第51話 ヴァンダルベルク王国(9)同盟交渉
扉を開けようとして、ふとレイティアーズが手を止める。
「―――――王子、私はここで待っていた方がいいか」
「え」
ここ、とは部屋の外の扉の前。
「そもそも城に入れるのは一人と言われていたからな。相手の気持ちを逆なでするような形になるかもしれんしな」
「え!それは無いんじゃない?シュヴァルツに限って・・・、で、できれば、一緒に中に入ってほしいんだけど・・・」
「そうか、わかった」
****
「し、失礼します・・・」
部屋に入ると、アラムとシュヴァルツしかいなかった。
(こ、これなら気兼ねなく話せそうだ)
レオンハルトは少しだけホッとした。
アラムは奥で紅茶を入れている。
そして、来客用の椅子に座りこちらに背を向けている人物。
相変わらずの無造作な黒髪に、就任式用の黒い衣装。
(シュヴァルツだ)
(やっと、会えた!)
ああ、やっぱり無事だったんだね。
ゴールドローズでの一件以来、本当に心配だったよ。
色々と聞きたい事が山ほどあるけど、今は無理だ。
もしもこの同盟が成立したら、すぐに色々と話がしたいよ。
それにほんとは、国王就任おめでとうと言いたい。
でも、今はそれは叶わない・・・。
様々な思いが堰を切ったように溢れてくる。
レオンハルトは少し目を潤ませ、笑顔になった。
「シュヴァルツ・・・、久しぶり。って言っても、ゴールドローズ以来か」
レオンハルトが声をかけると、シュヴァルツがゆるりと立ち上がった。
カツカツと靴の音を立て、こちらへ歩いてくる。
「へえ・・・。何かまだ話したい人物がいると言っていたが、」
そして口角を上げ薄く笑った。
「お前とはね――――レオン」
青色の瞳がレオンハルトを鋭く射抜いた。
「――――――――!」
(な、なに、今の)
(シュヴァルツ・・・?)
違和感を感じる。
いつもの彼じゃない。
シュヴァルツは扉の前に立っているレイティアーズに気づく。
「これはこれは。レガリア国騎士団の団長様じゃないか」
レイティアーズが一礼した。
シュヴァルツは下をむいてフッと笑う。
「俺は、一人だけ、と言ったはずなんだが・・・」
「申し訳ない。私は話しに関与しない。だから、ここにいさせてくれ」
シュヴァルツはジトッとした目でレイティアーズを見た。
「ふうん・・・。まあ、いい。そこで大人しくしててくれ」
(そ、そうだ、大事な事を言わなきゃ・・・)
「あ、あの、前国王のことは、その、本当に・・・」
お悔みの言葉を述べようと思ったが、
「ふ、どのツラ下げて・・・」
あざけるような笑みとともに、シュヴァルツが呟いた。
「?」
レオンハルトが彼のつぶやきを量りかね訝しんでいると、シュヴァルツが近づいて来た。
レオンハルトの真正面へ。
「俺を説得にでも来たのか?」
まだうっすらと笑みを浮かべ。
レオンハルトは思わず後ずさる。
「せ、説得、というか、考え直してもらおうと話しを・・・」
レオンハルトが言い終わる前に、シュヴァルツは黒い服をひるがえし、背を向けた。
「無駄だ。これ以上もう話す事など無い。同盟はできないと言ったはずだ」
「シュヴァルツ・・・!」
どうにかしなければ。
レオンハルトは真っ白になりそうな頭を、必死で動かす。
「め、メリットはあるはずなんだ!も、もしかしたら、レガリア、ドレアーク、ヴァンダルベルクで、強固で巨大な同盟ができるかもしれないだろ?」
「くっ、あははは」
シュヴァルツが黒い前髪をかきあげ、大声で笑った。
そして急に真顔に変わる。
「――――――お前はほんとに能天気だね、レオン」
「な・・・に・・・?」
(さっきから頭がついていかない。この人物は本当にシュヴァルツなんだろうか?)
バアン!
