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白亜の騎士と癒しの乙女  作者: ゆきんこ
第一部

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近衛師団長の憂鬱Ⅵ 2

 僕がソファに腰を下ろすと、アイリスが僕の隣にちょこんと座った。膝に両手を乗せて背筋を伸ばし、身動き一つしない。とても行儀の良い座り方だ。いつの間にか、こういう事が自然と出来るようになっているのだから、アイリスの成長には感心しきりだ。ソワソワと落ち着きなくしている方が、幼子らしいと言えばらしいのだが……。


「アイリスちゃんは小さいのに、随分しっかりしているのね」


 ローザ様がお茶を淹れながらアイリスに声を掛ける。アイリスは照れたように頬を染め、はにかんだ笑みを浮かべた。


「私ね、アオイのメイドだからね、アオイが恥ずかしくないようにしないとなの!」


「あらぁ。素敵な心掛けだわ」


 ローザ様が微笑みながら、僕とアイリスの前にティーカップを置いた。そして、ご自身のティーカップを手に、ソファへと腰を下ろす。


「ところでラインヴァイス様? 何故、このような幼子をアオイ様のメイドに?」


 ローザ様は相変わらず微笑んでいた。しかし、彼女から、得も言われぬ威圧感のようなものが漂って来る。僕の答え如何で、彼女の逆鱗に触れる。それがすぐさま理解出来る空気だった。


 正直、ローザ様の逆鱗に触れる事は避けたい。彼女は、リーラの死後、抜け殻のようになっていた叔父上をあそこまで持ち直させた女傑だ。そして、彼女の後ろ盾はあの叔父上だ。僕が束になっても敵わない、この国、いや、この世界最強の魔術師。この夫婦を相手取れるとしたら、兄上とアオイ様くらいだと思う。


「それは――」


「親元から無理矢理引き離した、などという事はありませんわよね?」


「勿論です。アイリスは、竜王城から見える孤児院の出です」


「彼女はここにいる事を望んでいるのかしら?」


「ええ。アイリスはアオイ様を姉のように慕っておりますし、アオイ様はアイリスを妹のように可愛がっておいでです」


「では、もう一つ確認を。魔術を習っているというのは、アイリスちゃんの意志なのでしょうか?」


 ローザ様の顔から笑みが消えた。スッと目を細め、僕を睨むように見つめている。僕は表情を引き締め、深く頷いた。


「はい。魔術を習う事は、アイリス自らが望んだ事です。僕はアイリスの意志を尊重し、魔術を教えています」


「そうなの、アイリスちゃん?」


 ローザ様が優しく微笑み、アイリスに問い掛ける。アイリスは不穏な場の空気に呑まれたのか、オロオロと僕とローザ様を見比べていた。しかし、それも束の間で、彼女はローザ様を真っ直ぐ見つめると、キリリとした表情で大きく頷き、口を開いた。


「私、治癒術師になって、先生の目、治したいの!」


「アイリスちゃんは、力ある者の務め、知っているのかしら?」


 ローザ様が小首を傾げながら問う。アイリスは再び大きく頷いた。


「戦になったら、戦場に行かなくちゃいけないの!」


「戦場に行ったら、死んでしまうかもしれないのよ? それでも、魔術を習って、ラインヴァイス様の目を治して差し上げたいの?」


「私のせいなんだもん。先生の目、見えなくなったの。責任、取らないといけないんだもん!」


「そう……」


 ローザ様は伏せ目がちに相槌を打つと、お茶を一口飲んだ。そして、ティーカップを静かにテーブルへと置く。


「ラインヴァイス様はどうお考えです?」


「どうというのは?」


「アイリスちゃんが戦場に行く事になるかもしれない。それについてです」


「私としては、アイリスを戦場に行かせたくなどありません。しかし、上に立つ者として、例外を作る事も出来ません」


 力ある者の務めは、魔術や剣術を習う者が果たさなくてはならない義務だ。幼いから、女性だから、人族だからと、例外を作る訳にもいかない。皆の士気に関わる事だから。僕は拳を固く握り締めた。


「アイリスには、アオイ様と共に後方支援をさせるつもりです」


「アオイ様と共に、ねぇ……」


「はい。アオイ様のお側が一番安全――」


「貴方様はどうなさるおつもりなのかと、私はそれを聞きたいのですけれど?」


 ローザ様が再びスッと目を細めると、僕を睨むように見つめた。彼女のこの顔……。答えを不味ったらしいな……。


「師として、貴方様はどうなさるおつもりです? 人族の、ましてやこんな幼子に魔術を教え、知らぬ存ぜぬは通用しないというのはお分かりですよね?」


「もちろんです。私に出来得る限りの措置は、取るつもりでいます」


「出来得る限り、ですか……。そのお言葉、信用しても?」


「はい」


 真っ直ぐ見つめるローザ様を、僕も見つめ返す。彼女の視線は、僕の発言を値踏みするようで。もし、この場で、僕がいかにアイリスを大切に想っているかを伝えられたのなら、こんな、腹の探り合いのような事などしなくても良いのだろうが……。流石に、アイリスを目の前にして、それは出来ない。


