アオイ 1
夜明けが過ぎ、空が明るくなった。風を切り、悠々と空を舞う先生の背中の上から、朝日に照らされた森を眺める。
今日も良いお天気。絶好の外遊び日和だ。今日はアオイとローザさんを誘って、木の実拾いをしようかな? イェガーさんに頼んだら、木の実のお菓子、作ってくれるかな?
「先生、ここの森って入っても良いの?」
「ええ。魔物はいない森ですから大丈夫ですよ。今日は森に行く予定ですか?」
「ん! アオイとローザさんと一緒にね、木の実拾うの! それでね、イェガーさんにね、お菓子作ってもらって、みんなで食べるの!」
「……アイリス」
先生が静かに私を呼ぶ。そして、衝撃的な一言を発した。
「アオイ様とローザ様は本日、竜王様と共に竜王城へ戻ります」
何だって? そんなの聞いてない! アオイは私が離宮にいる間はずっと、一緒に離宮にいるって話だったのに。一緒に遊ぼうねって約束したのに!
「何で? 一緒に遊ぶって約束したのに!」
「それは……」
「たくさん遊ぶんだもん! 約束したんだもん!」
「世の中、どうにもならない事があるのです。聞き分けて下さい」
「……先生は? 先生も一緒に帰っちゃうの? 第一連隊のみんなも帰っちゃう?」
先生と第一連隊のみんなまで帰っちゃったら、私、一人ぼっち。そんなの寂しいし、つまんない。それなら、私も一緒に竜王城に帰りたい。残りのお休みは孤児院に行ったり、図書室で勉強したりして過ごした方がずっと良い。
「いえ。僕は残ります。第一連隊も、イェガーはアオイ様専属ですから竜王城に戻りますが、他の者は残ります」
「本当?」
「ええ」
「じゃあ、先生と一緒に遊ぶ!」
私がそう叫ぶと、先生がクスクスと笑った。そして、後ろを振り返る。
「今日は森で木の実拾い?」
「んっ!」
「明日は?」
「ん~……。お魚釣り!」
「明後日は?」
「ん~ん~……。キノコ狩り!」
「食べ物関係ばかりですね」
言われてみれば、そうかもしれない。私は照れ隠しで頭を掻いた。先生が微笑むように目を細め、そんな私を見つめている。と思ったら、ポツリと何か呟いた。でも、独り言だったらしく、上手く聞き取れなかった。首を傾げ、先生を見つめる。先生は「何でもない」と言うように首を横に振り、前を向いてしまった。
「先生?」
「朝食にしましょう。そろそろお腹が空いたでしょう?」
そう言って、先生が離宮を目指す。言われてみれば、そろそろお腹が空いたかもしれない。いつもは暗いうちに朝ごはんを食べてるから、今日は普段よりずっと遅い朝ごはんだ。明るくなってから朝ごはんを食べるなんて、ちょっと贅沢な気がする!
離宮に戻ると、料理人さんとローザさんが協力して、朝ごはんの準備を始めていた。昨日のお昼みたいに、中庭にテーブルを出し、グラスなんかの食器類を並べている。
昨日のお昼と違うのは、大皿料理じゃないっぽいところ。ランチョンマットの上に何個もフォークが置いてあるところを見ると、いつもアオイや竜王様が食べてるみたいに、一皿ずつ料理が出て来るスタイルっぽい。昨日の朝ごはんとか夕ごはんもこのスタイルだったけど、慣れないからちょっと緊張するんだよなぁ。明日からは、いつも食べてるみたいに、大皿から取るスタイルにして欲しいな。頼んだら、そうしてくれるかな? 無理かな?
