夜明け
目を開けると、部屋の中はまだ暗かった。カーテンの隙間から入った月明かりが、床に薄い光の線を落としている。
夜明け前に目を覚ます事には成功したらしい。昨日はお昼寝もしたし、夕ごはんが終わったらすぐにお風呂に入って、いつもよりずっと早くベッドに入ったんだもん。ここまでして寝坊したら、逆に驚きだ。
私はクローゼットを開き、フリフリメイド服を取り出そうとして動きを止めた。目に留まったのは真っ白い騎士服。昨日、先生が私に貸してくれたまま、忘れて帰ってしまった上着。それを手に取り、ギュッと胸に抱く。
先生、昨日帰る時、怒ってるみたいだった。まだ怒ってるかな? 怒ってたら、一緒に空からの夜明けなんて見てくれないよね……。そうしたら、悲しいけど、独りで普通の夜明けを見ようかな……。
私は先生の上着をソファの背もたれに置くと、クローゼットからフリフリメイド服を取り出し、それに着替えた。顔を洗って、髪も結っておく。
朝の準備が終わると、やる事が無くなっちゃった。ベッドでゴロゴロ転がってみるけど、そんなくらいで時間があっという間に過ぎる訳が無く。暇だ。暇~。暇~。やる事が無い。
しょうがない。お散歩でもするか。そう思って中庭に出る。虫の声が耳に心地良い。風も爽やか。柔らかい月明かりに照らされ、遠目に見える湖が薄ら輝いている。この雰囲気、結構好きかもしれない。
「あんれぇ? アイリスちゃん?」
呼ばれて振り返ると、ウルペスさんが不思議そうに私を見つめていた。こちらに向かって来るウルペスさんを、私も見つめ返す。ウルペスさんってば、何でこんな時間に外に出てるんだろう?
「ウルペスさん、何やってるの?」
「いや、それ、俺のセリフ」
「私ね、やる事が無いからお散歩してるの」
「散歩? こんな時間に?」
「ん。先生とね、夜明け見るから早く起きたの。それでね、準備もしたの。でもね、暇になっちゃったの」
「早く起き過ぎたって事?」
「ん。ウルペスさんは?」
「俺は仕事さっ!」
ウルペスさんが親指を立て、ニカッと良い顔で笑う。その笑顔を見て、何故だかちょっと意地悪したくなった。
「え? 今、何て言ったの?」
「仕事」
「ええ? 何、何? 聞こえな~い」
「仕事っ!」
「えぇ~? 何だってぇ?」
耳に手を添えて、数回聞き返す。すると、ウルペスさんんが苦笑し、私のおでことツンと突っついた。
「大人をからかうんじゃありません」
「へへへ」
先生にはこういう冗談は言えないけど、ウルペスさんには何故か言えてしまう。ウルペスさんって、人懐っこい感じがするんだもん。それに、先生とはまた違った優しい雰囲気があって、ウルペスさんは何があっても怒らない気がするんだもん。
「夜明け見る約束したなら、ラインヴァイス様も起きてるのかな? 呼んで来ようか?」
「ん~……。ん」
私は少し考え、こくりと頷いた。先生が怒っているのかいないのか確認するのちょっと怖いし、怒ってるならそっとしておきたいんだもん。それに、先生のお部屋がどこなのかも知らないし。
「んじゃ、ちょっくら行ってくるよ。この辺で待ってて」
「ん。お願いします」
中庭を横切るウルペスさんの背を見送り、私は部屋に戻った。そして、先生の上着を手に、中庭に戻る。その後、ウルペスさんに言われた通り、ジッとその場で待った。
しばらくして、ウルペスさんと一緒に先生が建物の方からやって来た。いつもの上着は私が持ってるから、先生はシャツにズボンという格好になってしまっている。軽装の先生って初めて見たけど、結構好きかもしれない。でも、違和感があるな……。
二人で談笑しながら歩いているところを見ると、先生のご機嫌は良いらしい。昨日は何で不機嫌になっちゃったのかな? 私のせい、なのかな?