「……分かりました」


 ややあって、ローザ様が頷きながらそう言った。何とか、彼女に信用してもらえたのだろうか? ホッと安堵の息を吐きながらアイリスを見ると、彼女は不安そうに僕を見つめていた。僕が笑って頷くと、アイリスもにこりと笑って頷く。


「ところでアイリスちゃん。せんせーというのは何かしら? さっき、ラインヴァイス様の事、そう呼んでいたみたいだけれど?」


 ローザ様が不思議そうな顔でアイリスを見つめる。彼女から、先程のような剣呑な空気は出ていない。純粋に、疑問に思った事を聞いているだけなのだろう。


「あのね、アオイの生まれた所の言葉でね、勉強を教えてくれる人の事なの!」


「お師匠様の呼び方なのかしら? 不思議な呼び方ね」


「ん。アオイの生まれた所にはね、学校っていうのがあってね、そこにたくさんの先生がいたんだって!」


 アイリスがそう説明した直後、扉が開き、叔父上が部屋に入ってきた。魔法陣の片割れが描き終わったのだろう。この後、僕の部屋の扉に魔法陣を描かなくてはならないはずだ。名残惜しいが、今日はここでアイリスとお別れか……。


「ラインヴァイス。部屋――」


「分かっています」


 叔父上が言い終わらないうち、僕はソファから立ち上がった。そして、ローザ様に会釈する。彼女は微笑みながら、僕に会釈を返した。


 叔父上が杖を掲げる。すると、青白い光を発する転移魔法陣が出現した。通常、竜王城内では転移魔術が使えない。兄上が管理する、竜王城を守る結界があるからだ。転移魔術を使おうと思ったならば、兄上に結界の一部を解除してもらわねばならない。しかし、叔父上だけは、どういう訳か、竜王城内でも自由に転移魔術が使えてしまう。叔父上曰く、裏口や秘密の抜け道みたいなものだとの事だが、その原理が理解出来ない。常識的に考えて、そのような現象など無いはずなのだが……。


「ラインヴァイスの部屋までひとっ飛びー!」


 僕が転移魔法陣の上に乗ると、叔父上は叫び、続いて転移魔術の発動言語らしきものを呟いた。発動言語も叔父上以外使っている者を見た事が無い、意味不明な物だ。叔父上の扱う空間操作術は、通常のそれとは一線を画するという事なのだろう、きっと。


 フワリとした眩暈のような感覚の後、部屋の景色が変わる。目の前には使い慣れた執務机。振り返った先には見慣れた応接セット。僕と叔父上は、僕の私室の隣、執務室の中央に立っていた。


「流石に、私室直通は不味いでしょ? 一応、未婚の男女だし?」


 叔父上は叔父上なりに、気を遣っているらしい。気の遣いどころが間違っている気がするが……。そんなところに気を遣うくらいなら、初めから、アイリスの部屋の隣に僕の部屋を繋げようとしないで欲しい。


「この扉で良いかなぁ?」


 叔父上がそう言って歩み寄った扉は、執務室と私室を繋ぐ扉だった。僕以外が使う事など無い扉。私室から執務室へ入る際は今まで通り使えるし、執務室から私室へ入る際は、一旦廊下に出れば問題無い。この扉は一方通行になる訳だが、他の扉よりは実害が少ないだろう。


「まあ、その扉なら……」


「んじゃ、ちゃっちゃと描いちゃうからね」


 そう言って、叔父上がチョークで魔法陣を描き始める。僕は執務机の椅子に腰を下ろし、その様子を見守る事にした。


「それにしても、驚いたよ」


「何がです?」


「その目。聞いてはいたけど、実際目にするとやっぱり、ねぇ?」


「不出来な弟子ですみませんね。あいにく、僕は兄上やリーラのように、攻撃魔術に長けている訳ではありませんから」


「そうやって、すぐ拗ねる。そういう所、昔と全然変わらないんだから」


 そう言って振り返った叔父上は、嬉しそうに笑っていた。昔のままの笑顔。やけに安心してしまう。


「まあ、でも、変わった所もあるかな? だいぶ男らしい顔つきになった」


「成長期ですからね」


 魔人族には、二度の成長期がある。生まれてから五年程と、成人する間際の五年程。成長期には、人族と変わらないようなスピードで身体が成長していき、それ以外の期間は人族の何十倍もゆっくりと歳を重ねていく。因みに、僕は現在、二度目の成長期真っ只中だ。あと数年もすれば、人族で言う所の二十歳程の外見になるだろう。


「それだけじゃないでしょ? 命に懸けても守りたい人、見つけたからじゃないの?」


 叔父上は何でもお見通しらしい。本当に厄介な人だ。しかし、だからこそ、相談相手には持って来いなのだけれど……。


「それは否定しません。けど――」


「分かってるって。誰にも言いませ~ん! 僕は、口が堅いから」


 ケラケラと声を出して笑う叔父上を見て、脱力感が襲ってきた。弱みを握られたような気がするのは、僕の気のせいなのだろうか?


