ウルペス 1
ラインヴァイス先生は私の腕を掴んだまま、どこかへと向かっていた。この道順は――食堂?
いつもは、アオイと竜王様がごはんを食べる前に、私達はごはんを済ませてしまう。けど、今日はまだ夕ごはんを食べてない。だって、「ごうこん」があったから。普段、私達が夕ごはんを食べる時間帯に「ごうこん」の準備をしてたんだもん。
でも、このまま食堂に行って良いのかな? 「ごうこん」の後片付け、してないけど……。
「先生?」
呼んでみるけど返事が無い。
「先生」
もう一回呼んでみる。でも、先生は返事をしてくれなかった。真っ直ぐ前を向いて、ずんずん進んでいく。聞こえてないのかな?
「先生! ラインヴァイス先生!」
廊下に響き渡るくらい大きな声で呼んでみると、やっと先生の足が止まった。んもぉ! 耳、遠くなっちゃったの?
「……何です?」
そう答えた先生は、真っ直ぐ前を向いたままだった。いつもなら、にこって笑ってこっち向いてくれるのに……。
「後片付け、してないよ。しなくて良いの?」
「問題ありません」
先生は静かにそう答えると、また私の腕を引いて歩き始めた。うう……。先生が何だか冷たい……。まだご機嫌斜めらしい。私、ご機嫌取り頑張ったのに。廊下には、私達の足音だけが響いている。
「先生、腕、痛い……」
薔薇園のガゼボを出てからずっと、先生に腕を掴まれてるんだもん。おずおずと先生に声を掛けてみたけど、先生は何も反応してくれなかった。私の腕を掴んだまま、ずんずんと歩いて行く。項垂れながら、私もそれに続いた。
食堂までやって来ると、中にはほとんど人影が無かった。この時間帯はあんまり人がいないらしい。ちらほらと人はいるものの、みんな、お皿は空っぽ。夕ごはんを食べ終わって、そのままここで寛いでいるらしい。私と先生は食事を取りに、端っこにある大きなテーブルへと向かった。
お盆にお皿を乗せ、料理を少しずつ取っていく。調子に乗って取り過ぎると、食べきれなくなっちゃうっていうのは、何回か失敗して学んだ。残すと、先生があんまり良い顔をしない事も。
お芋、お芋! お芋のサラダと、お芋のソテー。今日はお芋のフライもあるっ! むふふっ!
「芋だけでなく、肉と野菜も取りなさい」
「はぁい」
先生に促され、緑のお野菜をちょろっとだけ取った。そして、お肉のかけらを一個、お皿に乗せる。すると、それを見た先生が小さく溜め息を吐いた。でもでも! 言われた通り、お肉とお野菜取ったもん。あ。蒸かしたお芋発見! お皿の上、お芋がたくさん! くふふっ!
「あれ? ラインヴァイス様?」
先生の名前……。しかも、団長とか殿とかじゃなくって様付け……。珍しい。そう思って顔を上げると、銀髪の見慣れない人が不思議そうにこっちを見てた。その人は私と目が合うと、パァッと明るい笑みを浮かべた。
「ウルペス……」
先生がポツリと呟く。ふむふむ。この銀髪の人は、ウルペスさんっていうのか。先生と同じくらいの歳かな? この食堂で見かける人の中では、かなり若い見た目だ。
人懐っこい笑みを浮かべたウルペスさんが、こっちに駆け寄って来た。凄い勢いで。食堂では、走ったら駄目なんだよっ!
