風邪 4
この日の夕ごはんは、先生のお部屋でブロイエさんと一緒に食べた。ブロイエさんは食堂で食べても良かったんだけど、私が寂しいだろうからって。それに、この方が先生の心配をせず、私がゆっくりごはんを食べられるだろうからって。
ごはんを食べ終わると、先生の夕ごはんのお手伝い。お昼に食べさせたスープと似たような、お野菜たっぷりスープを食べさせる。お昼と違うのは、スプーンでも切れるくらいに柔らかく煮込んだお肉が入っている事かな?
「美味しい?」
私が差し出したスプーンを口に入れた先生にそう尋ねると、先生が首を横に振った。お昼は美味しいって言ってたのに……。もしかして、お昼よりも具合悪くなってる? 思わず、ブロイエさんと顔を見合わせてしまう。
「肉……いらない……」
え? お肉、いらないの? せっかくのホロホロお肉が……。こんなに柔らかい煮込み肉なんて、そうそう食べられないのに……。
「先生、お肉嫌いだっけ?」
「煮込んだ、肉……好きじゃ、ない……」
そうだったんだ。全然知らなかった。いつも一緒にごはんを食べてるけど、そんな素振りなかったと思う。お肉が入った煮込み料理なんかも、普通に食べてた気がするけど……。ん~……。あんまり好きじゃないけど、普段は頑張って食べてたのかな?
「お肉取ったら食べられる?」
私がそう尋ねると、先生が小さく頷いた。スープの中からお肉を小皿に取って、と……。うん。綺麗に取れた。時間をかけてお肉を煮込んでくれた料理人さんには申し訳ないけど、こういう時は無理しない方が良いからね。
「はい。全部取ったよ。お口開けて」
私の言葉に、先生が口を開く。この後、先生は、私が口に運ぶスープを全部食べてくれた。ごはんが終わると薬湯を作って飲ませ、先生を寝かしつける。
は~。疲れた。アオイの時とは違った大変さがあるなぁ。そう思いつつ、お茶を飲みながら本を読み進める。
魔人族の男の人とエルフ族の青年は、お屋敷に帰ってから研究漬けの日々を送っていた。必要な物を調達するのはエルフ族の青年の役割。近場の村に出向いて材料を買ったり、手に入り難い物は自ら採集しに行ったり。魔人族の男の人の役に立とうと、一生懸命頑張っていた。それなのに、魔人族の男の人の研究は一向に進まない。魔人族の男の人は段々と表情が暗くなっていき、エルフ族の青年はそんな魔人族の男の人を見ているのが辛かった。
エルフ族の青年は、男の人の役に立ちたい一心で、協力者を探す旅に出る事にした。生きる字引きと呼ばれる賢者や、禁術を研究した咎で捕まった人、果ては、破滅の魔術師と呼ばれて恐れられている、さる王国の王弟。禁術に詳しそうな人を探しに探した。そして、やっとの思いで協力者を得る。
そうして魔人族の男の人のお屋敷に戻ったエルフ族の青年は、思いがけない光景を目にした。短刀で首を掻き切り、息絶えた魔人族の男の人の遺体。その脇のテーブルの上には、エルフ族の青年に宛てた手紙。
手紙には、「妻に会いに行きます。もっと早くこうしていれば良かった。愚かな僕の願いに付き合わせてしまって悪かった。君は君の人生を生きて。今までありがとう」という文字。
エルフ族の青年は泣きながら魔人族の男の人の遺体に縋りついた。協力者など探しに行かなければ良かった。彼と離れるべきではなかった。研究が進まずに追い詰められていたのは分かっていたのに……。無二の友だったのに。彼の願いを叶えてあげたかったのに。それだけが自分の生きがいだったのに、と――。
私はパタンと本を閉じると、ふぅと溜め息を吐いた。何だか後味の悪い話だったなぁ。これがローザさんのお気に入り……。ちらりと、ブロイエさんが持って来てくれた本の束を見る。
みんな、こういう感じのお話なのかな? 私、楽しくて幸せなお話が良いのに……。試しにと、束の中から一冊の本を手に取り、パラパラとページを捲る。このお話は恋愛のお話だな。それで、最後は、と……。ああ……。女の人が死んじゃった……。これは悲恋ってやつだな、きっと。こっちのは……。このお話は最後、男の人が死んじゃうなぁ……。う~ん……。
