第72話 デルフィーヌ=アークライト(2)
教会から出ると、雨が降ってきていた。
空一面雲で覆われているため、あたりは真っ暗だ。
入り口の軒下で二人は立ち尽くした。
デルフィーヌが空を見てため息をつく。
「これだと、飛行魔法もうまく使えないわ」
「止むまで王宮で待ってれば?それか、せめて朝になるまで待つとか」
デルフィーヌは首をふる。
「そんなに急ぐの?夜道は危ないよ?」
それには答えず、デルフィーヌはローブをかぶった。
「どうにかするわ」
レオンハルトはまだ彼女を引き留めようとする。
「王宮から馬車を借りて送ってもらえば!」
デルフィーヌが苦笑する。
「大丈夫よ、そんなことさせられないわ」
「でも・・・っ」
(だって、僕の魔石を修理してくれた大事な人なのに!)
「父さんだって、快く貸してくれると思うよ?」
(そう。父さんにとっても、大事な人なはず)
「ありがとう。でも、いいの。どこかで馬を借りていくわ」
「そんな・・・。それでも濡れちゃうでしょ?」
「大丈夫よ、このローブに、魔法をかければ」
「魔法・・・」
「・・・ローブさえも濡れなくなる魔法だから平気よ。雨もそのうち止むでしょう」
なんだか平気そうな顔をして言うデルフィーヌ。
本当に、大丈夫なんだろうか。
「魔法、か・・・」
レオンハルトはポツリとつぶやいた。
それを聞いたデルフィーヌがふふ、と含み笑いをした。
「・・・やってみる?」
「へ?」
突然そう言われてレオンハルトはポカンとする。
デルフィーヌはにっこりと笑う。
「やってごらんなさい」
「何を?」
「水魔法に強いのは何属性魔法?」
急に魔法学のような事を言うデルフィーヌ。
「えっ、えっ?」
(急に、何を言い出すんだ)
(で、でも。そんなのは、簡単だよ。基本中の基本なんだから・・・)
七大元素『火』、『水』、『風』、『地』、『闇』、『光』、『無』。
これらの属性のうち、『火』、『水』、『風』、『地』にはそれぞれ弱点があって威力が倍になる効果がある。
闇と光に関しては、この四元素とは干渉せず、単独で互いに関係性を持つ。
例えば、闇属性が火属性に対して攻撃しても効果は倍増しないが、闇が光に攻撃したり、光が闇に攻撃すると、威力が増す傾向がある。
効果は増すが、闇と光は互いに力は拮抗しており、どちらが優位というのは無い。
また、無属性だけはその弱点が無いのでどんな属性の攻撃も一定だ。
そして・・・、
地に強いのは風。
風に強いのは火。
火に強いのは水。
水に強いのは・・・。
「地属性魔法だ・・・」
「そうね」
そして続けて問う。
「では、地属性魔法の中で、水属性をはじき、人間の体に悪影響を及ぼさない安全な防御の魔法は?」
「え?えっと、水属性を無効化だと、攻撃はされていないから違うか・・・。一番人体に安全そうなのは、えっと、水を吸収させる中位魔法の、【変換:大地の恵み】・・・?」
デルフィーヌがうなづいた。
「正解ね」
「?」
(正解したのは嬉しいけど、どういうこと?)
