近衛師団長の憂鬱Ⅵ 1
アイリス、叔父上夫婦と共にアオイ様の部屋を出る。アオイ様と叔父上の顔合わせは、まあ、成功だっただろう。アオイ様が魔術の練習で使用している「はりせん」なる武器で叔父上夫婦を殴るという暴挙には出たが、それは叔父上夫婦に問題があった訳で。ローザ様の世話係就任の件も、アオイ様としては思う所があったようだが、素直に受け入れていた。それよりも――。
隣を歩くアイリスは、どこか気落ちしているようだった。顔合わせで失敗をした訳でも無し、アイリスの落ち込む原因が分からない。顔合わせの前までは普段通りだったと思うのだが……。
「んじゃ、僕達はここで」
叔父上が手を挙げ、足を止める。ここでって……。ここで? 叔父上が足を止めたのは、アイリスの部屋がある階の入り口。僕は、さも当たり前のようにアイリスと共に廊下を進もうとした叔父上の首根っこを掴んだ。
「どういうつもりです?」
笑顔で問い掛ける。すると、叔父上の顔が面白いように引き攣った。たぶん、僕の目が全く笑っていないからだろう。
「ちょ、やだなぁ! ラインヴァイスってば、そんな顔しないでよ~! 冗談。冗談だって」
「冗談、ねぇ」
叔父上は時折、突拍子の無い事をする。こうして、笑って誤魔化そうとする時ほど要注意だ。良からぬ事を考えているに違いない。後で僕が痛い目を見るのは御免だ。何をするつもりなのか、今ここで、無理矢理にでも口を割らせてしまおうか……。
「お待ち下さい、ラインヴァイス様。私がお願いしましたの」
声を上げたのは、叔父上の奥方、ローザ様だ。お願いした? 何を? そう思ってローザ様を見ると、彼女は申し訳無さそうに目を伏せた。
「私共に宛がわれたお部屋が、アオイ様のお部屋から遠かったものですから……」
部屋が遠い? そんな、言う程遠い部屋だっただろうか? 城の間取りを頭に思い浮かべる。……うん。叔父上夫婦の部屋は、確実に僕の部屋よりこの東の塔に近い。
「何かあった際、すぐにアオイ様の元へ駆けつけられるように、と。アイリスちゃんのお部屋の正面が空き部屋だったようですし……」
「まさかとは思いますが、扉をこちらに?」
「ええ。うちの人は、扉を使うような人ではありませんし。勿論、扉を繋いだお部屋が必要になった際は、明け渡すつもりでおりますのよ?」
確かに、アイリスの正面の部屋は空いている。正面だけでなく、隣も、はす向かいも空いている。が、それとこれとは別問題。
「その事、竜王様は?」
「シュヴァルツには、この後、ちゃ~んと許可取るから。そんな、怖い顔しないでよ」
叔父上が苦笑する。この後、許可を取るって……。きちんと許可を取ってから扉を繋いで欲しいものだ……。頭が痛くなってきた。
「お向かいさん?」
アイリスが不思議そうに口を開く。ローザ様は優し気な笑みを浮かべると、アイリスと目線を合わせるように屈み込んだ。
「ええ。お向かいのお部屋よ。気軽に遊びに来てちょうだいね」
「でもぉ……」
アイリスがもごもごと何かを言いながら、僕のマントの端を掴んだ。最近気が付いたのだが、アイリスは人見知りらしい。初めは、魔人族への恐怖で縮こまっているのかと思っていたのだが、それだけではない。初対面の者とかかわる事が、あまり得意ではないようだ。
「どうしたの? ラインヴァイスのマントなんか掴んじゃってさぁ」
叔父上も屈み込み、ニヤニヤしながらアイリスの顔を覗き込んだ。アイリスがその視線から逃れるように、僕のマントの中へと潜り込む。アイリスの人見知りは、最も信頼すべき母に捨てられた経験からなのか、生まれついての気質なのか、それは僕には分からない。ただ、いつの間にか僕のマントの中が、そんなアイリスの安全地帯になってしまったようだ。信頼してくれていると、そう自惚れても良いのだろうか?
