竜王城 1
初めて会った竜王様は、とっても綺麗な人だった。男の人に綺麗って、とっても変な表現だと思う。でも、竜王様を表す言葉、それくらいしか思い付かなかった。
長い黒髪と、ラインヴァイス様と色違いの黒い服、黒い飾り羽が襟元にたくさん付いた黒いマントを着ていて、全身真っ黒。綺麗な顔の眉間には皺が寄っていて、とっても怖い顔をしている。全身真っ白でいつも優しい顔をしているラインヴァイス様と、何もかも真逆みたいな人だ。
私は、竜王様が座る椅子から一段低い赤い絨毯の上に跪き、両手を組んだ。私の隣では、アオイも同じように跪いている。ラインヴァイス様は私達の前で片膝を付き、胸に手を当てて頭を下げている。女の人は両膝を床に付いて手を組み、男の人は片膝を付いて胸に手を当てるのが竜王様に会う時の決まりらしい。これは、この広い部屋に入る直前、ラインヴァイス様が教えてくれた。
竜王様から何とも言えない怖い空気が漂って来る。母さんやラインヴァイス様が言っていた通りだ。竜王様、とっても怖い。こんなに怖いと思うの、雪狼に会った時ぶりだ。
「近衛師団長ラインヴァイス」
竜王様がラインヴァイス様を呼ぶ。怖い空気が一段と濃くなり、私は身を震わせた。逃げ出したい。でも、逃げたら駄目なんだ……!
「騎士志望の二人とは、後ろのか」
「はっ!」
竜王様の問い掛けに、ラインヴァイス様が短く返事をする。ラインヴァイス様の声がとっても硬い。これがお仕事をしている時のラインヴァイス様なのかな?
「私には、そこの二人は人族に見えるのだが」
「はい。竜王様のおっしゃる通り、人族にございます」
「そうか。お前は、人族を私の騎士にしろと、そう申すのか。魔大陸七人の王筆頭の私に、恥を晒せと」
「決して、そのような事は……」
ラインヴァイス様が言葉に詰まり、部屋の中がシンと静かになった。雪狼と会った時の森と空気が似ている。嫌な汗が私の全身からぶわっと噴き出した。
「あの――」
「お前に発言を許した覚えは無い」
竜王様が、口を開きかけたアオイにぴしゃりと言い放つ。この二人、恋人同士じゃないの? フランソワーズとリリーがそう言ってたのに……。何で怖い空気がさっきよりも濃くなってるの? どうなってるの?
「赤毛の小娘」
この部屋の中、パッと見、私以外に赤毛はいない。きっと、竜王様が呼んだのは私だ。でも、返事をするが怖い。こんな中で声を出したら、きっと、良く無い事が起こるもん。でも、無視するわけにもいかないし……。
「はぃ……」
おずおずと返事をする。緊張と恐怖で喉がカラカラで、私の声は掠れていた。それに、震えてしまっていた。そんな私を見て、竜王様が鼻で笑う。
「返事もまともに出来んとは。それでよく騎士になりたいなどと戯言を」
ざ、戯言じゃないもん! 私、騎士になって、治癒術師になって、それで、ラインヴァイス様の目、治すんだもん! 私、本気なんだもん!
「も、申し訳ごじゃいましぇん!」
いちち。舌、噛んじゃった……。恥ずかしい。恥ずかしすぎて逃げ出したい。でも、今ので少しだけ、部屋の怖い空気が薄くなった気がする。今のうちに、私の本気を伝えるんだ!
「竜王様! 私に魔術を学ぶ機会を下さい!」
「脆弱な人族の分際で魔術を学び、力を得、お前は何を成そうというのだ」
「ラインヴァイス様の目を、な、治したいのです!」
一生懸命想いを伝える。でも、竜王様が目を細めて私を睨んだ。うう……。この顔、さっきよりも怖い。そんなに睨まないで……。
「小娘、お前の名は」
「ア、アイリスです!」
「そうか」
竜王様が私の後ろへと視線を移す。ん? 誰かいるの? 一瞬、気になって振り返りそうになったけど、私はそれをグッと我慢した。だって、この部屋の中でキョロキョロしたら駄目だって、さっき、ラインヴァイス様が言ってたんだもん。お行儀良くしてなさいって、アオイも言ってたんだもん。
「近衛第一連隊長ノイモーント」
「はっ!」
「どう思う」
「人族が騎士になるなど前例がございません。脆弱なる人族の娘に、騎士が務まるとも思えません」
ええっと……。人族は騎士になれませんよって事? あれ? そうすると、私がここに来た意味が無くなるような……。
「第二連隊長フォーゲルシメーレ」
「はっ!」
「お前はどう思う」
「ラインヴァイス殿の目を癒す為には、治癒術師の扱う術の中でも、身体の欠けた部位を回復させる、高度な術を行使する必要がございます。才ある者でも扱えるのはほんの一握り。何ら予備知識も無い幼子に、一から治癒術を学ばせたところで、成せるようになる確証はございません」
ええっと……。ラインヴァイス様の目を治すのは、とっても難しいですよって事かな? さっきの人もそうだけど、もう少し簡単な言葉で話せば良いのに。
「第三連隊長ヴォルフ」
「はっ!」
「どう思う」
「前例が無いのなら作ればいいですし、その娘が治癒術師になれないという確証もございません。何故、その娘がラインヴァイス殿の目を治したいのかは分かりませんが、強い決意を感じます」
ええっと……。この人は、私が騎士になる事とか、治癒術を学ぶ事とかは反対してないのかな? というか、応援してくれるのかな?
