離宮 3
竜王様とのお話が終わったのか、中庭で遊ぶ私をアオイが呼びに来た。先生はこの後一休みするから、その間、一緒にお昼の軽食用のお茶菓子――クッキーを作らないかって。楽しそうだし、先生が寝ちゃったら遊び相手もいないし、私はアオイと一緒にクッキー作りをする事にした。美味しく出来ると良いな。
ローザさんに案内され、私達は離宮のキッチンへと向かった。クッキー作りを教えてくれるのはイェガーさん。アオイのごはん作りとかで忙しいだろうに、快く引き受けてくれたらしい。もしかしたら、大量に作れるならその方が、イェガーさんも助かるのかもしれない。明日から、お茶菓子がクッキーだけになったりして。それはちょっと悲しい……。
「お邪魔しまーす!」
キッチンの扉をノックし、アオイが元気良く挨拶をしながら中に入った。私とローザさんもその後に続く。キッチンには、結構な数の料理人さんがいた。その人達が、ジッとアオイを見つめている。
「あ、あの……。ええっと、こ、こんにちは?」
『こんにちはっ!』
アオイがおずおずと挨拶をすると、料理人さん達が一斉に頭を下げ、声を揃えて挨拶を返した。いつもはこんなんじゃないのに! 何これ! サッとアオイの後ろに隠れ、恐る恐る顔を覗かせる。
「あの、料理長さんは?」
遠慮がちにアオイが問い掛けると、料理人さん達が一斉に同じ方を向いた。その先にはイェガーさん。
「お待ちしておりました、アオイ様。イェガーにございます」
イェガーさんが深々と頭を下げる。いつもよりずっと丁寧な話し方だ。アオイは竜王様の恋人だから、丁寧に話す事にしたのかな? 私はいつものイェガーさんの方が好きなんだけどなぁ。
「今日は宜しくお願いします」
「こちらこそ、どうぞ宜しくお願い致します。こちらにどうぞ」
そう言って、イェガーさんは手で一つの作業台を示した。そこには既に、クッキーの材料らしき物と道具が用意されている。
「じゃあ、シュヴァルツとラインヴァイスが起きる前に、クッキー完成させるぞ! おお!」
「おお~!」
アオイが腕を突き上げて叫ぶ。私もそれに答えるように、腕を突き上げ、元気一杯に叫んだ。
材料は既に計り終っているらしく、ちゃんと三つに分けられていた。ん? 三つ? あれ? 私でしょ、アオイでしょ、ローザさんでしょ、イェガーさん。おかしい。四人いるのに……。と思ったら、私とローザさんは二人で一組らしい。む~! 私を子ども扱いして! イェガーさんなんて嫌い!
ローザさんにボールを押さえててもらい、バターなる塊に砂糖を入れて白っぽくなるまで練る。練る。練る! 腕が疲れた。でも、負けないもん! 一人で作って、先生に褒めてもらうんだもん!
「アオイ様?」
ローザさんがアオイを呼ぶ。隣で作業していたアオイを見ると、何故か手を止めていた。あ。私の方が、アオイのより白っぽくなってる!
アオイはハッとした顔でローザさんを見ると、慌てて作業を再開した。でも、その顔はどこか浮かない。もしかして、もう疲れちゃったのかな?
「どうされました?」
「何でもないんです。気にしないで下さい」
アオイはローザさんの問い掛けに首を振り、にこりと笑った。でも、その顔はどこか寂しそう。ローザさんはそんなアオイを見て、何か言いたげに口を開きかけた。でも、何も言わず、悲しそうな顔で俯いてしまう。
「アオイ様。宜しいでしょうか?」
それを正面で見ていたイェガーさんが口を開く。イェガーさんは手を止め、おっかない顔でジッとアオイを見つめていた。アオイも手を止め、不思議そうに首を傾げた。
「はい。何でしょう?」
「お辛い時はお辛いと、はっきりおっしゃった方が宜しいかと存じます。周囲の者に心配を掛けまいとするアオイ様の優しさは長所でもありますが、場合によっては短所にもなり得ます」
「え……」
「自身で思う程、人の心は強くない。いつかは心が耐え切れなくなります」
そう言うと、イェガーさんは視線を手元のボールに落とした。そんなイェガーさんを、アオイが呆然とした顔で見つめている。そして、アオイが手元のボールに視線を落とした。
「クッキー……小さい頃、母とよく作ったんです……」
アオイが作業を再開しながらポツリと呟く。イェガーさんは思わずといった様子で手を止め、驚いた顔でアオイを見つめていた。何でそんなに驚いて……。あ、そっか。アオイは別の世界から来たんだった。小さい頃作ったって事は、アオイが元いた世界にも、同じお茶菓子があったって事だ! 何て偶然!
