風邪 2
使用人さんが持って来てくれたお水を先生に飲ませ、体力回復の術を掛けてからしばらくすると、先生から寝息が聞こえてきた。少し苦しそうだなぁ。これ以上、悪くならない良いんだけどなぁ。先生の額に乗っていた手ぬぐいをそっと取り、洗面器に浸す。そして、それをギュッと絞り、先生の額に戻した。
椅子に腰掛け、先生を見守る。顔、赤い。少し汗も出てきてる。風邪の時は、たくさん汗をかけば熱が下がるんだったかな? でも、確か、身体を冷やさないように、着替えをこまめにさせる事って、フォーゲルシメーレさんが言ってた気がする。後で着替えさせた方が良いかなぁ。
お昼ごはんは消化の良い物を食べさせた方が良いよね、きっと。でも、口当たりが良くても案外消化が悪い物もあるらしいから、その辺はお屋敷の料理人さんに任せた方が良さそうだなぁ。そんな事を考えながら、読みかけになっていた本を開く。
本を読み始めてしばらくすると、コンコンと部屋の扉がノックされた。返事をすると、扉が開く。顔を覗かせたのは、竜王城にいるはずのブロイエさんだった。
「ブロイエさん!」
「しぃ~! ラインヴァイス、寝てるんでしょ?」
ブロイエさんの指摘に、慌てて両手で口を押さえた。そんな私を、ブロイエさんが手招きする。私は椅子から立ち上がると、そっと部屋の外に出た。
「薬湯、作って飲ませてくれたんだって? カインから聞いたよ。ありがとうね」
「ん。でもね、熱、下がらないの!」
「いくら何でも、そんなすぐに治らないでしょ」
ブロイエさんは苦笑すると、私の頭を撫でた。
「今、出来る事を精一杯してあげようね。そうすれば、すぐに良くなるはずだから」
「本当……?」
「うん。ホント、ホント。フォーゲルシメーレも言ってたよ。治癒術師見習いなんだから、独りで出来る限り頑張ってみなさいって。ただ、どうしても手に負えなくなったら、彼にも護符を渡してあるから呼ぼうね?」
「ん……」
「そんな不安そうにしないでも大丈夫! 僕も今日一日は一緒にいてあげられるから!」
一緒に……? それは心強い。でも……。
「お仕事は? 良いの?」
「そんな、ローザさんみたいな事、言わないでよ。ちゃんとシュヴァルツに許可取ってあるから。ラインヴァイスの事を報告したらね、すぐに行って来いって。本当は、シュヴァルツが来たかったんだろうけど、おいそれと城をあける訳にもいかないからさ。僕はシュヴァルツの代理。これもお仕事です!」
「そっか」
それを聞いて安心した。ホッと息を吐きながら頷くと、ブロイエさんがにこりと笑った。と思ったら、何かに気が付いたように扉へと視線を移した。
「ラインヴァイス、起きたみたいだね。呼んでる」
「え?」
驚いて扉を開けると、今まさに、先生がベッドから降りようとしているところだった。慌てて、そんな先生に駆け寄る。
「先生! ちゃんと寝ててよ!」
「だって、アイリスがいないから……」
「ちょっとお部屋から出てただけだよ。お部屋の目の前にいたんだから!」
「ちゃんと、目の届く所にいて……」
目の届く所って……。ベッドで寝てる先生から見える所って事? それって、場所がとっても限られてると思うんだけど……。主に、ベッド脇にある椅子とそのすぐ近く。私、そこから動いたらいけないの? 先生をベッドに寝かしつけ、溜め息を吐く。と、すぐ後ろから押し殺したような笑い声が聞こえてきた。
「なかなか重症みたいだね」
「叔父上……」
今気が付いたように、先生がブロイエさんを見上げる。ブロイエさんは尚も笑いながら、そんな先生に手を伸ばした。
「熱、結構高いね」
ブロイエさんが先生の額に手を置く。先生はされるがまま。スマラクト兄様の時みたいに、威嚇したりはしない。逆に、何で兄様の時は威嚇したんだろう?
