近衛師団長の憂鬱Ⅵ 3
叔父上が扉を繋ぎ終わった後、無事に兄上の許可も取れた。兄上は「そうか」と一言だけ発し、事後承諾になった事に気を悪くした様子もなかった。
「あんなにあっさり許可してくれるなら、僕一人でも大丈夫だったかなぁ?」
隣を歩く叔父上が、失敗したとばかりにそうぼやく。魔法陣を描き終わった叔父上に、「一緒に許可を取りに行こう」と言われた時、やっと僕は叔父上の魂胆に気が付いた。叔父上は共犯者が欲しかったのだ。共に兄上に怒られる仲間が。
「あの様子なら、僕を巻き込まなくても大丈夫だったでしょうね。時間と労力と魔力を損しましたね」
「でも、ラインヴァイスと話す時間も取れたし、損ばっかりじゃないよ?」
「はいはい」
人懐っこい笑みを浮かべた叔父上が、僕の顔を覗き込む。僕はそんな叔父上に、溜め息交じりの返事をした。どこまで本気で言っているのやら……。
叔父上と別れ、執務室へと戻る。執務室の机の上には、処理待ちの書類の束。僕は椅子に座り、それらに目を通していった。
第一連隊の訓練予定表は特に問題無し。第二連隊は――こちらも問題無いな。第三連隊は――字が汚いが、まあ、問題無し、と。承認のサインをし、次の書類の束を手に取った。上級騎士団員からの要望書か……。今回は量が多いな。
ふむ……。実力試しをしたい、か。御前試合を開けという事だろう。これは僕の一存では決められないから保留、と。他は……。誰だ。嫁をくれなどと書いたのは。他のは……。出会いが欲しい? 恋人が欲しい? 女性と一緒なら、仕事に身が入ると思います? 何だ、これは……。
あ。あれか! 竜王様とアオイ様主催のお茶会。あれの話を聞いて羨ましくなったのか。しかし、こんな事を要望書に書かれても……。僕にどうしろと?
ひとり頭を抱えていると、扉がノックされた。机の正面の廊下と繋がる扉ではなく、机の右手側、僕の部屋へと繋がる扉が。
この扉はつい先ほど、アイリスの部屋の隣の空き室の扉へと繋げた。そして、当たり前だが、今現在、僕の部屋には誰もいない。という事は、もしかして――。逸る気持ちを押さえつつ、扉へと向かう。開けた扉の先にいたのは――。
「叔父上……」
「やっほ~。さっきぶりっ!」
脱力気味に呟くと、寝間着姿の叔父上が片手を上げた。見なかった事にしよう……。そう思って無言で扉を閉めようとすると、叔父上が片手で扉を掴んだ。それに構わず扉を閉める。
「ちょっ! ラインヴァイス! 痛い! 指! 挟まってるっ!」
叔父上の悲鳴を無視し、僕は更に力を込めた。このような時間帯に、寝間着姿の叔父上が訪ねてくるなど、嫌な予感しかしない。大方、ローザ様と喧嘩でもして、部屋を追い出されたのだろう。
「も~げ~るぅぅぅ!」
叔父上が一際大きな叫び声を上げた時、バタンと、勢い良く扉が開く音が響いた。
「あなた? 何、騒いでいるの? アイリスちゃんが起きてしまうでしょう?」
ローザ様の声が響く。そこで僕はハッとした。叔父上の立っている扉の隣はアイリスの部屋。きっと、彼女はもう寝ているだろう。これ以上騒がれると、アイリスが起きてしまう。
「何の用です?」
仕方なく、僕は扉を閉める手を緩めた。これ幸いと、叔父上が扉を開く。廊下の先には、寝間着姿の叔父上とローザ様。女性が寝間着姿で廊下に出ないで欲しい。せめて、ガウンかマントを羽織って欲しい。
「ラインヴァイス、今夜泊めて」
叔父上が満面の笑みを浮かべる。それに答えるように、僕もにこりと笑った。
「もちろん嫌です」
愕然とする叔父上を放置し、扉を閉め、錠を下ろす。ガチャガチャとノブを回す音、そして、バンバンと扉を叩く音が響く。
「泊めてよ~! 泊めてよ~!」
叫び、叔父上が再び扉をバンバンと叩く。アイリスが起きてしまうと、注意されたばかりだろうに……。
「叔父上」
「あなた」