シュヴァルツが来客用のテーブルを叩いた。
「そんな仲睦ましい同盟なんて、できるわけないだろ!」
「――――――ッ」
レオンハルトは一瞬おびえた。
こんな風に怒鳴られるのは初めてだ。
「まあ、さっきレガリア国王にも言った話だが・・・、コルセナ王国にも、話を持ちかけているそうじゃないか」
「・・・知っているんだね」
シュヴァルツはレオンハルトを見る。
「ドレアークは、アラザスに戦争を仕掛けるつもりなんだろう?」
「あ・・・」
(もう、知っているんだ。情報が漏れてるのか)
「国家機密ゆえ教えられないな」
後ろでレイティアーズが答えた。
シュヴァルツがそれを聞いてフッ、と笑う。
「アラザスの領地を奪い、コルセナ及びヴァンダルベルクと同盟を結ぶ、そういう算段なんだろう?」
「・・・・・・」
「今、コルセナに使者を送っている。ドレアークの言いなりになるなと釘をさすためにな」
「そ、そこまで話は進んでるの・・・」
ドレアークの行動はヴァンダルベルクには筒抜け、ということだ。
各国の様々な思惑が交錯しているようだ。
「シュヴァルツ様、それ以上はお話しになりませんよう」
アラムが釘をさした。
「ああ悪い悪い」
「まあまあ、せっかくですから、紅茶でも飲んでいきませんか?」
アラムがそう口にした。
張りつめた空気が緩む。
ホッとしたのも束の間、すぐさまシュヴァルツがレオンハルト達に背を向けた。
「客人はお帰りだ。作らなくていい」
(え・・・!?)
「シュヴァルツ!!僕は帰らないよ!どうか話を聞いて!」
「俺は話は無い」
シュヴァルツはこちらを向かない。
「ねえ、どうしちゃったの?何か、違う人みたいだよ・・・?ついこの間まで、普通に話してたじゃないか」
「・・・・・・」
一瞬シュヴァルツの動きが止まる。
しかし、彼は低く抑えた声で言った。
「俺は国王になったんだ。今までと違うのはあたりまえだ」
「でも・・・」
(まるで他人のような態度だ・・・)
でも、僕を変わらず『レオン』と呼んでくれる。
(もしかして、何かすごく怒っている、とか?)
(――――あ!)
それとも・・・。
ゴールドローズの一件で、やっぱり何かあったとか!?
「しゅ、シュヴァルツ!!」
「・・・」
「あ、あの、さ。ゴールドローズでの事、大丈夫だったの?その、すごく、僕たちダメージを受けただろ?」
「『僕たち』・・・?」
すると、反応したのはアラムだった。
ガチャン、と紅茶のティーカップが地面に落ちた。
「!?」
音に皆がアラムを見る。
彼の顔は、はっきりと見てとれるくらい怒りに満ちていた。
「・・・あなたはッ・・・!」
アラムが奥で小さく叫んだ。
そしてレオンハルトに詰め寄った。
床にこぼれた紅茶が彼の足もとを汚す。
「あなたは、シュヴァルツ様がどれだけ苦しんだか、まるでわかっていない――――――!」
「え――――――」
「よせ、アラム」
シュヴァルツが目を伏せ、静かに止める。
しかしアラムは怒りを抑えながら静かに続けた。
「攻撃を受けた時の痛みは、あの時だけではないのです」
「え」
「王城に戻ってからも、苦しみ、時には気を失うほどの苦痛を、何度も受けました」
「そんな・・・」
「なんとか就任式はできましたが、まだ、痛みはあるんです」
シュヴァルツがおもむろに窓の方を見た。
「こんなの、なんてことはない。ただ・・・」
「?」
その表情に暗い影が落ちる。
ギリ、と唇をかんだ。
「・・・間に合わなかった。俺が、あんな状態だったから、気づけなかったんだ―――――暗殺に」
「――――――!」
(ああシュヴァルツ・・・!)
なんて、苦しい思いをしてきたんだ、彼は。
彼にとって父親は尊敬する大好きな唯一の肉親。
それなのに、どうして僕はそんな時に、何もしてやれなかったんだ!!