「もしかして、この子が噂のアイリスちゃん?」
ウルペスさんが目を輝かせ、私の前にしゃがんだ。噂って何だろう……? はっ! それよりも、初めて会った人には挨拶しないと。でも、ドキドキする……。私がおずおずと頭を下げると、ウルペスさんも凄い勢いで頭を下げた。
「だいぶちっちゃいんだねぇ。俺、てっきりリーラ姫くらいなのかと思っ――ん? んん~?」
しゃがみ込んだまま、ウルペスさんが先生を見上げ、首を傾げた。と思ったら、立ち上がって、難しい顔で先生の顔を覗き込む。すると、ウルペスさんの視線から逃げるように、先生が顔を背けた。
「もしかして、今、物凄~く機嫌悪い?」
おお~! ウルペスさんってば、すぐに先生のご機嫌見抜いた! 先生は何も答えず、黙々と食事を取っていく。そんな先生を見て、ウルペスさんが目を細めた。
「そういう所、昔から全然変わんないね。ねえ、俺も一緒に食べて良い?」
「お好きにどうぞ」
「うん。ありがと」
ウルペスさんはにこりと笑うと、先生と並んで食事を取り始めた。先生もウルペスさんも何も話さない。でも、何となく、先生から出ている空気が柔らかくなった気がした。先生、ちょっとだけ機嫌が直ったみたい。ウルペスさんは、先生の友達か何かっぽいな。先生、ちゃんと友達いたんだね。
先生とウルペスさんが食事を取り終わり、私達三人は席に向かおうとした。すると、キッチンに繋がる小さい扉から若い料理人さんが出て来て呼び止められた。その手にはお皿。右手に一つ。左手に一つ。
「料理長からです」
若い料理人さんはそう言うと、私のお盆にお皿を置いた。そこにはオレンジ色の物体。んにゃ~! キャロト! ウルペスさんのお盆にも、私と同じ物が置かれる。
「もしかして、アイリスちゃんもキャロト苦手なの?」
ウルペスさんは、複雑な顔で私のキャロトのお皿を見つめていた。たぶん、私も今、ウルペスさんと同じ顔をしてると思う。
「ウルペス。まだ根菜類苦手だったのですか……」
ポツリと先生が呟く。すると、ウルペスさんが力強く頷いた。
「草の根なんか、食べるヤツの気が痴れないねッ!」
「そうやって偏食するから、イェガーに料理を追加されるのですよ。アイリスも、芋ばかり取っているから」
先生はクスクス笑いながらそう言うと、テーブルへと向かった。先生が笑った! 良かったぁ。私も先生の後を追いかけてテーブルへと向った。
先生が椅子に腰を下ろすと、ウルペスさんがその正面の席に着いた。私は先生の隣に座り、先生の様子を窺う。キャロト、お願いすれば食べてくれるかな? 断られたりなんてしないかな……?
「先生、これぇ……」
食べて。お願い。私はおずおずと、キャロトの乗ったお皿を差し出した。先生が私の顔とお皿を見比べ、優しく笑う。やっぱり、先生は笑ってないと。先生の笑顔、好きだもん。
「良いですよ。その代わり、一つだけは食べないといけません」
「えぇ~!」
「一番小さいのを一つ食べるのと、全部自分で食べるの、どちらが良いですか?」
全部食べるのは無理! 私はブンブンと首を横に振ると、一番小さいキャロトのかけらを一つ、お皿に取った。先生は優しく笑いながら頷くと、キャロトのお皿を自分のお盆に置いた。
ふと、先生の正面のウルペスさんを見る。すると、ウルペスさんが顔を顰めながら一つ、キャロトを口に入れるところだった。ウルペスさん、自分で食べるんだ。偉~い! と思ったら、さっき先生に渡したキャロトのお皿に、残りのキャロトを全部乗せた。先生のお皿に、キャロトの山が出来た!
「ウルペス……」
「ラインヴァイス様、成長期でしょ? たくさん食べなよ」
「成長期だって言うのなら、ウルペスもでしょうに……」
先生はそれ以上何も言わず、黙々とごはんを食べ始めた。私も、蒸かしたお芋を一つ口に入れる。ん~。ホクホクしてて、ちょっぴり甘くって、とっても美味しい!
「ところでさぁ」
ウルペスさんが口を開く。私はそれを上目で窺った。たぶん、先生に話し掛けてるんだろうけど、先生は黙々とごはんを食べ続けている。
「何でご機嫌斜めなの? 今日、竜王様とアオイ様主催の食事会だったんだよね? 何かあったの?」
先生は何も答えない。無表情でごはんを食べ続けていた。ウルペスさんがこっちを見る。私? 詳しくなんて知らないよ?
「あのね、ヴォルフさんがね、失言したんだって。アオイが言ってた」
私が知ってるのはこれだけ。ヴォルフさんが何を言ったのかは知らない。でも、先生のご機嫌がとっても悪くなるくらい、失礼な事を言ったんだろうなって思う。
「ああ~。もしかして、例の噂?」
ウルペスさんが先生に問い掛ける。でも、先生は答える気が無いらしい。表情を変える事も、ウルペスさんを見る事も無い。
「ん~? 違うみたいだよ、アイリスちゃん」
あれぇ? 先生が怒ってるのって、ヴォルフさんが何か言ったからじゃないの? おかしいなぁ。他に何かあったっけ? ん~。ん~。先生は、ヴォルフさん達を呼びに行く前は普通だった。それから後は機嫌が悪くって……。先生の機嫌を取って来いって、竜王様に言われて、それで、ノイモーントさんに言われた通りに機嫌取って……。それで、それで……。あっ!