きっと、ローザさんは悲恋とかの、悲しいお話が好きなんだな。書庫にあるローザさんの本棚には、悲しいお話が詰まっている、と。例外は、ブロイエさんが書いた馴れ初め話だけなのかなぁ。はぁ……。
――悲恋の良さが分からぬとは、アイリスもまだまだお子様だな。
スマラクト兄様に言われた事が頭を過る。お子様じゃないもん……。好きな人だっているし、治癒術師見習いにだってなったし、立派に大人……まではいかなくても、お姉さんだもん。悲恋くらい、読めるんだもん。そう思い、適当に一冊本を手に取り、表紙を開いた。
新たな本を読み始めてしばらくすると、夕ごはんの後、席を外していたブロイエさんが戻って来た。寝間着姿になっているところを見ると、お風呂に入って来たらしい。私も、と思ったけど、先生が起きたら……。
「アイリスもお風呂入っておいで~」
「ん……。でもぉ……」
眠っている先生に視線を移す。うなされているのか、ちょっと苦しそうな顔で小さく唸っていた。
「サッと入ってサッと出てくれば大丈夫だよ、きっと」
「そうかなぁ?」
「そうそう。看る人がいない訳じゃ無いんだし、お風呂くらいは入らないと」
「ん。分かった」
頷き、椅子から立ち上がる。私だって、お風呂に入りたくない訳じゃ無い。ブロイエさんがいてくれるんだから、先生が起きたら何とかしてくれるはず。そうじゃないと困る。そう思いつつ、扉へと向かう。
「――ラ……」
突然、先生から言葉のようなものが発せられ、私は思わず足を止め、先生の方を振り向いた。起きちゃった? 私、お風呂お預け? ドキドキしながら先生を見守る。ブロイエさんも息を押し殺して先生を見守っていた。
「リーラ……!」
今度ははっきり、先生の口からリーラ姫を呼ぶ声が発せられた。閉じている先生の目から涙が流れ落ちる。虚空に伸ばされた先生の手を、ブロイエさんが痛々しい顔でそっと取った。すると、先生の目が薄らと開く。
「おじ……え、リーラ、が……!」
「うん。悲しい夢、見てたんだね……」
「リーラ、どこ……?」
「ここじゃない所にいるよ。最近友達になった子と一緒に」
「そう……」
先生が安心したように息を吐き、目を閉じた。ブロイエさんがそんな先生の頬に触れる。
「う~ん……。夜になって、熱、上がっちゃったかぁ。これはいよいよ、フォーゲルシメーレ呼ばないとかな……」
「ん……」
「アイリスはお風呂入っておいで。大丈夫だから」
「ん……」
頷き、先生の部屋を後にした。私、結局何の役にも立ててない。薬湯だって効かなかったし、体力回復の術だって発熱に追いつかなかった。こんなんじゃ駄目だ。全然駄目だ。じわっと溢れてきた涙をごしごしと袖で拭く。
泣いたって、何にもならない。今、私に出来る事をしなくちゃ。早くお風呂に入って、フォーゲルシメーレさんのお手伝いしないと。それで、薬湯の作り方を教えてもらって、明日からは私が代わりに作れるようにならないとなんだから。泣いてる暇なんて無いんだから! 私は廊下を駆け抜けると、宛がわれている部屋に戻り、大急ぎでお風呂に入った。そして、お風呂から出ると、髪もそのまま、先生の部屋へと向かう。ペンと写本を手に持って。
先生の部屋に戻ると、既にフォーゲルシメーレさんは到着していた。診察は終わったらしく、薬湯作りに入っている。
「アイリス。これ、キッチンで作って来て下さい」
「ん!」
フォーゲルシメーレさんに手渡されたメモを持って、キッチンへと向かう。そうしてキッチンに着くと、料理人さんに必要な材料と道具を出してもらった。料理人さん達は興味津々で、私の行動を見守っている。
フォーゲルシメーレさんから預かったメモは、飲み物のレシピだった。きっちり計ったお水に、指定の量の砂糖と塩を入れて、よく混ぜて、と。完成!