「先生、おはよう!」
「おはようございます。随分早いですね」
先生が私の頭をポンポンしてくれる。褒められているみたいでちょっと嬉しい。へへへ。早く起きた甲斐があった。
「先生、これ。忘れ物」
「わざわざ持って来てくれたのですね。ありがとうございます」
私が上着を差し出すと、先生が微笑みながらそれを受け取った。そして、シャツの上から羽織る。すると、いつも通りの先生になった。やっぱり、服装って大事。
先生は上着のポケットから時を知らせる魔道具を出すと、時間を確認した。それからお日様が昇る方角を見て、満足そうに一つ頷く。
「少し早いですけど、空の散歩に出かけましょうか?」
「んっ!」
満面の笑みで頷くと、先生も笑みを返してくれた。そして、少し離れるようにと、私とウルペスさんに指示を出す。
先生の足元に白い魔法陣が広がっていき、真っ白い光が先生を包み込んだ。この白い光は、先生の魔力の光っぽい。こうして竜化する時とか、固有魔術の防具錬成を使う時に出る光だから、たぶん間違いない。
みるみるうちに白い光が大きくなり、光が消えた後にはドラゴン姿の先生が。私とウルペスさんを金色の瞳で見つめている。
「では行きましょうか、アイリス」
「ん!」
私が頷くと、先生の尻尾が私の方に伸びた。はっ! このままだと、また尻尾に巻かれて背中に乗せられてしまう! 私も、竜王様がアオイにしてたみたいに乗ってみたいのに!
「先生、待って!」
「忘れ物ですか?」
「違うの! 私も、アオイみたいに乗りたい!」
先生は不思議そうに小首を傾げた。そして、少し考えるような間の後、「ああ」と小さく頷く。
「どうぞ」
そう言って、先生が笑うように目を細めると、尻尾を差し出してくれた。私はその上に、アオイみたいにちょこんと横座りしてみた。とたん、ふわりと身体が浮く。あわわっ! ちょっと怖い! バランスを取ろうと、身体の横に手を付き、ギュッと指に力を入れる。
「意外と不安定でしょう?」
「ん……」
先生の問い掛けに小さく頷く。すると、先生の口から、笑いを堪えるような声が上がった。笑う事無いのに! ただ、ちょっとだけ、竜王様がアオイにしてたみたいにして欲しかっただけなのに! ぷ~っと頬を膨らませると、それを見ていたウルペスさんが声を出して笑った。
「ラインヴァイス様、アイリスちゃんが怒ってるよ」
「怒ってないもん!」
フンとそっぽを向く。すると、後ろを振り返った先生と目が合った。
「おや、本当だ」
先生がクスクス笑う。私はフンと反対側を向いた。二人して、私を子ども扱いして! 嫌い!
先生はそっぽを向いたままの私を背中にそっと下すと、バッと翼を広げた。そして、ばさりと大きく羽ばたく。途端、ぐんと一気に空へと舞い上がった。こちらを見上げるウルペスさんに手を振ると、ウルペスさんも手を振り返してくれた。
空高く舞い上がった先生の背中に寝転がり、湖を見下ろす。湖には二つの月と星空が綺麗に映っていた。風が全然無いから、湖面が鏡みたいになってるのかな? 地面に星空があるみたい。不思議な光景……。
しばらくの間、先生の背中から、下に広がる景色を眺めていると、薄らと周囲が明るくなってきた。とうとう夜明けだ! ワクワクする!
先生の背中の上に座り、明るくなり始めた方角を見つめる。先生は翼を羽ばたかせ、夜明けが見やすいようにだろう、その場に留まってくれた。二人でジッと同じ方角を見つめる。
遠目に見える山の際から光が零れ落ち、お日様が姿を現し始めた。遮る物が何も無いから、空の色が濃紺から薄紫、白、橙色へと、太陽に向かって変化しているのがよく分かる。
「うわ~! うわ~!」
興奮して手を叩く。その間にも、空はみるみる明るくなり、濃紺だった空の色が青くなっていった。
「綺麗ですね」
「ん!」
空からの夜明けは特別な夜明け。それに、今日の夜明けは、先生と一緒に見たから、とってもとっても特別な夜明け。私は一生、この景色を忘れないよ。だからね、先生。先生もこの景色を覚えていて。私と一緒に見た夜明けを忘れないでいて。お願い、先生……。




