交流 1
私を迎えに来たのはミーナだった。私を探して走り回ったらしい。隣を歩くミーナの顔を盗み見ると、頬が少し赤くなっていた。繋いでいる手も熱いくらい。私は別に、探してなんて頼んでないもん。ミーナが勝手に探し回ったんだもん……。
「アイリス、さっきはごめんね。ちょっときつい言い方しちゃったね」
驚いてミーナの顔を見上げると、照れたように笑うミーナと目が合った。べ、別に、謝ってほしい訳じゃ無いもん! 謝られたって困るもん! 私、怒ってなんかないもん! それを伝えたくて、フルフルと首を振る。
「竜王城にはね、私の命の恩人がいるの。だから、つい、ムキになっちゃって……」
「命の恩人?」
「そ。小さいとき、私を助けてくれた人」
ふふふと声を出して笑うミーナは、懐かしそうに目を細めた。その顔はいつもよりずっと大人っぽくて、何だかとっても綺麗に見えた。何でそんな顔するの? 何でそんな嬉しそうなの? そんな大切な思い出だって事なのかな?
「何があったの?」
「ん? んふふ。秘密、って言いたいところなんだけど、アイリスには特別。誰にも言わないでよ?」
「ん」
「お姉ちゃんが丁度アイリスくらいの時だったかなぁ。体調崩して寝込むお姉ちゃんの為に、私、森にベリーを摘みに来たの。この森、誰も採りに来ないから、ベリーがたくさん実ってるんだ。ベリー食べたらお姉ちゃんが元気になるかなって、まあ、小さいなりに考えたの」
リリーの為に森に入ったの? こんな、魔物がいる森に? それに、リリーが私くらいって事は、ミーナは私よりも小さい時って事で……。迷子にならない?
「案の定というか何というか、森の中で道に迷っちゃってね。お腹が空いて今にも倒れそうなのに、お姉ちゃんのだからって、ベリーにだけは手を付けないで、フラフラと森の中をさ迷い歩いたの。ほら、森の中って大型の獣とか魔物とか、たくさんいるでしょ? それでね、運悪く、野生のべへモスに出会っちゃったんだ」
べへモスは食料にもなる、ずんぐりむっくりとした身体と鋭い牙が特徴の獣だ。私が生まれ育った村でも育てていた。でも、家畜なのに、べへモスは気性がとっても荒い。好奇心から手を出そうとして、何度母さんに叱られた事か……。
「でね、べへモスに追いかけられて絶体絶命の私を助けてくれた人がいたの。颯爽と現れて、一撃でべへモスを仕留めて……。格好良かったのよ、とっても」
「その人が命の恩人?」
「そ。安心したのと空腹とで、私、動けなくなっちゃってね。そうしたら、その人、仕方ないなぁって、仕留めたばかりのべへモスを解体して肝を焼いて食べさせてくれたの。肝は城まで持たないから、好きなだけ食べて良いって。今でもね、その人の顔が瞼の裏に焼き付いているの」
「その後、その人には会えたの?」
「ううん。竜王城の人達ってね、私達の前に姿を現す事って殆ど無いんだ。偶然見かける事はあっても、すぐに姿を消しちゃうし。私達を悪戯に怖がらせない為の配慮なんだと思う。会って、あの時のお礼、したいんだけどなぁ」
お礼……。私はスカートをギュッと掴み、意を決して口を開いた。
「ねえ、ミーナ。白髪の魔人族の事、教えて。知ってるんだよね?」
「ああ。ラインヴァイス様? 部下らしき人を連れて森に入るのを、たま~にお見かけするのよね。たぶん、団長さんとか隊長さんとか、そういう役職の人だと思う。それ以上の事は、私にもよく分からないよ」
「森に……」
「そう。竜王城の人達はね、定期的に森の魔物を退治して下さっているのよ。だから、森に近いこんな所でも暮らせるの」
私達は話をしている間に、孤児院の前まで戻って来ていた。中、入りたくないな……。でも、それを言ったらミーナが気にするだろうし……。私は手を引かれるまま、ミーナと一緒に孤児院へと戻った。
談話室に入ると、中は何故か大騒ぎになっていた。黒髪の女の人がクッションに埋もれている。何でこんな事に……。戸惑う私を余所に、ミーナがテキパキと、混乱する現場を収め始めた。
