引き換えに、その人をじーちゃんの元へ向かわせる事が出来るよ」


「僕の……命……?」


「ああ、君は死ぬ。さっきの可哀想な小鳥のように……苦しんで、辛い思いをして、一人孤独に。私は幼い君相手でも取引は対等に扱うよ、約束もきちんと守る。破った事なんて此れ迄に片手で数える位しかないんだ」


 青年の紫水晶のような瞳に怪しげな光が宿るとグラーズは思わず後退る。


「可愛い坊や、決めるのは君だよ。たった一つの命……どうするかじっくり考えるんだ」



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