夢 1
先生と二人で大広間に戻ると、まだウルペスさんとスマラクト兄様は立ち話を続けていた。何をそんなに盛り上がってるんだろう? ま、良いか。身体を温めようと、先生と一緒にお茶を取りに向かう。はちみつたっぷり入れて、甘~くしよっと。むふふ。
会場の隅っこの椅子に先生と並んで座り、お茶をまったり飲んでいると、やっと話が終わったらしい兄様がこちらにやって来た。ホクホク顔で。よっぽど、ウルペスさんとのお話が楽しかったらしい。
「ウルペスさんと二人で、何話してたの?」
椅子に座ったまま問い掛ける。すると、兄様がにんまりと笑った。良くぞ聞いてくれた的な顔だ。
「竜王様とアオイ様の父上の決闘についてだ。なかなか良い戦いだったぞ。特に、アオイ様の父上が、見た事も無い体裁きしておってな。それについて、つい夢中で話をしてしまった」
そっか。そう言えば、楽しみだとか何とか言ってたな。竜王様が殴られるのなんて、なかなか見られないって。
「それは良いとして、僕はそろそろ帰らねばならん」
ん? 帰る? てっきり、今日はお城に泊まるのかと思ってた。
「帰っちゃうの? 泊まらないの?」
「ああ。僕はベッドが変わると眠れないんだ。だから、屋敷に帰る」
「そっかぁ……」
もう少し、兄様と遊んでたかったな……。明日だって、お城の中を案内してあげようかなとか、色々考えてたのに……。せっかく、仲良くなれたのに……。
「そんなガッカリした顔をするでない。また会える。あ。父上! そろそろ――」
「分かってるよ」
顔を上げると、すぐそこにブロイエさんとローザさんが立っていた。兄様を送りに来たんだろう。本当に帰っちゃうんだ……。そう思うと、寂しさが込み上げてくる。
「そんなに僕と離れ難いのならば、共に屋敷で暮らすか?」
そう言って、兄様が声を出して笑った。これは、兄様なりの冗談なんだろう。でも、私は笑う事が出来なかった。と、そんな私を見て、兄様が不思議そうに首を傾げる。
「何だ? 迷っているのか? 本当に来ても良いぞ? 部屋ならば、すぐにでも用意出来る。ただ――」
兄様が言葉を切り、ニヤリと笑う。良く無い事を企んでいそうな、そんな笑い方だ。
「そうなると、契約印を受け取ってもらわねばならんな」
「ちょっ――!」
何かを言い掛けたブロイエさんを手で制し、兄様が言葉を続ける。
「人族と魔人族は流れる時の速さが違う。つまり、すぐにアイリスは僕より大きくなってしまうという事だ。共に暮らすのであれば、僕より大きい妹など許されるはずが無い!」
言われて初めて気が付いた。今は兄様より私の方がほんの少し小さいけど、すぐに私の方が大きくなって、見た目だけなら年上になっちゃうんだ……。
兄様だけじゃない。先生だってそうだし、このお城の人達みんなそうだ。いつか、私の方が年上になっちゃうんだ。私が大人になっても、おばあちゃんになっても、みんなは今のまま変わらない。私はみんなよりずっと早く年を取って、ずっと早く死んでしまう。そうならない為には、契約印が必要……。何で、今まで気が付かなかったんだろう……。
呆然としていると、先生が椅子から立ち上がり、私と兄様の間にスッと割って入った。こちらに背中を向けているから、どんな顔をしているかは見えない。けど、厳しい顔つきをしてるんだろう事は、その背中から漂う雰囲気で分かった。
「スマラクト様。笑えない冗談はそれくらいにして下さい」
「冗談? 契約印を渡すなど、冗談で言うと、ラインヴァイス兄様はそう思っておいでか? 僕はそんな軽薄は男ではないぞ。アイリスが望むのならば、一生面倒を見るつもりだ。妹としてだがな! して、アイリス? どうする?」
もし、兄様の契約印を受け取ったら、みんなと同じ時の流れを生きられる。そうしたら、私だけ年を取って、おばあちゃんになって、早く死んでしまうなんて事にはならない。みんなとずっと、ず~っと一緒にいられる……。
「……アイリス?」
振り返った先生が、怪訝そうに私を見つめる。その顔の左側には、肉を抉られた傷跡と、閉じたままの目。私を助けた代償……。
今、兄様に付いて行ったら、こんな代償を払った先生を裏切る事になる。先生はこんな怪我までして、私の命を助けてくれた。それだけじゃない。いつも優しくしてくれて、魔術まで教えてくれている。絶対に裏切ったら駄目! そう思い、私も椅子から立ち上がると、先生のマントをギュッと握り締めた。すると、先生がホッとしたように息を吐く。
「それが答えなのか?」
兄様に問われ、私は小さく頷いた。私は先生を裏切りたくない。先生の目を治して、恩返しがしたい。そりゃ、みんなと同じ時の流れを生きられたら素敵だけど、それは私が一番望むものじゃない。
「僕も魔術を教えられるぞ? 治癒術師になるのだって、僕の元にいても不可能ではないのだぞ? 仕事だってしなくて良い。一日中好きな事して過ごして良いのだ。時々ならば、竜王城へも遊びに連れて来てやれるぞ?」
「それでも、私、ここにいたい!」
先生に魔術を教えてもらって、立派な治癒術師になって、先生の目を治したい。先生に恩返しがしたい。
兄様と見つめ合う。どこか探るような目をする兄様の視線から逃れたくて、思わず目を逸らしそうになる。でも、ここで目を逸らしたら駄目! ギュッと先生のマントを握り締め、兄様の金色の瞳をジッと見つめる。
どれくらいそうしていたのだろう。ほんの少しの間の気もするし、凄く長い時間だった気もする。突然、兄様がニッと笑った。
「良く言った! それでこそ、僕の妹にふさわしい!」
兄様が満足げに笑う。まるで、「正解だ」とでも言うように。もしかして――。
「兄様、私の事、試したの……?」
「人聞きが悪い事を言うでない。半分は本気だった」
「半分……? じゃあ、残り半分は……?」
「……意志が強い上に聡いな、アイリスは。では帰ろうか、父上、母上」
兄様はくるりと背を向けると、スタスタと歩いて行ってしまった。その背を、ブロイエさんとローザさんが慌てて追う。私と先生は呆然と立ち尽くして、そんな彼らの背を見送った。
「先生……?」
「はい……?」
「さとい、って……?」
「賢い……」
「そっか……」
強くて賢い子だって褒められたのか。でも、嬉しくないのは何でだろう? 兄様の方が、一枚も二枚も上手だったから、かな……? こう、掌の上でコロコロ転がされたような、そんな気がする。
「疲れましたね……」
「ん……」
「そろそろ寝ましょうか……」
「ん……」
こんなやり取りをしてるのに、私と先生は突っ立ったまま。すぐに動く気になれないんだから仕方ない。そんな私達を見て、ウルペスさんが声を押し殺して笑っていた。




