読書 2
パタンと本を閉じ、私は背伸びをした。ずっと同じ体勢だったから疲れた。本を脇に置き、冷めてしまったお茶を一気に飲む。
この本、悲しい恋のお話かと思ったら、途中から友情のお話になっちゃったなぁ。この後、どうなるのか気になるところだけど、それよりも、ホムンクルスって……。人の肉体に近い人形、かぁ……。
これって、リーラ姫の器に使えるんじゃないかな? でも、失われた知識――禁術関係の本は、厳重に管理されている。もし、どこかにホムンクルスの知識が書かれた本があったとしても、そう簡単に見られるとは思えない。
禁術の本は、竜王城では竜王様が管理しているはず。このお屋敷だったら、兄様が管理してるのかな? 見せてって言って、見せてもらえるとは思えないし……。う~……!
「どうした? 何、頭を抱えているんだ?」
掛けられた声に顔を上げると、泥だらけのスマラクト兄様が良い顔で笑いながら立っていた。今まで見た事が無いくらい、生き生きとした顔。泥だらけなのに。
「兄様、汚い」
「ぐふっ!」
胸を押さえ、嬉しそうに笑う兄様。それは良い。それよりも、ホムンクルスについて、だ。失われた知識は禁術だから、きっと、ウルペスさんは知らない。調べたって出て来ないはずの言葉だもん。教えてあげるべきだと思うけど、私が考え無しに教えて良いものなのかが問題だ。何で失われた知識は禁術として厳重に管理されているのか、その理由が分からないから。だったら――!
「先生ぇ!」
叫ぶと、カインさんと剣を合わせていた先生が振り返った。と、カインさんがそんな先生に鋭い突きを放つ。あ! 危ない!
「っと! カイン、少し休憩にしませんか?」
「勝ち、逃げ、とは、卑怯、でしょう! 坊ちゃまの、仇、取らせて、頂きます、ぞ!」
立て続けにカインさんが剣を振る。先生はそれを、難なく剣で止めた。
「カインさん、ムキになってる?」
私が呟くと、私の隣に腰を下ろした兄様が声を出して笑った。
「僕が負けたから悔しいのだろう。何たって、僕の剣の手ほどきをしたのはじいだからな。それにしても、ラインヴァイス兄様は強いなぁ。手も足も出なかった!」
「先生にぼろ負けしたからそんな泥だらけなの?」
「そうだ!」
自信満々に頷く兄様。ぼろ負けしても全く凹んでいない。それどころか、嬉しそうに見えるのは気のせいかな? それは良いとして、あの二人、誰かが止めないとずっとあのまま戦ってそうだな。私、先生に聞きたい事あるのに……。
「兄様、カインさんの事、止めてよ。私、先生に用があるんだから!」
「ああ。分かった。じい! 喉が渇いた! お茶!」
兄様が叫ぶと、カインさんがピタリと動きを止めた。と思ったら、剣を引き、先生に一礼をして踵を返す。向かった先は、庭の隅っこに用意された丸テーブルだ。そこでいそいそとお茶を淹れ始める。兄様はよっこらしょっと立ち上がると、そんなカインさんの元に向かった。
「カインの、スマラクト様への溺愛ぶりには困ったものですね」
先生が苦笑しながら、兄様と入れ替わるように私の隣に座る。と、その時、さぁっと心地良い風が吹いた。先生の、少し伸びた白い髪が風になびく。木漏れ日を浴びながら微笑む先生は、物語の一枚絵の様で――。
「アイリス?」
先生に呼ばれ、ハッと我に返った。ワタワタと慌てる私を見て、先生がくすりと笑う。
「ぼーっとして、どうしました?」
「ぼーっとなんて、してないもん!」
「そうですか? それより、何か用があったのでは?」
はっ! そうだった。先生に聞きたい事があったんだった。危うく、忘れるところだった。
「あのね、先生に聞きたい事があるの!」
「何です?」
「失われた知識の事。何で禁術なの?」
「それは……」
先生は迷うように視線を彷徨わせた。教えようかどうしようか、考えてるんだと思う。私はそんな先生をじっと見つめた。じっと。じ~~っと。
「そんな、睨まないで下さい。分かりました。良い頃合いですので教えましょう」
「本当?」
