メーア 3
次の日、アオイの朝ごはんのお世話が終わると、私は三人分の朝ごはんを持って、先生と一緒に西の塔へと向かった。私はパンが入ったカバンを背負い、先生がお鍋を持ってくれている。
二人で並んで西の塔の階段を上ると、階段で見張りをしていた人がギョッとしたように目を見開いた。と思ったら、慌てて頭を下げた。先生が一緒に来るなんて聞いてないもんね。ビックリするよね。
見張りの人の横を抜け、メーアがいる階に入る。すると、廊下に用意された椅子にウルペスさんが座っていた。不機嫌そうに口を曲げ、腕を組んでいる。騎士の仕事とはいえ、メーアの見張りなんて流石に嫌なんだと思う。
「おはよう、ウルペスさん!」
挨拶をして、パンの入ったカバンを机の上に置く。先生も両手に持っていたお鍋を机の上に置いた。
「おはようございます、ウルペス」
「ああ、おはよう……って、何でラインヴァイス様がいるの?」
ウルペスさんが驚いたように先生を見る。先生は曖昧に笑うと、お鍋の蓋を取った。私はごはんの差し込み口から牢屋の中を確認する。
一番手前の牢屋の聖騎士ガイさんは、ベッドに座り、ジッと床を見つめていた。昨日は疲れ切った顔だったけど、今日は考え込むような顔をしている。昨日より、今日の方が元気そう、かな……?
お隣の牢屋の銀髪の人は、椅子に座り、落ち着かない様子だ。足を揺すりながら、しきりに、あっちを見たりこっちを見たり。と思ったら、ごはんの差し込み口から中を覗き込む私と目が合った。
「おい! お前!」
銀髪の人が口を開く。お前って、私? 何だろう? 返事をする代わりに、ジッと銀髪の人を見つめる。
「メーア様が昨夜から体調を崩しておられる。私にメーア様の治療をさせろ」
メーアが体調を崩してる? 言われてみれば、お隣の牢屋から、「う~ん、う~ん」と唸り声が聞こえているような……。
メーアの牢屋を覗き込む。すると、メーアがベッドで丸くなり、唸り声を上げていた。真っ青な顔で歯を食いしばり、額には汗が浮かんでいる。お腹が痛いのか、両手でお腹を押さえているのが、掛け布の上からでも分かった。
「先生。メーアがお腹痛いみたい。お隣の牢屋の人が、治療させてだって」
ごはんの配膳を始めていた先生を手招きすると、先生は配膳の手を止め、椅子に座るウルペスさんに視線をやった。ウルペスさんが口を尖らせ、フンとそっぽを向く。あの顔、ウルペスさんってば、メーアが具合悪いの、ちゃんと分かってたんだな。でも、嫌いだから何もしなかった、と。
先生は扉の覗き穴からメーアの様子を確認すると、銀髪の人の牢屋に向かった。そして、覗き穴から牢屋の中を覗き込み、口を開く。
「メーアの様子を確認しました。ベッドから起きられないようで――」
「私は治癒術を使える。治療をさせろ!」
先生の言葉を遮り、銀髪の人が叫ぶ。すると、先生がにこりと笑った。
「捕虜を牢から出すと思います? しかも、魔術を使わせろ、と。自身の立場、分かってます?」
「それは……」
「しかし、困りましたね。少し前までは、アオイ様がある程度の治癒術ならば使えましたが、どこかの誰かのせいで、魔術に関する記憶から何から、全て失くしてしまいましたし……」
ちょっと先生。確かに、アオイはこの人達のせいで記憶を失くしたけど、昨日、記憶を取り戻してるでしょ。それに、お腹が痛いのを治す魔術くらい、私が使えるでしょ。
これは……。先生、この人達に意地悪する気、満々? 見ものだ。私は先生の脇に立つと、ごはんの差し込み口から牢屋の中を覗き込んだ。ウルペスさんも私と一緒になって、ごはんの差し込み口から中を覗き込む。
「アオイ様の母上様は、治癒術が使えないのでしょうか? かなりの魔力があるようでしたが?」
「サクラ殿は……攻撃魔術の才しか無い」
銀髪の人が苦々しい顔でそう言った。ふむふむ。アオイのお母さんは、攻撃魔術しか使えないのか。親子でも、似たような適性がある訳じゃ無いのか。
「では、治癒術での治療は諦めるしかありませんね」
「そんな……」
銀髪の人が、ガッカリしたように項垂れた。その様子を見て、私の隣でウルペスさんが押し殺したように笑っている。
「しかし、メーアに何かあっては、こちらも立場がありませんし……。そうだ。薬湯ならありますが? どうします?」
「では、それを……」
「分かりました。すぐに手配しましょう」
ごはんの差し込み口から顔を上げ、先生を見る。先生は、それはそれは良い顔で笑っていた。そして、その顔のままこちらを向き、口を開く。
「という事で、アイリス。フォーゲルシメーレに、腹痛に効く薬湯の作り方を教えてもらいなさい。くれぐれも、アイリスが作るように。これも勉強ですからね」
「は~い」
