メーア 4
メーア達のお世話も終わり、私と先生は図書室へと向かった。今日も先生と一緒にお勉強。嬉しいな! 繋いだ手をぶ~らぶら。
「ご機嫌ですね」
「ん!」
微笑んだ先生に笑みを返す。今日も先生と一緒に勉強が出来る事が嬉しい。最近、先生は忙しい事が多かったし、昨日はメーア達のせいで勉強が途中になっちゃったし。
「今日も先生と一緒にお勉強なんだもーん!」
「そんなに喜んでもらえると、僕も教え甲斐があります」
「私も、勉強し甲斐があります!」
そんな事を話しながら廊下を進むと、廊下の向こう側からバルトさんとミーちゃんが歩いて来た。今日も、ミーちゃんとバルトさんは仲良しさん!
「ミーちゃ~ん!」
先生と繋いでいた手をほどき、ミーちゃんに駆け寄る。そして、ミーちゃんを抱き上げると、彼女からふわりと甘い匂いが漂ってきた。
「ミーちゃん、良い匂いがする!」
「これのせいだろう」
バルトさんがミーちゃんの首のリボンを指差す。すると、ミーちゃんが嬉しそうに「みゃ~」と鳴いた。
「この間、せがまれて香油を買ってやったんだが、ミーの身体に直接使って良いものか分からなかったからな。匂い付きリボンを作ってみた」
「ほ~!」
リボンに顔を近づけ、フンフンと匂いを嗅ぐ。確かに、さっき感じた匂いだ。私の香油とちょっとだけ匂いが似てるような……。
「これ、何のお花の匂い?」
私がそう尋ねると、腕の中のミーちゃんが「みゃうみゃう」と答えてくれた。でも、何を言ってるか分からない。だから、バルトさんに視線を移した。
「スミレだな」
「スミレ……」
この間、ウルペスさんにスミレのお菓子を出された時は全然気が付かなかった。だって、あそこは色んなお花の匂いがしているから。でも、こうして匂いを嗅いでみると、私の香油と匂いが似ているのが良く分かる。ミーちゃんのと私のとは、スミレの種類が違うんだな、きっと。
そっか。スミレか。リーラ姫の好きだった菓子と同じ、スミレか……。何も、私の香油までリーラ姫の好きなお花にしなくても……。
「アイリス?」
呼ばれて顔を上げると、バルトさんが不思議そうに私を見つめていた。何でも無いと笑顔で首を横に振り、ミーちゃんをバルトさんに差し出す。バルトさんは尚も不思議そうに私を見つめながら、ミーちゃんを受け取った。とたん、ミーちゃんが暴れ出す。たぶん、先生が近づいて来たからだ。
「アイリス。そろそろ行きましょう」
そう言って、先生がバルトさんの横を抜ける。ちらりと横目でバルトさん達を見た先生の顔が、普段よりも険しくなっていた。たぶん、ミーちゃんを警戒してるんだと思う。可愛いのに。
ミーちゃんとバルトさんに手を振り、先生に置いて行かれないように慌てて後を追う。先生に追いつくと、私達は並んで歩き、図書室へと向かった。
図書室に着き、いつも通り先生と向かい合わせに座ると、私は勉強を始めた。初級魔術教本を読んで、魔法陣を描く。分からない所があると先生に質問をし、また魔法陣を描く。
一通り魔法陣を描き終わると、先生に見せ、間違っているところが無いか確認してもらった。ここで間違いが無ければ、魔術を発動させて、魔力媒介に記録してって出来るけど、一回で合格がもらえるほど、魔術は簡単じゃない。
「こことここ。それに、ここも間違えています」
先生が魔法陣の間違いを指差す。私は間違えていると言われたところに印をつけると、初級魔術教本を読み直した。そして、再び魔法陣を描き始める。
そうしてしばらく勉強していると、私のお腹がぐぅっと小さく鳴った。お腹、空いたなぁ……。そう思い、描き途中の魔法陣から顔を上げる。すると、先生が上着のポケットから時を知らせる魔道具を出し、時間を確認した。
「そろそろ食堂に行って、軽く何か食べましょうか?」
「ん」
この後、アオイのお昼のお世話もしないとだしね。その後、メーア達のお昼のお世話もあるし。こうして考えると、結構忙しいな、私。
食堂で軽食を食べ、アオイのお昼のお世話を終わらせると、その後片づけを先生とローザさんにお願いし、私はフォーゲルシメーレさんの病室に向かった。目的はメーアの薬湯作り。これもお仕事だけど、本当は、もう作ってあげたくなんてない。だって、今日の朝「おぇおぇ」言いながら薬湯を飲んでたんだもん。美味しそうに飲んでとは言わない。でも、あんな風に「おぇおぇ」言いながら飲まないで欲しい。お礼だって言われなかった。せっかく作ってあげたのに。だから、メーアなんて大大大っ嫌い!