「ええ。師としての、最後の務めには丁度良いのかもしれませんし。失われた知識とは、魔法や錬金術を指すというのは、以前、話したと思います」
「ん」
「あの時、古代の人々の知恵であるという言い方をしたと思いますが、正しくは、神々――この世界を作った一族の知識だと言われています」
この世界を作った人達の知識……。失われた知識って、そんな凄い物だったのかぁ。
「それらの効果をあえて抑え、我々でも使えるようにしたのが魔術などの知識です」
あえて効果を抑えて……? 何で? 効果が高い方が良いのに。
「何で効果を抑えちゃったの?」
「魔法や錬金術は、我々が扱うには過ぎた力です。この世界の摂理を変えてしまうのですから」
「せつり?」
「法則や決まり。例えば、治癒術、呪術、屍霊術、浄化術、これらの状態魔術の元になった魔法は、死者を蘇らせるものだったと言われています。死者は蘇らない。この摂理を変える力である、と」
「ん~……。決まりを変えるのは、悪い事?」
死んだ人を生き返らせたいと思ったらいけないって事? そう思って尋ねると、先生はフッと笑った。
「決まりを、自分の良いように勝手に変えたとしたら、困る人が出ると思いませんか? 例えば、死者を蘇らせる事が出来たとして、多くの者がそれを行ったら、この世に人が多くなり過ぎます。人が多くなり過ぎると、必ず争いが生まれる。食料を巡ってだったり、住む場所を巡ってだったり――。それに、いさかいで亡くなった者を蘇らせたら、報復で新たないさかいが起こる可能性だってあります。やられたら、やり返したくなるのが人でしょう?」
「そっか。じゃあ、もし、勝手に禁術を使ったら? 怒られちゃう?」
「場合によります。魔術や薬学、金属加工技術の発展の為、過去、多くの者が禁術に手を出しました。ある者は賢者として称えられ、またある者は咎人として捕まりました」
「どうしたら怒られないで済むの?」
「秘密裏に研究し、何食わぬ顔でいる事でしょうね。叔父上が良い例です」
「へ?」
ブロイエさん? 予想もしていなかった発言に、私は呆気に取られて先生を見つめた。
「ずっと変だとは思っていたんですよ。本来なら、転移出来ないはずの竜王城の中でも、自由に転移出来るでしょう? アオイ様の白い獣――神獣と同じように。その理由を、ここの書庫で見つけました」
「もしかして――?」
「ええ。空間操作術、結界術、召喚術――時空魔術の元となったと思われる魔法の知識が書かれた書物が、書庫の隅の本棚に隠してありました。一通り読んでみましたが、独特の時空、空間観測を用いて――」
この後、先生は嬉々として時空魔術の元になった魔法の説明をしてくれた。でも、ほとんど理解出来なかった。専門的過ぎて。
「と、まあ、色々話しましたが、過去、力に魅せられて身を滅ぼした者は数え切れな程いましたし、滅亡した国までありました。安易に手を出してはいけない力。それが失われた知識――禁術です」
「ん。分かった。ありがと、先生」
「いえ。それより、どうして急に禁術の事を聞きたがったのです?」
「あのね、実は――」
私は先生に本を差し出し、本の内容とホムンクルスの事を話した。
「そうですか……」
話を聞き終わった先生は、難しい顔で何かを考え込んでいるようだった。先生は、ホムンクルスの事をウルペスさんに話すの、反対なのかな? でも、私は教えてあげたい。だって、ウルペスさん、リーラ姫の為に一生懸命なんだもん。私、そのお手伝いしたいんだもん。
「あのね、私ね、ウルペスさんのお手伝いしたいの。だからね、ホムンクルスの事、教えてあげても良い?」
「駄目です――と言っても、教えるのでしょう?」
「それは……」
まあ、そうだと思う。先生の怒られるのも嫌われるのも嫌だけど、もしかしたらウルペスさんの役に立つかもしれない情報を持っているのに、それを教えないなんて意地悪したくないもん。
「分かっています。アイリスのしたいようにして良いですよ」
そう言って、先生は優しく微笑むと、私の頭を撫でてくれた。やった! 先生のお墨付きが貰えた! 嬉しくなって、満面の笑みで頷く。