「こっちの世界でもクッキーが食べられた時、思わず泣いちゃいました」
「そう、でしたか……」
イェガーさんは、止まっていた手を思い出したように動かし始めた。相槌を打った時のイェガーさんの顔は、今まで見た中で、一番優しそうな顔をしていた。
「お休みの日に、家族みんなで食べていて……それで……」
「ご家族の事を思い出し、会いたい、と?」
「シュヴァルツに大切にされて、こんな事思うなんて、罰当たりですよね……」
「そんな事はありませんよ。子が親を想う気持ち、良く分かります。逆もまた然り。アオイ様のご両親も、きっと今頃、貴女に会いたがっておられます。ですよね、ローザ様」
「ええ、ええ。そうですとも! 子は親を想い、親は子を想う。当たり前の感情です。私など未だ、亡くなった両親に会いたいと思う事がありますよ? それに、領地に残してきた我が子にも。人族ならばとっくに成人している年齢ですのにね。見た目が幼いものですから、独り立ちには未だ早すぎたのではないかと心配で心配で。夜も眠れなくなる事があります」
イェガーさんに問われ、ローザさんが自信満々に頷いた。アオイも、お母さんとお父さんと離れ離れになっちゃって寂しいんだ……。私と一緒。でも私には第二の母さんって思えるローザさんがいる。けど、アオイにはそういう人がいない。だから、余計に寂しいのかな?
アオイさえ良かったら、たまにはローザさんと添い寝しても良いんだよ。私、その時くらい我慢するもん。一人でだって寝れるんだもん。ちょこっと寂しいけど、アオイが元気になるなら我慢出来るんだもん。
「ですから、大切なご両親にお会いできない寂しさ、私にもよく分かります。寂しい時は寂しいと、おっしゃって下されば、私のこの胸、いつでもお貸ししますよ」
「ローザ様? そういう時、アオイ様に胸をお貸しするのは竜王様なのでは?」
「あら。私とした事が。竜王様のお役目、取り上げてしまうところでしたね」
ローザさんとイェガーさんんが顔を見合わせて笑う。アオイもつられて笑みを零した。
アオイが寂しい時、添い寝をするのは竜王様の役目なのか。ふむふむ。つまり、アオイにローザさんを取られる心配は無いって事だ。ちょっとホッとしちゃった。えへへ。
時々、混ぜる係とボールを押さえる係をローザさんと交代し、クッキー作りは順調に進んだ。窯からは甘い匂いが立ち上り始めている。上手に焼けてると良いな。窯と椅子とをウロウロ、ウロウロ。行ったり来たりを繰り返す。
「まだかなぁ~」
「もうちょっとだよ、きっと」
そう答えたアオイは椅子に座り、クッキーの焼ける匂いを楽しんでいる。その隣では、ローザさんもアオイと同じように、クッキーの匂いを楽しんでいた。二人とも、鼻がヒクヒクしてる! くふふ。面白い!
「そろそろですかな?」
イェガーさんがそう言い、窯の中を覗き込んだ。私もイェガーさんが準備してくれた台に乗り、窯の中を覗き込む。もわっとした熱気が顔に当たるけど、これくらいでへこたれないぞ!
「もう良いでしょう」
イェガーさんは満足そうに一つ頷くと、分厚い革の手袋を両手にはめ、窯の扉を開いた。熱っ! 一気に熱気が押し寄せ、私は逃げるように窯から離れた。
イェガーさんが慣れた手つきで窯から鉄板を次々と取り出す。その上には黄金色に焼けたクッキー! 丁度良い焼き加減。それに、とっても美味しそうな匂い!
「わ~! 出来た、出来た! 一つ味見!」
一番小さいのにしておこう。だって、味見だもん。この端っこのにしよう。私はワクワクとしながら鉄板に手を伸ばした。
「アイリス、ちょっと――!」
アオイが叫ぶ。けど、遅かった。衝撃に続き、ジンジンとした痛みが指を襲う。ビックリして大泣きしていると、私の手を誰かが掴んだ。と思ったら、冷たい水が張ってある桶に手を入れられた。見ると、手を掴んでいるのはイェガーさんだった。
水の冷たさで、一瞬、痛みを忘れる。でも、すぐにジンジンとした痛みが復活してきた。痛いよ。痛いよぉ! 味見なんて、しようと思わなければよかったよぉ!
