第9話 レガリア国 国王
レオンハルトは最悪な気分で起床した。
何故、小さい頃の夢など見たのだろう。
しかも、あまり良い思い出では無い。
窓からは、いつもの眩しいくらいの日差しが入ってくるが、今はもう入ってきていないようだ。
(あれ、寝過ぎたかな)
(朝ごはん、食べないと)
ぼんやりとそう思い、レオンハルトは着替えて自室を出た。
その途中。
「あ、ロベール!」
ロベールが向こうから歩いてきていた。
「レオンハルト、おはよう」
「おはよう!」
今日は昨日までの外出用の服装ではなく、主に日常着る服装に身を包んでいた。
シンプルな濃紺の従者用ベストとズボンには、金のボタンと裾に金のラインが入っている。黒いネクタイ、白いシャツに身を包んでいる。
「なんか、寝過ぎちゃったかも。起こしてくれていいのに」
いつもは、否が応でも起こしに来るくせに。
「長旅で疲れてたんだよ。今日の予定を執事に聞いたら特に無いらしい。今日ぐらいはまだゆっくりしててもいいんだぜ」
(飛行魔法も使ったし、ロベールの方が疲れてるよ)
そう言いたかったが、めずらしくロベールが優しい言い方だったので、言い返すのはやめた。
「そうはいかないよ、ほら、父さんに報告しなきゃいけないし」
「・・・。ああ、そうだな。朝食をとったら、一緒に行こう」
「うん」
二人はダイニングルームへ向かった。
****
少し前まで魔法学校の学生だったレオンハルトは、学校に遅れないよう定刻に起こしに来るロベールといつも一緒に朝食を摂っていた。
本来ならば従者は主人と一緒の席で食事は摂らない。
しかしロベールは幼少時から一緒にいて、少し年の離れた兄弟のような、友達のような、そんな関係だった。
王宮の皆も、それは少しばかり理解していてくれて、一緒に食事を摂るのや、その他の事もある程度許されていた。
そして現在は学校を卒業したので、朝の時間に余裕があるかといえばそうではない。
今度は帝王学や軍事教育の勉強、国の公務といった仕事が出てくる。
公務に関しては、兄三人が行っている事もあるし、まだあまり参加しなくてよいが、徐々に覚えて行かなければならない。
そうして少しづつ、王族の子供としての任務をこなしていかなければならない。
勿論、ロベールには頼りっぱなしではいるが。
(兄さんたちに迷惑かけられないからな。頑張らないと)
「よし、じゃあ行くか」
二人は食事を済ませると、国王のいる執務室へ向かった。
****
「魔鉱保護区ゴールドローズはどうだった?」
執務室の肘掛付椅子に肘をのせ、ゆったりとしている人物が訊いてきた。
ロベールが答える。
「はい、無事終わらせてきました」
「そうか」
短くそう言い、頷く。
その、椅子に座っている人物。
ラスペード家当主、ホーエンヒルト=フォン=ラスペード。
第十一代レガリア国の国王だ。
金色の髪は、ちょうど三男ギルベイルのようにゆるくウェーブがかかっている。
五十代前半という年の割に若い見た目であり、髪の色と同じ口髭を生やしている。
二人は、国王の執務室にいた。
国王の座っている前に並んで立ち、レオンハルトは少し緊張した様子だ。
引出しが四つづつ付いた両袖机の上には、たくさんの書類が綺麗に並べられている。
机に使用されている美しい木目のミスカ材は強度が高く、机と同じ材質の椅子は、背もたれや肘掛に細やかな彫刻が施され、赤い色の座面は光沢のある上質な手触り。
ミスカ材は、レガリア国北部でとれる木材だ。
高級な木材であるため、王侯貴族や金持ちが好んで使用する。
国王の横で、執事長が書類に目を通していた。
執事長エドガー=デュトワ。
彼の仕事は国王を補佐し、その行動、予定を把握する。
勿論、この王宮全体を把握しておくことも大事だ。
その他に王宮の五人いる執事をまとめ執事職を取り仕切る。
もしかしたら王宮の中で一番大変な仕事は彼かもしれない。
執事の下の職である従者は、五人の執事から連絡事項をもらうことが多い。