「その本、貸してもらっても?」
「ん。良い――やっぱり駄目!」
頷きかけ、慌てて首を横に振る。すると先生が不思議そうに首を傾げた。
「あのね、まだ全部読み終わってないの。だから駄目!」
「ああ……。てっきり、読み終わったのかと思っていました。まだだったのですね」
「ん! でも、大丈夫! この本、お魚釣りで勝ったご褒美に、もらう事にしたから。ウルペスさんに貸す前に、先生に貸してあげるね」
私がそう言うと、先生が少し複雑そうな顔で笑った。首を傾げる私に、先生は「何でもない」と言うように首を横に振り、立ち上がる。そして、スマラクト兄様がお茶をするテーブルへと向かった。置いてかないで! 私も慌てて立ち上がり、先生の後を追った。
丸テーブルには白いクロスが掛かっていて、椅子が四つ用意されていた。そのうち一つに兄様が座り、そのすぐ側にカインさんが控えている。
先生は兄様の正面の席に座ったから、空いてる席はどちらも先生と兄様のお隣だ! いそいそと席に着くと、カインさんがお茶を淹れてくれた。何だか甘い良い匂いがするお茶だ。何処かで嗅いだ事がある匂いの気もするし、そうじゃない気もする。ドキドキしながら一口、お茶を口にする。
「どうだ? うちの菜園で育てたラベンダーで作ったお茶だぞ!」
兄様が自慢するように胸を張る。その気持ちも分からなくはない。だって、それくらい美味しいお茶なんだもん。口の中一杯に甘い匂いが広がって、何だか心がほっこりする。
「良い匂いがして、とっても美味しい!」
「砂糖を入れると、もっと美味しくなるんだ!」
そう言って、兄様が砂糖の入ったポットを引き寄せる。私はそんな兄様にティーカップを差し出した。
「入れて、入れて!」
「お勧めは匙二杯だが、それで良いか?」
「ん!」
頷くと、兄様がお茶に砂糖を入れ、ティースプーンで掻き回してくれた。
「坊ちゃまが……。あの、坊ちゃまが……! 甲斐甲斐しく、人の面倒を見る日が来ようとは……!」
そう言ったのはカインさん。白いハンカチで目頭を押さえている。兄様、今までどんな生活してたの? お茶に砂糖を入れて掻き回してくれるだけで、カインさんが感動して泣くなんて……。
「妹の面倒を見るのは兄の役目だからな!」
「坊ちゃまのクソガキぶりに、何度、首を絞めてやろうかと思っておりましたが……。ああ、実行しないで良かった……!」
「そうだろう、そうだろう!」
兄様は腕を組み、満足そうに頷いている。クソガキって言われたのに……。褒められてるんだか貶されてるんだか分かんないよ、これじゃ……。思わず、先生を見る。先生は微笑ましいものでも見るように、兄様とカインさんを見つめていた。二人のこういうやり取り、慣れっこなんだと思う。私も早く慣れなくてはっ!
「そう言えば、本は読み終わったのか?」
兄様が、ふと気が付いたように口を開く。私はフルフルと首を横に振った。
「まだ。でも、切りが良いところまでは読み終わったよ。それよりも、兄様。お魚釣りで勝ったご褒美――」
「おおっ! 決まったのか!」
「ん! この本、ちょーだい!」
「そんな物で良いのか? 兄に遠慮はいらぬのだぞ? もっと高価な物でも良いのだぞ?」
「この本が良いの!」
私がそう言うと、兄様が納得いかないって顔で首を捻った。兄様にとっては、ブロイエさんが書いた本のうちの一冊だし、大して価値の無い物なのかもしれない。でも、私にとっては違う。これで、リーラ姫の為に、独りで頑張ってるウルペスさんの役に立てるかもしれないんだもん。
「まあ、良い。アイリスが欲しいのならばやる。それよりも、ベリー摘みだ!」
兄様がグビグビと音がしそうな勢いでお茶を飲み干す。そして、席を立った。私も慌ててお茶を飲み干し、椅子から立ち上がる。
「こっちだ!」
「ん!」
差し出された兄様の手を取り、二人で駆け出す。目指すは庭の反対側の隅っこ、ベリーの木が植えてある一角。美味しいお茶菓子を作ってもらう為に、ベリー摘み、頑張るぞ! おお~!