「アイリス、可愛いよねぇ。ローザさんの若い頃に少しだけ似てるし、あの子、大人になったら美人さんになるよ。ローザさんみたいに」


「ローザ様とは系統が違うと思うのですが……」


 ローザ様はおっとりとした雰囲気の女性だ。垂れ目気味な事が、あの柔らかい雰囲気を醸し出すのに一役買っているのだろう。しかし、アイリスは釣り目気味。大人になったら、キリリとした雰囲気の女性になるはず。系統で言えば、アオイ様の方が近いと思う。


「ローザ様と言えば……。先程、アイリスの件で色々と尋ねられましたが……」


「ああ~。アイリスの事知った時から、随分気にしてるみたいだったからね」


 叔父上は描きかけの魔法陣に向き直ると、再び手を動かし始めた。


「きっと、昔の自分と重ね合わせちゃったんだろうね」


「ご自分と?」


「そ。ローザさん、花街に売られそうになったじゃない? 実の親の手で」


「初耳です」


「あれぇ? そうだっけ? 話した事、無かったっけ? 止めてあげてって、僕が彼女の親を頑張って説得したんだよ」


「説得と言う名の脅しですか?」


「あはは。それは否定出来ないね。まあ、そんな事があったからか、どういう経緯でアイリスが竜王城に来て魔術を習う事になったのか、ローザさん、知りたがってたんだ。アイリスが望んでいるのかどうなのか、とかね。望まない環境で生活して、望まない事をさせられるなんて、苦痛以外の何物でもないでしょ?」


「……そう、ですね」


「アイリスが望んでここにいるのかそうじゃないのかなんて、雰囲気見て分かってたと思うんだけど、一応、確認したかったんだろうね。あとはそうだなぁ……。君の覚悟も知りたかったんじゃない?」


「僕の覚悟ですか?」


「そ。師匠としての責任――弟子を命に懸けて守るつもりがあるのかどうなのか。僕には出来なかった事だけど……。そういう事、聞かれなかった?」


「ええ、まあ……」


「何て答えたの?」


「出来得る限りの措置は取る、と」


「せっかくなら、自分の命以上にアイリスが大切なんですくらい、言えば良かったのに。ローザさんだって応援してくれるよ?」


「あの状況で? 本人を目の前にしてですか?」


「無理?」


「無理ですね」


 手を止め、振り返った叔父上がにこりと笑う。そして、口を開いた。


「ラインヴァイスってば、恥ずかしがり屋さんなんだからっ」


「普通、恥ずかしくないですか?」


「僕は恥ずかしくないよ? どれだけローザさんを愛してるか、本人を目の前にして演説した事もあるよ?」


 叔父上ならやりかねない。ローザ様相手に熱弁を振るう姿が、まざまざと想像出来てしまう。こんな人が縁者で、尚且つ師だなんて……。


「そんな、ドン引きした顔しないでよ。流石の僕でも、可愛い甥っ子にそんな顔されたら傷付くんだから。まっ、それはこっちに置いといて」


 叔父上は小さな荷物を横に避けるような素振りをした。そして、人差し指を立てる。


「ここで一つ助言をします」


「助言ですか……?」


「そ。世の中、言葉にしないと伝わらない事って、思っている以上に多い。きちんと言葉で想いを伝える努力をしなさい」


 そう言った叔父上は、真剣な眼差しで僕を見つめていた。その顔を見て、僕は思わず視線を逸らした。普段は飄々としているくせに、こういう時だけ真面目になるのは反則だと思う。


「そういうところは兄さんの血だろうから、すぐに変えられる事じゃないのも分かってるつもりだよ。でも、努力して変えていかないと、いずれ後悔する事になると思うんだ」


 叔父上はそう締めくくると、魔法陣へと向き直った。黙々と魔法陣を描く叔父上の背をジッと見つめる。


 想いを言葉で伝える、か……。もし、アイリスに僕の想いを伝えたら、彼女は僕を一人の男として見てくれるのだろうか? 師としてではなく、男として僕を慕ってくれるのだろうか? もし、彼女が僕から離れてしまったら……。それならば、師として慕ってくれている今の関係を維持していたい。彼女を失いたくないから――。

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