竜王城 2
ラインヴァイス様に手を引かれ、お城の廊下を歩く。お城の中は想像していたのと違い、どこもかしこもピカピカでとっても綺麗だった。竜王城ってもっと怖い所なのかと思っていたけど、母さんが聞かせてくれたおとぎ話に出てくる普通のお城みたいだ。こんなお城に今日から住めるなんて、ちょっと幸せ。
手をつなぐ私達を先導するように、緩いウェーブの黒髪の人が先を歩く。この人は、第一連隊の隊長さんで、ノイモーントさんと言うらしい。性別のよく分からない顔をした人で、ぴったりとした黒い服のお蔭で胸が真っ平らなのが分かるけど、そうじゃなかったら女の人と間違えていたかもしれない。ラインヴァイス様も竜王様も綺麗な顔をしているけど、ノイモーントさんも別の方向で綺麗な顔をしていると思う。
ノイモーントさんはラインヴァイス様の部下の一人だ。さっき知ったんだけど、ラインヴァイス様って、このお城で竜王様の次に偉い人らしい。何でそんな人がアオイのお供をって思ったけど、アオイは竜王様の恋人だし、竜王様が一番信用出来る人にお供をさせているんだと思う。うん。きっとそうだ。
これから、私はノイモーントさんに採寸をしてもらうらしい。お仕事用の服が必要になるからって。ノイモーントさんは明日までには作るって言ってたけど、大丈夫なのかな? 今日、徹夜になるんじゃないのかな? ちょっと心配。
一つの扉の前でノイモーントさんが足を止めた。飾り気も何も無い、頑丈そうな大きな扉。そこに一枚の板が掛かっていた。何か書いてある。でも、私、字、読めない。これ、何て書いてあるんだろう?
ノイモーントさんが扉を開き、手で中を示した。先に入れって事? 怖い所じゃない? そう思ってラインヴァイス様を見上げると、私の視線に気が付いたラインヴァイス様が、私に向かってにっこりと笑った。
「そのように怯えなくても大丈夫ですよ、アイリス。いくらノイモーントでも、貴女を取って喰ったりはしないでしょうから。ね? ノイモーント」
「ええ。子どもは対象外ですからね」
ラインヴァイス様の問い掛けにノイモーントさんが頷く。でもでも! 子どもが対象外って事は、大人になったら危ないって事じゃないの? 私、おっきくなったら食べられちゃうの? 今は安心させといて、丸々太らせて食べるつもりなんじゃないの?
「魔女みたい……」
私がポツリと呟くと、ラインヴァイス様が不思議そうに首を傾げた。そんな彼をちょいちょいと手招きする。すると、ラインヴァイス様は興味津々の顔で私の前に屈んでくれた。ラインヴァイス様の耳元に口を近づける。内緒話だ。これを聞かれたら、ノイモーントさんが怒って私を食べちゃうかもしれないもん!
「あのね、あのね、母さんがね、ずっと前に話してくれたの。深い森の魔女なの。たくさんご飯食べさせて、安心させといて食べちゃうの」
おとぎ話の説明をすると、ラインヴァイス様が堪え切れないと言った様子で噴き出した。声を出して笑うラインヴァイス様の目には、笑いすぎて涙が浮かんでいる。そんなに笑う事無いのに! ぷ~っと頬を膨らませる。すると、ラインヴァイス様が白い手袋を外し、私の頭を撫でた。
「大丈夫。その取って喰うじゃないですから。それにしても、深い森の魔女、ですか。確か、美しさを保つ為に、森に迷い込んだうら若い女性の心臓を食べる魔女の話、ですよね。……ぷっ! 魔女っ!」
ラインヴァイス様が明後日の方を向いて肩を震わせる。ノイモーントさんは、そんなラインヴァイス様を、目を細めて見つめていた。部下って言うよりお兄さんみたい。そんな顔の気がする。
「ラインヴァイス殿、ずいぶんと楽しそうですねぇ。何なら今度、深い森の魔女っぽい格好でもしましょうか?」