「あのね、アオイがね、ちゅ~したの!」
「ちゅ~? 誰に?」
「最初は竜王様でね、その後、私に! べろんべろんに酔っ払っててね、ちゅ~って」
私をアオイの魔の手から助けてくれた時、先生、とっても怒ってる感じだった。でも、その前から機嫌が悪かったし、てっきりヴォルフさんのせいなのかと思ってた。でも、違かったのか!
「ああ~」
ウルペスさんは先生の顔を覗き込み、納得したように頷いた。正解なのかな?
「合ってる?」
「みたいだね」
「そっかぁ。アオイがべろんべろんになってたからだったのかぁ」
「え? そっち?」
腕を組んでうんうん頷く私を、ウルペスさんが目を丸くして見つめている。そっちって、どっち? 私が首を傾げると、ウルペスさんが小さく首を横に振った。
「いや。何でも無い。気にしないで」
「ん」
私はこくりと頷くと、お芋のフライを一つ、口に入れた。サクサクの外側と、中のホクホク感が大好き。お塩の加減もちょうど良い! ここのお芋はどれも美味しくって、とっても幸せ!
「ラインヴァイス様。アイリスちゃんに八つ当たりしてもしょーがないでしょ?」
「そんなつもりは――」
「無いって、胸張って言える? 竜王様に誓える? 出来ないでしょ? こんなちっちゃい子に八つ当たりとか、大人気無さ過ぎるからっ!」
ほぉ~! 先生がお説教されてる! 珍しい物を見てしまった。こうやって、先生に言いたい事をズバズバ言える人って、竜王様以外にいないのかと思ってた。
「先生とウルペスさんは友達?」
友達でしょ? 友達だよね? それだけ、言いたい放題言えるんだもん。ジッとウルペスさんを見つめていると、彼は「はい」と手を挙げ、先生を見た。
「せんせー! 幼馴染は友達に入りますか?」
「入るんじゃないですか」
ウルペスさんの問いに、先生がちょっと投げやり気味に答える。私はそんな二人の顔を見比べた。そっか。先生とウルペスさん、同じくらいの歳だと思ったけど、幼馴染だったんだ!
「せんせーと俺、友達だそーです!」
「あのね、ウルペスさんにね、お願いがあるの」
「お願い?」
「ん。あのね、ノイモーントさんがね、言ってたの。先生、悩みがあるんだろうって。あとね、相談相手、いないって。ウルペスさんがね、先生の相談に乗って」
先生とウルペスさん、とっても仲が良いみたいだし、相談相手にピッタリだと思うの。なのに、二人は顔を見合わせ、複雑な表情を浮かべた。困ったなとか、参ったなとか、そういう顔だ。
「それは無理かなぁ」
先に口を開いたのはウルペスさんだった。彼は頭の後ろで手を組むと、椅子の背に寄りかかった。
「何で?」
「俺、自分の事ですらどうでも良いんだもん。こんないい加減なヤツに悩みなんて話しても仕方ないでしょ? なるようになるんじゃないのって答えしか出ないしさ」
「どうして自分の事、どうでも良いの?」
「俺にはもう、生きる意味が無いから。大切な人を失った時から、全部どうでも良くなっちゃったの」
「どうして? 失ったって、何で?」
ウルペスさんは何も答えず、少し困ったように眉を下げた。先生が私の頭をポンポンと軽く叩く。隣に座る先生を見ると、先生は悲しそうに目を伏せていた。もしかして、これは聞いちゃいけない話? 先生とウルペスさんを交互に見比べると、ウルペスさんが笑みを浮かべた。
「アイリスちゃんは好奇心旺盛だね。色んな事、知りたがって」
「う~。ごめんなさい……」
悪気は無かったんだもん。聞いちゃいけない話だって知らなかったんだもん。知ってたら聞かなかったもん。
「気にしない、気にしない。好奇心旺盛な事は、悪い事じゃ無いから」
ウルペスさんはそう言うと、食事を再開した。その顔はどこか寂しそう。私、悪い事しちゃった……。そう思って先生を見ると、先生は優しく笑いながら私の頭を撫でてくれた。でも、その笑顔もどこか寂しそうで……。
きっと、ウルペスさんの大切な人は、先生にとっても大切な人だったんだ……。先生の大切な人……。好きな人……。ズキりと胸の奥が痛くなり、私はギュッとフォークを握り締めた。