「防御壁は、ある程度のレベルでないと持続しないし、敵に攻撃するのではないから、人体に悪影響を及ぼす魔法は違う。だとすると、自然に近い魔法がいいわね」
そう、説明した。
そして、
「ほら、やってごらんなさい」
そう促した。
「え!?今?僕が?」
「・・・回復魔法、使えるようになりたいんでしょう?」
「う。いや、そうだけど。でも!僕、今武器が無いよ!武器無しで詠唱なんて・・・」
「むしろ武器は無い方がいいわ」
「どうして?」
「回復魔法を覚えたいんでしょ?」
「はい・・・」
「回復魔法は、武器無しで、素手で発動させた方が威力が増すの。例えば人体の回復というのは、本来なら自然に回復するのが望ましい。だから、回復魔法というのは、より『自然界の力』に近い方が良いとされているわ」
「そ、そうだったっけ・・・」
(魔法学、勉強し直さなきゃ・・・)
「だから、魔法を素手で使っていれば、自然とすべての魔法を素手で操れるようになるわ」
「す、素手で、か・・・」
レオンハルトは己の手のひらを見つめた。
(僕に、出来るのだろうか)
なんとも難易度の高い話だ。
一度まともな魔法が使えただけで、それ以外は武器を使ってもまともに魔法が発動しない自分が。
動かないレオンハルトの背中に、デルフィーヌの手がそっと優しく置かれた。
「自身を持ちなさい」
(自身・・・)
そんなの、持った事などない。
「イメージしなさい、魔法の発動を」
デルフィーヌがそう言うと、レオンハルトは己の手を見つめた。
(地属性魔法【変換:大地の恵み】・・・)
マギアスを取り込まなくても、自然に取り込まれている体内のマギアスだけで十分だ。
(やってみるか・・・)
レオンハルトは目を閉じた。
意識を、魔法の発動のみへ集中させてみた。
マギアスを魔力へ変換する。
レオンハルトの体から、デュナミスオーラが現れた。
水の流れ、大地の息吹を、五感で感じ取ろうと意識を集中させる。
(音、感触、におい・・・)
そして、それらを護る精霊たち。
彼らに語りかける。
どうか、これらの力を使う事を許し、手伝ってほしいと・・・。
また、どのように発動し、どのように対象に影響するかも頭の中で考える。
(この雨を、大地へと恵みの水として吸収させる・・・)
右手をデルフィーヌの体に向ける。
(その魔法を、彼女の体全体を覆うほどの範囲にして・・・)
目を見開き、詠唱した。
「【変換:大地の恵み】!」
そして、それをより強固なものとするため、つづき言葉を紡ぐ。
「水に属する者を吸収し、常に体に纏い、保護せよ!」
静かに、だが力強く発せられたその詠唱。
次の瞬間、雨音に負けないゴオオという大きな地鳴りのような音が鳴った。
地面よりまばゆい光が現れ、デルフィーヌの体全身を覆い尽くす。
しばらくすると光は消え、辺りは詠唱前と同じ景色になった。
雨はまだ、ザーザーと振り続けている。
「あ・・・」
レオンハルトは茫然とデルフィーヌを見る。
(僕の、魔法は・・・?)
デルフィーヌが笑顔になった。
「見て」
そう言って軒下から一歩出て、雨に打たれた。
「あっ」
レオンハルトはその行動に一瞬焦る。
しかし、
「大丈夫そうね。雨に濡れていないわ」
そう言って、彼女は両腕を広げる。
「ほ、ほんと?」
「ほんとよ?ほら」
そう言って軒下に戻り、レオンハルトにローブを見せた。
「ほ、ほんとだ・・・」
水滴が一粒もついていない。
「や、やった!やったあ!!」
レオンハルトはガッツポーズをして、手放しでそう喜んだ。
デルフィーヌはそれを笑顔で見つめていた。
「凄いわね。あなた今、何をイメージしたの?」
「え?なにって・・・」
「とても優しい光に包まれたわ。温かかったわ。あの魔法であんな光に出くわした事が無いわ」
(優しい?温かい?)
「そ、そう?僕はただ、大地と水、魔法の発動と対象者への影響をイメージして・・・。そうだ、最後に、デルフィーヌさんが雨に濡れて冷たい思いをしないで帰れるところをイメージして・・・」
「・・・」
そのレオンハルトの発言に、デルフィーヌは何か考えているような顔をした。
「そこまで考えるのね。・・・もしかしたら、あなたなら、大丈夫かもしれない・・・」
「大丈夫?」
なにが?
