交流 2
アオイは毎日のように孤児院へと来ている。小さい子達の遊び相手をしたり、掃除や洗濯を手伝ったり。世話係のフランソワーズと同じような事をしている。それが楽しいらしく、いつも笑顔だ。毎日が楽しそうで羨ましい。
きっと、今日もアオイは孤児院に来てるんだろう。私は一休みしていた岩の上からピョンと飛び降りた。今日の分の薬草は採れたし、アオイの様子を見に行ってみようかな、なんて。今日はどんな事してみんなと遊んでるのか気になるんだもん。
アオイは私達の知らない遊びをたくさん知っている。今、孤児院で一番流行っている遊びは、アオイが教えてくれたドロケイだ。これは、けいさつという、泥棒を捕まえる鬼と、泥棒とに分かれる鬼ごっこだ。普通の鬼ごっこは鬼が一人なのに、ドロケイはたくさんの鬼がいる。それが目新しくって、みんなドロケイに夢中だ。その他にも、カン蹴りという、かくれんぼも教えてくれたらしい。でも、これはみんなに不評だったみたいだ。だって、雪の上に足跡が残ってるから、隠れてもすぐ鬼に見つかっちゃうんだもん。これで遊ぶ季節は今じゃない。だから、カン蹴りは雪が無くなってから改めてやろうって事になったらしい。
私は孤児院へと戻ると、こっそりとアオイの様子を窺った。今日は外の木箱の上に座って何かをしている。アオイの周りには小さい子から大きい子まで集まっていた。板に付けた紙に何かを描いてるっぽいな。あれ、何だろう……? 気になる。ここからじゃ見えないな……。あ。あの木の影だったら見えるかな?
私はアオイのすぐ近くの木の陰に隠れた。そして、こっそり顔を覗かせる。あれは……似顔絵? うわぁ。そっくりだぁ! アオイ、絵、上手なんだぁ。
アオイは完成した似顔絵をモデルになっていた子に渡している。良いな。羨ましいな。私も一枚、欲しいな。でも、私が頼んで描いてくれるかな……? この前、アオイの事、叩いちゃったしな……。私は二日前の事を思い出し、ふぅと溜め息を吐いた。
二日前、私がお昼頃に孤児院へと戻ると、アオイとフランソワーズがキッチンのテーブルに向かい合って座り、何かを話していた。
あんまり人に聞かれたくない話でもしてるのかな? だって、この時間はみんな、談話室とか外とかにいるはずだもん。こんな所で話をするって、何か相談事だったのかな? 私、ここにいたらマズイかな? でも、私のパン、テーブルの上にあるし……。あれだけ取らせてもらいたいな。でも、盗み聞きをしてたって思われるのは嫌だな。でも、お腹空いたし……。よし! 二人がいる事に気が付かなかったフリをして、パンだけ取らせてもらおう! そうしよう!
私はバンッとキッチンの扉を勢いよく開けた。そして、アオイの顔を見て後悔する。な、泣いてるし……! そんな、深刻な話してたなんて知らなかったんだもん。本当だよ!
「あ。お帰り、アイリス」
アオイは涙を指で拭いながら私に笑い掛けた。無理に笑ってるの? 辛いのに、悲しいのに……。私はアオイの傍らに立つと、ジッとその顔を見つめた。
アオイは竜王様の恋人だ。いつも高級そうな服を着ているし、良い匂いもするし、とっても大切にされているんだと思う。でも、魔人族の中で暮らすのは寂しいのかもしれない。だから、人族がいるこの孤児院によく来るのかもしれない。アオイだって、私が知らないだけで、苦労とかしているのかもしれない。悲しい事とかもあるのかもしれない。
私はアオイに手を伸ばし、そっと背中を擦った。泣かないで。元気出して。そう伝えたかった。アオイは驚いたように目を丸くしていたかと思うと、突然、私に抱き付いてきた。ななな、何? 何? 何すんの!
