風邪 3
本を読み始めてしばらくすると、カインさんが薬草と、薬湯の調合に必要な道具をカートに乗せて持って来てくれた。テーブルで薬湯の調合を始めると、先生が目を覚ましたのか、私の名を呼んだ。
「アイリス……」
「ん~? なぁに? 今、薬湯作ってるから、ちょっと待ってね」
返事をしつつ、薬湯作りを進める。磨り潰した薬草が入った石の器からは、青臭い臭いがぷわ~んと立ち上っている。
「何でアイリスが薬草弄ると、そんな臭いがするのかねぇ……」
そう言ったのはブロイエさん。眉間に皺を寄せ、白いハンカチで鼻と口を押さえている。
「フォーゲルシメーレさんはこれも才能だって言ってたもん」
「才能って……」
ブロイエさんが「ははは」と乾いた笑い声を上げた。それを無視しつつ、磨り潰した薬草にお湯を入れる。お湯と薬草をよ~く馴染ませて、布で濾したら完成!
「先生! 薬湯出来たよ!」
そう声を掛けると、先生がベッドから起き上がった。ほっぺが赤いし、まだぼーっとした顔をしている。全然良くなってないなぁ。このまま熱が下がらなかったら、フォーゲルシメーレさんに連絡しないとかな……。
「熱いから、気を付けて飲んでね」
そう言いながら薬湯を差し出すと、先生はこくりと頷いてそれを受け取った。じ~っと薬湯を見つめる先生を、私もじ~っと見つめる。
「先生? 飲まないの?」
「冷たい方が、良い……」
冷たい薬湯が飲みたいの……? こういう時って、温かい方が良いんじゃないの? ん~……。あ。もしかして、暑いのかな? 汗も出てるし!
「ちょっと貸して」
そう言って、先生の手から薬湯を取ったのはブロイエさん。その顔は「分かってるよ」とでも言うようで。一瞬、カップを持つブロイエさんの手が光ったと思ったら、カップに露が付き始めた。魔術で良い感じに冷やしてくれたらしい。
「はい、どうぞ」
ブロイエさんが差し出したカップを受け取った先生が頭を下げる。何か、今の、いつもの先生っぽかった!
先生はふぅと小さく息を吐き出すと、一気に薬湯を煽った。そんな、慌てて飲むとむせちゃうよ? と思っていたら、案の定、先生が咳き込んだ。そんな先生に、ブロイエさんがスッと水を差し出す。先生は再び頭を下げると、空になったカップとお水の入ったコップを交換し、ゆっくりと味わうようにお水を飲んだ。そして、ベッドに横になる。私はそんな先生に掛け布を掛けると、先生の額に濡らした手ぬぐいを置いた。
「先生、また寝ててね」
「そこ、座ってて……」
「使った道具、片付けたらね」
そう言った瞬間、先生の手が私に伸びた。そして、腕を掴まれる。
またしても、先生に捕まってしまった……。う~。何なんだろう、これ……。起きたらいないと探しに来たり、近くにいさせようとしたり。これじゃ、本当に親鳥と雛だよ……。
「道具はカインにでも頼めば良いから」
そう言って、ブロイエさんが道具をまとめ始める。でも、使った物の後片付けを人に任せる訳にはいかない。こういうのは、責任持って、私が洗って返さないといけないんだもん。
「道具片付けたら、ちゃんと戻って来るから。手、離して?」
私がそう言うと、先生に眉間に皺が寄った。それだけじゃなく、私の腕を掴む手に力が篭る。
「先生、手離してよ。痛い」
何とか手を離してもらおうとジタバタしていると、先生の顔が更に険しくなり、私の腕を掴む手にもより一層力が篭った。う~!
「痛いよ! んもぉ! 離してッ!」
「あ~……。止めな、アイリス。道具はいいから。ここにいて、ラインヴァイスを見ててよ」
「でもぉ!」
「アイリスがムキになればなる程、ラインヴァイスもムキになるから。具合悪い人と喧嘩なんてしたら駄目でしょ?」
そりゃ、私だって、喧嘩なんてしたくない。ちゃんと看病して、早く元気になってもらいたいんだもん。だから、出来る事をしたいのに! これじゃ、出来る事すら出来ない!