『うるさい』
僕とローザ様の声が見事にハモり、叔父上が扉を叩くのを止めた。と思ったら、今度はしくしくと言い出した。嘘泣きとは……。まあ、これならアイリスが起きてしまう事も無いだろう。僕は執務机に戻ると、再び書類に目を通し始めた。
しくしく、しくしくと、断続的に廊下から声が聞こえてくる。非常に耳障りな声だ。全く仕事に集中出来ない。僕は溜め息を吐くと、椅子から立ち上がった。
扉を開くと、廊下の隅で膝を抱える叔父上。口を尖らせ、拗ねたような顔でしくしくと言っている。
「しくしく。ラインヴァイスが冷たい。しくしく。ローザさんが冷たい。しくしく。しくしく」
「僕は仕事をしているので。そのしくしくとかいうの、止めてもらえます?」
「しくしくしくしくしくしくしくしくしくしくしく」
これは、僕が部屋にいれるまで止める気は無いという事だろう。仕方ない……。
「要望書の整理、手伝うのなら入れてあげても良いですけど?」
そう言うと、叔父上の顔がパッと明るくなった。子どものように目を輝かせる叔父上を見て、思わず苦笑が漏れてしまう。叔父上のこういう所は、時折、面倒だと思う事もある。が、実は嫌いでは無かったりする。
「言っておきますけど、叔父上の寝床はここのソファですからね。ベッドを明け渡すつもりはありませんから」
「え~! 一緒に寝ようよ! 小っちゃい頃、よく一緒に寝てたじゃない!」
「何が悲しくて、今更、叔父上と一緒に寝ないといけないんですか……」
本気で言っているところが、叔父上の恐ろしいところだ。いつまでも僕を子ども扱いしているのか、何なのか……。
執務机に戻り、要望書を二つに分ける。気持ち、叔父上に渡す分を多めにする事を忘れない。叔父上の事だ。これくらいの量ならば、あっという間に片づけ終わるから問題無いだろう、きっと。
ソファに腰を下ろした叔父上が、次々と書類を捲っていく。あの様子ならば、もう少し多めに渡しても、僕より早く終わったかもしれないな。僕も要望書に目を通しながら口を開いた。
「どうして部屋を追い出されたんです? 喧嘩ですか?」
「いんや。アイリスにベッド、取られちゃったからだよ」
「は?」
叔父上の意味不明な発言に、僕は手を止めて顔を上げた。叔父上は何でも無い事のように、要望書を読み続けている。
アイリスにベッドを取られたって……。じゃあ、アイリスは今、ローザ様と一緒に寝ているのか? 今日会ったばかりのローザ様と? 人見知りのアイリスが?
「部屋に帰ったら、アイリスがうちのベッドで寝てたの。でね、ローザさんはローザさんで、今日はアイリスと一緒に寝るんだ、って。だから、別の部屋に行って寝ろって」
「何でそんな事に……」
困惑する僕とは対照的に、要望書から顔を上げた叔父上は笑みを浮かべていた。ベッドを取られた張本人のはずだが、怒っていないというか、あまり気にしていないらしい。
「ん~? なんか、アイリスの母親とローザさん、髪の色とか瞳の色とかが似てたみたいだよ。そんな話があったって、ローザさんが。んで、ローザさんだって、あれくらいの歳の子に、生き別れの母親に似てるって言われて悪い気はしないでしょ? そんなこんなで、アイリスがうちにお泊りする事になったみたい」
「そう、でしたか……」
しっかりしているとはいえ、アイリスは幼子。母が恋しくない訳が無い。もしかしたら、僕が知らないだけで、寂しくて泣いていた夜もあったのかもしれない。アイリスの泣き顔が脳裏に浮かび、胸が締め付けられた。
その日から、アイリスは時折、ローザ様と一緒に寝るようになった。そして、部屋を追い出された叔父上が、決まって僕の部屋に泊まりに来る。いっその事、三人で寝れば、とも思ったが、それはそれで面白くない。叔父上はそれも分かっていて、僕に気を遣っているのだろう。……たぶん。




