機嫌 2
ぺこりと頭を下げ、ガゼボに入る。アオイはまだ、竜王様に膝枕をしてもらったまま眠っていた。でも、フランソワーズは起きていた。まだちょっと眠いみたいで、ボーっとした顔をしているけど、顔色はいつも通りに戻っている。
私はお茶を準備し、それぞれの前に置いた。真っ先に手を伸ばしたのはフランソワーズだ。喉が渇いていたらしい。竜王様とノイモーントさんもカップに手を伸ばすと、ゆっくりと口を付けた。
「どうだった」
ティーカップを置いた竜王様が口を開く。先生のご機嫌が気になるらしい。先生のお兄さんだし、当たり前なのかな。分からないって答えたら、怒られそうだな。
「頭、抱えてました」
ありのままを伝えると、ノイモーントさんが堪らずといった様子で笑い出し、むせ込んだ。隣に座るフランソワーズが、それを気味悪そうに見つめている。
「頭を抱えた、か。あれはあれで、葛藤があるのか」
そう言うと、竜王様が驚いたように目を丸くした。うわぁ! 珍しい。とっても珍しい! 竜王様っていつも、不機嫌そうな顔しているのに。こうして不機嫌以外の顔をすると、普通の人っぽい!
「でしょうね。まだお若いですし、自身を卑下する傾向もありますし。色々と、悩みが尽きない年頃なのでしょう」
答えたのはノイモーントさん。とっても優しい顔で、先生のいるテーブルの方を見つめている。
「悩み、か」
「ええ。昔と違い、気軽に相談出来る相手も、今はおりませんし」
そっか。先生にも悩みがあるのかぁ。ちょっと意外。悩んでる先生とか、全然想像出来ない。それよりも、相談相手がいないって、先生、友達いないの?
「ん~」
話し声のせいか、竜王様に膝枕をしてもらっているアオイがもぞもぞと動き出した。と思ったら、カッと目を見開いた。な、何? どうしたの? ガバッと跳ね起きたアオイの髪を撫でながら、竜王様が口を開く。
「どうした」
「えのぐ……ほしー」
絵具が欲しい? 突然だなぁ。……あ。寝ぼけてるのか。
「あろ、ごはん、らべらい」
「食事なら、先程しただろう」
「ちが~う! ごはん! おかおかごあん! あっらか~いおみそしるとごあん! おかずはぁ、からあげがいい! あ。れも、おさけのしめはぁ、らーめんかぁ。わかえとこーんのらーえんがいいらぁ。えんまはぁ、すきじゃらいからぁ、いれらいれほしーなぁ。らーえんといえばぁ、ぎょーらもぉ、おろもれほしーなー。おいくらっぷりれぇ、きゃべうとぉいらもぉいっぱいあいっれれぇ。ああ! ちゃーあんもぉらべらい。ふろっちゃうからぁ、はんちゃーあんにしれぇ」
「すまない。どれも、ここには無い」
竜王様がそう言うと、アオイが突然泣き出した。帰りたい、帰りたいって、何度も繰り返している。アオイはとっても遠い所から来たって、前に言ってた。あんまり口に出して言わないけど、住んでいた所に帰りたいんだ……。でも、私、アオイがいなくなったら寂しいよ……。
小さい子みたいに声を出して泣くアオイを、竜王様がギュッと抱きしめる。すると、ぴたりとアオイの泣き声が止まった。突然泣き出したと思ったら、突然泣き止むって……。どう反応したら良いのか分からないのか、竜王様も困ったような顔をしている。
「しゅばうつぅ。きしゅしれぇ」
アオイは竜王様の胸から顔を上げると、甘えるようにそう言った。竜王様はというと、おでこに手を当てて項垂れ、溜め息を吐いている。ノイモーントさんとフランソワーズが、その様子を興味津々に見守っていた。私も、興味津々で竜王様とアオイを見つめる。
「皆の目があるだろう。場を弁えろ」