「離してよ! 離せぇ!」
「いたっ」
アオイが小さく悲鳴を上げ、私から手を離した。アオイを見ると、左のほっぺを押さえ、呆然と私を見つめている。あれ? 何? 何が起きたの? 私の右手、ジンジンする……。
「アイリス! お前っ!」
フランソワーズがおっかない顔で椅子から立ち上がった。フランソワーズの剣幕に驚いたのか、アオイも椅子から立ち上がる。
「フランソワーズ、良いの。止めて」
「そうは言っても、殴る事――!」
「驚かせたのは私だから。ごめんね、アイリス」
アオイが私の頭に手を伸ばす。私はその手をサッと避けると、テーブルの上のパンを引っ掴み、キッチンから逃げ出した。
私、アオイの顔、叩いちゃった……。痛かったかな? 悲しかったかな? 叩くつもりなんて無かったんだよ。本当だよ。ビックリして、自分でも何をしたのか分からなかったんだよ。
夕方になり、アオイは竜王城へと帰って行った。孤児院から少し離れた所で、ラインヴァイス様と合流する。私はそれを物陰から見つめ、意を決して走り出した。ラインヴァイス様に薬草を渡す為に。そして、アオイに謝る為に。
私が二人に追いつくと、ラインヴァイス様がにっこりと笑った。ラインヴァイス様は凄く優しそうな笑い方をする人だ。ラインヴァイス様を見ていると、魔人族が怖いなんて思えない。きっと、母さんは魔人族を知らなかったんだと思う。こんなに優しそうに笑う人がいるって知っていたら、魔人族が怖い人達だなんて言わなかったと思う。
私の前に片膝を付いたラインヴァイス様が手を差す出す。私はその手の上に薬草をそっと置き、彼の顔を見つめた。とても優しそうに笑うラインヴァイス様の顔の左側には、肉を抉られた傷がまだある。それに、左目も閉じたままだ。きっと、まだ傷が痛むんだ。全然治ってない。もっと、もっともっと、薬草を集めないと! 私はそう気合を入れた。そして、少し離れて私達の様子を見守っているアオイを上目で窺う。アオイは笑顔で私達を見つめている。怒って、ないのかな……? でも、怒っているとかいないとかは関係無いんだ。悪い事をしたら謝らないといけないって、母さん言ってたもん。私はアオイの元へ行き、ドキドキしながら口を開いた。
「さっきは……ごめんなさい……」
アオイの顔を見るのが怖くて、私はくるりと背を向けると、孤児院へ向かって走った。アオイ、許してくれるかな……。私、今度こそ嫌われちゃったかな……。そう考えると、何故か、私の目から涙が零れ落ちた。
アオイの事は嫌いじゃない。でも、ほんのちょっと怖い。だって、初めて会った時に物凄い勢いで怒られたから。それに、母さんの事を――。でも、私がラインヴァイス様に薬草を渡すのを、笑って見ているアオイは好き。凄く優しい顔、してるから。たぶん、アオイは厳しいけど優しい人なんだと思う。駄目な事は駄目ってはっきり言うし、良い事は良いって分かるように行動で示してくれる。そういう性格なんだと思う。
突然、アオイがこちらを見た。それに驚いて、私は木の陰に引っ込んだ。ビ、ビックリした! 見つかっちゃったのかな? そう思って、恐る恐る木の陰から顔だけ出すと、アオイはまだこちらを見ていた。そして、真剣な顔で紙に何かを描き始める。何? 何描いてるの? 何か良い物見つけたの? 後ろを振り返ってみるけど、特に変わった物は無い。あれぇ? 私は首を傾げ、真剣な顔で紙と睨めっこをするアオイを見守った。
暫くして、アオイが満足そうに一つ頷いた。出来たの? 何、描いたの? 見たい。でも、見せてって言って、見せてくれるかな? 断られたりなんて、したりして……。
アオイの元へ行こうかどうしようか迷っていると、アオイがこちらに向かって手招きをした。私? 私の後ろ、誰もいないよね? 後ろを振り返ってみるけど、やっぱり誰もいない。私を呼んでいるらしい。おずおずとアオイの元へ行く。すると、アオイが板から紙を外し、それを差し出した。そこには、木の陰から様子を窺う私の絵が。アオイと絵を交互に見ると、アオイがにかっと笑った。
「それ、アイリスにあげる」
あげる……? わざわざ、私の絵、描いてくれたの? 私にくれる為に? 何だろう。凄く嬉しい!
「ありがとー!」
へへへ。絵、描いてもらっちゃった。これ、後でベッドの枕元に貼っておこう! この絵、大切にしよっと!
ピョンピョンと飛び跳ねる私を余所に、アオイは新しい紙を板に取り付けて絵を描き始めた。何だ、何だ? あれ? この二つ結びの髪型、私だ。今度は首から上だけの絵だ! もう一枚描いてくれるの? 私はワクワクしながらアオイの前にしゃがみ込んだ。時々、アオイがこちらを見る。どんな絵になるのかな? ドキドキ。ワクワク!
「出来た!」
叫んだアオイが絵を掲げる。そこには、満面の笑みを浮かべる私の絵。おお~! あっという間にこんな上手に描いちゃうなんて、アオイ、天才かもしれない! みんな同じ事を思ったらしく、上手とか、凄いとか、天才とか、アオイを褒めていた。褒められたアオイが照れたように後ろ頭を掻きながら笑う。そして、私に出来上がったばかりの絵を差し出した。
「その絵と交換しない?」
そう言って、アオイが私の手元の絵を指差す。私は二つの絵を見比べた。木に隠れている絵と笑顔の似顔絵。どっちが良いかなんて考えるまでも無い。
「うんっ!」
笑顔で頷くと、アオイもにっこりと笑った。絵を交換して、まじまじと似顔絵を見る。鏡を見てるみたい。そっくり。とっても上手!
ふと、私の頭の中にラインヴァイス様の笑顔が浮かんだ。あの笑顔、好きな時に見れたら良いなぁ、なんて。だって、ラインヴァイス様の笑顔、母さんみたいなんだもん。見てると安心するんだもん。元気になるんだもん。
「あ、あのね、アオイ」
「何?」
もしも、私がラインヴァイス様の似顔絵を欲しいって言ったら、アオイ、驚くかな? ラインヴァイス様に言いつけたりするかな? どうしよう。どうしよう……。
「あのね、あのね……」
「どうしたの、アイリス?」
「あのね……えっとね……」
「ん?」
「……何でもない」
悩んだ末、私はラインヴァイス様の絵が欲しいと言えなかった。でも、良いんだ。ラインヴァイス様の目が治るまではあの笑顔、見れるもん。アオイが孤児院に来た時は会えるんだもん。寂しくなんてないんだもん。寂しくなんて……。