第86話 マギアスファウンテン第四層(1)
アーチ状の岩をくぐり、少し歩くと、高い岩の壁が見えた。
そしてその壁にくり抜かれたような大きな穴が開いていて、そこを入ると第四層の入り口だ。
ドキドキしながらレオンハルト達はそこへ足を踏み入れる。
「え・・・。み、見えない・・・!」
あたり一面、霧が立ち込めている。
視界は少し先まで、はっきりと見えるのは隣にいるオーウェンとレンぐらいの状態だ。
オーウェンが緊張の面持ちで口をひらく。
「・・・いいか、絶対そばを離れるなよ。この霧で何も見えないからな」
「う、うん・・・」
オーウェンの右手に淡い光が宿った。
オーウェンが【装飾の光】を発動させたのだ。
途端に目の前が明るくなり、数十歩先までの視界が良好になった。
なぜ普段ランプなどに使う【灯火の光】を使わないかと云うと、【装飾の光】は、その淡い光よりもはっきりとした色が付くからだ。
オーウェンが言うには、黄色系統の光の方が、霧の中でもより目立つのだそうだ。
しかしそれも数十歩先まで。横や後ろ、すべてがクリアになったわけでは無いので不安は残る。
三人は前を歩いている相手の服の裾をつかんで歩くことにした。
右手をかざし魔法を発動しつづけているオーウェンを先頭にして、その後ろにレン、そしてその後ろにレオンハルトだ。
(なんだか第四層に入って、急にまったく別の空間に来たようだよ・・・)
レオンハルトは、思い描いていたマギアスファウンテンと全く違う状況に、ショックを隠せない。
光で周囲が見えるようになると。
「うわあ!」
そこには巨大な木や花が現れた。
それは見た事も無いぐらい大きさだ。
「なに、この大きさ」
木も花弁も、勿論高さも、通常のものの五倍はある。
美しい花なのに、大きすぎて気味が悪い。
(これもマギアスファウンテンの影響なの?)
前を行くレンが怖がっているようで、オーウェンの服のすそをギュッと握りしめている。
レオンハルトは何か喋って気を紛らわせなくちゃと思い、口をひらく。
「ね、ねえ、オーウェン」
ゆっくりと探るように歩を進める中、レオンハルトが口をひらく。
「なんだ」
「ここは前もこんな状態だったの?」
「そうだ」
そして一拍置いて話しはじめた。
「十年前の探索時も、このように霧がかかっていた。だから、余計に彼らとはぐれるような事態になってしまったんだ」
「・・・そうなんだ」
(ああダメだ!暗い話になってしまった・・・!何か明るい話題を・・・!)
しかし話が思い浮かばない。
完全にこの異様な空気に飲まれ集中できない。
レオンハルトは歩きながら空をチラリと見る。
(まだ、昼間、だよね・・・?)
陽の光が入らないこの空間は暗い。
高い木々や巨大な岩壁で頭上まで覆い隠されており、その隙間から光が入ってきているが、それもほんのわずかなのだ。
しまいに霧までかかっているのだから最悪だ。
(そういえばマギアスファウンテンに入る前、確かに高い木や岩壁が少し遠くに見えたけど、ここだったのか)
(ん・・・?)
しばらく歩くと、レオンハルトの胸がまたザワザワしだした。
(なんだろう)
次第にザワザワがズキズキに変わる。
それと同時に温かいものが胸の中に入り込んでくる。
(この温かさは、一体どこから?)
