機嫌 1
ノイモーントさんの膝枕で眠るフランソワーズを見守っていると、突然、アオイの叫び声が響いた。しかも、だんだんこっちに近づいて来ている。
「は~ら~し~てぇ! ころぉ、らいまおうめぇ! られかぁ、らすけれぇ~!」
ん~? 何だ、何だ? アオイ、どうしたんだろう? そう思って私がベンチから立ち上がった丁度その時、竜王様と共にアオイがガゼボへとやって来た。
竜王様は、慌てて頭を下げる私の横を抜け、さっきまで私が座っていたベンチに腰を下ろした。アオイはというと、何故かガゼボの入り口で立ち止まり、鼻を摘まんで手で顔の前を扇いでいる。
「おしゃけくしゃい……」
アオイが呟くように文句を言う。すると、竜王様がフンと鼻を鳴らした。
「アオイ、お前も十分酒臭い」
竜王様の言う通り、アオイからもフランソワーズと同じ、酔っ払いの匂いがしている。アオイとフランソワーズ、どっちが臭いかと聞かれたら、「アオイ!」と自信満々に答えられる程に。それくらい、今のアオイはお酒臭い。
「わらしはぁ、おしゃけくしゃくなんてぇらいもぉん! ねえ、あいりしゅぅ? ひっく!」
アオイが私に飛びつき、ギュッと抱きしめた。臭いって! アオイってば、お酒臭くないなんてよく言えるよ! グッと両手でアオイを押しのけると、アオイが頬を膨らませた。どうでも良いけど、アオイのしゃべり方、何だか変。調子に乗って、お酒飲み過ぎたなっ!
「座って休んでいろ」
竜王様がアオイに手を伸ばし、腕を掴む。そして、ぐいっと引っ張って隣に座らせた。何が面白いのか、突然、アオイがケタケタと笑い始める。それを見た竜王様は、大きく溜め息を吐くと口を開いた。
「アイリス、アオイに水を」
「はい」
竜王様に命じられ、テーブルの上の水差しとコップを手に取って気が付いた。このコップ、さっきフランソワーズが使ったんだった。すすがないと! コップに少しだけ水を入れ、軽くすすぐ。そして、コップに並々と水を注ぐと、アオイにずいっとそれを差し出した。
「わらしはぁ、よっれらんかいらいんらよぉ。ひっく! よっぱらいじゃらいんらよぉ?」
アオイはブツブツ呟きつつもコップを受け取ると、何故か腰に手を当て、グビグビと一気に飲み干した。
「ぷはぁ~!」
お水を飲み終わったアオイが何かに気が付いたように、正面のノイモーントさんとフランソワーズに視線をやった。ジーッと見つめている。ジーッと。ジ~ッと。……いつまで見てるんだろう? そう思った時、アオイが隣に座っている竜王様を見上げた。
「しゅばるつぅ、わらしもぉ。ひっく!」
「何が」
「わらしにもひじゃ、かしれぇ……」
アオイが眠そうに目を擦る。何であんなにノイモーントさんとフランソワーズを見てるのかと思ったら、膝枕が羨ましかっただけらしい。それよりも、アオイって、いつもこんな甘えん坊だっけ?
「……ああ。好きにしろ」
竜王様が頷くと、アオイは満面の笑みを浮かべ、竜王様の膝を枕にして横になった。そんなアオイの頭を、竜王様が優しい手つきで撫で始める。次の瞬間には、アオイからスヤスヤという寝息が上がっていた。は、はやっ! 寝るの、はやっ!
「アイリス」
「は、はいっ!」
竜王様がアオイの寝顔を見つめながら私を呼ぶ。私は背筋をピンと伸ばし、大きな声で返事をした。
「声が大きい」
「ごめ――申し訳、ございません」
危なかった。つい、竜王様に「ごめんなさい」って言うところだった。竜王様の前では、先生みたいな丁寧な話し方をしないといけない。だって、竜王様はとっても偉いんだもん。偉い人には、丁寧な話し方をしないといけなんだもん。普段は一番砕けた話し方をするヴォルフさんですら、竜王様の前では先生みたいな丁寧な話し方をしてるし、私もそうしないといけないんだもん。
「お前に一つ、頼みがある」
「はい」
「ラインヴァイスの機嫌を取って来い」
「はい?」
思わず、竜王様の顔を凝視してしまう。先生の機嫌を取って来いって……。どうやって? 何をすれば良いの? ど、どうしよう! 私がすぐに動かなかったせいで、竜王様からおっかない空気が出始めちゃった!