薬湯を作り終え、それを手にキッチンへ向かう。キッチンの中に入ると、先生がイェガーさんとお話をしていた。私の姿を見とめたイェガーさんが笑みを浮かべ、私の前にしゃがみ込む。
「メーアの為に薬湯作っ――」
そして、言い終わらないうち、臭いにやられてむせ込んだ。
「なんつーもん……作ってんだ……!」
イェガーさんにそう言われても、仕方ない自覚はある。だって、この薬湯、朝の薬湯よりも臭いもん。メーアの事なんて嫌いだって思いながら作ったら、とっても臭い薬湯になってしまった。作っておいて何だが、私だって、間近でこの臭いを嗅ぎたくはない。だから、腕を目一杯伸ばして、顔をのけぞらせながらコップを持っていたりする。
イェガーさんのむせ込みのせいか、それとも薬湯の臭いのせいか、他の料理人さん達が集まって来た。と思ったら、みんなして臭いにやられてむせ込み始めた。涙目になっている人までいる。
「窓……窓……開けろ……!」
イェガーさんがそう指示を出すと、料理人さんの一人が慌てて窓を開けた。イェガーさんがフラフラした足取りで窓に向かう。身を乗り出して窓から顔を外に出すイェガーさんの後ろには、順番待ちの料理人さんの列が出来ていた。
「それにしても、一段と凄い臭いですね」
そう言った先生を見上げると、先生は苦笑しながら薬湯を見つめていた。イェガーさん達みたいにむせ込んだりしないところが、とっても先生らしい。でも、臭いとは思っているはず。それを顔に出さないんだから、先生は凄い。
「メーアの事なんて嫌いだって思いながら作ったらね、今日の朝よりも臭くなったの」
「そうですか。アオイ様に薬湯を作って差し上げた時とは違った方向で、心が入っているのでしょうね」
「ん~……。そうなのかなぁ?」
私は首を傾げながら、薬湯が入ったコップを調理台の上に置き、パンの入ったカバンを背負った。そして、再び薬湯を手に持つ。先生も、お鍋を両手に一つずつ持ち、私達はキッチンを後にした。
メーア達の牢屋がある階に足を踏み入れると、先客がいた。ブロイエさんだ。ガイさんの牢屋の前に立ち、何か話している。と思ったら、鼻と口を手で覆った。
「臭っ!」
叫び、こちらを振り向いたブロイエさんの顔が険しい。
「何、この変な臭い」
「アイリスが作った、薬湯の臭いです」
「ぅわぉ……」
む~っと頬を膨らませると、それを見たブロイエさんが乾いた笑い声を上げながら、鼻と口を覆っていた手を下ろした。
「身体に良さそうな臭いだね」
ブロイエさんが微笑みながら口を開く。でも、その言葉は棒読みだった。ブロイエさんなんて嫌い! ふんっ! そっぽを向き、メーアの牢屋へと向かう。そして、ごはんの差し込み口から薬湯を雑に入れた。とたん、中からガタガタと物音が響く。これだけ激しく動けるようになったって事は、朝よりも具合が良くなったって事だろう。
「ところで、叔父上は何故こちらに?」
先生がごはんを配膳しながら口を開く。すると、ブロイエさんが意味深に笑った。
「彼らの処遇を伝えに、ね。シュヴァルツの許可も出た事だし、早めに伝えた方が良いと思って」
「そうでしたか」
「うん。それでね、こっちの聖騎士さんは、一度、中央神殿にお帰り願う事にしたから」
ブロイエさんが視線でガイさんを指す。すると、ガイさんが小さく溜め息を吐き、口を開いた。
「先程の話、本気でしたか……」
「もちろん」
ガイさんの言葉に、ブロイエさんが満面の笑みで頷く。私も先生もいまいち話が見えなくて、そろって首を傾げた。それを見たブロイエさんが口を開く。