「あっ!」
レンがオーウェンの背中にぶつかった。
「あ・・・、すまん」
オーウェンが振り返り謝る。
急にオーウェンが立ち止まったせいでレンがそのままぶつかってしまったのだ。
「ど、どうしたの?」
レオンハルトはレンの隣に来てそう訊くと、オーウェンが右手から発光しつづけている手を左右に動かし、真剣な表情で周囲を見渡した。
「ここだ」
そう短く言った。
ごくり、とレオンハルトの喉が鳴った。
(いよいよ、その場所へ来たのか)
「こ、ここでベビーヘルファイアを拾ったって事?」
オーウェンが頷く。
「見覚えがある。あの大きな木」
そう言って指さす先には一際大きい木があった。
木の幹の色は青色をしている。
(青色の幹なんて見た事ないよ・・・)
周囲をよく見ると、この木以外にも青色の花が点々と生えているのがわかる。
「しかし、十年前の話しだ。何か変化があるかもしれない。ここでは無い可能性もある」
「でも、違ったとしても、もうここは第四層なんだし、ここでいいんじゃない?」
「いや、ダメだ。俺が拾ったのは第三層に近い場所だったんだ。なるべく魔物のいない第四層では無く、第三層に近い方がいい」
「そ、そうか・・・」
すると、レオンハルトが胸を抑えた。
(なんだろう、まだ、あの感覚が)
心の中があたたかくなり、でも苦しい、悲しい。
オーウェンがそれに気づいた。
「王子、どうした?顔色が優れないな」
「えっ、だ、大丈夫だよ。こんな場所、来た事ないから、かな・・・」
(こんなところで皆に心配かけてはダメだ。我慢、しなきゃ)
「そうか・・・」
すると。
「きゃっ!」
レンが突然叫んだ。
「レンちゃん!?」
レンの方を見ると、彼女が必至にカバンの蓋を押さえていた。
「で、出てこようとしていますっ・・・!」
「ええ!?」
「な、なんだって!?どうして今頃・・・」
「私の魔力では、抑えきれません!!」
「そ、そんな・・・」
オーウェンも、ベビーヘルファイアが出てこないようカバンを押さえつけようとする。
しかし・・・。
「もう無理です!!」
押さえている事に限界を感じたレンが叫んだ。
次の瞬間。
「ピイイイイイイイ!!!」
カバンの中から何十匹ものベビーヘルファイアが元気に飛び出して来た!
「うわあああ!」
レオンハルトは心臓が飛び跳ねそうになった。
(と、とうとう出てしまった・・・!)
なんという光景だ。
次々とカバンから出てくる魔物たち。
そして、あっという間にカバンから出てくるベビーヘルファイアはいなくなった。
レンが茫然として地面へへたり込む。
「お、オーウェン、どうしよ・・・」
レオンハルトはオロオロするばかり。
オーウェンはため息を吐き、頭上を見上げる。
頭上では、ベビーヘルファイアたちが翼をバッサバッサとはためかせ飛んでいる。
「まあ、出てしまったものはしょうがない。彼らが第三層へ行く事を願うさ」
すると。
「あれ?ちょ、ちょっと待ってよ!」
そのベビーヘルファイアたちがどこかへ飛んでいく。
そしてあっという間に見えなくなったのだ。
「え・・・、お、終わり?」
レオンハルトはポカンとする。
なんとも名残惜しささえ生まれない瞬間だった。
あんなに帰すことに色々な思いを巡らせていたというのに。
オーウェンはそれをもっと感じているようで、唖然としている。
「・・・なんだよ、あいつら。せめてサヨナラとか、ありがとうとか、無いのかよ・・・」
(そ、そうだよね、一応大事に育てていたのに、あっさりとどこかへ行ってしまうなんて)
「でもオーウェン、彼らはしゃべれないと思うよ・・・」
「あ、あれ?」
座り込んだレンが、慌てた表情になった。
「どうしたの?」
レンは今しがたベビーヘルファイアたちが出てきたカバンの中を覗いている。
すると、少し高揚した表情でレンが小さく叫んだ。
「・・・いますっ!」
「え?」
「一匹だけ、います!カバンの中に!」
(え―――――――)
「う、嘘だろ・・・」
オーウェンがつぶやいた。
****
「・・・出てきませんね」
「私、とりだしますよ、いいですね?」
