ウルペス 2
ごはんを食べ終わり、食器をお盆ごと下げ口に置きに行くと、またしてもキッチンから若い料理人さんが出て来た。手には、ちょっと大きめのお皿が乗ったお盆。それを先生に渡す。料理人さんにこそっと何か耳打ちされた先生が、笑いながらひとつ頷いた。
「先生、それ何?」
「食後の茶菓子にと、イェガーからだそうです」
先生がお皿に乗っている物を見せてくれる。それは、黄金色に焼き上がった丸いお茶菓子だった。クッキーよりも大きいし、切り分けて食べる物っぽい。
「ウルペスもこの後一緒にどうです?」
「うん。喜んで」
ウルペスさんは笑いながら頷くと、大きなテーブルの端っこに用意されているティーセットを取りに向かった。私達は一足先にテーブルへと向かう。
先生の持ってるお皿から、香ばしくて甘い匂いが漂ってくる。とっても美味しそうな匂い! さっきお腹一杯ごはん食べたけど、お茶菓子は別腹! たくさん食べないと!
「こうして、アイリスと共に食後のお茶をするのは初めてですね」
先生がテーブルにお茶菓子を置きながら口を開く。そう言われてみれば、そうかもしれない。私はこくりと頷き、いそいそと席に着いた。
先生が慣れた手つきでお茶菓子を切り分けてくれる。私はその様子をジッと見守った。どれが一番大きいかな、なんて。でも、どれもこれも大きさは大して変わらなかった。先生、切るの上手すぎるよ。もっとバラバラの大きさでも良いんだよ? 私はお茶菓子の乗った小皿を受け取り、自分の前に置いた。
ウルペスさんがお茶を淹れ、配ってくれる。ホカホカと湯気の上げるそれを脇に避け、お茶菓子を一口。…………ん?
「先生、これぇ……」
先生にあげる。先生にお茶菓子の乗ったお皿を差し出すと、先生は何も言わず、それを受け取ってくれた。お口直しに、お茶を一口すする。はぁ……。
「アイリスちゃん、どしたの?」
ウルペスさんは何も気が付いていないらしい。不思議そうな目で私を見ている。
「お腹が一杯なのですよ。ね? アイリス?」
先生がこちらを見る。その目が「黙ってて」って言っていた。このお茶菓子は、私だけでなく、ウルペスさんへの贈り物でもあるらしい。私はこくりと頷き、お茶をグビグビと飲んだ。イェガーさんなんて嫌いッ!
「ふ~ん。あ。もう一切れ、ちょうだい!」
「どうぞ、どうぞ」
先生は笑顔でお茶菓子の残りを差し出した。これ、先生が食べても仕方ないもんね。ウルペスさんが食べてこそだもんね。いいもん、いいもん! 部屋に帰ったら、た~くさんお茶菓子あるんだもん!
「そーいえば、アイリスちゃんって、ラインヴァイス様に魔術習ってるんだよね?」
「ん。私、治癒術師になってね、先生の目、治してあげるの」
だから、字が読めないなんて言ってられないんだもん。たくさん、た~くさん勉強するんだもん。
「あ! 先生に聞きたい事、あったんだった!」
危なく忘れるところだった! 分からない事は先生に聞いておかないと! それも勉強なんだもん。
「はなまちって、何?」
そう聞くと、先生は目を丸くした。ウルペスさんはお茶でむせ込んでいる。何故?
「あとね、いかがわしいって、何? あとあと、お金で女の人買うってどういう事? 買ってどうするの? それとね、溜まった物の処理って? あ。はつじょーも分かんないんだった!」
「どこでそのような言葉を……」
先生は呟くようにそう言うと、おでこに手を当てて下を向いてしまった。ウルペスさんはまだむせている。
「先生、教えて!」
「……アイリス。良い事を教えましょう」
先生はそう言って白い手袋を取ると、優しく笑いながら私の頭を撫でた。
「人に聞く前に、まずは自分で調べなさい」
「でも、私、字、あんまり読めないんだもん!」
「では、識字を懸命に勉強し、調べられるようにならないとですね」
「ええ~! 教えてよ、先生!」
「自分で調べなさい」
む~! いいもん、いいもん! 先生がそのつもりなら――!
「ウルペスさん! 教えてっ!」
「俺かよっ!」
ウルペスさんが驚いたように叫んだ。そんな大きな声出さないでよ。先生が教えてくれないんだもん。今、他に聞ける人いないんだもん!
「ええっと……。せんせーの言う事は聞いておいた方が良いと思うよ?」
ウルペスさんも教えてくれるつもりは無いらしい。意地悪ッ! ぷ~っと頬を膨らませると、それをみたウルペスさんが苦笑しながら口を開いた。
「アイリスちゃんはさ、本が嫌い?」
「分かんない」
「そっか。俺は本が好き。だって、知らなかった事を知る事が出来た時って、言い様の無い達成感みたいなのがあるから。俺、アイリスちゃんにもそれを味わって欲しいな、なんて。今は分からない事も、たくさん本を読むうちに、絶対に分かるようになるから」
「本当に?」
「ホント、ホント。全然関係無さそうな本に、物凄く分かりやすく載ってたりとかするし。そういうのを見つけた時、すんごい大発見したみたいに思えるんだ。本って、奥が深くて面白いよ?」
ここまで言うって事は、本は面白いのかもしれないな……。うん。きっと面白いんだ!
