フランソワーズ 2
戻って来たラインヴァイス先生の顔から、いつもの優しい笑顔が消えていた。人形みたいに表情が無くて、怖い空気が漂って来る。怒ってる? 怒ってるの? ヴォルフさん、先生に何言ったの?
「何があった」
泣きじゃくるフランソワーズを見下ろしながら、竜王様が問い掛ける。アオイはフランソワーズから顔を上げると、竜王様の後ろに立つ先生と男性陣三人を見て、ホッとしたように息を吐いた。そして、違う違うと言うように首を横に振る。
「フランソワーズがね、お酒、ちょっと飲み過ぎちゃったみたいなの」
アオイがそう答えた時、フランソワーズがもぞもぞと動いた。涙でぐちゃぐちゃの顔を袖で拭い、お酒のボトルに手を伸ばす。アオイ! フランソワーズが! お酒飲もうとしてるよ! これ以上飲ませたら駄目だと思うよ! 止めないと! ほらっ!
アワアワと慌てる私の視線に、真っ先に気が付いたのはノイモーントさんだった。首を傾げながら私の視線の先――ボトルに手を伸ばすフランソワーズを見る。それに一瞬遅れて、アオイがフランソワーズに視線を戻した。まだお酒を飲もうとしているフランソワーズを見て、アオイが驚いたように目を丸くする。
「駄目、ですよ」
フランソワーズがボトルを取るより一瞬早く、ノイモーントさんがサッとそれを取った。ボトルを追って手を伸ばすフランソワーズの手が届かないようにだろうか、ノイモーントさんが頭上にボトルを持ち上げる。
「飲み過ぎです。少し酔いを醒ました方が良い」
そう言ったノイモーントさんは、少し厳しい顔つきをしていた。その顔を見て、何だか母さんに叱られた時の事を思い出してしまった。
「嫌だ。もっと飲む!」
「お酒は楽しく飲んでこそ。泣きながら飲むものではありませんよ」
「いぃ~やぁ~だぁ~! 飲み足りないぃぃ~! もっと飲む! 飲むのぉぉぉ~!」
……フランソワーズが壊れた。こんな、子どもみたいに駄々をこねるフランソワーズ、初めて見た。
「はいはい。もう十分でしょう。ほら、あっちで休んでいなさい」
「やぁだぁ~!」
「ほら、行きますよ!」
ノイモーントさんがフランソワーズの腕を掴んで立ち上がらせる。何だろう、この雰囲気。お母さんとちっちゃい子どもみたい……。
「アイリス、水を」
抱きかかえるようにフランソワーズを引っ張っていくノイモーントさんに言われ、私は水差しとコップを持ってその後をくっ付いて行った。向かった先はガゼボだ。ここなら、ベンチで横になれるし、休むには持って来い。コップに水を注ぎ、ベンチに腰を下ろしたフランソワーズにずいっとそれを差し出す。フランソワーズはそれを受け取ると、一気に飲み干した。そして、ポツリと呟く。
「酒じゃない……」
何で、この状況で私がお酒を出すって思うの? 本当に大丈夫かな、フランソワーズ。お酒って怖い。
「当たり前でしょう」
やれやれといった様子で、ノイモーントさんが溜め息を吐き、フランソワーズのすぐ隣に腰を下ろした。すると、フランソワーズが顔を顰め、距離を開けるように座り直す。
「警戒しないでも大丈夫ですよ。酔っぱらっている女性に手を出すほど、人でなしではありませんから。アイリスもいますしね」
「男は信用出来ない……」
フランソワーズは空になったコップに視線を落とした。もっと飲む? コップに追加の水を注ぐと、フランソワーズがちびちびとそれを飲む。
「……一つ、確認しても?」
ややあって、ノイモーントさんが口を開いた。フランソワーズの眉間に皺が寄る。
「何」
「男は信用出来ないとおっしゃっていましたが、それは、人族も魔人族も関係無いのかと」
「ああ。私は男が嫌いだ! 人族も魔人族も関係無くなっ!」
「ふむ……」
フランソワーズの答えを聞き、ノイモーントさんが考えるように黙り込んだ。男の人を嫌いになるって、フランソワーズに何があったんだろう? さっき言ってた、いかがわしいとか、花街とか、お金で女の人を買うとか、溜まったものの処理とか、そういう事が原因なのかな? でも、それがどういう事か、いまいちわからないんだよなぁ。
「もう一つ、確認しても良いですか?」
「ああ」
「以前、私と森で出会った時、私から逃げた理由は、私が男だから? 魔人族だからではなく」
「誰だって、知らない男から迫られたら逃げるだろ!」
「目が光ったからとか、翼が出たからとか、そういう事ではなくて?」
「それはインキュバス族の発情の兆候だろうが! 尚更怖いわっ!」
発情……。またしても、知らない言葉が出て来た。でも、発情すると怖いらしい事は分かったぞ。後で、ラインヴァイス先生に発情の意味、聞いておかないと! 心の写本に、分からない単語を書き留める。
「そこまで知っていましたか。では、インキュバス族の固有魔術も?」
「『発情』だろ。戦闘では全く役に立たない固有魔術で有名だ。光る目を見つめると、その気の無い者でもその気になる、だったか。最低な固有魔術だな!」
う~む。フランソワーズの言い方、とってもきついなぁ。いつもはこんなんじゃないのに。これもお酒のせい? それとも、男の人が嫌いだから?