ん~? もう出来た? 何か見落とした? こんな簡単で良いの? メモをもう一度見るけど、見落としは無いみたい。メモ自体、数行で終わっている。裏は白いし――。
「どうした? 何か分かんないのか? おっちゃんがメモ読んでやろうか?」
そう声を掛けてくれたのは、私を見守っていた料理人さん達の中でも年が上の人。料理長さんとか、副料理長さんとかなんだと思う。
「ん。簡単に終わっちゃったの。私、何か間違えたのかな?」
「どれどれ……。ええと、水に砂糖と塩入れ、よく混ぜる。おう吐や下痢がある場合や、寒気の訴えが強い場合は温めて飲ませる、だとよ」
ん~。やっぱり間違えてはなかったみたい。じゃあ、これで本当に完成? 水に砂糖と塩を入れただけで?
「これ、病人用の飲み物なのか?」
メモを読んでくれた料理人のおじさんが出来上がた飲み物を指差し、首を傾げる。フォーゲルシメーレさんがわざわざ作らせたんだから、たぶんそうなんだろう。でも、砂糖と塩のお水って……。
「たぶん……」
「ほ~。それ、おっちゃんに一口くれないか? 今後の参考までに」
「ん」
頷き、作ったばかりの砂糖塩水をグラスにちょろっと入れる。料理人のおじさんはまじまじとそれを見つめた後、口に含んだ。ゆっくりと味わうように口を動かすおじさんを、ジッと見つめる。美味しい、それ?
「あんまり美味くないなぁ……」
おじさんから出た感想はそれだった。そりゃそうだ。だって、水に砂糖と塩を入れただけだもん。美味しいかって聞かれたら、う~んってなっちゃう気がしてた。
「せめて、匂いでも付いてりゃなぁ……」
腕を組んだおじさんが、難しい顔でブツブツ独り言を言い出した。ハーブの名前を出したと思ったら、薬湯との飲み合わせが――とか言っている。と思ったら、閃いたとばかりにポンと手を打った。
「この水、果物で匂い付けて良いか聞いてみろよ? おっちゃんがこの後、そこの樽にた~っぷり柑橘水を作っておいてやるから、良いってんならそれを使いな。お嬢と旦那様も、喉が乾いたらお茶代わりに飲めよ!」
「ん。分かった。ありがと!」
「良いって事よ! 看病頑張れよ!」
「ん!」
作った砂糖塩水を手に、キッチンを後にする。ここの料理人さんも良い人達みたいだな。全体的に強面の人が多かったけど。竜王城のキチンにも強面の人が多いけど、もしかして、顔が怖くないと料理人さんになれないのかなぁ? それとも、料理人さんになると顔が怖くなるのかな? ん~……。まあ、どっちでも良いか!
先生の部屋に戻ると、丁度、フォーゲルシメーレさんが薬湯を作り終わったところだった。出来上がった薬湯をカップに注ぐフォーゲルシメーレさんに、作って来た砂糖塩水を差し出す。
「作って来たよ!」
「ありがとうございます。熱が下がるまでは、それを水代わりに飲ませて下さい」
「ん。分かった。あのね、料理人さんがね、柑橘水用意してくれるんだって。これの追加、それで作っても良い?」
「ハーブを使っていないのなら。使っていたら避けて下さいね。物によっては薬湯が効き難くなったり、逆に効き過ぎたりしますので」
「ん」
これで砂糖塩水が、柑橘砂糖塩水にグレードアップだ。甘い柑橘水って考えたら、ちょっと美味しそうだなぁ。
「アイリス。ラインヴァイス殿を起こして、薬湯と作って来た水を飲ませて下さい。私は道具を洗ってきますので」
そう言って、フォーゲルシメーレさんは使った道具を持って部屋を後にした。私は言われた通り、先生のベッドに寄り、眠る先生を揺する。
「先生、起きて。薬湯だよ。先生?」
薄らと目を開いた先生が、ボーっとした顔で私を見る。そして、数回目を瞬かせた。
「……アイリス?」
「そうだよ。先生、薬湯飲もう? フォーゲルシメーレさんが作ってくれたから」
頷いた先生が身体を起こす。そして、小さく溜め息を吐いた。
「痛い……」
「どこが? 喉? 頭? お腹?」
「全身……」
全身が痛いって……。まさか、重い病気なんじゃ……! どどど、どうしよう!
お、落ち着こう。ちょっと落ち着こう。とと、とりあえず、薬湯を飲んでもらわないと。
「せせ、先生! 薬湯! 薬湯、飲もう! 早く飲もう!」
先生は無言で頷き、私が差し出した薬湯を受け取ると、ゆっくりと口を付けた。私はそれを見守りつつ、今後の事を考える。
まずは、フォーゲルシメーレさんに報告だ。うん。それが一番。それで、重い病気だったら、ブロイエさんにお城に連れて帰ってもらって、病室に入院させないと! それでそれで、フォーゲルシメーレさんと協力して治療だ。もし、治癒術で治せる病気なら、回復系は後回しとか言ってられないから、短期集中で術を習得する、と。うん。これだ!