「俺がやる」
オーウェンがカバンの中に顔をのぞかせる。
すると、
「ピイ!」
元気な鳴き声とともに、カバンから出てきた。
そして、迷わずオーウェンの胸に抱きついていく。
「おまえ、竜!」
オーウェンは泣きそうなくらい顔をほころばせ、ベビーヘルファイアの『竜』をギュッと抱きしめた。
(ふふ。やっぱり好きなんだなあ、あのベビーヘルファイアの事が。一匹だけ残っていたのも、オーウェンのそばにいたいからだよね?きっと、オーウェンもそれが嬉しいんだろうな)
しかし、喜びも束の間・・・。
「なあ、お前。なんであいつらと一緒に出てきて、飛んで行かなかったんだ?」
オーウェンの話しがわかっているのかいないのか、ベビーヘルファイアは首をかしげる。
そしてオーウェンの胸にぐりぐりと頭を擦り付ける。
「こ、こら」
オーウェンが『竜』を引きはがそうとする。
しかし、離れないようだ。
「チビ竜ちゃん!お願い!離れて!」
レオンハルトも助けようと『竜』の体をつかむが・・・。
振り返りざまに「シャー!」と鳴き声を出され睨まれた。
(うう・・・)
何度もそれを繰り返すが・・・。
「だ、ダメだ。離れない・・・」
オーウェンはひらめく。
「――――そうだ、魔法だ。浮遊魔法かなんかではがせるかもしれん」
「ああ!なるほど!」
(ぼ、僕できるかな)
レオンハルトが青ざめていると、レンが手を挙げた。
「私やってみます。オーウェンさんは動かないでくださいね」
「ああ。頼む」
レンが右手を『竜』へ向ける。
ふわり
『竜』の体がオーウェンの体から離れ、一瞬浮いた。
「よし!離れた!」
そのままオーウェンは後ずさる。
レンはそのまま手を左の方向へゆっくりと向ける。
ベビーヘルファイアたちが飛んで行った方向へ。
『竜』もそのままふわふわと浮いて移動していく。
そして霧の中へ入っていった。
やがて見えなくなった。
レンが右手をおろす。
「・・・」
(少し悲しい光景だけど、これでいいんだ)
彼らのためには。
オーウェンの方を見ると、彼は下を向いて肩を震わせていた。
(泣いているの?)
家族同然で十年も一緒にいた魔物。
それが、いなくなってしまうなんて。
しかも、目の前で。
想像できないぐらい深い悲しみを感じているだろう。
「え・・・」
レンが驚きの表情で、『竜』が消えて行った場所を見た。
レオンハルトも何事かとそちらを見ると・・・。
「チビ竜ちゃん!?」
「なにィ!?」
なんと、さっき浮遊魔法で霧の中へ移動させた『竜』が戻ってきたのだ。
パタパタと羽をはばたかせ、嬉しそうな表情で。
勿論、向かっていく先は、ご主人様の元。
そして胸の中に飛び込む。
「お、おまえ・・・」
オーウェンはもう何も言えなかった。
「言葉が通じる魔物はいないのかよ・・・」
途方に暮れ、そうつぶやいた。
オーウェンは脱力して青い大きな木の幹にもたれて座ってしまった。
『竜』を胸に抱いたまま。
「これでは、任務失敗になってしまう・・・」
オーウェンは焦っていた。
レンが心配そうに見る。
「その一匹だけ、持って帰るというのはどうでしょう?」
「ダメだ!また増殖してしまう・・・」
オーウェンは即答した。
「じゃあ、どうしよう・・・」
三人が不安になっていると・・・。
「・・・っ!」
突然、ズキリと頭が痛くなり、レオンハルトがうずくまる。
「おい、どうした」
オーウェンが気づき、立ち上がる。
「な、なんでも、ない、よ・・・」
しかしレオンハルトはその場に倒れてしまった――――――。
****
『・・・おい、聞いてるのか』
『・・・』
『ルーイン!』
『ああ、なんだい?』
『お前、やり遂げなければならない使命だと言ったが、それよりも大事なものがあるだろう?』
彼は薄く笑う。
『大丈夫さ。残したから』
『なにを?』
『―――――その名前に、愛情を』
「―――――レオンハルト王子!」
「あ・・・」
「大丈夫か!?急に倒れたぞ!」
「え・・・、ああごめん」
そう言って起き上がる。
(・・・なんだろう。さっき急激にあたたかい空気が体を包んだような―――――?)