私は返事をすると、牢屋に背を向けた。牢屋の中から、叫び声が聞こえて来る。「待て! 子どもに作らせるつもりか!」って。私がチビだからって馬鹿にしてるな。こう見えても、薬湯の一つや二つ、作れるんだから! フォーゲルシメーレさんみたいに、飲みやすい薬湯は作れないけど。
先生は、私の作る薬湯が、フォーゲルシメーレさんの薬湯みたいに飲みやすい訳じゃ無いのを知っている。だから、あえて私に作らせるんだろう。ちょっとした嫌がらせだ。薬湯を準備しないって言ってる訳じゃ無いし、これくらいの嫌がらせは問題無い……と思う。
でも、メーアのお腹が痛くなったのは、たぶん私のせい。昨日、ちゃんとお水を流しっぱなしにしなかったからだと思う。だから、先生の期待に応えられるようにとっても不味~い薬湯作ろうと思ったけど、ちょっと不味いくらいにしておいてあげよっと。
フォーゲルシメーレさんに理由を説明し、腹痛に効く薬湯の作り方を教えてもらう。本を読んで勉強するより、実際に作る方が作り方を覚えやすい。これも勉強だって先生が言ってたけど、本当に勉強になった。
完成した薬湯を持って西の塔に向かうと、牢屋の前の廊下で、先生とウルペスさんが談笑していた。私の姿に気が付いた先生が優しく微笑み、手招きをする。
「上手に出来ましたか?」
「ん!」
こくりと頷き、薬湯の入ったコップを差し出す。その中には、真心は大して入っていない、作りたての薬湯。未だ少し湯気が上がっている。それと一緒に、青臭いような、渋いような、それでいて酸っぱいような、変な臭いも立ち上っていた。
「これは、また……」
先生が苦笑しながらコップを受け取る。その隣では、ウルペスさんが興味津々にこコップを覗き込み、「うわぁ」って顔をした。
「おい! 大丈夫なんだろうな! 毒ではないのだろうな!」
牢屋の覗き穴に張り付いた銀髪の人が、失礼な事を叫ぶ。毒だなんて人聞きが悪い。これは、れっきとした薬湯だもん。ただ、ちょっと臭いがきついだけなんだもん! 私が頬を膨らませていると、それに気が付いた先生が私の頭を優しく撫でてくれた。
「そんなに気になるのでしたら、味見でもします?」
先生が良い笑顔で、牢屋の中の銀髪の人に訪ねる。すると、銀髪の人は当たり前だとでも言うような顔で頷いた。それを見たウルペスさんが、廊下の奥、食器なんかが置いてあるらしい棚の中からスプーンを一本取って来てくれる。
「はい。あ~ん」
ウルペスさんが薬湯を一匙掬い、覗き穴から差し入れた。薬湯の臭いにやられたのだろう、牢屋の中で銀髪の人がむせている。
「何だ……おぇ……この、臭い……」
そう言いつつ、銀髪の人がスプーンを受け取る。私はそれを、ごはんの差し込み口から見守っていた。どんな反応するかなぁ、なんて。そこまで不味くはないと思うんだけどなぁ。味見なんてしてないから分かんないけど、酸っぱ苦いくらいだと思うんだけどなぁ。そんな事を考えながら銀髪の人を見守っていると、彼が恐る恐るスプーンを口に入れた。
「おぐぇ!」
とたん、銀髪の人が変な声を上げ、口を押さえた。と思ったら、衝立の奥、トイレへと駆け込む。そんな、吐かなくても……。くすん……。
「もし」
唐突に、廊下に低い声が響いた。声がした方に目をやると、ガイさんが牢屋の覗き穴からこちらを窺っている。それを見た先生が、ガイさんの元に向かう。
「何でしょう?」
「その薬湯、私にも味見させて頂けないでしょうか?」
「ええ。ご希望とあらば」
先生が視線をやると、ウルペスさんがもう一本、スプーンを持って来てくれた。そして、銀髪の人にしたのと同じように、薬湯を一匙掬い、覗き穴から中に差し入れる。また吐かれるかもとは思いつつ、薬湯を飲んだ反応が気になって、私はごはんの差し込み口からガイさんの様子を窺った。ガイさんがスプーンの薬湯に小指を付け、それを口に含む。そして、苦笑した。
「確かに、腹痛に効く薬湯のようです。必要以上に薬草を磨り潰したせいで、臭いと苦味が大変強いですが……」
「貴方は薬草の知識が――?」
先生が驚いたように尋ねると、ガイさんが目を伏せた。
「ええ。私のような者にこそ、そういった知識が必要だろうから、と。先代メーア様に学ぶ機会を頂いた事があります」
それだけ答え、ガイさんが椅子に戻る。顔を上げて先生を見ると、先生は気遣うような視線をガイさんに向けていた。先代メーアって? ここにいるメーアとは違う人? クイクイと先生のマントを引っ張る。すると、先生は微笑みながら首を横に振り、メーアの牢屋へと向かった。
メーアは「おぇおぇ」言いながらも、薬湯を全部飲み干した。銀髪の人みたいに、トイレで吐いたりはしなかった。それだけ、お腹が痛かったって事なんだと思う。でも、お礼は言われなかった。せっかく作ってあげたのに。メーアなんて嫌い。ふんっ!