彼は現国王が国王になってからずっと執事長として働いている重鎮だ。
年齢的には国王と同じくらいなはずだ。
少し白髪のまじった茶色い髪。
品よく着こなした黒いタキシードに汚れの無い真白いシャツ。
そのタキシードのお腹はやや膨らんでおり、レオンハルトが小さい頃に見た時よりも、お腹まわりが少々出てきたような気がする。
普段はおおらかで話やすく、一見柔和に見える風貌だが、何かあると眼光が鋭くなる。
だからこそレオンハルトには父である国王に怒られるよりも、彼に怒られた方が怖いとかんじる。
国王は机の上にゆっくり両腕をのせた。
「町は?復興されていたか?」
これもロベールが答えた。
「ええ、しかし、まだまだ復興の途中のようですね」
ふむふむ、と国王は頷きながら聞いている。
レオンハルトはなるべく事を荒立てないように静かにしていた。
(父さんの様子だと、あの魔法陣の件は何も噂にはなっていないようだな・・・)
少しほっとした。
ロベールは先を急ぐ。
「それより、先に話しておきたいことがあるのですが」
「なんだ」
「今回の騎士団の役職の件、レオンハルト王子を総司令官にと言いましたか?」
「!」
レオンハルトがギョッとしてロベールを見る。
「ロベール!その話はもう・・・」
何があっても動じないさすがの執事長も、こちらをチラリと見た。
「総司令?いや、部隊を指揮してもらう、とは言ったが、騎士団すべてを任せるとは言っていない」
「や、やっぱりそうなの・・・?」
改めて、レオンハルトの勘違いだと判明した。
「ぼ、僕の勘違いだから、ごめん、もう、その話は・・・」
「いや、お前は悪くない」
ロベールは少々怒った顔をしている。
「レオンハルトはおかげで騎士団会議の最中で、自分が総司令官では無く、第七部隊の指揮官だと知りました」
「なに、そうか、申し訳ないことをしたな」
「と、父さんが謝らないで!」
レオンハルトが焦る。
ロベールは続けた。
「彼も十八歳になったことだし、上の王子三人と同様の扱いをして欲しいと思っています」
(なんで・・・ロベールがそこまで・・・これも従者の仕事なの・・・?)
レオンハルトはハラハラしだした。
「今回、レオンハルトも保護国へ行くとかでバタバタしてきちんと聞かなかったのも悪いと思いますが、勿論国王が直接、でもよいですし、そうでなかったら、適切な役職の方から適切な説明をさせたらどうでしょうか」
「ロベール」
執事長も顔を厳しくする。
国王はそれを手で制した。
「ロベールが怒るなどめずらしい、なあ、執事長」
「え?あ、はい・・・」
執事長は振られて少々驚く。
ロベールは唇をギュッと結び、すぐさま口をひらいた。
「僕は、王子の身の周りのお世話をするだけで、国政や事務的な手続きには関与できる立場ではありません。従者の身分でありながら、口を出すのはどうかと思います。しかし、レオンハルト王子に関しては、今までもなあなあできているかんじがする」
「ロベール、その話はまず私を通しなさい」
さすがの執事長も書類を持つ手を下にさげ、たしなめる。
国王は静かに聞いていた。
レオンハルトは心臓がバクバクしていた。
(ど、どうしてこんな話に・・・)
てっきりゴールドローズへ行った報告をするだけだと思っていた。
「ああ、すまない、私が悪かった。今度からそうしよう」
しかしすぐさま執事長が口をはさんだ。
「いえ、国王が謝ることではない。ロベール、その話はまず私を通しなさい」
ロベールは執事長を見た。
「はい。では今後そうしますので、その件、よろしくお願いします」
ロベールは執事長の威圧にも屈しない。
少し間を置いて、国王がレオンハルトに向き直る。
「レオンハルト。お前は?どう思った」
「へっ?」
まさか、自分に振られるとは思っていなかったので、間の抜けた返事になってしまった。
(ぼ、僕の意見を求めてるってこと、だよね・・・?)