(・・・自分の事ばかりだった)
思えば、ずっと。
そして今だって。
「ご、ごめん、シュヴァルツ・・・」
レオンハルトは涙をあふれさせた。
アラムがそんなレオンハルトをキッと見据える。
「あなたに涙を流す権利などない」
そして続けざまに言い放つ。
「あなたを狙った魔法陣かもしれないのに、やすやすとその上にのり、そして助けに入ったシュヴァルツ様に攻撃が移り、苦痛を受けた。そして王城で苦痛を受けている間、あなたはのうのうと暮らしていたんだ」
「ぼ、僕はそんな、のうのうと暮らしてなんて・・・」
するとまた睨まれた。
「あなたのせいだ―――――!!」
それはひどく、恨んでいるような目。
彼もまた、苦しむシュヴァルツを見て、胸を痛めてきたんだろう。
どさっとシュヴァルツが椅子に座る。
疲れているのだろうか、シュヴァルツは気だるげに言った。
「・・・もういい、アラム。レオンにあたるのはお門違いだよ」
そう言われ、アラムはレオンハルトを睨み、踵を返した。
シュヴァルツがおもむろに立ち上がる。
「そのおかげで、この魔力を手に入れたからな」
そう言って自身の右手のひらを開き、それをギュッと握った。
「魔力を手に入れた・・・?」
「あの魔法陣がどういうものなのか、今調べている最中だが、たしかに魔法陣の上に乗ってから、桁外れな魔力が俺の中に入ってきたのはわかった」
「・・・・・・」
(そういえば、あの時、金色の光がシュヴァルツの体の中に入って行くように見えたのは確かだ)
「だからこの痛みは、魔力を受け入れる時に生じる痛みだ、たぶん」
「え、どういうこと・・・」
「魔力を俺の能力では受け止めきれなかった為に、痛みが生じたのではないかと考えてる」
「そ、そういう事か・・・。あの魔法陣が・・・」
(新たな真実)
あの魔法陣によるダメージの対価として、シュヴァルツは強大な魔力をその体内に得ることができたのだ。
ではあの魔法陣は、攻撃ではなく魔力をその魔法陣の上に乗った人物に移すため?
しかし、何故?
(・・・だめだ、また疑問だらけになって混乱してしまう)
とにかく、シュヴァルツは強大な魔力を手に入れたのだ。
となると・・・、
「も、もしかして、あの時最後に、僕たちの前から急に消えたのは、『瞬間移動』!?」
そう。
これも聞きたかった事だ。
あの時、目の前で消えた。
「瞬間移動だって!?」
黙って事のなりゆきを見守っていたレイティアーズが驚きの声をあげた。
それもそうだ。
瞬間移動は、現在誰も使う事ができない時空魔法。
思い出し、ふっと笑うシュヴァルツ。
「あの時?・・・ああ、あの時は、無意識だったからあまり覚えていない。ダメージを受けて気を失いかけ、俺が気づいた時には、アラムと一緒にもうこの王城に着いていた」
「私も一瞬の事で、何が何やら、でした。きっと、無意識のうちに防衛本能で発動したんでしょう」
アラムが床に落ちたティーカップをひろいながら言った。
「は、発動・・・?」
シュヴァルツがうなづく。
「そう。どんなかんじの魔法か知ってるか?」
「え?」
すると。
「えっ、えっ!?シュヴァルツ?」
――――――シュヴァルツが消えた。
「・・・あっちだ」
レイティアーズが驚愕の表情で指さす。
その方向を振り返ると・・・。
「え・・・」
そんな、まさか・・・。
シュヴァルツが、さっきまでいた場所から、少し離れた場所に移動していた。
一瞬で。
「瞬間移動を使えるのか・・・?」
さすがのレイティアーズも絶句した。
そのレイティアーズの問いには答えず、シュヴァルツは不敵な笑みを浮かべた。
「あの魔法陣は、とんでもない魔法まで俺にくれたようだ」
「うそ・・・でしょ・・・」
(ゴールドローズで攻撃を受けたあと、アラムと一緒に突然消えてしまったのは、瞬間移動を使ったからだったんだ・・・)
ロベールと話していた事は、本当の事だったんだ・・・。
「信じられないな」
レイティアーズはまだ半信半疑のようだ。
目の前でそれを見せられても。
(もちろん僕だって、信じられない)
でも、あの魔法陣ならと、どこかで信じられる自分もいて不思議だった。
(では、古代魔法は?)
「シュヴァルツは、その・・・古代魔法と何か関係があるの?」
「古代魔法・・・?―――――ああ。もしかして、さっき攻撃されたとき、いたのか?」
レオンハルトは無言でうなづく。
「さあ、どうだろうなあ」
「お、教えてよ」
「だいたい、古代魔法は瞬間移動よりも稀少な魔法だろう、もしも古代魔法を使えたとして、やすやすと非同盟国に教えるか?」
「う・・・、それは・・・」
「とにかく、俺は強大な魔力を得た。だから、俺一人でも国を守れる」
「え?」
「同盟など、いらない」
「そんな・・・」
冷たい目が、レオンを見つめる。
はじめて見る目だ・・・。
(シュヴァルツは、冷たい目をする人じゃなかったのに)
「お前がドレアークとの同盟を破棄すると誓わないかぎり、我が国とレガリア国との同盟など締結される事は無い」
「シュヴァルツ・・・」
(だめだ、ここで引き下がるわけには・・・ッ!)
