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近衛師団長の憂鬱Ⅰ

 孤児院の中からアイリスの泣き声が聞こえてくる。彼女は今、孤児院の年長者達の説得をしている。孤児院の者達は家族みたいなものだからと、アオイ様がアイリスに説得するよう言いつけた為だ。これは、アイリスが治癒術師になる第一の試練なのだ。


 彼女が泣いているのは、きっと、治癒術師になる事を孤児院の者達に反対されてしまったからだろう。力ある者の務めは、この国に住む殆どの民が知っているのだから当然だ。それに、今、魔術を習得しようとする事がどんなにリスクが高い事か、僕が一番分かっている。


 遅かれ早かれ、この国は戦火に見舞われる。異界から召喚された者がいるのだから。ちらりとアオイ様を見ると、アイリスが気になるのか、落ち着かない様子でうろうろと行ったり来たりを繰り返していた。


 アオイ様は少し前、異界より召喚され、この世界にやって来た。異界から人を召喚するなどという高度な術式を展開出来る召喚術師は、世界広しと言えどそうはいない。アオイ様をこの世界に召喚したのは、中央神殿の聖女メーアとみて間違いないだろう。


 中央神殿の連中は、異界から召喚した者を勇者と掲げ、再び魔人族との戦を行う気でいる。人族にとって、先の大戦の悲劇を忘れるには十分過ぎる時間が経ったという事だ。僕達は未だ、戦で命を落とした者達の事を忘れられずにいるというのに……。


 アイリスの身の安全を第一に考えるのならば、治癒術師になるなど馬鹿げていると諦めさせるべきだ。人族のアイリスが竜王軍に従軍する必要など無い。普通の人族としての幸せを見つけさせるべきなんだ。


――アイリスはね、人生を掛けて、その目の責任を取るって言ってんのよ! そんな子の気持ち、無碍にするつもり?


 アオイ様に言われた事が頭を過る。ズキリと左目に痛みが走り、僕は目を押さえた。これは全て、僕の未熟さが招いた事だ。僕が兄上のように剣に秀でていれば。リーラのように攻撃魔術に才があれば! ギュッと拳を握る。近衛師団をまとめる長として、こんな体たらくでどうする。もっと強くならなければ。もっと、もっと――!


 孤児院の奥から人の気配が近づき、僕は空間を渡って近くの木の陰に身を隠した。音を立てて扉が開き、アイリスと共に赤い三角巾の少女が孤児院から出てくる。アイリスは泣き叫んでおり、その姿に胸が苦しくなった。


 少女が激しい口調でアオイ様を責める。アイリスもあの調子で責められたのだろうか? 可哀想な事をしてしまった。こんな事ならば、いっそ、孤児院の者達に何も告げず、竜王城に向かった方が良かっ――いや、何を考えている。孤児院の者達は、アイリスにとって家族同然だ。そんな、人攫いのような事……。これでは、昔話のインキュバス族のようではないか。その結果が、魔人族と人族との対立だというのに……!


「ラインヴァイス。出てきて」


 アオイ様に呼ばれ、空間を渡る。アオイ様のすぐ後ろに姿を現した僕を見て、赤い三角巾の少女が少し驚いたように目を見張った。しかし、建物に逃げ込む様子は無い。どちらかというと、僕自身の存在よりも、僕が空間を渡って来た事に驚いたようだ。この少女は、魔人族を恐れていないのだろうか? 僕が会釈をすると、少女も困惑気味に会釈を返した。


「ラインヴァイスのこの左目ね、アイリスを雪狼から助ける時に怪我したの」


「なっ!」


 アオイ様の言葉に、少女が驚いたように声を上げた。その声に反応するようにもう一人、孤児院から男装の女性が顔を出す。そして、僕を見て驚いたように少しだけ目を開いた。この女性は以前、会った事がある。アイリスが初めて薬草をくれた日、アイリスを迎えに来た女性だ。あの時も思ったが、この女性は僕が怖くないのだろうか? 何故、すぐにそんな冷静な顔つきになれるんだ? そもそも、ここの者達は、魔人族に対しての偏見が無いのか? 魔人族が怖くないのか? いや、そんなはずは無い。きっと、この二人が特別なだけだ。