「私、ちゃんとしたいのに!」
「うん。それは分かってる。分かってるけど、それでもここにいてって言ってるの」
「何で!」
「ん~。見張り、的な?」
が~ん。私、治癒術師見習いなのに……。見張りだなんて……。そんな、誰にでも出来る事しかさせてもらえないなんて……。ガックリと項垂れると、ブロイエさんがよしよしと私の頭を撫でた。
「んじゃ、僕は道具の片づけを頼んでくるから、その間、ラインヴァイスがフラフラ出歩かないように、しっかり見張っててよ?」
「ん……」
力無く頷いた私を残し、ブロイエさんはひとまとめにした道具をカートに乗せて部屋を後にした。項垂れながら椅子に座ると、腕から先生の手が離れる。先生は、じーっと私を見ていた。これじゃ、どっちが見張られてるんだか分かんないな。ははは。はぁあ~……。
「そんな、見張ってないでもここにいるよ……」
溜め息混じりにそう言ってみても、先生の表情は変わらない。
「寝ないと、風邪、治らないよ?」
「いなくなるから……寝ない……」
「いなくならないよ! だから寝てよ!」
「駄目……」
私、信用されてないらしい。……もう、いい。熱も高いし、体力消耗したら寝てくれるだろう。少しこのままにしておこう。読みかけになっていた本を手に取り、ページを捲る。その間も、先生の視線を感じていた。
しばらくして、チラッと本から顔を上げると、先生がこちらに顔を向けた状態のまま眠っていた。やっと寝たか。は~。何か、変に疲れた。腕を上に挙げ、う~っと背中を伸ばす。
そう言えば、ブロイエさん、遅いなぁ。道具の片付け頼んで、どこか寄ってるのかな? 兄様の所かな? 二人でお茶してたりして……。ズルい。私も仲間に入れて欲しい。でもなぁ、先生を放って行く訳にもいかないし……。
先生の額の上の手ぬぐいを洗面器に浸し、それを絞って元に戻す。そして、深い溜め息を吐いた正にその時、部屋の扉がノックされた。返事をすると、ブロイエさん、兄様、カインさんの三人が扉の隙間から顔を覗かせた。
「茶菓子を持って来たのだが、入っても大丈夫そうか?」
口を開いたのは兄様。こんな事を聞くのは、さっき、先生に威嚇されたからだろう。
「ん。寝てるから大丈夫だよ」
そう答えると、三人がいそいそと部屋に足を踏み入れた。兄様はお茶菓子の乗ったお盆を、ブロイエさんは数冊の本を、カインさんはティーセットの乗ったお盆を手にしている。
「さっきの本、もうすぐ読み終わるところだったでしょ? ローザさんのお気に入りの本棚から、いくつか見繕ってきたからねぇ。ここに置いておくよ」
そう言って、ブロイエさんがベッド脇のチェストの上に本を置く。流石はブロイエさん。戻って来るのが遅かったのは、書庫に寄ってたからだったらしい。それで、兄様にも声を掛けて、お茶菓子まで準備してきてくれた、と。気が利く!
「ふふふ。今日の茶菓子はなぁ、アイリスの好物、芋だ!」
どうだとばかりに胸を張り、兄様がお茶菓子の乗ったお盆を差し出す。見た目は何の変哲も無いパイ。でも、そこから漂う匂いが、香ばしく焼けたお芋!
「すご~い! お芋のパイ!」
「ラインヴァイス兄様の看病を頑張っているアイリスへの褒美だ。共に食べよう」
「ん!」
ソファに座った兄様の隣に座り、カインさんがパイを切り分けてるれるのを待つ。早く! 早く!
「残ったら、夜食にでも食べようねぇ」
夜食! 夜もお芋のパイが食べられる! 兄様の正面に腰を下ろしたブロイエさんの言葉に、私はこくこくと頷いた。
お茶とお芋のパイを出してもらい、舌鼓を打つ。ん~。パイの中、お芋だけじゃなくて、干しぶどうまで入ってる! それが味のアクセントになってて、とっても美味しい!
……ん? 今、何か、変な食感のがあったような……。パイをほじくり、正体を探る。ん~。どれだぁ? 今の、何だ? これかな? お芋の繊維にしては太いし。試しにと、口に入れてみる。ん~……。これは……燻製肉、かな……? 細かすぎてちょっと分かり難いけど、燻製の匂いがする気がする。
このお屋敷の料理人さんが作ってくれるお茶菓子は、イェガーさんが作ってくれるお茶菓子よりも甘さ控えめで、複雑な大人の味だけど、結構好きだ。昨日のベリーのタルトも美味しかったし、今日のお芋のパイも美味しい。特に、このお芋のパイは、いくらでも食べられそう。でも、夜の分が無くなっちゃうから、今は我慢、我慢。
お芋のパイを食べたら、イライラも疲れも、どこかに吹っ飛んでい入った。よし! この後も、先生の看病頑張ろう! それで、また疲れたりイライラしたりしたら、このお芋のパイを食べるんだ。まだたくさん残ってるし、夕ごはんが入らなくなっても良いかなぁ、なんて。だって、怒る人いないもん。それに、お芋は栄養満点なんだもん。ごはんの代わりになるくらい。