「やめて下さい。それ、僕が仕事にならなくなりますからっ」
あれ? 今、僕って……。そっか。ラインヴァイス様って、アオイや竜王様の前――お仕事の時とそうじゃない時で、話し方が変わるのか。ふむふむ。
「冗談はこれくらいにして、そろそろ採寸させてもらえます? 流石に、徹夜になるのは御免ですからねぇ」
「ははは。ですね。あ、そうだ。もし、エプロンがあったら貸してもらえます? アイリス用に」
ラインヴァイス様が立ち上がり、私の手を引いた。なんか、二人の話を聞いてると、普通の人族とそんなに変わらない気がする。また少し、魔人族のイメージが変わったかもしれない。
採寸を終え、私とラインヴァイス様は再び手をつなぎながら廊下を進んだ。これからお仕事の説明があるらしい。とっても難しいお仕事だったらどうしようと思っていたけど、私のお仕事はアオイのお世話らしい。ご飯を出したり、着替えを手伝ったり――。アオイにくっついて歩いて、アオイのお手伝いをするのが私の仕事だ。アオイの傍にいられる仕事でとっても嬉しい。
ラインヴァイス様が扉の前で足を止めた。ノイモーントさんの仕事部屋――工房と言うらしい――よりも一回り小さい扉だ。それに、ノイモーントさんの工房は一枚板の扉だったけど、目の前の扉は何枚かの板を繋いで作ってある。頑丈さではノイモーントさんの工房の勝ち。
扉の中から、カチャカチャと食器同士がぶつかる音が聞こえる。ここ、キッチンか何かなのかな? ラインヴァイス様がコンコンと扉をノックし、それを開いた。キィと小さく音が鳴る。お城でも、音が鳴っちゃう扉ってあるんだぁ。初めて知った!
扉の先は、私の予想通り、キッチンだった。たくさんの流し台と大きなかまど、広い調理台。せかせかと動き回るたくさんの人達。みんな、ここで働いてるの? ここ、何人分のご飯を作るキッチンなの?
「ここは毎日通う事になりますからね。イェガー。イェガー!」
ラインヴァイス様が辺りを見回した。イェガーさんって人を探しているらしい。どんな人だろう? 私もキョロキョロと辺りを見回す。すると、とってもおっかない顔の、髭ボーボーのおじさんと目が合った。サッとラインヴァイス様の後ろに隠れる。こ、怖かった! 何、あの人……? そっと顔を覗かせると、おっかない顔のおじさんがすぐ目の前に。ひいぃぃぃ! 思わず、目の前にあったラインヴァイス様のマントをギュッと強く握り締めた。
「アイリス。こちらが料理長のイェガーです。あれ? どうしました?」
涙目になりながらフルフルと首を横に振る。ラインヴァイス様は、そんな私とイェガーさんを見比べ、ポンと手を打った。
「ああ……。イェガーの顔が怖いのですね」
「ちょっ――!」
イェガーさんが何かを言おうとする。でも、ラインヴァイス様が目配せすると、イェガーさんはグッと言葉を飲み込んだ。
「大丈夫ですよ、アイリス。イェガーはこんな顔をしていますが、基本的には優しいですから」
本当に? こんなおっかない顔なのに優しいの? にっこり笑うラインヴァイス様と、おっかない顔のイェガーさんを見比べる。怖くない? 大丈夫?
「取って喰ったりしないから安心しな」
腕を組んでぶっきら棒にイェガーさんが言う。本当? 齧ったりしない? 恐る恐るラインヴァイス様の陰から出る。すると、イェガーさんが口の端を持ち上げた。うん。笑うとそんなに怖くな……くない。やっぱりおっかない顔だ。
「改めて、こちらが料理長のイェガーです。彼はアオイ様のお食事を作っていますので、食事準備の際は彼に声を掛けて下さい」
「ん」
アオイのご飯の事は、イェガーさんに聞けば良いんだ。こんなおっかない顔の人に話し掛けるの、慣れるまでドキドキしそうだな……。でも、これもお仕事だもん。頑張るもん!