「む~! そーゆーころ、ゆーんらぁ! いーもぉーん! こっちにらっえ、かんがえがあうんらからぁ!」
アオイは頬を膨らませると、突然、竜王様に抱きついてキスをした。きゃ~! 決定的瞬間、目撃! ちょっと恥ずかしいっ! 私は両手で目を覆うと、指の隙間から二人の様子を見守った。
竜王様がアオイの両肩を掴み、力づくで引き剥す。だけど、アオイも負けじと竜王様にキスしようとしている。ぐぬぬぬぬっ! 二人とも頑張れ! どっちも負けるなっ! 心の中で、アオイと竜王様を応援する。
先に諦めたのは竜王様だった。アオイの両肩を掴んでいた手の力をフッと抜く。すると、アオイは満足げに竜王様の首に腕を回し、おでこやほっぺ、唇にキスをしだした。止めるのを諦めた竜王様はされるがままだ。何となく、竜王様が遠い目をしてるような……。
暫くすると、アオイが竜王様から離れた。機嫌良さそうに、ケタケタと笑ってる。泣いてるよりはずっと良いけど、ちょっと不気味だ。
ああ! そう言えば、アオイのお茶、出すの忘れてた! 失敗した! 慌ててお茶を淹れ、アオイの前に置く。すると、アオイが驚いたように目を丸くし、私とティーカップを見比べた。と思ったら、突然、腕を掴まれた。な、何? もしかして、お茶出すの遅くなったから、怒ってるの? と思ったけど、違うらしい。だって、アオイってば、にたぁっとした不気味な笑い方してるんだもん。何か、嫌な予感……。
「あいいしゅー。ちゅ~!」
〇✕△□☆※♯%§! んにゃ~! アオイから逃げようとジタバタともがいていると、後ろから誰かに抱え上げられた。アオイの魔の手から助けてくれた人を確認する。
せ、先生っ! 思わず、先生に抱き付く。ひ~ん。怖かったよぉ! ばっちいよぉ! 私は、唇に付いたアオイの涎を、先生のマントの襟元でこっそりと拭いた。
「アオイ様。お戯れが過ぎます……」
先生が静かな、それはそれは静かな声でそう言った。恐る恐る先生の顔を見る。すると、先生は笑っていた。でもね、目がね、全然笑ってないの。
「ひんっ……」
情けない声が出てしまった。でも、しょうがない。だって、先生から何とも言えない冷たい空気が出てるんだもん。背中がゾクッてなったんだもん!
先生も怖いっ! 嫌だ嫌だ! 下ろしてもらおうともがくと、先生の腕に力が篭った。ジタバタしても、全然力を緩めてくれない。
「アオイ。部屋に戻るぞ」
「やらぁ~! もっろ、みんらろぉ、きしゅすうのぉ~!」
アオイの叫びを残し、竜王様とアオイの姿が消える。に、逃げた! ズルいッ!
「フランソワーズ嬢、そろそろ暗くなりますし、今日はもう帰りましょう。孤児院までお送りします」
「あ、ああ……」
二人まで! そんな! 待って! ああ! 他の皆にも声掛けてるっ!
そそくさとガゼボを後にしたノイモーントさんとフランソワーズが、テーブルのみんなに声を掛ける。すると、フォーゲルシメーレさんとヴォルフさんがこちらを向いた。と思ったら、それぞれリリーとミーナの手を引いて、駆け足で薔薇園を出て行ってしまった。
待って! 置いてかないで! 私も連れてって! 暫くの間、ジタバタともがいていると、先生の手が緩んだ。チャンス! 先生の腕から抜け出し、みんなの後を追おうとする。でも、それより一瞬早く、先生にむんずと腕を掴まれてしまった。そのまま、引きずられるようにして薔薇園の出口へと向かう。
みんな酷いよ! 私だけ置いてけぼりにするなんて! そういう事すると、呪術覚えて呪っちゃうんだからぁ!