アオイと竜王様はまだ起きて来ていない。だから、二人が起きて来るのを、先生と向かい合わせに座って、お茶をしながら待つことにした。ローザさんにお願いして、ハチミツとミルクたっぷりの甘いお茶を淹れてもらう。
「では、私はアオイ様を起こして参ります」
お茶を淹れ終わると、ローザさんは私達に頭を下げてから建物の方へと向かった。その背を見送りつつ、お茶を一口すする。
「ん~!」
目が覚めるような甘さと、ミルクのまろやかさ。は~。これだよ、これ。ローザさん特製甘いお茶。むふふっ。
「これはずいぶん……」
先生が苦笑しながらお茶をすする。先生って、甘いお茶、あんまり好きじゃないのかな? こんなに美味しいのに。一緒に甘いお菓子を食べたら、とっても幸せな気持ちになれるのに。
「あ、そうだ。先生。ウルペスさんって、木の実好きだよね?」
「ええ。大好物ですよ」
やっぱり。御前試合の時、ウルペスさん、木の実のお菓子食べたいってイェガーさんに言ってたもん。ちゃ~んと覚えてるんだもん。
「木の実のお菓子作ってもらったらね、ウルペスさんにもあげて良い?」
「何なら、お茶の時に呼びますか?」
「ん! あ。でも、ウルペスさん、お仕事……」
「大丈夫ですよ。夜間警備しかやらないでしょうから、明るいうちは暇のはずです」
「でも、寝てるんじゃないのかなぁ?」
夜に起きてるなら、昼間は寝てるはず。今頃、部屋で寝る準備とかしてそう。変な時間に起こしたら、流石に可哀想だと思う。
「では、こうしましょう。今日は昼過ぎまで木の実拾いをしながら森を散策する。昼の軽食は持って出ましょう。そして、焼き菓子を作ってもらっている間、部屋で昼寝か、眠くなかったら一緒に魔術の勉強をしましょうか。お茶の準備が整ったら、ウルペスを起こしてお茶をする。夕食は、しっかりした量を食べる為に、少し遅めにしましょう」
「ん。そうする!」
木の実、たくさん拾えると良いな。三人で食べきれなかったら、作ってもらったお菓子、第一連隊のみんなにも配ろうかな? 喜んでくれるかな? あ。でも、バルトさんとか、エルフ族の人達は受け取ってくれないかな? でも、先生かウルペスさんに渡してもらえば良いのかな? それだったら、受け取ってくれるかな? ん~。
先生とお話しながら待っていると、建物の方からローザさんが戻って来た。アオイも一緒だ。竜王様はいない。まだ寝てるのかな?
アオイが椅子に座ると、朝ごはんのお世話係りの人がお茶を淹れてくれた。私と先生の分も新たに淹れてくれる。ほかほかと湯気の上がるお茶を飲んでいると、料理人さんが朝ごはんを運んで来てくれた。朝ごはんは私の予想通り、一皿一皿出て来るスタイルだった。
竜王様は、朝ごはん中も中庭にやって来る事は無かった。流石に、こんな遅くまで寝てるなんて事は無いと思う。きっと、食堂で朝ごはんを食べたんだ。お仕事でもしながら食べてたりして。
朝ごはんの後は、ローザさんにも座ってもらい、私と先生、アオイ、ローザさんの四人でお茶会をする事にした。アオイとローザさんは今日帰っちゃうから、二人が離宮にいる間は一緒にいたい。だって、寂しいもん。口に出したら、アオイとローザさんを困らせるから、絶対に言わないけど。
突然、アオイが何かに気が付いたように視線を下に落とした。と思ったら、テーブルクロスを持ち上げた。そして、テーブルの下を覗き込む。
「どうされました?」
先生が怪訝そうに問い掛けた。誰だって、突然テーブルクロスを持ち上げられたら驚くと思う。先生が聞かなかったら、代わりに私が聞いていたところだ。
「ん……よい、しょ」
アオイは答える代わりにテーブルの下に手を伸ばし、何かを抱え上げた。アオイの腕の中には真っ白い、見た事も無い獣。「にゃ~」と鳴いたきり、暴れる事も無く、大人しくアオイに抱っこされている。
この獣、強いて言うなら、ワーキャット族が獣化した姿と似てるような……。でも、ワーキャット族みたいに大きくないし、普通の獣サイズしかない。だから、アオイが抱えているのは、ワーキャット族の獣化した姿によく似た獣なんだと思う。
「それは……?」
先生が眉をひそめながら問う。すると、アオイは「えっ?」とでもいうような顔をし、口を開いた。
「猫でしょ?」
ねこ……。そんな獣、初めて聞いた。大人しいみたいだし、ちょっと撫でてみたいな、なんて。ローザさんも初めて見た獣だったらしく、興味津々に獣を見つめている。
「アオイ様。ねこ、とは?」
「え? 猫だよ? ラインヴァイス、知らないの?」
「初めて見ました」
先生も初めて見る獣って……。この辺にしかいない獣なのかな? あれ? でも、何でアオイはそんな獣を知って――。
「――チャン殿! ミーチャン殿ぉ!」
突然、誰かを呼ぶように叫ぶ、野太い声が響き渡った。そして、すぐ近くの茂みがガサガサと揺れたかと思うと、髪を短く刈り上げたおじさんが姿を現した。見た目はイェガーさんくらいの歳で、人の良さそうな優しい顔つきをしている。腰の剣が無かったら、村にいる普通のおじさんっぽい。でも、このおじさんの格好を見る限り、冒険者さんだと思う。
このおじさん、こんな所に入って来て良いの? 一応、ここは離宮のお庭なんだけど……。後で怒られても知らないよ?