「アイリスはね、女の子としての幸せより、ラインヴァイスの目を治す道を選びたいんだって。きちんと責任を取りたいんだって」


「アイリス、そうなのか……?」


 アオイ様の言葉に、男装の女性がアイリスに遠慮がちに問い掛ける。アイリスは大泣きしながらも、しっかりとそれに頷いた。


「好きな男と結婚して母になる。そんな普通の生き方は出来ないかもしれないんだぞ?」


「いい! わだじ、があざんになんでならないぃぃぃ!」


「お前は償いに人生を費やすのか? それで後悔しないのか?」


「わだじのぜいなんだもん! ぜきにん、どるんだもん!」


 責任……。人生を掛けて責任を取る、か……。では、アイリスの人生への責任は? 女性としての幸せを捨てさせてしまう責任はどうするつもりだ。僕は――!


「フランソワーズ、ミーナ。アイリスが治癒術師になりたいっていうのはね、助けてもらったお礼と目の責任の取り方、アイリスなりに考えた結果なの。応援、してあげてくれないかな?」


 アオイ様の声が遠くに聞こえる。僕がアイリスを助けたのは、騎士としての矜持があったからだ。弱き民を、幼子を見捨てる事など出来ない。アイリスが責任を感じる必要など、どこにも無いんだ。


 アイリスの気持ちだけで十分だ。今ここでその一言を言えば、全て解決するのだろうか? しかし、それだけは言えない。それを言ってしまえば、後々、悔いる事が分かっているから。


 アイリスに再会した時は驚いた。まさか、僕の為に薬草を摘んでくれていたなんて……。アイリスは魔人族に恐怖心を抱いていた。それなのに、その恐怖を必死に押し殺してまで、僕に薬草を渡そうとする姿に心打たれた。あの時、言葉では言い表せない感情が僕の中で芽生えた。


 それからというもの、アオイ様が孤児院に向かう日を心待ちにするようになった。アイリスが摘んでくれた薬草を受け取るという、ほんの僅かな交流。それを心待ちにしていた。


 アオイ様が孤児院にいる間、アイリスを見守るのも楽しみの一つだった。一生懸命、僕の為に薬草を摘む姿。岩場を元気に駆け回る姿。弾けるように笑う姿。ずっとアイリスを見ていたいと思ってしまった。


 この機を逃したくない。アイリスを傍に置き、見守っていたい。未だつぼみの少女が、いつか、大輪の華になる様を、僕は誰よりも近くで見ていたいんだ。


「戦になったら、絶対にアイリスだけは守るから。だからさ、私にアイリスを預けてくれないかな? 私、誰が何と言おうが魔術習うって決めたの。アイリスと一緒に」


 アオイ様が孤児院の少女達にそう宣言する。僕はその言葉に凍り付いた。僕だけではない。孤児院の少女達も絶句してアオイ様を見つめていた。


 アオイ様は兄上の意向で、魔術習得はしていない。兄上は、アオイ様へ力を授ける事を拒否した。例え治癒術であっても、教えるつもりは無いと言っていた。兄上らしいと言えばらしい判断だ。兄上はアオイ様を危険に晒したくない。アオイ様を深く愛しているのだから。


「分かってるよ。これがシュヴァルツの想いを踏みにじる事だって。シュヴァルツに愛想尽かされても仕方ない事だって。でも、戦になったらアイリスだけじゃない、シュヴァルツやラインヴァイス、貴女達、竜王城でお世話になった人達、みんなを守りたいの。私、このまま何も出来ないのは嫌なの! みんなの笑顔を守れる人になりたいの!」


 アオイ様が少女達に訴えかける。アオイ様は兄上の想いを分かっていて、それでも魔術を習いたいと、力を得たいというのか。しかし、皆の笑顔を守れる人になりたいというこの動機、実にアオイ様らしい。この様な人だからこそ、兄上はアオイ様に惹かれたのだろう。


