移植 4
家に帰った私は、早速、サロンでお茶を飲みながら、浄化術を勉強する事にした。浄化術を勉強するのなんて、初級魔術を習っている時以来。だから、まずは初級魔術教本で初級魔術をおさらい。ほうほう。ええと……。あ。そうそう……。
「ずいぶん集中していますね」
突如掛けられた声に驚いて顔を上げる。と、正面の席に先生が座って苦笑していた。い、いつの間に!
「お、お帰りなさい」
魔道書を読むのに集中しすぎて、今の今まで先生が帰って来た事にすら気が付かないとは! 不覚!
「はい、ただいま。それ、初級魔術教本ですよね?」
「ん。そう。あなたの目を治す目処もついたし、次の治療の為に浄化術を復習中なの」
「次の治療?」
「そう。ミーちゃんの治療」
「ああ……」
納得したように頷いた先生が、ヴィルヘルムさんが出してくれたお茶を一口啜る。
「しかし、浄化術ですか。それが彼女の治療に役立つ、と?」
「ん。実はね、リーラ姫が今日、私達に教えてくれたの。ミーちゃんの身体の不調の原因は、魂が傷ついているからよって」
「リーラが……」
「そうなの。ミーちゃんとバルトさんが、リーラ姫のかりそめの身体を作るのに協力してくれたからって。そのお礼なんだって」
「そういう律儀なところ、ウルペスの影響なのでしょうね」
そう言って、先生がフッと笑う。言われてみれば、ウルペスさんは誰に言われるでもなく、ミーちゃんの治療を手伝うつもりでいた。リーラ姫のかりそめの身体を作るのに、バルトさんとミーちゃんが協力してくれた恩返しなんだろう。受けた恩は必ず返す。確かに律儀だ。そんなウルペスさんと一緒に過ごしていたリーラ姫が、その影響を受けないはずがないね。
「しかし、浄化術を元にして、魂の治療とは……。考え付いたのはリーラではありませんよね? そういう発想、苦手なはずですから」
「ん。私が考え付いたの。呪術が肉体と精神に影響する魔術なら、浄化術は魂に影響する魔術なんじゃないかなぁって。実際、精霊とか不浄の者とかを消滅させられるし。影響方向を変えれば、呪術に対抗する回復系治癒術みたいな効果が得られるんじゃないかなって。ウルペスさんが術の構築を担当してくれるんだけど、私も術の構築、手伝えると思うんだ。治癒術を学んだ経験が活かせると思うの!」
「そうですね。ただ、僕の目はいつになったら治してくれるのでしょうか?」
「うっ……」
痛いところを突かれた……!
「ノイモーントから言伝を預かっていますよ。治療法が決まったのなら、早急に日程を決めるように、と。近々、お披露目もあるのですから、その前に治療してしまいませんか?」
「で、でもね、まだ手術に自信が無くて……」
目を移植するには、癒着してしまっている先生の瞼を開く手術をしないといけない。ホムンクルスを使った実験でそれを練習してはいるけど、自信満々に出来るようになったとは言えない。と言うか、上手く出来ないでいる。
「フォーゲルシメーレからも言伝を預かっていますよ。治療は手伝うから、遠慮なく言うように、と。ノイモーントも、呪術が必要ならば手伝うそうですよ?」
先生の瞼を開くのは、私よりもフォーゲルシメーレさんの方が断然上手だ。何たって、その道のプロだから。切るのも縫うのもお手の物。
そして、手術をする為には、先生に眠っていてもらわなくてはいけない。呪術で先生を眠らせながら手術をする。言うのは簡単だけど、やるのはとっても難しい。現にホムンクルスの実験では、呪術への集中が途切れて、途中で獣が目を覚まして暴れたり、手術への集中が途切れて、瞼を開くのが上手く出来なかったりした。
フォーゲルシメーレさんの薬師としての実力も、ノイモーントさんの呪術師としての実力も、借りられるのなら是非借りたい。だって、私の拙い手技と呪術で、先生の手術が大成功する可能性はまだ低いから。そう考えると、中途半端な実力しかないな、私……。
で、でも! この治療法を考えたのは私だもん。それに、肝心要の『再生』の術は、魔大陸では私しか使えないんだもん。適材適所で、先生の目を治療するだけなんだもん!