「アオイ様のお食事が出来上がるまでに、隣で食事を取っておいてください。まあ、暫くは僕と一緒に行動する事になりますから、時間管理はあまり気にする必要は無いと思いますが」
ラインヴァイス様はそう言うと、私の手を取り、キッチンを出た。そして、廊下を少し歩いて次の扉の前で止まる。さっきのキッチンの扉を二枚くっ付けた感じの扉だ。そこに板が掛かってて、何か書いてある。でも、字が読めないから、何が書いてあるのか分からない。
「ここは一部の者しか使わない食堂ですので、アイリスも安心して使えるはずです」
「何で一部の人なの?」
「上級騎士団員専用の食堂なので」
「ん~?」
「偉い人しか使えないと言えば分かりやすいですか?」
「ん!」
偉い人の食堂なんて、ちょっとワクワクする。ラインヴァイス様が開いてくれた扉をくぐると、そこは広い部屋だった。たくさんのテーブルと椅子。そして、端っこの大きなテーブルの上には大きなお皿がたくさん載っていて、そのお皿の上にはそれぞれ山盛りに料理が乗っていた。
「はぁ~! すご~い!」
「ここの支払いは給金から天引きされます。アイリスの給金の管理は私が代理で行い、月々小遣い程度の金額を渡すつもりですが、異存は?」
「ん~ん」
お金なんてもらった事無いから、ラインヴァイス様が預かってくれるならそうしてもらった方が良い気がする。だって、失くしたら大変だもん。それに、無駄遣いしたら嫌だもん。
「ここでの食事は大皿から好きな料理を好きなだけ取って良いですよ、と言いたいところですが、あの人の目があるので、そういう訳にもいかないんですよね……」
ラインヴァイス様の視線の先には、キッチンにつながっているっぽい小窓。そこにイェガーさんがいた。何かを作りながら、チラチラと食事を取る人達を見てる。おっかない顔で。何、見てるんだろう? ジッとイェガーさんを観察していると、イェガーさんが他の料理人さんを呼んだ。そして、何か指示を出す。指示された人がキッチンと繋がってるっぽい小さな扉から出て来ると、食事を取り終わった人のお盆の上にお皿を追加した。そこには、山盛りに盛られたカラフルなお野菜炒めが。お肉ばっかりで茶色かったお盆の上が、ほんの少しだけ華やかになった。でも、料理を追加された人は、凄~く嫌そうな顔をしている。
「ああして好きな物ばかり取っていると、料理を追加されるんです。騎士は身体が資本だから、バランスを考えて食べろって。大抵、狙ったように苦手な物を追加されるんですよね」
ラインヴァイス様が、はははと乾いた笑い声を上げた。ラインヴァイス様も何か追加された事、あるのかな? 苦手な物、あるのかな? 苦手な物追加されたら、私、代わりに食べてあげるよ? だからさ、もし、私のお盆にキャロトが追加されたら、代わりに食べてくれると嬉しいなぁ。
夕ご飯を食べ終わり、私とラインヴァイス様はアオイのご飯を持って、東の塔へと向かった。そこに私の部屋もあるらしい。どんな部屋なのかな? 同室の人、どんな人なのかな? ドキドキ。
階段を上り、一枚の扉の前でラインヴァイス様が立ち止まった。階段はまだ続いている。アオイの部屋は一番上って話だったのに……。どうしたんだろう? そう思っていると、お盆を片手に持ち替えたラインヴァイス様が扉を開いた。扉の先には短い廊下が。廊下の両側に扉が二枚ずつある。
「右側手前の部屋がアイリスの部屋になります。鍵は部屋の中にありますからね。少し見て行きますか?」
「良いの?」
「覗くくらいなら」
「んっ!」
私が大きく頷くと、ラインヴァイス様が空いている方の手を出した。何だろうって一瞬思ったけど、私の分のお盆、持ってるよって事みたい。私はそっとラインヴァイス様の手にお盆を乗せると、いそいそと部屋の扉を開いた。薄暗い部屋の中には、ベッドとクローゼット、小さなテーブルと二脚の椅子、そして、小さな本棚まで置いてあった。
「あれ? 一人部屋……?」
「個室は初めてですか?」
「ん」
「慣れるまでは少し寂しいかもしれませんね。そこの扉がキッチン、そちらが浴室とトイレです。浴室の使い方はアオイ様の部屋と同じなので、後ほど教えますね」
「ん!」
「では、行きましょうか」
名残惜しいけど、アオイのご飯が冷めちゃう。私は部屋の扉をパタンと閉め、ラインヴァイス様に持ってもらっていたお盆を受け取った。こんな良い部屋がもらえるなんて。むふふっ! お仕事、頑張るぞぉ! おぉ~!