 もし、アオイ様とアイリスの魔術習得が叶った際は、僕が師を買って出よう。己の事を顧みず、人に尽くす二人だ。結界術を、身を守る術を教えておかないと、リーラの様な悲劇的な最期を迎えるだろうから。




 孤児院の者達の説得も終わり、僕達は竜王城へと向かった。これからアイリスの第二の試練が始まる。正直、孤児院の者達の説得より、こちらの試練の方が骨が折れるだろう。何と言っても、あの兄上を説得しなくてはならないのだから。これは僕にとっても試練だ。


 兄上は、アオイ様の魔術習得は絶対に許さないだろう。力を授けなかったのは、彼女を戦に巻き込まない為の措置だったのだから。兄上の想いを分かっていて、僕もアオイ様も兄上を裏切るのだ。兄上が激怒するのは、火を見るよりも明らかだ。僕の言葉に、耳を傾けてくれる余地はあるだろうか……?


「では、アオイ様、アイリス。こちらへ」


 竜王城の廊下を進み、謁見の間へと向かう。そろそろ、一般の謁見は終了する頃合だ。この様な案件を持ち込むには、丁度良い時間帯だったかもしれない。


 荘厳な造りの扉の前には、見慣れた二人が立っていた。今日の扉番はノイモーントとヴォルフか……。この二人で良かったかもしれないな……。


 謁見の間の扉番と、その中の警備は当番制を採用している。団員達の負担を考えると、専任という訳にもいかない。皆、手に職を持っているのだから。今日の警備当番には、運が悪かったと諦めてもらうしかない。


 扉に向かって右手側にはノイモーント。彼は近衛師団第一連隊長を務めている。緩いウェーブの髪と少し垂れ目気味の目が特徴の優男だ。兄上の幼馴染であり、魔術も剣も兄上と共に研鑽してきた。呪術師の称号を持ち、見た目に寄らず、近衛師団随一の実力者でもある。己の欲望に弱いインキュバス族にしては珍しく、強い自制心を持ち合わせており、兄上からの信頼も厚い。僕が怪我に倒れた際、アオイ様の世話を任される程に。


 左手側にはヴォルフ。彼は近衛師団第三連隊長を務めていて、こちらもノイモーントと同じく兄上の幼馴染だ。動きにくいからと、改まった席以外では、常に上半身裸で過ごしている。式典以外では服装をうるさく言うつもりは無いが、冬場は見ているだけで寒い。シャツの一枚でも着て欲しいものだ。


「今日の扉番は貴方達でしたか。これは好都合。ノイモーント、フォーゲルシメーレを呼んで来て下さい」


 僕がそう言うと、ノイモーントが訝し気に眉を顰めた。彼の視線は僕の後ろ――アオイ様とアイリスに向かっている。連隊長三人を集める意図をきちんと理解している証拠だ。流石、長年連隊長を務めているだけはある。


 連隊長三人を集めるのは、近衛師団への入団志願があった場合だ。アオイ様とアイリスが魔術習得をするには、近衛師団に入る事が望ましいのだが、これには王である兄上の承認と、団長である僕の承認、そして、身元を引き受ける連隊長の存在が不可欠なのだ。いくら僕が推薦したところで、この決まりは変えられない。


「え? あの……?」


「行きなさい」


 僕が静かに命じると、口を開きかけたノイモーントが慌てたように駆け出した。フォーゲルシメーレは今頃、研究室で怪しげな薬でも作っているだろう。ここから地下まで下りるのは、少し時間が掛かるだろうか……?