「いえ、なんでもないわ。その調子で、頑張って」
「は、はい・・・?」
(なんだかデルフィーヌさんはおかしな事ばかり言うよなー)
ふと、レオンハルトが気づいた。
「そういえば、魔法を詠唱した時、前に比べて軽くなった気がしたんだ」
「軽く?」
「そう。なんて表現したらいいかわかんないけど。発動されるときにね」
「・・・そう。良かったわ」
そう言ってほほ笑んだ。
(・・・良かった?)
「それより、ありがとう。魔法をかけてくれて助かったわ」
「そんな・・・」
レオンハルトは少し感動した。
自分の魔法がうまく発動したこと。
魔法で誰かにお礼を言われること。
それがこんなに嬉しいものだなんて。
「こっちこそ、ありがとう。デルフィーヌさん。色々教えてくれて」
「・・・」
デルフィーヌは、一瞬面食らったような顔になったが、すぐに困ったような笑顔を浮かべた。
「ふふ。レオンハルト王子は、素直ないい子に育ったわね」
「え?」
なにその言い方。
(僕を小さい頃から知っているような口ぶりだ)
(ん?でも、まあ、母さんの古い友人なら、小さい頃の僕も知ってる・・・?)
「さあ、行くわ」
「あ・・・」
別れの時が来てしまった。
デルフィーヌはそのまま雨の中を歩いていく。
レオンハルトはその後ろ姿を教会の入り口で見送った。
雨でバシャバシャと地面の水がはねても、靴が汚れない。
我ながら魔法がよく効いているな、と嬉しくなった。
デルフィーヌが少し歩いて、ふと立ち止まった。
「?」
そしてレオンハルトに向けて言葉を投げかけた。
「私と会った事、内緒にしてね」
「え?なんで?」
しかし、理由を言わず念を押した。
「あなたのお父上や母上にもね。誰にも、ナイショよ。これはあなたのためでもある」
(どういうことだろう?)
「う、ん・・・。わかったよ・・・。秘密にする」
納得いかないが、内緒にしたからといって、何があると想像もできない。
****
「・・・で?どうしてこうなった」
ロベールが目の前で怒っていた。
ここはレオンハルトの部屋。
レオンハルトの体はビチャビチャに濡れていた。
「ご、ごめんなさい!!」
レオンハルトが謝る。
デルフィーヌが去った後、あのまま教会の入り口で、魔法が使えたことに気を良くして他の魔法も試してみた。
だが、水属性魔法を使っている途中で、レオンハルト自身があやまって水を滝のようにかぶってしまったのである。
「まだうまく使いこなせないくせに、欲張るからこうなるんだ」
(ハイ、ごもっともです)
ロベールはぶつぶつ言いながらも、暖炉に火をくべ、髪をごしごしふいてくれる。
「風呂に入って温まれ。そのままだと風邪をひく」
「うん。ありがとう」
レオンハルトは風呂に入り自室に戻ると、そのまま気持ちよくて寝てしまった。
「・・・」
レオンハルトは夢を見ていた。
「ルカ!」
(ルカ?)
愛らしい声に呼ばれた。
僕の、フォルスネームにしたい名前?
場面が、暗転する。
「黒薔薇の女王、ヒルデよ」
(?)
(ああ、違う。『プラネイア神話』か・・・?)
黒くウェーブのかかった長い髪が揺れる。
(デルフィーヌさんみたいだ)
呼ばれた女性が振り向く。
顔はおぼろげでわからない。
「なぜ、あいつのところへ?」
「さあ、なぜかしら」
ふふ、と妖しく笑った。
また場面が暗転し、別の声が遠くから聞こえてきた。
<闇は深く、人の心を暗く染める>
<心が暗黒に染まって何が悪い>
<暗黒帝王は嘲笑した>
(プラネイア神話の・・・一節?)
<光の戦士ルカよ・・・!>
「―――――――――!」
そこで目が覚めた。
(なんだか、苦しい夢だったな・・・)
でも、いったい、何故そんな夢を・・・。
レオンハルトはベッドから茫然と、天井を見上げた。