「シュラーフェン」
突然、ブロイエさんが魔術を発動した。人を眠らせる、初級の呪術。額に触れていないと術の効力を発揮出来ないから、なかなか使い道が無い魔術だ。何で急に? そう思って首を傾げていると、ブロイエさんがこちらを振り返った。
「さて、アイリス。君に今から指令を出します。これから食堂に行って軽食を食べ、ラインヴァイスのお昼を貰って来て下さい。急がないと術が切れ、ラインヴァイスがうろつき始めます。そうなる前に戻って来て下さい」
先生がウロウロするのは駄目! 熱が上がっちゃう! 私はこくりと頷くと、ブロイエさんに言われた通り、大急ぎで食堂へと向かった。
食堂に入ると、兄様がお昼の軽食を食べ始めていた。兄様の正面の席に腰掛けると、カインさんがお茶を淹れてくれた。それを一口飲み、ホッと息を吐く。
「ラインヴァイス兄様の調子はどうだ? 少しは良くなったか?」
「ん~ん。熱、高いみたい」
「ここに来られたという事は、今は眠っているのか?」
「ん。ブロイエさんが魔術で眠らせたの」
「そうか。その手があったな」
兄様が感心したようにうんうんと頷く。カインさんも「あ、そっか」とでも言うように、ポンと手を打っていた。
「術が切れる前にお昼食べて、先生のお昼もらっておいでって。急がないとなの!」
「そうだな。ラインヴァイス兄様は、無駄に魔術耐性が高いからな。急がないとすぐに起き出すぞ、きっと」
「魔術耐性? 何それ?」
「まあ、生まれつきの体質みたいなものだ。魔術全般が効き難いんだよ、ラインヴァイス兄様は。結界術への適性が高いと、稀に見られるものらしい」
「そうなんだ」
それは知らなかった。そんな体質があるのかぁ。感心している私の前に、お昼の軽食が運ばれて来る。
「急いで食べろ、アイリス。ラインヴァイス兄様が起きたら厄介だぞ」
私は兄様の言葉に一つ頷くと、使用人さんが運んで来てくれた軽食を掻き込むようにして食べた。そして、それを食べ終わると、カインさんがキッチンでもらってきた先生のお昼が乗ったお盆を手に、先生のお部屋へと急いで向かった。
先生のお部屋に戻ると、既に先生は起きてしまっていた。ベッドから起き上がろうとする先生を、ブロイエさんが必死に押しとどめている。私はお盆をテーブルの上に置くと、そんな先生に慌てて駆け寄った。先生が手を伸ばし、そんな私の腕を掴む。
「だから言ったでしょ? すぐに戻って来るって……」
疲れ切ったようにそう言ったブロイエさんに、先生は何も返さない。まるで聞こえていないみたいに。ベッドに横になったまま、ジッと私を見ていた。お、怒ってる?
「せ、先生? ごはんもらって来たよ? 食べられそう?」
私がおずおずとそう尋ねると、先生が首を横に振った。食欲が無いらしい。でも、少しくらい食べないと、元気になれないと思うの。
「あのね、料理人さんがね、食べやすい物作ってくれたんだよ。少しくらい食べようよ?」
再び、先生が首を横に振る。う~。困った。少し時間を置いて、食べられそうになったら食べてもらうしかないかな……? まさか、無理矢理食べさせる訳にもいかないし。
「僕が食べさせてあげようか?」
ブロイエさんが笑いながらそう尋ねると、先生の眉間に皺が寄った。そして、激しく首を横に振る。断固拒否らしい。そりゃそうだ。恥ずかしいもんね、流石に。ブロイエさんも断られるの分かってて、場を和ませようと冗談で言ったんだろう。
「……リスに……い……」
先生が掠れた声で何かを呟く。私は首を傾げると、先生に耳を寄せた。再び、先生が口を開く。
「アイリスに、食べさせて、欲しい……」
私が? 驚いて、言い出しっぺのブロイエさんと顔を見合わせる。冗談がまさかの変化球。驚くなって方が無理だ。
「こんな甘えん坊のラインヴァイス、すっごい久しぶり……!」
久しぶりって、前もあったの? ……あ。小さい頃か。それなら想像つきそう。兄様位の背で、顔も幼くて、それで甘えん坊の先生……。何それ。凄く可愛い!