 フォーゲルシメーレは第二連隊長を務めている。彼もまた、兄上の幼馴染だ。腕の良い薬師であり、僕の目の怪我を治療してくれたのも彼だ。彼は薬師としての技術向上に余念がなく、暇さえあれば薬の研究をしている。好戦的なヴァンパイア族にしては例外的に穏やかな性格だから、研究漬けの生活も苦にならないらしい。それどころか、その生活を好んでいるような節さえある。しかし、訓練や実戦では冷酷な一面も垣間見え、そういう所を見ると、やはり彼もヴァンパイア族なのだなと実感する。


「あの、ラインヴァイス殿? 何故――」


 ヴォルフがおずおずと口を開く。僕はそれを遮るように口を開いた。


「ヴォルフ。竜王様に取次ぎを」


「え? あの――」


「近衛師団長ラインヴァイスが騎士志望の者を二名連れて来たと、そう伝えなさい」


「え? だって、そこにいるの、アオイ様と人族の幼子じゃ――」


 ヴォルフは僕の顔と、後ろに控えているアオイ様とアイリスを交互に見やった。ヴォルフが戸惑うのも無理は無い。人族が近衛師団に入団するなど、前代未聞の出来事なのだから。


「ヴォルフ。これは謁見申込みです。今すぐ竜王様に伝え、意向を確認しなさい」


 扉番はあくまでも扉の警護役。こうして謁見申し込みがあった場合、それを僕か兄上に報告しなければならない。今回は、僕がこうして謁見申込みをしているのだから、ヴォルフは早急に兄上へ報告しなくてはならないのだが、未だ戸惑っているようだ。仕方ない……。


「でも――」


「伝えろと言った。聞こえなかったか?」


 努めて威圧的に、そう問い掛ける。すると、ヴォルフの顔色が変わった。慌てて踵を返し、謁見の間の控室に飛んで行く。ヴォルフを動かすには、説明をするより本能に呼び掛ける方が早い。いや、ヴォルフだけではない。この城の者達は、こうして本能に呼び掛ける方が動かしやすい。


 魔人族は、部族間の優劣を本能で理解している。そして、ドラゴン族は全ての部族の頂点に立つ部族だ。ドラゴン族程、魔力や腕力、体躯に優れた部族は他に無いのだから。多くの者達が、本能的にドラゴン族を畏れているのだ。だから、威圧的に接した方が、たとえ年下の僕の言う事であっても良く聞いてくれる。あまり、そうしたくはないのだけれど……。


「さて、アイリス」


 にっこり笑いながら振り返ると、アオイ様とアイリスが青い顔で僕を見つめていた。アイリスは半べそをかいている。怖がらせてしまったか……。しかし、あれくらいで怖がっているようでは、兄上に会ったら大泣き確定だろう。兄上は芸術品の様な整った顔をしているのだが、如何せん、その眉間には常に皺が寄っていて、険しい表情をしている。そして、あの高圧的な目。生まれつきのものだが、あの目に射抜かれると多くの者が震えあがる。アオイ様と出会ってからは、多少表情が柔らかくなったとも思うが、それでもアイリスは怯えるだろう。


「竜王様への謁見の前に、一つ忠告があります」


「ひゃい」


 アイリスのこの半べその顔。これはこれで可愛らしいのだが、流石にこのままでは謁見させられない。ひとつ、発破を掛けておくか。


「竜王様は、今しがたの私とは比べ物にならない程、貴女の目には恐ろしく映るでしょう」


 特に、アオイ様が魔術の習得を希望されている今、兄上の機嫌はここ数年で最悪だろう事が容易に想像出来る。怖がるなと言う方が無理な話だ。


「恐怖に駆られて逃げ出すならそれでも構いません。私は貴女を引き留めるつもりもありません」


 自分の事ながら、よくこんな心にも無い事を言えるものだ。アイリスが逃げ出したら、きっと僕は追い掛ける。何とか彼女を手元に置けるよう、策を巡らすだろう。


「もし、貴女の覚悟が本物だというのなら、どんな恐怖にも耐えてみせなさい。それすらも出来ないようなら、治癒術師になるなど、土台無理な話です」


 そう言うと、アイリスの顔つきが変わった。目に力が戻り、やる気に満ち溢れているのが一目で分かる。


「逃げないもん! 私、治癒術師になるんだもん! 責任、取るんだもん!」


「そうですか。では、頑張って証明してみせなさい。期待しています」


「ん!」


 アイリスが力強く頷く。そう。それで良い。僕がにっこり笑うと、アイリスも笑みを零した。何という可愛らしい笑顔だ。この顔、しっかりと目に焼き付けておかなければ!

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