「あ! ミーチャン殿! そちらでしたか!」
おじさんはアオイの腕の中の獣に目を留めた。そして、アオイに駆け寄る。おじさんが呼んでたのは、獣の名前だったらしい。
おじさんがアオイの腕の中の獣に手を伸ばすと、獣が毛を逆立て、おじさんの手を引っ掻いた。驚いたように、おじさんが手を引っ込める。
「ミーチャン殿、何故……。え? 何と! そうでしたか! このお方が!」
んん? このおじさん、今、誰と話してた? この場にいる全員が同じ事を思ったらしく、ぽか~んとした顔でおじさんを見つめている。
「それは良かった! やっと見つけましたね! では、参りましょうか!」
そう言うが早いか、おじさんがアオイの腕を掴んだ。そして、椅子から引っ張り上げるようにして、強引にアオイを立ち上がらせる。
「ちょ! 何! やだっ! ラインヴァイス!」
アオイの叫び声で我に返ったらしく、先生がガタリと椅子から立ち上がった。と思ったら、腰の剣に手を掛け、一気におじさんとの間合いを詰めて斬りかかった。しかし、おじさんは片手で抜いた剣で軽々とそれを受け止め、流した。変なおじさんだけど、この人、強い。先生の剣をあんな簡単に、しかも、片手で受け流すなんて。
そもそも、魔人族と人族では、元々の身体能力にかなり差があるはず。それなのに、おじさんは先生の本気の剣を片手で受け止めた。このおじさんは、きっと、魔剣士か戦士の才能がある人だ。そういう才能を持ってる人なら、一生懸命鍛えれば、魔人族と同じくらいの身体能力になるもん。
おじさんは、剣を持ったまま、その腕をアオイの首に回した。掴んでいる手首は捻り上げるようにしていて、アオイは抵抗ままならない。先生も、アオイとおじさんが近すぎるせいで、下手に攻撃出来ないでいる。
「痛い! 痛い、痛い!」
アオイが悲鳴を上げる。と、突然、私達のすぐ脇に黒い人影が姿を現した。
「アオイ?」
竜王様だ! 何て良いタイミング!
「ミーチャン殿、転移を!」
おじさんが叫ぶ。すると、それに答えるように、アオイの腕の中の獣が長く鳴いた。とたん、アオイ達の足元に青白い魔法陣が広がる。この複雑な紋様って……。もしかして、転移魔法陣?
「ちょっ! やだ! 離してっ! シュヴァルツ! 助けて! シュヴァルツ!」
「アオイ!」
竜王様が叫んだ瞬間、アオイ達の姿が消え、地面の魔法陣も消えた。どう、しよう……。どうしよう、どうしよう、どうしよう! アオイが攫われちゃった!
足に力が入らなくなり、その場に座り込みそうになる私を先生が支えてくれた。見ると、先生は悔しそうに顔を歪めていた。
「申し訳、ございません……。私が付いていながら……」
先生が竜王様に頭を下げる。竜王様は何も言わず、身を翻した。その後ろ姿から、言葉では言い表せないような怖い空気が漂っていた。