あれ? 何か、後ろから怖い空気が……。嫌~な汗が、また出て来た。後ろにいる魔人族の人達、私の事、いきなり後ろからガブッてがじったりしないよね? 大丈夫だよね? ちょっと心配になってきた。
「しかし、娘の仕事の方が問題かと……」
ん? まだ言いたい事、終わって無かったのか。それより、騎士って仕事じゃないんだ。そっか。私も仕事、しないといけないのか。でも、私が出来る事なんてほとんど無いよ。料理だって掃除だって、孤児院では大きい子達がやってるのを時々見るだけで、やった事なんて無いもん。でもでも! 洗濯だったら何とか出来ると思うの。シーツとか服とかの大きい物は洗った事無いけど、パンツとかシャツとかは、お風呂の時にちゃんと自分で洗ってたもん。
「……分かった」
暫くして、竜王様が静かに言った。何かを考えていたみたいだ。私を騎士にしようか考えてくれていたのかな? そうだと良いんだけどな……。
「赤毛の小娘」
「は、はい」
「お前を騎士にする事は出来ぬ」
竜王様にきっぱりとそう言われ、私の目の前が真っ暗になった。騎士に出来ない……。私、魔術が習えないの……? 私、ラインヴァイス様の目の責任、取れないの? そんなの、嫌だ。嫌だ、嫌だ、嫌だ! じわりと涙が滲み、目の前で片膝を付くラインヴァイス様の背中が大きく歪んだ。でも、ここで泣いたら駄目だ。泣いたら――!
「ラインヴァイス。部屋を用意しろ」
「どちらに?」
「東の塔で良いだろう」
「かしこまりました」
ラインヴァイス様の返事を聞き、竜王様が椅子から立ち上がった。そして、椅子の後ろの扉から部屋を出て行く。それを、この部屋にいる人全員が呆然と見送っていた。まるで時間が止まってしまったみたい。その後、一番初めに復活したのはアオイだった。
「ラインヴァイス?」
「はい」
「部屋を用意しろって、アイリス、魔術習えるの?」
「ええ。そう思って間違いないかと」
アオイの問い掛けに、ラインヴァイス様が笑顔で頷く。二人の話を聞いて、私の身体から力が抜けた。ぺたんと床にお尻を付く。
そっか。私、魔術、習えるんだ。部屋って、私の部屋だったんだ……。私、責任、取れるんだ……! ジンと目が熱くなり、さっきまで堪えていた涙が再びあふれ出す。
「アオイー! わだじ、もう、だめがどおもっだよぉぉぉ!」
叫び、アオイに飛びつく。すると、アオイはギュッと私を抱きしめてくれた。
「騎士に出来ないという事は、我々の身元引き受けは不要という事ですか」
「でしょうね」
初めにしゃべっていた人――ノイモーントさんの声に、ラインヴァイス様が同意する。ラインヴァイス様の声は、苦笑いしているような、そんな響きをしていた。
「にしても、このチビの仕事、どうします?」
『ですね……』
最後にしゃべっていた人――ヴォルフさんが問い掛ける。すると、アオイ以外の全員が声を揃えて同意した。アオイの腕の中から顔を上げると、全員が全員、困ったように私を見つめていた。
あれ? 何でラインヴァイス様までそんな顔してるの? もしかして、ラインヴァイス様、私の仕事の事まで考えてなかった、とか……? ま、まさかね! 違うよね? そんな事、無いよね? 仕事出来ないからって、お城から追い出したりとかしないよね? 大丈夫だよね? ね? ね? ね?