私の中で今後の方針が決まったその時、フォーゲルシメーレさんが部屋に戻って来た。やけに早かった。でも、今はそんなのどうでも良い。それよりも、先生の方が重大!
「フォーゲルシメーレさん! 先生が! 先生がぁ!」
椅子から立ち上がり、叫ぶ。すると、フォーゲルシメーレさんが呆れたように溜め息を吐いた。
「何です? 少し落ち着きなさい。普通に薬湯を飲んでいるでしょう?」
「でも! 全身が痛いんだって! 病気! きっと、重い病気!」
「そんな事ですか……。心配いりません、とは言えませんが、想定内です。高熱が出ている際、関節や筋肉に痛みが出る事が稀にあります。覚えておきなさい」
「そうなの?」
「ええ」
そっか。熱が高いせいだったのか。安心したら力が抜けた。すとんと椅子に座り、ゆっくりと薬湯を飲んでいる先生を見つめる。先生のほっぺ、真っ赤。顔もボーっとしていて、目に力が無い。一目で高熱があるって分かる顔色と顔つき。私にもっと治癒術の知識があったら、すぐに治してあげられたのに……。ごめんね、先生……。
薬湯を飲み終わった先生に、今度は砂糖塩水を渡す。それを飲んだ先生は、ベッドに横になって目を閉じた。
「今夜は大量に汗をかくでしょうから、目を覚ましたら、先程作った水を飲ませて下さい」
ソファに座るフォーゲルシメーレさんが、私にそう指示を出す。私が持って来た写本に何かを書き込みながら。傍に寄り、写本を覗き込む。そこには、看病の際の注意点が書いてあった。砂糖塩水のレシピも、今言った事も、ちゃんと書き込んである。
フォーゲルシメーレさんは写本のページを捲ると、今度は薬草の名前と量を書き始めた。きっと、さっき先生に飲ませた薬湯の作り方を書いてくれてるんだ。
「総合感冒薬は作って飲ませたのですよね?」
ふと思い出したように、フォーゲルシメーレさんが手を止めて顔を上げる。私は一つ頷いた。
「ん。でも、あんまり効かなかったの。体力回復の術もね、掛けてすぐは少し身体が楽になったみたいだったけどね、すぐに効果が無くなっちゃったの。だからね、何回も掛けたんだけどね、熱、上がってちゃったの」
「そうですか。アイリスが使える体力回復の術は初級?」
「ん。初級の術だと全然役に立たなかったからね、お城に帰ったら中級の術、勉強する」
「それが良いでしょう。食事は? 何か食べられました?」
「ん。昼も夜も、料理人さんが作ってくれたスープ、全部食べたよ。あ。でも、夜はお肉はいらないって残しちゃったんだった。あんまり好きじゃないんだって」
「ふむ……。もしかしたら、アイリスが思っているよりは、術が効いているかもしれませんね」
「そうなの?」
「ええ。食事、摂れたのでしょう? 本来ならばもっとぐったりしていても良いはずの高熱なのに。食事が摂れれば回復は早くなりますから、その調子で積極的に体力回復をして下さい」
そっか。私、全然役に立ってないと思ったけど、違かったのか。先生がごはんをちゃんと食べられてたのは、術のお蔭だったのか!
「ん。分かった! 頑張る!」
ムンと気合を入れ、力強く頷く。フォーゲルシメーレさんも、優しく微笑みながら頷き返してくれた。
フォーゲルシメーレさんは、写本に一通り私への指示を書き終わると、明日の朝の分の薬湯を私と一緒に作って帰って行った。分からない事があったり、先生の容態が急変したら、真夜中でも良いから連絡しなさいと言って。
急変ってどんな風になるんだろうって思ったら、フォーゲルシメーレさんはちゃんと写本に書いてくれていた。全身や身体の一部が意思に反して震える痙攣や、支離滅裂で意味不明な発言が出る意識混濁、呼び掛けに応答が無くなる意識消失、かぁ……。そうなったら嫌だな。怖いな。そう思いながら、私はブロイエさんと一緒に先生の看病を続けた。