「竜王様、アイリスはまだ幼子。その様なご命令は……」
ノイモーントさんがおずおずと竜王様に声を掛ける。すると、ギロリと竜王様がノイモーントさんを睨んだ。それを見たノイモーントさんが、笑いながらも少し困ったように眉を下げる。
「お前は、あれをそのままにしておけとでも言うつもりか」
「そうではなく……。機嫌を取れと言われても、アイリスも何をしたら良いか分からないのではないかと」
「そうか。ならばノイモーント、教えてやれ」
「私が、ですか?」
竜王様の言葉に、ノイモーントさんが驚いたように目を丸くした。と思ったら、難しい顔で何か考え始めた。どうしたら良いか教えてくれるの? 私はその様子を、ジッと見つめた。ジッと。ジ~ッと。
「その顔、良いかもしれませんね」
見つめる私に気が付いたノイモーントさんが、閃いたとばかりに笑みをこぼす。それよりも、その顔って、どの顔? 首を傾げる私を、ノイモーントさんがちょいちょいと手招きする。私はノイモーントさんの元へと駆け寄った。
「まず、ラインヴァイス殿の手を握ります」
ふむふむ。手を握るのかぁ。先生と手を繋いだ事は何回もあるけど、私から握った事が無いからちょっと恥ずかしいかも……。でも、竜王様の命令だし、先生には機嫌直して欲しいから頑張る!
「その時、上目遣いでラインヴァイス殿を見つめているのがポイントですね」
ほうほう。上目遣いってこんな感じ? ノイモーントさんを上目で見つめる。すると、ノイモーントさんは満足そうに一つ頷いた。
「その顔、その顔。そして、決め台詞」
「決め台詞?」
「ええ。ご機嫌治して? とかはどうですか? ちょっと首を傾げる感じで」
「それだけ?」
「それで十分でしょう。決め台詞の前に、かなり動揺しているかと思いますから」
自信満々、笑顔で言い切るノイモーントさん。こんなに自身満々って事は、きっと大丈夫! よし! 先生のご機嫌取り、頑張るぞ! おお~! 私は竜王様とノイモーントさんにぺこりと頭を下げると、先生の元へと向かった。
テーブル脇に立っている先生は、お人形みたいに無表情だった。いつもはニコニコ笑っている先生がああいう顔をしてるって事は、とっても機嫌が悪いんだと思う。竜王様が、先生の機嫌を取って来いって言いたくなるくらい。
私はそろそろと足音を忍ばせ、先生に近づいた。だって、何とな~く、先生に気付かれたら駄目な気がしたんだもん。かくれんぼみたいでドキドキする!
先生の手を後ろからギュッと握る。すると、先生がビクリと震えた。やった! 大成功! 驚いた? ねえ、驚いた? ノイモーントさんに教えてもらった通り、ジ~ッと先生を上目遣いで見つめる。あれ? 先生がこっち向いてくれない。と思った瞬間、先生がぎこちない動きでこちらを向いた。
「アイリス? ……どう、しました?」
ええっと、次、何するんだっけ……? あ、そうだ。ここで決め台詞!
「先生、ご機嫌直して?」
ちゃんとノイモーントさんに教えてもらった通り、首も傾げたよ。先生、機嫌直った? 先生は驚いたような顔で私を見つめたまま、固まっていた。と思ったら、その場にしゃがみ込んで頭を抱えてしまった。う~。これは、機嫌直ったのかな? よく分かんない。よしっ! ノイモーントさんに聞いてみよっと! 私はお盆にポットとティーカップを乗せると、頭を抱えたままの先生を残し、ガゼボへと戻った。




