御前試合本戦 1
「余裕そうですね、イェガー」
聞き慣れた声が控え場に響き、私は反射的に声がした方を振り返った。そこには優しく微笑むラインヴァイス先生が、アオイの移動用だと言っていた魔法陣の上に佇んでいた。
「先生!」
思わず椅子から立ち上がり、先生に駆け寄る。先生は、そんな私の頭を優しく撫でてくれた。嬉しさとくすぐったさとで、「ふふふ」と私の口から笑い声が漏れる。
「そろそろ始まるみたいですよ」
先生がそう言った時、ブロイエさんの声が響き渡った。と同時に、歓声がここまで届く。そっかぁ。もう始まっちゃうのかぁ。先生、今来たばっかりなのに……。
ブロイエさんの声が先生の名前を呼ぶ。すると、先生は颯爽とした足取りで控え場を後にした。何故か、観客の声がびたりと止まり、し~んと静まり返っている。
続いて、イェガーさんもブロイエさんに名前を呼ばれる。イェガーさんは私達に片手を上げると、大歓声の中、控え場を後にした。私も実況、頑張らねば! ウルペスさんに手を振り、私も小走りで控え場を後にした。
「では、試合開始ー!」
ブロイエさんの合図が響き渡る。すると、先生が腰の剣に手をやり、地を蹴った。イェガーさんも剣を抜き、身構えると同時に魔法陣を展開する。
「ラインヴァイス選手が動いたぁ! イェガー選手、間合いを詰めるラインヴァイス選手をけん制するように魔法陣を展開しています!」
イェガーさんの展開する魔法陣は……フランメだ。すぅっと息を吸い、次の実況に備える。先生とイェガーさんが交錯する瞬間こそ、実況のタイミング! 絶対に何か起こるはずだもん!
「ラインヴァイス選手、剣を抜きざまに斬りつけましたぁ! イェガー選手、難なくそれをかわし――」
イェガーさんが先生の剣を紙一重で避けると、先生が返す刀を振る。……あれ? 先生の剣、光ってる? それに、イェガーさんの魔法陣が!
「ああっと! 何という事でしょう! ラインヴァイス選手に斬られ、イェガー選手の魔法陣が消えました! なんという技量! 流石はラインヴァイス選手!」
試しにと、観客を煽るように先生を褒めてみる。すると、観客席から歓声が上がった。おおっ? これ、楽しいかもしれない。
「イェガー選手も負けていません! 剣で応戦しつつ、新たな魔法陣を展開します!」
イェガーさんが再び魔法陣の展開を始めた。今度はフランメではなく、フォイア・プファイル――火属性の中級魔術だ。でも、これもさっきのフランメと同じ運命を辿る。
「ああっと! またしてもイェガー選手の魔法陣がぁぁぁ!」
私が絶叫すると、観客席からの歓声が一際大きくなった。くふふ。楽しい!
次々と魔法陣を展開するイェガーさん。そして、次々と魔法陣を切り裂く先生。これこそ、私が期待してた戦いだ。頑張れ、先生! 負けるな、先生! 心の中で先生に声援を送る。とその時、先生の剣が魔法陣に弾き返されてしまった。先生の剣の光は消え、普通の剣に戻っている。
「おおっとぉ! イェガー選手の魔法陣を斬ろうとしたラインヴァイス選手の剣が、魔法陣に弾かれましたぁ!」
イェガーさんの魔法陣が複雑な紋様を描きながら展開されていく。この複雑な紋様と赤い色の魔法陣って――!
「これはグリューエン・シュランケです! イェガー選手、火属性最高位魔術を展開しています!」
グリューエン・シュランケは、灼熱の炎で形作った蛇で敵を飲み込む魔術だ。これを防ぐには、先生だって骨が折れるはず! と思ったけど、先生、余裕の顔だ。大丈夫なのかな? 大丈夫だよね! だって、先生だもん!
「グリューエン・シュランケ!」
「フォイアー・シルト!」
二人同時に魔術の発動言語を叫ぶ。先生の方が遅れて魔法陣の展開を始めたけど、発動はほぼ同時。やっぱり先生って凄い!
先生の使った魔術は、炎を防ぐ上級の結界術だった。これは、魔力障壁みたいに一定レベルの魔術ならどんな属性でも防げるような結界とは違い、火属性の魔術しか防げない。でも、こういう結界は、防げる属性が偏っているだけに、それに対しての効果は高い。グリューエン・シュランケだって難なく防げるはず。何たって、結界術師の先生が選んだ結界だもん!