「父さんたちもドレアークと同盟を結ぶことの利点を説明しただろ?」
「色々とこちらに有利になるような案は出してもらったけどな」
「だったら・・・!」
シュヴァルツは首を横にふる。
「ドレアークが戦争をするような国だってことには変わりない」
「そんな・・・」
(どうしよう、あとは何を言えば・・・)
すると、沈黙を守っていたレイティアーズが口をひらいた。
「なぜドレアークにそこまで固執するのですか?」
シュヴァルツがジロリと見た。
「・・・見守っているだけ、だったのでは?」
「申し訳ありません。ただ、単純に、それを聞いてみたくなりまして・・・」
シュヴァルツが、ふっと小さく笑った。
「――――おまえは?レオン」
「へ?」
「お前は、なぜドレアークと同盟を結んでいる事を良しとしているんだ?」
「えっ!?」
まさか、そんな質問が飛んでくるとは・・・。
「そ、れは・・・ッ。・・・・・・」
しかし、レオンハルトは答えに詰まってしまう。
それを見シュヴァルツはハッと笑う。
「どうせ答えられないんだろ。だったら俺も答えない」
「ちょ、ちょっと待って・・・」
レオンハルトは頭をフル回転させるなかで、不思議な感覚を味わっていた。
今まではこんな話をすることも無かった。
他愛無い話で笑いあい、たまに自分たちの将来や平和の事を話したりもしたけど。
こんなに近い将来、国の重要な話をする事になるとは、思ってもみなかった。
そう、とても不思議で。
レオンハルトはポツリポツリ、と話し始めた。
「僕は、ほんとは・・・、争いを生む国なんて、イヤだ」
「――――――」
一瞬、シュヴァルツがハッとした気がした。
「僕は、父さんたちの意見に従ってきた。きっとこれからもそうだ」
考えをめぐらせる。
「父さんたちは、ドレアークと手を結ぶ事の利点を説いてきた。僕はそれに賛同している」
まっすぐに目を見据えて話す。
「――――わかった。みごとに交渉決裂じゃないか」
(僕の言いたいのはそれだけじゃない)
「待って」
「?」
「ドレアークが今後戦争をしないように、平和な世界を作るのが、僕たちの役目じゃないかな。その為に、ドレアークと手を組んでドレアークを制御するってのも、有りかなと思って」
「平和、制御、ね・・・」
シュヴァルツが少しだけ納得したような顔をした。
しかし、
「制御なんて、今の時点では無理だ。それに、お前だけがそう思っていても無理な事だってあるだろう?」
「それは、そうだけど・・・」
そして少しの間のあと、シュヴァルツが口をひらく。
「このままだと、お前たちもいずれ、戦いに巻き込まれるぞ、レオン」
レオンハルトがハッとする。
「そ、それは・・・」
「そうなったら、俺も――――――助けに行けない」
「―――――――っ」
レオンハルトは息をのんだ。
シュヴァルツはそれを本気で言ったのだ。
あの顔は、いつだったかも見た事がある。
悲しそうな、さびしそうな表情。
そう。
あれは、レガリア国とヴァンダルベルク王国の同盟が破棄されると知ってから最後に会った日。
「シュヴァルツ・・・」
レオンハルトは思わず同盟の事など忘れてしまいそうになる。
(そうだ。僕の任務だった)
レガリア国の今後を担うかもしれない大事な使命だ。
「お願いだよ、同盟を結んでほしいんだ・・・」
シュヴァルツは、その悲痛な懇願にも、ただ無言で首を横に振った。
シュヴァルツも気持ちを切り替えてしまったようで、また別人のようなシュヴァルツに戻ってしまった。
「とにかく、説得は失敗だよ、レオン。残念だったな、いい手土産ができなくて」
「ちょっと待って!」
「そう言う事だから、とっとと帰ってくれ」
シュヴァルツは聞き耳をもたない。
「シュヴァルツ!!」
レイティアーズがレオンハルトの肩をポンと叩く。
「交渉決裂のようだ」
レオンハルトは首を横に振る。
「いや、だよ・・・」
レイティアーズはやれやれと言って深いため息を吐いた。
「もう無理だろう。このままだと、堂々巡りだ。―――――戻るぞ」
「嫌だってば!まだここにいるよ!シュヴァルツ!」
レオンハルトはレイティアーズの手を振り払い、シュヴァルツへ駆け寄る。
シュヴァルツは背を向け、微動だにしない。
「ええい!」
業を煮やしたレイティアーズが、レオンハルトの体を担ぎ上げた。
「な、何するのさ!」
無理やり部屋の外へ連れて行かれるなか、レオンハルトが叫ぶ。
「シュヴァルツ!シュヴァルツ!」
しかしシュヴァルツは、一度もこちらを振り向く事は無かった。