何でも、黒髪の女の人――アオイは竜王様の恋人らしい。それを隠してこんな所に来るなんて、とっても意地が悪いと思う。アオイの事は嫌い。だって、母さんを馬鹿にしたんだもん。でも、ラインヴァイス様は――。傷、まだ痛いかな……? あんなにたくさん血が出てたんだもん。きっと、まだ痛いはずだ。
私は部屋の隅に陣取りながらジッとアオイを見つめた。時々、私の視線に気が付いたアオイがこちらを見る。私はツンと顔を背け、暫くすると再び彼女を見つめた。
アオイなら――。でも、頼み事なんてしたくない。でも、でも――。私はスカートのポケットをそっと触った。今日まで集めた薬草を確かめるように。
夕暮れが近づいた頃、アオイは孤児院を後にした。リリーの服を着てるなぁとは思ってたけど、フランソワーズがアオイに雪玉をぶつけて服をビショビショにしたらしい。アオイの服は、今日も高級そうなドレスだった。ああいう服を着ていると、住む世界の違う人なんだなって思う。私には一生縁の無い格好だ。
みんなに手を振って竜王城へ戻るアオイを、私は物陰から見つめた。ラインヴァイス様に薬草を渡すには、アオイに頼むのが確実。でも、それはしたくない。だって、アオイの事、嫌いだもん。きっと、アオイだって私の事が嫌いだもん。
私は竜王城に向かって歩くアオイの後をつけた。アオイが本当に竜王様の恋人なら、どこかにお供の人がいるはずだもん。アオイに頼むのは絶対に嫌だけど、お供の人なら――。でも、お供の人が魔人族だったらちょっと怖いな……。
少し歩いたところで、木の陰から人が出てきた。私には気が付かない様子で、二人並んで歩きながら何か話し始める。それよりも。あの白い服に白い髪! ラインヴァイス様だ! ど、どど、どうしよう! お供の人、ラインヴァイス様だった! 心の準備、出来てないよ!
声を掛けるタイミングを失い、私はコソコソと二人の後をつけた。どうしよう、どうしよう。何て声を掛けよう。何て言って薬草渡そう。どうしよう!
ふと、ラインヴァイス様が何かに気が付いたように後ろを振り向いた。遠目でも、あの時の傷が顔の左側に残っているのが分かる。傷が痛いせいなのかな? 目、閉じたままだ。
それよりも、後つけてるの、気付かれちゃった! 辺りを見回し、隠れられそうな物を探す。しかし、周りには背の低い木すらなかった。
「アイリス!」
続いて振り返ったアオイが私に気が付き、こちらへと駆けて来る。私は反射的に孤児院に向かって駆け出した。
「ちょっと! 待ちなさい、よっ!」
大人と子どもの身長差、というか足の長さに差があるせいだろう。私はすぐにアオイに捕まってしまった。チビな自分が恨めしい。何とかアオイの手から逃れようと、ジタバタもがいてみるも、全く逃げられない。この馬鹿力めっ!
「私、アイリスに謝らないといけないって思ってたの。ちょっ! 暴れるなって!」
「うるさい! 離してよ!」
「少し、私の話を聞きなさい。聞いてくれたら離すから!」
「はーなーせーっ!」
「あぁー! もうっ! 離すから、私の話、聞きなさいよ!」
私を捕まえていたアオイの手が緩み、私はサッと距離を取った。そして、アオイを見つめる。話って何? また母さんを馬鹿にするつもり? でも、何を言われたって負けないもん! どんなに意地悪されたって、負けないもん!
アオイはバリバリと後頭を掻くと、溜め息を吐いた。そして、深々と私に向かって頭を下げる。
「アイリス。この間はごめん。私、アンタに酷い事、言った。アンタが孤児院の子だって知らなかったの。ごめんなさい」
これは……。母さんを馬鹿にした事、謝ってるの? 私が母さんに捨てられて、何も教えてもらえなかったと思ったから? そうやって、また母さんを馬鹿にするの?
「か、母さんは、悪くないんだもん!」
母さんは何も悪くない。私だって、助けられたらお礼くらい出来るんだもん! 母さん、言ってたもん。嬉しい事をしてもらったら、ありがとうって言いなさいって。悪い事したら、ごめんなさいって言いなさいって。私がそれを守れなかったんだもん。母さんは何も悪くないんだもん。ちゃんと、私に色んな事を教えてくれたもん!