「この聖騎士さんにはね、穏健派の代表からアオイさんへ、祝いの品を持って来てってお願いしたの。強硬派代表のメーアが召喚した勇者と、人族の敵である魔人族の王との婚姻。戦の無い世を作りたいと言っていた、穏健派の元代表、先代メーアが見たら、涙を流して喜んだんじゃないのかなぁってね」
ガイさんが無言で俯く。それを見たブロイエさんが苦笑した。
「あ~。気が進まないのなら別に良いんだ。それを咎めるつもりなんて無い。メーアとそっちの取り巻きにはお披露目に出てもらうし、それだけでこっちは十分アピール出来るんだから。この婚姻は、メーアも祝福するものなんですよって。中央神殿と友好関係を築く第一歩が、勇者と魔人族の王との婚姻なんて、と~ってもロマンチックでしょ?」
「ふ、ふざけるな! 誰が、そんなものに――!」
ガイさんの隣の牢屋から叫び声が聞こえる。見ると、銀髪の人が覗き穴の鉄格子を掴み、顔を真っ赤にしていた。ガタガタ、ガタガタと扉を揺する音が響く。
「強硬派の代表が、竜王の婚姻お披露目パーティーに出るなんて屈辱的だよねぇ? 念の為に言っておくけど、君達に拒否権は無いから」
銀髪の人に向かい、ブロイエさんが悪~い顔で笑う。それを見た先生が深い溜め息を吐き、ごはんの配膳を再開した。ブロイエさんのあの笑い方、それに先生の反応……。ブロイエさんってば、本気で言ってんだろうなぁ、きっと。
「んで、話の続きね」
そう言って、ブロイエさんがガイさんに向き直る。
「アオイさんとご両親、白い獣はこちら側で、魔人族と人族が敵対する事は望んでいない。そして、先代メーアの望んだ世界を作ると、竜王シュヴァルツが約束したのは、君もはっきり覚えているはずだ。ついでに、強硬派代表のメーアとその側近は、こちらの手の内にあり、勇者の一人が竜王の妻になったお披露目パーティーに出席する、と。これ以上ない程、君達穏健派の追い風になってると思う。だからね、一度、中央神殿に戻って、上と相談しなよ。勇者達と友好関係を築きたいんですけど駄目ですか、ってさ。もしも良いのなら、その証として、アオイさんに祝いの品をあげてねって話。お披露目まで数日しか無いし、説得が一筋縄ではいかないのも十分承知している。でも、先代メーアの望んだ世界を実現する為だと思えば、ねぇ?」
「……分かりました」
ガイさんが頷く。その瞳は、昨日よりも今朝よりも、ずっと強い光を湛えていた。何かを決意した顔だ。ブロイエさんはそんなガイさんを見て、満足げに笑った。と思ったら、何かを思い出したようにポンと手を打った。
「そうそう。言い忘れるところだった。祝いの品、宝飾品とかドレスとかは絶対に止めてね。シュヴァルツに殺されても文句は言えないし、僕も庇ってあげられないから」
「は? はあ……?」
ガイさんが呆気に取られたような顔で相槌を打つ。たぶん、何で竜王様に殺されても文句が言えないのか分からないんだろう。私にも分からない。
「無難なところで、魔道書のオリジナルとか、魔道具とかなのかなぁ? あとは、絵なんかの美術品も、アオイさんなら喜ぶかもね」
「ええっと……。宝飾品の類を避けるべきというのは……?」
「ん? ああ。文化の違いってやつだよ。君達にもあるでしょ? 祝い事や不幸事において、贈るのを避けるべき品って」
そういうものなのか。知らなかった。一つ勉強になった。きっと、私が知らないだけで、こういう文化の差って、色々あるんだと思う。
その日の夜、ガイさんは中央神殿に向けて旅立った。そう言うと、歩いて行ったみたいだけど、ミーちゃんが転移魔法陣で送ってあげた。そして、アオイのお披露目の前の日に、ミーちゃんが迎えに行ってあげる予定。それまでに、ガイさんが中央神殿の偉い人を説得出来れば良いんだけどなぁ。