「明日、ノイモーントさんとフォーゲルシメーレさんにお願いに行って来る」
「僕は三人の都合に合わせますから。場所は、設備を考えたら城の病室ですかね?」
「ん。当日、ウルペスさんから新鮮な目を受け取らないとだしね!」
「し、新鮮な目……」
先生は微妙な顔でぽつりと呟いた。何か変な事を言っただろうか? 首を傾げる私を見て、先生が苦笑する。
「少々、感覚が違うのだな、と……」
「感覚って?」
「野菜や魚のように眼球を扱う感覚が不思議だったと言うか……何と言うか……。内臓なんかもその感覚なのですか?」
「ん。そうだよ」
新鮮な目は新鮮な目だし、新鮮な内臓は新鮮な内臓でしょ。他に何か言い方があるだろうか? う~ん……。活きの良い目、とか? でも、これじゃ、何だか目が生きているみたい……。言い回しって難しいね。
そんなこんなで、ノイモーントさんとフォーゲルシメーレさんに応援要請をして数日。とうとう先生の目を治療する日となった。何だかソワソワしてしまう。毎朝恒例の、スーちゃんの外遊びに付き合っててもソワソワ。朝ごはんを食べててもソワソワ。ソワソワ、ソワソワ……。
「ずいぶん緊張しているみたいですね」
朝ごはんの後のお茶を飲む先生がそう口を開く。私はそれにこくりと頷いた。何たって、今日は前代未聞の治療をするんだから。緊張するなって方が無理だ。
「あなただって緊張してるでしょ?」
「それが、僕は不思議とあまり緊張していないんですよねぇ」
「そ、そうなの?」
「ええ。期待感が大きいからでしょうね。それに、今日、僕はノイモーントの術で眠るだけでしょう?」
「ん。そう」
先生には、ノイモーントさんの術で深い眠りに落ちてもらう。手術されても気が付かないくらい深い眠りに。
普段だったら、フォーゲルシメーレさんが呪術で患者さんを眠らせつつ手術をするんだけど、今日だけは特別。何たって、前代未聞の治療をするんだから。万全を期して、不測の事態が起きても対応しやすいようにノイモーントさんに手伝ってもらう事にした。
「寝て起きたら目が治っている訳で、僕自身が何かする訳でもありませんし。それに、万が一、フォーゲルシメーレがやらかして大出血しても、アイリスが止血してくれるのでしょう?」
「う、うん……」
そんな万が一、すごく嫌だけどね。けど、一番可能性が高いのはこれだ。だから、ノイモーントさんに呪術を担当してもらい、フォーゲルシメーレさんは手術にだけ集中してもらうようにした。それでも、絶対はあり得ない。人がする事だから。もし、フォーゲルシメーレさんが手術中に太い血管を切っちゃって大出血が起きたら、私が治癒術で傷を塞ぎ、手術が継続可能ならそのまま継続。もしも駄目そうなら、手術は中止となる予定だ。
「僕が途中で目覚めても、アイリスが眠らせてくれるでしょう?」
「そうだね」
先生の魔術耐性は非常に高い。その上、手術による痛み刺激がある。たぶん、ノイモーントさんですら、ずっと術に集中していないと、先生はすぐに目を覚ましてしまうだろう。そうなったら悲劇だ。想像するだけでも痛い。だから、先生が目を覚ましそうな兆候があったら、私が呪術を重ね掛けする予定。それでも駄目なら、フォーゲルシメーレさんも術を重ね掛けして、そこまでしても駄目だったら、治癒術で傷を塞いで手術は中止となる。
「もし、移植した眼球が定着しなかったら?」
「フォーゲルシメーレさんが摘出して、私が治癒術で傷を塞ぐ……」
「ノイモーントの術が効き過ぎて、治療が終わっても僕が目覚めなかったら?」
「私が解呪の術で目覚めさせる」
「視力が回復しなかったら?」
「移植した目はそのままにして、数年後にもう一回、移植手術をする」
「色々な状況を想定して、三人で話し合ったのでしょう?」
「ん」
「僕は貴女達を信頼していますから。だから、不安の緊張も無いのですよ」
そう言って穏やかに笑う先生を見ていたら、緊張していた自分が恥ずかしくなってきた。先生がここまで信頼してくれているんだから、自信を持たなければ! 私なら出来る! 出来るぞ! むんっ!
お城の病室にやって来ると、一足先に到着していたらしいノイモーントさんとフォーゲルシメーレさんが手術の準備を始めていた。私も慌ててその仲間に加わる。必要な器具を出して、お湯で煮て消毒して――。そうしている間に手術の開始時刻となった。予定では、そろそろウルペスさんが移植用の目を持って来てくれるはず。と思っていたら、病室の扉がノックされた。扉に駆け寄り、それを開く。
扉の先にはウルペスさん。それは予定通りだ。けど、予定外の人物達が。
「えっと……?」
助けを求めるようにウルペスさんを見る。と、ウルペスさんがにこっと笑った。
「みんな心配なんだってさ。病室の外でなら、待たせてもらっても良いでしょ?」
みんなとは、竜王様、アオイ、ブロイエさん、ローザさん。つまり、このお城にいる先生の家族。付き添いなんだろうけど、そんな予定は入れていなかったから、病室に待合室は作っていない。けど、竜王様を筆頭に、廊下で待たせて良い面子じゃない。
「いや、でも、流石にそれは……」
だから、私は慌てて彼らを病室に招き入れた。そんな彼らと、ベッドに横たわる先生が言葉を交わす。それを横目に、私は病室の隅に慌てて待合室を作った。ウルペスさんもそれを手伝ってくれる。衝立で仕切って、椅子を並べて――。
「すまないな。手間を掛けさせた」
竜王様がそう言って、椅子に腰を下ろした。アオイがその隣。竜王様の正面の席にブロイエさんが座り、アオイの正面の席にローザさんが座る。
「アオイ、シオン様は……?」
「流石に、あの子は連れて来れないから、バルト達に預けて来た。今頃、ユニコーンに乗せてもらってはしゃいでるんじゃない?」
「大丈夫なのかな……?」
シオン様はあまり人見知りをする子ではない。それに、ユニコーンを始め、獣が大好きだから、今はご機嫌に過ごしているだろう。けど、私以外の人に預けられるのは、ほとんどない事。ちょっと心配になってしまう。
「大丈夫じゃない? シオンってば、ユニコーンに乗れるって、昨日からずっとご機嫌だったんだから。それに、ヘレも一緒にいるし。お気に入りのおもちゃも、おやつもたんまり持たせてあるし。ど~しても駄目だったら、ここに連れて来るように言ってあるから。そうなったら、私が退出すれば良いだけでしょ? そんな事よりも、君は手術に集中したまえ」
アオイが尊大にそう言う。私はそれにこくりと頷くと、ベッドに横になっている先生の元に向かった。