「ん! 分かった。たくさん本読む! それでね、色んな事、分かるようになる!」
みんなが分かってるのに、私だけ分からないのは嫌だもん。悲しいもん。たくさん勉強して、たくさん本読んで、物知りになって、先生を見返してやるんだから!
食堂を出た所で、ウルペスさんが笑いながら手を振った。
「んじゃ、俺はこの辺で。またね、ラインヴァイス様、アイリスちゃん」
「ええ。また」
先生が笑いながら頷いた。私もウルペスさんに笑顔で手を振る。
「またね、ウルペスさん」
ウルペスさんはにこっと笑うと、くるっと背を向けて歩き出した。私と先生も、ウルペスさんと反対の方向へ歩き出す。
ウルペスさん、良い人だったな。先生と幼馴染って事は、先生の小さい頃の事とか知ってるのかな? 先生って、小さい頃、どんな子だったのかな? 今とあんまり変わらないのかな? 全然、想像出来ないなぁ。
「アイリス」
呼ばれて、隣を歩く先生を見ると、私に向かって手を差し出していた。その手をそっと握ると、先生が目を伏せた。
「さっきはすみませんでした。アイリスが悪い訳では無かったのに……」
「ん~ん」
先生の機嫌が直ったなら、私は良いよ。冷たくされてちょっと悲しかったけど、気にしないよ。だから、そんなしょんぼりした顔しないで?
「アイリスは心が広いですね」
先生が優しく笑う。やっぱり、先生は笑ってる方が良い! 私もにんまりと笑った。
ウルペスさんには感謝しないといけないな。私だけじゃ、先生がご機嫌斜めでも、どうにも出来ないもん。ウルペスさんがいてくれなかったら、楽しい夕ごはんと食後のお茶は出来なかったもん。
「ウルペスさんは、先生の一番の友達?」
「ええ。付き合いが長いですし、気の置けない友人、でしょうね」
「ウルペスさんの大切な人は、先生も大切な人だったの?」
「そうですね。とても大切な人でした」
「先生、その人の事……その……す、好き、だったの?」
おずおずと尋ねると、先生は立ち止まり、驚いたように目を丸くした。私、先生の動きが止まるくらいの事、聞いたのかな? はっ! もしかして、また聞いちゃいけない話だった?
「先生?」
「ああ、すみません」
先生はハッとしたような顔をし、ゆっくりと歩き出した。
「好きは好きでも、意味合いが違います。だって、ウルペスの大切な人はリーラですから」
リーラ姫の事だったのか! なんか、変な勘違いしてたみたい。ちょっと恥ずかしいっ!
「リーラには幼馴染がいませんでしたからね。歳が比較的近い僕達と遊ぶ事が多くて。向こう見ずでお転婆なリーラに振り回されていたら、いつの間にかウルペスには掛け替えのない人になっていたみたいですね。人族との戦さえ無ければ、今頃、恋仲になっていたと思うのですが……」
「そっか……」
「リーラの死は、ウルペスの心に大きな傷となって残っています。本当は、昔のように互いの悩みを相談し合えれば良いのですが、あまり負担を掛けさせたくないので……」
リーラ姫の魂は精霊になったけど、それは死んでしまった事を無しに出来る事じゃない。きっと、先生はたくさん考えて、ウルペスさんの為に自分の悩みを相談しないって決めたんだ。それなのに……。私、何も知らないのに、相談相手になってなんて……。
「先生、ごめんなさい。私……」
「アイリスが謝る必要はありません。僕の為を想っての事だったのでしょう?」
先生に問われ、私はこくりと頷いた。そんな私の頭を、先生が優しく撫でてくれる。
「それに、心配せずとも相談相手は近々城に戻ってきます。安心して下さい」
「戻って来る?」
「ええ。田舎で悠々自適のお気楽生活をしていた叔父上が、ね」
そっか。先生、叔父さんいたんだ! 叔父さんなら、相談相手にピッタリ! と思ったけど、叔父さんが竜王様みたいな人だったら駄目だ。相談相手に向かない。
「先生の叔父さん、どんな人?」
「とても優秀な空間操作術師ですよ。僕の師でもあります」
「そうじゃなくって!」
「ああ、性格ですか? 一言で言うと、曲者ですね」
「く、曲者……」
「あと、普段は温厚ですけど、怒らせたらまずいタイプですね。リーラが殺された際、勇者や聖女メーアごと、魔大陸の一部を消滅させた人ですから」
ん? 魔大陸の一部を消滅って……。おとぎ話にそんな話があるけど……。もしかして、そのおとぎ話に出てくるドラゴン族が、先生の叔父さん?
「悪知恵が働くと言うか何と言うか、知略、謀略も得意で――」
なんか、先生の話聞いてたら、余計不安になってきた。先生の叔父さん、相談相手に向かない人の気がするよ! 竜王様以上に! 私の心配を余所に、先生はとっても嬉しそうに叔父さんの話を続けていた。