「それは否定出来ませんね。インキュバス族自体、最低な部族ですし……」
ノイモーントさんは少し悲しそうな顔をすると、下を向いてしまった。インキュバス族が最低って、自分で言っちゃったよ……。でも、ノイモーントさんがそう言いたくなる理由に、私は心当たりがあった。
母さんが話してくれたおとぎ話には、インキュバス族の話がいくつもあった。しかも、どれもこれも女の人を食べてしまう話だった。ある時は、村一番の美人と評判の女の人を攫い、またある時は、魔物から村を助ける代わりに女の人を生贄に求め、またある時は、屋敷に迷い込んだ少女をあの手この手を使って帰さない、などなど、などなど。私、ノイモーントさんの事は嫌いじゃないけど、インキュバス族は嫌いだ。というか、インキュバス族を好きな人っているのかな? 人族に一番嫌われてる魔人族は、たぶん、断トツでインキュバス族だと思う。
「べ、別に、私はそこまで言ってない。固有魔術が最低だって言ったんだ」
「あまり、変わらない気もしますけど……」
「変わる!」
「そうですか? まあ、貴女がそう言うのなら、変わるのかもしれませんね」
ノイモーントさんが顔を上げ、口元を押さえながらクスクスと笑った。それを見たフランソワーズが、きまり悪そうにそっぽを向く。悪い事言ったなって思ったんなら謝れば良いのに。フランソワーズってば、素直じゃないな。
その後、フランソワーズもノイモーントさんも、何も言わず黙りこくっていた。何をするでもなく、じっとベンチに座っている。と思ったら、突然、フランソワーズがその沈黙を破った。
「気持ち、悪い……」
低い声でポツリと呟いたフランソワーズの顔を見ると、血の気が引いて真っ白になっていた。もしかして、ずっと黙ってたのって、具合悪くなったから? どどど、どうしよう! フォーゲルシメーレさん、呼んで来た方が良いのかな? アワアワと慌てる私を余所に、ノイモーントさんが呆れたように溜め息を吐いた。
「飲み過ぎるからでしょうに……。ほら。少し横になりなさい。ひと眠りすれば、多少はマシになりますから」
「う~」
フランソワーズが唸りながら横になる。その頭は、ノイモーントさんの膝の上にしっかりと誘導されていた。フランソワーズの目元を覆うように、ノイモーントさんが手を置く。しばらくすると、フランソワーズからスヤスヤと安らかな寝息が聞こえてきた。
「安心しきった顔をして……」
ポツリと呟いたノイモーントさんは、少し嬉しそうな顔をしていた。そして、フランソワーズの前髪を手で梳き始める。私はそれを、対面のベンチに座って見守っていた。
私はインキュバス族が好きじゃない。でも、ノイモーントさんは好き。だって、可愛い服を作ってくれたし、よく話し掛けてくれるんだもん。先生みたいに良い匂いもするし、とっても優しい話し方だし。
フランソワーズも、男の人は嫌いだけど、ノイモーントさんは別ってならないかなぁ? ノイモーントさんって、男の人らしい見た目じゃないし、臭くないし、汚くだってないし。いかがわしいかそうじゃないかは、いまいち分からない。けど、ノイモーントさんは良い人なんだもん!