「ぼ、僕、僕は・・・」
皆の視線が集中した。
それが更に緊張を強いられる。
(・・・・・・)
一瞬、過去の記憶がよみがえる。
あの今日見た悪夢が。
兄たちが魔法をなんなく使えた時、自分は出来なかった。
あの、焦燥感、悲しみ、緊張。
―――――――待ってよ、兄さん。
(魔法が使えないお前は一緒にいたくないよ)
どうして?
魔法が使えないと、駄目なの?
同じようにしたいのに。
(一緒がいいのに!)
「レオンハルト?」
黙りこんだレオンハルトを、ロベールが心配そうに顔を覗き込む。
レオンハルトが前を向く。
国王を見据えた。
「僕も、兄さんたちと同じがいいです」
「そうか」
国王は短く言い微笑んだ。
「ではこの話はもう終わろう」
国王は椅子に座り直した。
「まったく。ロベール、あなたは頭が切れる従者だ」
執事長は、いつもの柔和な笑顔に戻っていた。
国王も、ため息をつきながら頷いていた。
レオンハルトとロベールは、少し安堵した。
ロベールが再び口をひらいた。
「それで、魔鉱保護区ゴールドローズの話なのですが」
当初の予定の話に戻った。
「ふむ」
「祈りの場、ステラティアの丘で魔法陣が発動しました」
「なに!?」
執事長も驚く。持っていた書類を落としてしまう。
(やっぱり知らないのか)
「どういうことだ、それは・・・」
執事長がロベールを眼光鋭く見る。
「噂にも、上がっていないですか?」
あんなに強大な魔力だったのに。
「いや、何もきいていないな、そうだろう?執事長」
「ええ。そんな話は聞きません」
書類を拾いながら執事長は答えた。
「そうですか・・・」
「どういった魔法陣だったんだ?攻撃されたのか?」
「どんな魔法陣かと云うのは、正直よくわからなくて・・・攻撃は、されました」
「なんということだ・・・!」
「お前たちは大丈夫だったんだな?被害は・・・」
「僕たちは大丈夫だよ、父さん。勿論、町にも被害は無い」
それを聞き、国王は安心した。
「ですが、シュヴァルツ王子が・・・」
「?シュヴァルツ王子?」
意外な人物の名が出てきて、国王も混乱する。
「ヴァンダルベルク王国の王子もゴールドローズの祈りの場に来ていまして」
「なに、シュヴァルツが?」
国王も幼少時からよく知る人物だ。
ロベールが事の経緯を説明した。
「でも、その後魔法陣の魔法は消え、シュヴァルツ王子たちも、どうにか帰ったようです」
(ロベール・・・)
ロベールは、シュヴァルツが『瞬間移動』のような事をした件は言わないようだ。
「いや、もしかして、うーん・・・」
国王は悩んでいるようだ。
そして机をバンと叩き、口をひらく。
「わかった。それはまだ内密にしてくれ。勿論、この王宮すべての人物にもだ。私とお前たち二人と、執事長だけの内にとどめておいてくれ」
「父さん・・・」
「・・・!・・・はい、わかりました」
****
「いや~執事長怖かったよ~でも最後笑ってたから大丈夫だよね?ね?」
「うるさい」
ロベールの悪態にも動じず、レオンハルトは話しを止めない。
「っていうか、ロベール!総司令官の話はしなくてもいいじゃないか!」
めずらしくレオンハルトはご立腹だ。
ロベールがギロリ、と睨む。
「いいわけないだろう!ったくお前は、何もわかってないな・・・」
「なっ!」
レオンハルトの足が止まり、下を向く。
それを横目で見たロベールも歩みを止めた。
「だって、僕がちゃんと聞いてなかったのが、悪かったんだし・・・」
ロベールは、はーっと大袈裟にため息をついた。
「だからこそ!だろ」
「え?」