イェガーさんの魔法陣から噴き出した炎の蛇が、先生に届く寸前、何かにぶつかったように形を崩す。その瞬間、先生が地を蹴り、イェガーさんに斬りかかった。きっと、イェガーさんからだと、先生が炎の中から突然飛び出してきたようにしか見えなかったと思う。イェガーさんが慌てて剣で迎え撃とうとするも、先生の剣がそれより早くイェガーさんの胴を薙いだ。力尽きたように膝から崩れ落ちるイェガーさん。乾いた音を立て、イェガーさんの胸の護符の魔石が砕け散った。
「勝負あり! 勝者、ラインヴァイス!」
ブロイエさんが試合終了の合図を行う。すると、観客席が大歓声に包まれた。それに答えるように、先生が頭を下げる。やったやった! 先生、格好良い! 先生、最高! 私も観客の皆さんと一緒になって、先生に大きな拍手を送った。
一回戦は順調に進み、最終試合のアオイの番になった。ヴォルフさん、ノイモーントさん、フォーゲルシメーレさんは無事、二回戦に勝ち進んだ。つまり、フォーゲルシメーレさんと戦ったウルペスさんは負けてしまったという事で……。相手が悪かったんだ、きっと。だって、フォーゲルシメーレさんは隊長さんなんだもん。強いんだもん。下半身を氷漬けにされて、土の槍でギタギタのメタメタのボロボロにされちゃったけど、ウルペスさんだって頑張ったんだもん。動けない中でも、剣で土の槍をいくつか叩き落としてたもん。
「一回戦最終試合を始めます」
「第十五ブロック代表、バルト!」
私のアナウンスに答えるように、ブロイエさんが選手の名前を呼ぶ。ほうほう。アオイの相手はバルトさんっていうのか。綺麗な金髪だな。羨ましい。私のパサパサの赤毛とは大違い。髪の一本一本が光を反射してて、キラキラ輝いている。
バルトさんは妖精種のエルフ族だな。だって、耳長いもん。すぐに分かる。確か、エルフ族は地水火風のエレメント属性魔術が効き難いはず。アオイ、その辺、ちゃんと分かってるのかな? でも、アオイは光属性の魔術が一番得意だし、何とかなるかな? うん。何とかなるはず!
「第十六ブロック代表、アオイさーん!」
名前を呼ばれ、アオイが控え場から出て来た。ゆっくりとリンクへ向かうアオイが光に包まれ、次の瞬間には薄紫色の全身鎧姿になる。手には魔鉱石の短剣を持ってるし、準備万端!
アオイがリンクに上がり、魔鉱石の短剣を構えた。すると、バルトさんも腰の剣を抜き、構える。二人とも、やる気満々!
「では、試合開始ー!」
ブロイエさんの合図が聞こえた瞬間、バルトさんが魔法陣を展開し始めた。アオイも負けじと魔法陣を展開し始める。バルトさんは風属性雷撃系のドンナー・シュラークを使うのね。さては、アオイを感電させて、戦闘不能を狙ってるんだな!
「両者、魔法陣の展開を始めました! 魔術の打ち合いになるようです!」
言い終わらないうち、アオイの魔法陣展開が終わった。あれは……。ええぇ! アオイ、大丈夫なの?
「ヴァッサー!」
アオイが使った魔術は、私でも使える水属性の初級魔術だった。魔法陣から水を出すだけの魔術。それをバルトさんに向け、ひしゃびしゃと水をかけ始める。でも、そんな魔術じゃ、エルフ族じゃなくてもダメージを負わない訳で……。
「アオイ選手、バルト選手に水をかけ始めました! バルト選手、アオイ選手の攻撃をものともしていません!」
そう言っている間に、バルトさんの魔法陣展開が終わった。勝ち誇った顔でアオイに剣先を向けるバルトさん。アオイ、絶体絶命のピンチ!