「嫌なら、いらない……」
再び、先生が呟く。私はハッとし、ブンブンと首を横に振った。嫌だなんてとんでもない。やるよ。一生懸命やるよ! ごはん、ごはん。と思ったに、私の腕は未だがっちりと先生に掴まれたまま。う~! ごはんまでが遠い!
「ブロイエさん、先生のごはん取ってぇ!」
「はいは~い」
ブロイエさんは嫌な顔一つせず、テーブルに置いてあったごはんのお盆を取ってくれた。私が椅子に座ってお盆を膝の上に乗せると、それを見た先生が私の腕から手を離し、身体を起こした。
先生のお昼ごはんは、押し麦か何かが入っているお野菜のスープだった。ちょっととろっとしたスープに、小さく刻んだお野菜がたっぷり入っている。これなら消化が良さそう。流石は料理人さん! その道のプロ! 何も言わなくても、こうして消化が良さそうな物を作ってくれるんだから。そう思いつつ、スプーンでスープを掬う。
「はい。お口開けて下さ~い」
私がそう言うと、先生が素直に口を開いた。ぱくっとスプーンを口に入れた先生を見て、ふと、ある事を思う。
親鳥と雛みたい……。先生が雛で、私が親鳥。普段とは立場が逆転!
「美味しい、先生?」
そう尋ねると、先生がもぐもぐと口を動かしながら小さく頷いた。再びスープを掬い、先生の口元に運ぶ。先生は運ばれるがまま、スープを口に入れてくれた。
「ごはん食べ終わったら着替えようね?」
半分くらいスープが無くなったところで私がそう言うと、先生が頷きかけ、ゆるゆると首を横に振った。あれ?
「汗かいたでしょ? 身体冷やしたら駄目なんだよ? 着替えようよ」
なおも先生は首を横に振る。よっぽど着替えるのが嫌らし。身体、辛いのかな? 体力回復の術、かけた方が良いのかな? う~ん……。
「今度こそ、僕の出番!」
ブロイエさんが叫び、期待の眼差しで先生を見つめる。先生は首を傾げる私と、キラキラした目で見つめるブロイエさんを見比べ、諦めたように溜め息を吐いた。そして、一つ頷く。
ブロイエさんだったら着替えるのかぁ。ごはんは断固拒否したのに……。
先生が残りのごはんを食べている間に、ブロイエさんがテキパキと着替えの準備を始めた。と思ったら、何かを思い付いたようにフッと姿を消した。そして、すぐに戻って来る。
「カインに清拭の準備してもらってるから。彼になら、手伝ってもらっても良いよね?」
ブロイエさんの言葉に先生が頷く。カインさんも良いのかぁ。それよりも――。
「ねーねー。せーしきって? 何?」
「身体を拭く事だよ。汗でベトベトして気持ち悪いだろうから、こういう時は着替えるついでに軽く身体を拭くの。あくまでも軽く、ね。身体が冷えちゃったら元も子もないから」
教えてくれたのはブロイエさん。そうか。ただ着替えさせれば良いって訳じゃ無いのか。前に魔力切れのアオイを看病した時は、ローザさんと協力して、何とかアオイをお風呂に入れられてたし、そんなの知らなかった。
先生がごはんを食べ終わって少しすると、たらいと手ぬぐいを手にしたカインさんが部屋にやって来た。カインさんが洗面所でたらいにお湯を汲み、そこに数滴、先生がいつも使っている香油を垂らす。すると、ジャスミンの匂いが部屋に充満した。
「んじゃ、アイリスは出てよっか?」
ブロイエさんの言葉に、私は頬を膨らませた。私、先生の看病係りなのに! 締め出されるなんて、そんなの納得出来ない! お手伝いしたかったのに!