「うん。酷い事言って、本当にごめんなさい……」
「が、があ、ざん……わるぐ、ないんだもん!」
上手く言葉に出来なくて、それがもどかしくて、私は同じ言葉を繰り返して大泣きした。困ったように、アオイとラインヴァイス様が私を見つめている。どうしたら良いか分からないって顔だ。もう良いんだ。もう放っておいて。このまま、どっか行ってよ! お城に帰ってよ!
「アイリスー!」
遠くの方からフランソワーズの声が聞こえ、私は少しだけ冷静になれた。ど、どうしよう。もう、孤児院を抜け出した事がバレちゃった! こんなに早く見つかるなんて思ってなかった!
「お前、何やってんだっ!」
私の元へ駆けて来たフランソワーズは、私の頭にげんこつを落とした。目から火花が散る。さっきとは違う意味で、私は大泣きした。アオイが苦笑しながらそれを見つめている。
「アオイ、すまなかった。アイリスが迷惑を掛けた」
フランソワーズめ! アオイが竜王様の恋人だからって贔屓しすぎだ。私、迷惑なんて掛けてないもん。すまなそうにフランソワーズが頭を下げる。アオイはフルフルと首を横に振った。
「ラインヴァイス様も、足止めさせてしまって申し訳ありませんでした」
フランソワーズはラインヴァイス様へ向き直ると、深々と頭を下げた。アオイに対してとは違って、とっても丁寧な言葉遣いだ。フランソワーズは、ラインヴァイス様を怖がってるようには見えない。けど、何か深い溝みたいな物を感じさせる話し方だった。
「いえ。では、アオイ様。城へ」
「うん。じゃあ、フランソワーズ、アイリス、またね」
ラインヴァイス様に促され、アオイが手を振って別れを告げる。フランソワーズも手を振り、挨拶をした。踵を返すアオイが、一瞬、こちらを見る。その目が無言で私を責めているような気がした。
……母さんは、色んな事をちゃんと教えてくれてたんだもん! ギュッと拳を握り、私は意を決して駆け出した。ラインヴァイス様の白いマントが、フワフワと風に揺れている。
「あ、こらっ! アイリス!」
急に駆け出した私に驚いたフランソワーズが声を上げる。でも、もう遅い。私はラインヴァイス様のマントの端をギュッと握った。怖い。でも、でも――!
「あの……?」
振り返ってマントの端を握る私を見つけ、ラインヴァイス様が困ったような声を上げた。私はごそごそとスカートのポケットを漁り、目当ての物を取り出す。そして、それをラインヴァイス様に差し出した。
「ん」
「あげる」という短い言葉が出て来ない。とっても怖くって、薬草を差し出す手が震えている。きっと、私の顔は真っ青になっていると思う。でも、勇気を出さないと!
「ん!」
「ラインヴァイス。その草、貴方にくれるんじゃないの?」
思わぬところから助け舟を出してもらえた。アオイが不思議そうに私を見ていたと思ったら、ラインヴァイス様にそう声を掛けてくれた。意外だった。アオイは私の事、嫌いだと思ってたけど、どうやら違ったらしい。助けてもらっちゃった……。
「ん……」
アオイの言葉に同意を示すようにこくこくと頷くと、ラインヴァイス様が私の目の前に膝を付いた。急に動くから、とっても怖くてビクッてなっちゃった。でも、どんなに怖くても逃げないんだもん! お礼、するんだもん!
「ん!」
薬草をずいっと差し出す。そして、ラインヴァイス様を見つめた。金色の瞳。人族とは違う色。怖い。でも、とっても綺麗な色だ。反対側の目は閉じたままで、顔の左側には肉を抉られた酷い傷が三本走っている。とっても痛そう……。少しでも、この薬草で痛くなくなると良いな……。
「本当に、私が頂いても宜しいのですか?」
「んっ!」
ラインヴァイス様の問い掛けに強く頷く。すると、ラインヴァイス様が私に向かって両手を差し出した。私はその手の上に薬草を置くと、一目散に孤児院へと向かって駆け出した。
怖かった。でも――。何とも言えない満足感が湧いてくる。渡せた! 受け取ってもらえた! また薬草集めないと! あの傷を治すには、きっと、まだまだたくさんの薬草が必要だもん!