「叔父上。アイリスを脅かさないで下さい」
「ふ~ん」
叔父上が僕と、アイリスが隠れたが為に膨らんでいるマントを見比べる。そして、閃いたとばかりに手を打った。
「よしっ! 偉大なる空間操作術師のこの僕が、アイリスにひとつ贈り物をしよう!」
「贈り物?」
贈り物という言葉に惹かれたのだろう。アイリスがマントからほんの少しだけ顔を覗かせる。それを見た叔父上は満面の笑みを浮かべた。
「そう! お近づきの印。魔法の扉だよ!」
「魔法の扉……?」
「魔法の扉は凄いんだよ~。何たって、ラインヴァイスの部屋と繋がってるんだから!」
叔父上の言葉に、僕は耳を疑った。僕の部屋と繋がる扉って――!
「叔父上っ!」
思わず、大きな声を出してしまった。アイリスが僕の顔色を窺うように、上目でこちらを見つめている。僕は微笑みながら彼女の頭を撫でた。大丈夫。怒っていないから。それを伝えるように。
「そんな、怒る事ないのにぃ! ラインヴァイスの怒りんぼっ!」
叔父上が口を尖らせ、拗ねたような声を出す。しかし、良い歳をした大人がやる行動ではない。アイリスがやればとても可愛らしいのだろうが、叔父上では全く可愛くない。むしろ、ウザい。
「アイリスだって欲しいよね? 魔法の扉」
アイリスに意見を求めるのは反則です、叔父上。僕の部屋と繋がる扉が欲しいと言われれば嬉しいのだが、それを叶えてしまうと上に立つ者として示しがつかない。かといって、欲しくないと言われたら、立ち直るまでに数日要する事になるだろう。
「欲しいっ! でもぉ……」
アイリスが思い出したように、僕の顔色を上目で窺った。アイリスのこの顔を見ると、とても駄目とは言えない。言えないが……!
「アイリスは、君の部屋と繋がる扉が欲しいんだってよ?」
叔父上が、笑顔で僕を見上げた。「まさか、断ったりなんてしないよね?」とでも言うように。
「分かりました……」
溜め息混じりにそう答えると、アイリスの顔がパッと明るくなった。落ち込んでいたと思ったら、こんな贈り物で喜ぶとは……。思わず苦笑すると、アイリスが不思議そうに首を傾げた。
「じゃあ、早速取り掛かろう!」
叔父上がやる気満々といった様子で立ち上がった。そして、アイリスの部屋の扉の隣、空き室になっている扉の前に立つ。アイリスは僕のマントから出ると、興味津々といった面持ちでそれを見つめていた。
叔父上が取り出したのは、一本のチョーク。これは顔料と、魔法陣に魔力を伝える魔石の粉末を練り固めてある特殊なチョークだ。これで魔法陣を描き、魔力を流す事で、魔力媒介を使わずとも魔術の行使が出来る。しかも、魔法陣を破棄するまで半永久的に魔術の効果が続く為、僕のような結界術師や、叔父上のような空間操作術師には、必需品と言っても良い代物だ。
叔父上が慣れた手つきで扉に魔法陣を描き始めた。空間操作術の魔法陣は、複雑怪奇な文様をしている。それをあんなスラスラと描いてしまうのだから、叔父上の魔術師として技量はずば抜けている。ふと目をやった先――魔法陣を描く叔父上を見守るアイリスは、あんぐりと口を開けていた。
「アイリス。口、開いてますよ」
そう指摘すると、アイリスはハッとしたように口を引き結んだ。しかし、すぐに口元が緩んでくる。その姿が愛らしくて、僕は笑みを漏らした。
「ラインヴァイス様、アイリスちゃん。完成までまだ時間が掛かるでしょうし、お茶でもいかがです?」
ローザ様が扉を開く。扉の先は叔父上夫婦に宛がわれた部屋だ。青と白でまとめられた内装は、ローザ様の趣味だろう、きっと。
叔父上はあまり部屋の趣味が良くない。というか、基本、無頓着だ。ベッドと机があれば、それらがどんなに悪趣味なデザインだろうと、どんなに薄汚れてボロボロだろうと構わない。それが叔父上だ。こんな趣味の良い内装にするなど、叔父上には絶対に無理だ。
「お言葉に甘えて」
僕は入り口で一礼をすると、叔父上夫婦の部屋にお邪魔した。アイリスも僕を真似て、部屋の入り口でぺこりと頭を下げる。ローザ様はそんなアイリスを見つめ、優し気な笑みを浮かべていた。