しばらくそうしていると、指の痛みが少しずつ引いてきた。恐る恐る指を見る。そこには立派な水ぶくれ。これ、治るのにどれくらいかかるかな? 傷薬は持って来たけど、火傷にも効くのかな? と思っていたら、アオイが治癒術をかけてくれた。でも、綺麗に火傷を治してくれたけど、その代りに長々とお説教をされてしまった。熱い物を考え無しに触ったら、火傷するのは当たり前でしょって。気を付けなさいって。くすん……。
アオイのお説教が終わると、料理人さん達にも手伝ってもらって、中庭にお茶の準備をする事になった。先生と竜王様を起こす係りはローザさん。先生の寝顔、ちょっと見てみたかったのにな。良いな、ローザさん。
中庭に出してもらったテーブルの上に、デンと大皿山盛りクッキーを置く。うん。お洒落感が全く無い。アオイってば、何も考えずにいたな。これは私がしっかりせねば!
きっと、お花があれば見た目は変わると思う。でも、中庭に咲いてるお花って、摘んでも良いのかな? さっき、先生に聞いておけば良かったな。お花以外だと、何が飾れるかな? う~ん……。
悩んでいると、料理人さん達が料理を運んで来てくれた。大皿料理ばかりだけど、それが逆に華やか! これなら、お花とかを飾らなくても良いと思う!
「あの、これ……?」
アオイがテーブルの上の料理を指差し、おずおずと口を開く。すると、料理人さんの一人が深々と頭を下げた。
「料理長からです」
「イェガーさんから?」
「はい。簡単な物で申し訳ありませんが、全てアオイ様が召し上がれる食材のみを使用しておりますので、安心してお召し上がりくださいとの事です」
アオイは別の世界からやって来たからか、べへモスとかジズとかが食べられないらしい。かと思えば、スイギュウとかユニコーンとかは食べるんだから不思議だ。スイギュウの乳は料理に使うけど、肉まで食べるなんて……。ユニコーンなんて食べようと思わないよ、普通。
あと、アオイはお野菜なら結構何でも食べるけど、匂いが強いハーブ類はあんまり好きじゃないみたい。アオイが育った場所の料理は、あんまりハーブ類は使わないのかな、なんて思っている。イェガーさんもそう思っているのか、準備してくれた料理のほとんどが、アオイが好みそうなハーブ抜き料理だった。
「お待たせ致しました」
少し離れた所からローザさんの声が聞こえて振り返ると、ローザさんと一緒に先生と竜王様がこちらに向かって歩いて来ていた。あれ? 先生の髪に寝癖が……。いつもはきっちりしてるのに。珍しい物を見てしまった。
ふと隣を見ると、アオイも先生の寝癖が気になるのか、ジーッと先生の頭を見つめていた。それに気が付いた先生が首を傾げ、アオイの視線の先、自分の頭に触れる。やっと寝癖の存在に気が付いた先生は、照れたように笑いながら手櫛でサッと髪を整えた。でも、頑固な寝癖はそれくらいじゃ治らない。すぐにピョンと復活してしまった。
……あ。そうだ! 良い事思い付いた! 私は駆け足で中庭を突っ切ると、宛がわれた部屋に向かった。
中庭に通じる窓から部屋に入り、ソファの上に置きっぱなしになっていた背負いカバンからブラシを取り出す。そして、それを手に、中庭へと走って戻った。
先生、アオイ、竜王様は既に席に着いていた。ローザさんがお茶会のお世話係りなのか、カートに用意されたティーセットでお茶を準備している。
私はカートに用意された水差しの水を手にかけると、椅子に座る先生の後ろに回った。そして、びしょびしょの手で先生の頭を掻き回す。それを見たアオイと竜王様が苦笑した。二人から見たら、先生の頭は見るも無残な状態のはず。でも、こうしないと頑固な寝癖は治らないんだもん。髪が長い二人には分からないんだもん。
私はムンと気合を入れると、ぐちゃぐちゃになった先生の髪をブラシで梳かした。みるみるうちに先生の髪が整っていく。寝癖直しの基本。髪は根元を濡らすべし! そう、本に書いてあった。本当は、熱風が出る魔術も併せて使うと早く治る。でも、そこまでしなくてもきっと大丈夫。だって、先生の髪は私と違って、癖が無くて細くて柔らかいから。
先生の髪を触ってたら、凄く幸せな気持ちと、ちょっとドキドキする気持ちが合わさって、心がポカポカしてきた。これはきっと、私にとって先生が特別な人だから。
でも、先生が色々と私の面倒をみてくれたり、優しくしてくれたりするのは、リーラ姫と私を重ねているだけ。けど、それでも良いんだもん。私は先生の傍にいたいんだもん。だから、リーラ姫の代わりでも我慢するもん。我慢、出来るんだもん……。