「おい」
オーウェンがレオンハルトの体を支える。
『竜』はオーウェンのそばを飛びながらこちらを見ている。
レンも心配そうにレオンハルトの顔を覗き込んでいた。
「大丈夫だよ」
ただ頭はまだぼんやりしていた。
レオンハルトはふと霧の中、左手奥の方を見た。
(何か、感じる・・・)
無意識のうちに胸のペンダントに触れる。
振れた瞬間、何かが見えた。
「―――――竜?」
「なに?」
オーウェンが聞き返す。
ベビーヘルファイアではなく、それは―――――。
しかし、また胸のペンダントを抑えてうずくまるレオン。
オーウェンがその体を抱く。
ちらりと、レオンハルトの魔石ペンダントが見えた。
オーウェンは、そのペンダントを手に取る。
「これは・・・」
魔石に大きな亀裂ができていた。
オーウェンはそれをレオンハルトの服の中へしまい、寝かせようとした。
しかし。
おぼろげな視界の中、レオンハルトは何か異様なもの―――――魔物が見えた気がして、立ち上がる。
「おいっ、王子どこへ行く!」
その声を無視して、レオンハルトはおぼつかない足取りで、霧の中へ入って行こうとした。
「王子!」
レンも叫ぶ。
「行くな!」
オーウェンが叫ぶが、振り返らない。
(くすり・・・)
(そう。薬が欲しいんだ。エミィを治す薬が)
だから、魔物を倒さなきゃ。
「この絶好の機会を逃す手はない・・・」
レオンハルトは一人呟く。
そして霧の中、どんどん歩を進めていく。
「おいっ!!!」
怒声が、レオンハルトの耳に響いた。
そして、ぐい、と腕をつかまれる。
「!」
(あ・・・)
レオンハルトは、そこで目が覚めた。
オーウェンが、涙を流していた。
「頼むから、はぐれないでくれ・・・。もうあんな思いをしたくないんだ・・・」
「オーウェン・・・。ごめん・・・、ごめん、なさ・・・」
レオンハルトは茫然としてペタリと座り込んだ。
レオンハルトは気持ちが落ち着くと、改めて謝った。
「本当にごめんなさい。僕、魔物が見えた気がして、薬を、その・・・」
「魔物、か・・・」
オーウェンが辺りを見渡す。
何の気配も無い。
「お前が魔物の落とす薬を欲しがっているのはわかってる。ただ少し、さっきのお前はおかしかったぞ」
「え?」
(おかしい?たしかに、頭がぼうっとしてはいたけど・・・)
オーウェンがレオンハルトの胸を指さす。
「それに、その魔石、亀裂が入ってるぞ」
「え」
レオンハルトが慌てて服の中からペンダント取り出すと。
「ああああ~!」
たしかに亀裂が入っていた。
今度は以前のものよりも長く、深い気がする。
「このまえ修理してもらったばっかりなのにい~」
(父さんに怒られる!怒られるってもんじゃないかも!?)
それをジッと見つめるオーウェン。
「今はとにかく時間が無いから、帰ったらゆっくり修理してもらえ」
「・・・うん」
あたりを見渡すと、霧が深くなっていた。
「あれ?レンちゃんは?」
「彼女は『竜』と一緒だ」
「もしかして、僕、けっこう霧の中に入っちゃった?」
オーウェンが難しい顔でうなづく。
「ああ」
(ガーン・・・)
「どうしよう・・・」
レオンハルトは青ざめる。
自分でも気づかないうちに、危ない場所へ足を踏み入れていたんだ。
しかも、一人で。
オーウェンがレオンハルトの肩をバンと叩く。
「大丈夫だ。来た方向は覚えている。それに、何かあれば『竜』が追ってくるだろ」
「・・・ああ」
『竜』は浮遊魔法で霧の中へ飛ばされても、オーウェンの元へ戻ってきたのだから。
「きっと、ベビーヘルファイアはこの霧の中でもどこに誰がいるかわかるのかもしれんな」
「うん、そうかも」
「魔物は、いつか俺が倒してやよ」
「え?」
「魔物の落とす薬が欲しいんだろう?」
「う、うん。ありがとう、オーウェン」
そして、帰ろうとした、その時。
「――――何かの気配だ!」
オーウェンがそう短く叫び、腰に差した剣に手をのばた。