「すぐだから。そんなむくれないの」
そう言ったブロイエさんに返事をする代わり、フンとそっぽを向き、私は椅子から立ち上がった。とたん、先生に腕を掴まれる。
「そこにいて……。後ろ、向いていて……」
「あくまでも、目の届く所に置いておきたいのね……」
ブロイエさんがぽつりと呟き、苦笑を浮かべる。そんなブロイエさんを横目に、私は先生に言われた通り椅子を扉側に向け、そこに座った。
後ろから、布が擦れる音と、人が動くごそごそという音、時々、手ぬぐいを絞ったらしき水音が聞こえる。まだかなぁ。そろそろかなぁ。つまんないなぁ。私だってお手伝いしたいのに……。そんな事を考えながら、足をブラブラさせつつ、ボーっと扉を見つめる。
「アイリス、終わったよ」
声を掛けてくれたのはブロイエさん。振り返ると、先生は既に横になっていた。ちょっとぐったりしてて、疲れてる感じ。これは私の出番! そう思い、いそいそと杖を腰のホルダーから引き抜くと、体力回復の術を掛けた。ぐったりしてた先生が、ホッと息を吐く。
「先生、辛い?」
「少し……」
「眠って良いんだよ?」
「いなくならない?」
「ん。ここにいる」
「僕もいるよ~」
カインさんが運んでくれた椅子に腰を下ろしたブロイエさんがそう言うと、先生が小さく笑った。そして、安心したようにゆっくり目を閉じる。
「カインさん。朝と同じ薬湯作りたいから、薬草ください」
私の言葉にカインさんが微笑みながら頷き、私達に頭を下げると部屋を後にした。さて、カインさんが戻って来るまで読書、読書。ベッド脇のチェストの上に置いておいた本を手に取り、ふと、ある事に気が付く。
「ねーねー。この本、ブロイエさんが書いたの?」
ブロイエさんに本の表紙を見せると、ブロイエさんが目を細めた。
「随分懐かしい本だねぇ。確か、ローザさんがここに来たばっかりの頃に書いたんだったかな?」
「そっかぁ。この本に出て来るホムンクルスって、失われた知識?」
「うん。そうだよ。それ、シュヴァルツには内緒ね。失われた知識の記載がある物語書いたなんて知れたら、僕、怒られちゃうから」
「ん。分かった。この話って、本当にあった話? モデルになった人とかいるの?」
「エルフ族の方が、僕の古い知り合い。彼から聞いた話を元に書き起こしたのがそれ。何か気になる事でもあった?」
「ん~ん。別にぃ?」
私は首を横に振ると、読みかけになっていたページを開いた。この本が、ブロイエさんの創作話じゃない事だけ分かれば、今は十分。あとは、先生が元気になってから、ウルペスさんも交えて三人で相談だ。
竜王様が管理してる禁術の本は、そう簡単には見せてはもらえないだろう。それに、竜王様の禁術の本の中に、ホムンクルス関連の本があるかどうかも分からない。そうなると、自力で知識を手に入れるしかないんだろうなぁ。
物語の登場人物に会って、知っている事を教えてもらうのが手っ取り早そうだな。でも、今も元気でいるとは限らないし……。後は、ホムンクルスの知識を得たという迷宮に行くか、かぁ……。本に出て来るエルフ族の隠れ里に行けば、迷宮の場所はすぐに分かるだろう。でも、隠れ里ってどこにあるんだろう? それに、隠れ里の場所が分かったとしても、そこに行く途中、この本と同じようにエルフ族の人に捕まったりして……。