「ドンナー・シュラーク! ぴギャ!」
何故か、魔法陣から噴き出した雷で、バルトさんが感電する。アオイはニヤニヤと笑いながらそれを見ていた。あの顔、アオイの狙った通りの展開になったらしい。
「これはどうした事でしょう! 自身の放った魔術により、バルト選手がダメージを負っています」
感電して集中が切れたのか、バルトさんの魔法陣は一瞬で消えた。リンクに片膝を付き、肩で息をするバルトさん。でも、戦闘不能になる程のダメージは負っていないらしく、剣をリンクに突き立て、それを手がかりに立ち上がろうとしていた。それを見たアオイが舌打ちをする。アオイってば、お行儀悪い。
「アオイ選手、新たな魔法陣を展開し始めました」
アオイの手にした短剣を中心に、新たな魔法陣が展開されていく。それを見たバルトさんの顔色が変わった。
「アイス・プファイル!」
アオイが放った魔術は、十数本の冷気の矢を打ち出す魔術だった。直撃しても冷たすぎて痛いなって程度の魔術だし、エルフ族のバルトさんなら、冷たいなぁくらいで済むんじゃないのかな? そう思ったけど違った。
「ヒョホォォォ!」
バルトさんが変な悲鳴を上げ、その全身が霜に覆われる。何で? と思ったけど、すぐに理由は分かった。アオイがさっき、水かけたせいだ!
「ああ! バルト選手の身体が霜に覆われました! エルフ族のバルト選手でも、流石にこれは効いたようです! 震えています! アオイ選手、これを狙っていたのでしょうか!」
狙っていたとしたら、アオイ、性格悪いよ。もっとこう、一発で戦闘不能になる感じにしてあげなよ。バルトさん、唇が紫になっちゃってるよ。冬場にずっと外にいる人みたいだよ、これじゃ。
「ヴァッサー」
アオイは再び魔法陣を展開したかと思うと、バルトさんに水をばしゃばしゃとかけ始めた。バルトさんの身体を覆っていた霜は消えたけど、代わりに薄い氷が張り始める。アオイは難しい顔で水を止めると、またアイス・プファイルの魔法陣を展開し始めた。
「アイス・プファイル」
一気にバルトさんの身体に霜と氷柱が下りる。でも、アオイはこれじゃ満足出来ないらしく、またヴァッサーの魔法陣を展開し始めた。水をかけ、アイス・プファイルで凍らせる。それをくり返す、くり返す、くり返す。
「バルト選手、全身氷柱塗れです! アオイ選手、彼に恨みでもあるのでしょうか! 嬲り殺しにしています!」
観客席はし~んと静まり返っていた。みんな、ドン引きした顔でアオイを見つめている。でも、アオイはそれに気が付いていない。戦いに集中しているらしい。
「ヴァッサー! アイス・プファイル! ヴァッサー! アイス・プファイル! ヴァッサー! アイス・プファイル! ヴァッサー! アイス・プファイル! ヴァッサー! アイス・プファイル! ヴァッサー! アイス・プファイル! ヴァッサー! アイス・プファイル! ヴァッサー! アイス・プファイル! ヴァッ――」
アオイはしつこくしつこく、バルトさんに魔術を放った。そして、何度目になるか分からない攻撃の後、ぴたりとその動きを止めた。と思ったら、くるりとこちらを向き、口を開いた。
「アイリスー! この人、棄権するってよぉ!」
ん? きけん? あ。棄権! リタイアするのね! 私はリンクによじ登ると、蹲るバルトさんの前にちょこんとしゃがみ込んだ。バルトさんは全身霜と氷柱で見るも無残な状態。これ、絶対に寒い。アオイってば、護符が効かないような攻撃して……。
「リタイアしますか?」
リタイアの意思確認は私の仕事だ。ガタガタと震えるバルトさんに問い掛ける。声が出せないなら、頷いてくれるだけで構わないんだけど……。と思ったけど、バルトさん、一応、まだ話せるらしい。震える唇をゆっくりと開く。
「りりりり、りだいあ、じじ、じま……じま、ず……」
「バルト選手、リタイアです!」
鼻声だし、バルトさん、大丈夫かな? この後、熱いお風呂に入って、身体温めた方が良いよ。風邪ひくよ。
「は~い。勝者、アオイさ~ん」
ブロイエさんの明るい声が響き渡る。それに答える歓声は無い。見ると、みんな、まだドン引きした顔でアオイを見つめていた。それを見たアオイが、不思議そうに首を傾げる。アオイってば、あれだけ嬲るような戦い方をしといて、その反応は……。
どこからともなく、微かな拍手が聞こえ始めた。それに促されるように、観客の皆さんからも拍手が上がり始め、アオイが満面の笑みでお辞儀をする。その横では、バルトさんがうつらうつらとしていた。もしかして、意識が朦朧とし始めてるんじゃ……! かか、回収班! 急いで急いで! バルトさんが凍死しちゃうよ! 早くお風呂に入れてあげてぇ!




