責任
ラインヴァイス様の言葉に、私の目の前が真っ暗になった。薬草、いらない……。私、頑張って集めたのに。何で? どうして急にそんな事言うの? まだ傷だって治ってないのに!
「でも、まだ治ってない!」
私は手に持っていた薬草をラインヴァイス様に押し付けるように差し出した。でも、ラインヴァイス様は手を出してくれない。いつもみたいに嬉しそうに笑ってくれない。彼は少し悲しそうな顔で、ゆっくり首を横に振った。
「傷は既に癒えています」
傷が治ってる? だって、まだ目、開いてないよ? 傷、痛いんでしょ? だから、目、開けてられないんでしょ?
「まだ治ってない!」
私はブンブンと首を横に振り、ラインヴァイス様の傷を指差した。雪狼の爪に抉られた傷と、閉じたままの目。これで治ったなんて信じられない。だって、それじゃ目が――! そんなの、信じたくない!
「この目は薬では治りません」
治らない……。薬では、治らない……。ラインヴァイス様の言った事を、何度も何度も頭の中で繰り返す。
「何で? どうしたら治るの!」
「薬では」治らないって事は、他の方法があるはず! 私、力になるよ。その目を治すお手伝いするよ! だから教えて! 私に出来る事は何でもやるから!
「治癒術師の使う魔術でなら治る可能性もありますが、この国に治癒術師はいません」
「じゃあ、私、治癒術師、連れてくる!」
「海を渡って、メーア大陸まで行かなければなりません。それに、魔大陸に来るような、物好きな治癒術師はいないでしょう」
「でも――!」
「貴女が私の為に薬草を採って来てくれた。私はそれだけで満足なんです。今までありがとうございました」
優しい笑みを浮かべると、ラインヴァイス様がゆっくりと私の頭に手を伸ばす。ラインヴァイス様の手が私の頭に触れた瞬間、ビクッと身体が震えてしまった。ラインヴァイス様に触れられるのは、まだほんの少しだけ怖い。でも、逃げたら駄目だ。
遠慮気味な手つきで、ラインヴァイス様が私の頭を撫でる。私はそんな彼の顔をジッと見つめた。整った顔の左側には、引き攣ったような酷い傷と閉じたままの目。これは私を助ける為に負った傷なんだ。もし、あの時、私を見捨てていたら、ラインヴァイス様はこんな傷を負う事は無かったんだ。この傷は、私のせいなんだ。だったら、責任、取らないと!
「……私が……私が、その目、治す!」
「え?」
私が宣言すると、頭を撫でていたラインヴァイス様の手が止まった。ラインヴァイス様は目を丸くして私を見つめている。
「あ、貴女は何を言っているか分かって――!」
「私が治癒術師になって、その目、治す!」
何かを言おうとしたラインヴァイス様を遮り、私は大きな声でそう宣言した。治癒術師がこの国にいないなら、私がなれば良いんだもん。それで、ラインヴァイス様の目を治してあげるんだ。我ながら、とっても良い事を思い付いちゃった。へへへ。
「アイリス。それは出来ないんだよ」
アオイが笑いながら言う。私が子どもだと思って馬鹿にしてるなッ! 私、本気なんだから! 私はキッとアオイを睨み付けた。
「何で!」
「アイリスはさ、力ある者の務め、知らないんでしょ?」
力ある者の務め? そんなの、聞いた事が無い。それが、私が治癒術師になれない理由なの? 私が小さく頷くと、アオイが私の前にしゃがんで目線を合わせる。小さい子に、何かを言い聞かせるみたいに。でも、私はちょっとやそっとで説得されたりしないもん。もう決めたんだもん! 治癒術師になるって。
「魔術を習う人は、戦になったら戦場に行かないといけないんだよ?」
戦場……。いざとなったら戦わないといけないの? 戦に協力しないといけないの? それは初めて知った。でも、そんなんで、私、諦めないもん!
「あのね、アイリス。アイリスが危ない目に遭う事を、誰も望んでいないの。アイリスが魔術を習って、力を持つ必要なんて無いんだよ?」
「い、戦だって、行くもん!」
本当は戦なんて嫌だ。行きたくなんて無い。でも、それが魔術を習う条件なら行くもん。治癒術師になるんだもん! 目、治してあげるんだもん!
「お母さん、待つんじゃないの? 死んだら待てないよ?」
アオイの言葉に、私の目がジンと熱くなった。母さんは私を迎えになんて来てくれないんだもん。そんなの、とっくの昔に分かってるんだもん。私はいらないって捨てられたんだもん。待ってても無駄なんだもん!
「かあ、母さん、来てくれないもん! 知ってるんだもん! でも、でも――!」
寂しかったんだもん。認めたくなかったんだもん! 上手く言葉に出来なくて、目からボロボロと涙がこぼれた。そんな私を、アオイが真っ直ぐ見つめている。
「アイリス。普通の女の子としての幸せはいらないの? 結婚して、子どもを産んで……。魔術を習うと、そんな普通の幸せだって手に入るか分からないんだよ? 戦場で死んじゃうかもしれないんだよ? それでも良いの?」
普通の女の子としての幸せって何? 子どもを産む事がそんなに幸せなの? 私、母さんみたいになるの? 育てられなかったら捨てる母さんみたいに? そんなの、嫌だ。そんなのになりたくない! それだったら、治癒術師になりたい! 目、治してあげたい!
「いいんだもん! 子どもなんていらないもん! 私は、私を捨てた母さんみたいになりたくなんてないもん!」
私の叫びに、アオイは何かを考えるように目を閉じた。そして、小さく息を吐き、ゆっくり目を開ける。
「本当に治癒術師になりたいの? 後悔はしないの?」
後悔? そんなのしないもん。それよりも、治癒術師になる事を諦める方が後悔するもん。ミーナみたいに、お礼がしたいのに出来ない方が嫌だもん!
「ん! 目、治すの。責任、取るの!」
「……分かった。アイリス、アンタ、自分が言った事、忘れるんじゃないわよ?」
アオイはそう静かに言うと、ゆっくりと立ち上がった。なんか、アオイの目に、決意の炎が灯っていたような……。
「アオイ様?」
「アオイ?」
アオイを見つめ、ラインヴァイス様が不思議そうに首を傾げる。私もラインヴァイス様と同じように首を傾げた。
「シュヴァルツに交渉してあげる。アイリス、アンタもこの後、竜王城に来なさい!」
シュヴァルツ……? 誰? それよりも、竜王城に来なさいって、私、魔術習えるの? ん? 待てよ。交渉って事は、その前段階?
「アオイ様、何を――!」
ラインヴァイス様が慌てたように叫ぶ。アオイはそんな彼をギロリと睨んだ。アオイは無駄に目力があるから、睨むと結構迫力がある。私、ちょっと怖いよ。その顔、止めようよ。
「ラインヴァイス! アイリスはね、人生を掛けて、その目の責任を取るって言ってんのよ! ここまで言ってくれる子の気持ち、無碍にするつもり? 貴方も協力しなさいっ!」
アオイは仁王立ちで、ビシッとラインヴァイス様を指差した。なんか、アオイの後ろ、炎が燃えているように見えるんだけど……。き、気のせい、だよね……。私はごしごしと目を擦った。
ラインヴァイス様は、アオイの言葉とオーラにビックリして目を丸くしていた。そして、少し困ったような、それでいて嬉しいような、複雑な顔で小さく頷いた。