「誰が悪いとか、そんなことやってたら、今後何が起きるかわからない。だからこそ、誰のせいでも無い、しかし誰の責任でもある。そうなるように、きちんと取り決めしておくんだ、きちんとお前に話が伝わるようにな」
誰のせいでも無い、しかし誰の責任でもある。
正直、レオンハルトが上三人の兄よりも軽く見られているような節が以前からあって、気になっていた。
勿論、年齢もまだ若かったせいもあるが、今回、曲がりなりにも騎士団第七部隊の指揮官となる身だ。
きちんとしておきたいのは国王だって同じなはずだ。
「・・・・・・」
レオンハルトはじっとロベールを見つめて黙っている。
彼が自分の話を理解したのか解らず、顔をのぞいて確認しようとする。
「わかったか?」
「君ってすごいね!!」
その瞬間、レオンハルトは顔をパアアと輝かせ破顔した。
「はあ~?」
ロベールは顔を思わずゆがませた。
「そこまで考えているなんて!すごいよ、頭良いね!僕と二つしか歳が違わないのに」
「・・・お前の今後が心配だよ・・・レオンハルト・・・」
「ロベールのご両親は上級魔導士で、騎士団の書記官だったんだろ?」
レオンハルトがまだ目を輝かせたまま言った。
「え?あ、ああ、まあ」
唐突にそんな話をされたのでロベールは一歩引いてしまう。
肩書上はそうだったんだろう。
見た事ないけど。
「騎士団の歴代メンバー表を見たよ、前から聞いてたけど、ほんとにそうなんだね!」
屈託なく笑うレオンハルト。
ロベールは乾いた笑いを浮かべた。
「やっぱりロベールもこのまま次期書記官候補だね!」
「ないない」
「えー」
ロベールが言葉少なにあしらうので、レオンハルトはそこで会話を切り上げ、別の話をする事にした。
(ロベールはご両親の話をする時は何故かいつもすぐ話を終わらせたがる。病気で亡くなったとしか聞いてないし)
「ゴールドローズの魔法陣の話、黙ってろって、何故だろうね」
二人は回廊から、中庭に出た。
ここなら誰も聞いていないだろう。
「ああ。国王が内密にってことはかなり重要なことだよな。僕も調べてみるけど、この件はシュヴァルツ王子に会いにいくのが早い気がするよな」
「そうだよ!」
レオンハルトは思わず大きい声になる。
「あとで国王に言ってみよう。ヴァンダルベルク王国に行けるように、頼んでみるんだ」
「うん!」
戦争状態になれば、きっと行けなくなるだろう。
「はあ、シュヴァルツはどうしてるだろう・・・」
空を見上げる。
ため息しか出てこない。
レオンハルトは気分転換に、空気を胸いっぱい吸った。
この同じ蒼空の下、彼の親友は今、何を思い何をしているのだ――――――――。
中庭の池で泳ぐ魚を見つめた。
水面に自分の顔が映る。
ああ、なんて顔をしているんだろう。
僕はこれで、第七部隊を率いる事なんて出来るのだろうか。
中庭の入口付近にいるロベールはレオンハルトへ声をかける。
「今日は一日ゆっくりしていろ、レオンハルト」
「今日は予定は本当に何もないの?」
「ああ。明日、騎士団宿舎へ行こう。また会議がはじまる」
「うん」
「ロベール、今日はありがとう」
色々と、父さんに進言してくれて。
「いや、僕の仕事だし」
表情を変えずに言う。
「ふふ」
彼には色々と助けてもらってばかりだ。
「少しの休みだ、ゆっくりしてろ」
もうすぐ、戦争がはじまるんだ。
それまでの、束の間。
****
その頃、再び国王の書斎では。
「しかし、彼は頭が切れる。あの年であそこまで言ってのけるとは」
「ああ、ロベールか」
「やはり、両親の血を受け継いでいるのですかね・・・」
「うむ・・・」
国王は少し悲しい顔をしていた。