移植 3
アオイの部屋を訪ねると、扉を開けてくれたローザさんも、ケルベロスのヘレに乗ったシオン様と遊んでいたらしいアオイも驚いていた。今日、私はお休みの日だったから。来るはずのない人が来たら驚くよね。
それよりも、ミーちゃんは、と。……あ。いた。クローゼットの上でちっちゃくなってる。たぶん、シオン様対策だろう。シオン様はバルトさんに負けず劣らずの獣好きだったりする。手が届く所に獣がいると、撫でくり回したくなる子だ。主な被害者はヘレだけど、ヘレ以外の獣にだって触りたい。だから、今だって、ヘレの背に乗ったシオン様は、ジッとミーちゃんを見つめている。
「ミーちゃん。バルトさんの所、行こう?」
クローゼットの下からミーちゃんを呼ぶも、ミーちゃんは無視を決め込んでいるらしい。ちらりともこちらを見てくれない。
「バルトさんが心配してたよ。ずっとそこでそうしている訳にもいかないんだし、下りて来てよ?」
「ミーちゃんってば、突然やって来て、ずっとそこで拗ねてるんだよね。何があったの?」
アオイが私の隣に立ち、クローゼットの上のミーちゃんを見上げながらそう言った。私は曖昧に笑う。
「ええと……。バルトさんと喧嘩したみたいで……」
「猫と喧嘩って……」
アオイの中のバルトさんの評価が一段階下がったのが、そう言ったアオイの声色で分かった。アオイにとってみたら、ミーちゃんはただの獣な訳で。ミーちゃんが魔人族に近い種族だって知らないから、バルトさんが獣と本気で喧嘩した、残念な人になってしまった……。けど、本当の事をアオイに知られるのをミーちゃんは望んでいないから、私の口から言う訳にもいかない。という事で、バルトさんには残念な人になっておいてもらおう。
「ミーちゃん。そこでそうしてても、バルトさんと顔会わせ辛くなるだけだよ? 一緒にバルトさんの所行こう? ね?」
そう言って両手を広げる。と、のそりとミーちゃんが立ち上がった。
「にゃにゃにゃい! にゃっにゃいにゃにゃ!」
「バルトさんがいないと、ミーちゃんの言葉、分からないよ。バルトさんの所に行ってお話しよう?」
「うにゃぁ! しゃ~!」
「うわぁ……。珍しく気が立ってるねぇ……。しばらくそっとしておいた方が良いよ、アイリス。不用意に手を出すと引っ掻かれるよ、あれは」
毛を逆立て、牙を剥き出しにするミーちゃんを見て、アオイが苦笑しながらそう言う。私はフルフルと首を横に振った。
「嫌! 私、ミーちゃんとバルトさんに仲直りして欲しいの!」
「う、うん……。そっか……」
頷いたアオイが、「猫なんかと本気で喧嘩すんじゃないわよ、バルト……」とボソッと呟いている。
「はぁ……。仕方ない。可愛いアイリスの為だ。取って置きをあげよう。ローザさん、あれ下さい」
「かしこまりました」
微笑んだローザさんが、テーブルの上の小箱を開ける。とたん、ヘレが尻尾を振りながらそちらに駆けて行った。もちろん、シオン様をその背に乗せたままで。
シオン様は、突然走り出したヘレに大喜び。高笑いを上げている。まるで、テンションが上がった兄様のように。二人は親戚同士だからね。そういう所、似るんだね。
ローザさんが小箱から取り出したのは干し肉だった。たぶん、ヘレのおやつなんだろう。それをまずはヘレにあげ、続いて小箱を持ってこちらにやって来る。
「アオイ様、どうぞ」
「ありがとうございます。ミーちゃ~ん! とびきり美味しいおやつだよ~。下りて来て食べな~?」
ローザさんが持つ小箱から干し肉を取り出したアオイがそれを振る。とたん、ミーちゃんがクローゼットから飛び降りた。そんなミーちゃんにアオイが干し肉をあげる。
「ミーちゃんが食べ終わってから捕まえなね? 食いしん坊な子だから、たぶん、もう引っ掻かれはしないと思うけど……。一応、気を付けてね?」
「ん。分かった。ありがと、アオイ」
「い~え~。……っと! シオン! ミーちゃんは駄目なんだって。よしよしも力加減も出来ない子にはまだ早いの! ヘレで我慢しなさい!」
干し肉を食べるヘレの背から飛び降り、ミーちゃんに向かって駆け出したシオン様をアオイが慌てて捕まえる。そして、抱き上げた。シオン様はどうしてもミーちゃんに触りたいらしく、アオイの腕から逃れようともがいている。そうしている間に、ミーちゃんが干し肉を食べ終わった。逃げられるより先に、ミーちゃんを抱き上げる。
「美味しかった? 良い物もらえて良かったね、ミーちゃん!」
「にゃ! にゃにゃいにゃにゃ~!」
「大丈夫、大丈夫」
「にゃににゃにゃいにゃううにゃにゃ~! にゃ~!」
ミーちゃんはジタバタもがいている。けど、引っ掻いたりして、無理矢理私の腕から抜け出そうとはしなかった。本当はミーちゃんだって分かってるんだよね。このままバルトさんと顔を合わせない訳にはいかないって。
アオイ達に別れを告げ、私はミーちゃんを抱えたままアオイの部屋を出た。そして、東の塔の長い階段を下りる。そうして階段の終わりが見え始めた時、階段の下にバルトさんの姿を見つけた。
東の塔は、竜王様の許可無くしては入れない。けど、バルトさんはミーちゃんの専属世話係り。許可は出ているんだけど、真面目なバルトさんの事だ。私用では絶対に立ち入らないって決めているんだと思う。本当ならバルトさんがミーちゃんを迎えに行きたかったんだろう事が、ソワソワウロウロしている姿を見てすぐに分かった。
「バルトさん、ミーちゃん連れて来たよ!」
バルトさんにミーちゃんを手渡そうとすると、ミーちゃんが私の服に爪を立ててしがみ付いた。往生際の悪い!
「ミーちゃん、ちゃんと仲直りしなよ! せっかくお迎えに来てくれたんだから!」
「にゃにゃにゃい!」
「知らない、か……」
そう言ったバルトさんは、凄く寂しそうな目をしていた。恋人に拒否されたら、そりゃ傷付くよね。
「んもぉ! この後、ミーちゃんに大事なお話だってあるんだから! とっとと仲直りして、ウルペスさんの研究室に行くよ!」
「にゃ?」
「ミー。すまなかった。お前が俺の為に身体を治したいというのは分かっていたのだが……。もっと言い方があった……」
「にゃにゃいにゃにゃにゃにゃにゃん……」
「そうか。二人の為、か。そうだな。俺達二人の為だったな……」
バルトさんがそう言ってミーちゃんに手を伸ばす。そして、そっとその頭を撫でた。ミーちゃんは目を細め、されるがまま。よし! 仲直り出来たね。という事で!
「ミーちゃん、ウルペスさんの研究室行こう!」
「んにゃ」
頷いたミーちゃんが長く鳴く。とたん、私達の足元に転移魔法陣が浮かんだ。
カッと目の前が光り、ぐらりと足元が揺らぐ。そうして降り立ったのはウルペスさんの秘密の研究室。私達が帰って来るのを待っていたウルペスさんは、紙に何か書き物をしているようだった。けど、私達を見てペンを置く。
「お帰り~。ミーさんはいらっしゃ~い!」
「んにゃ」
挨拶をするように短く鳴いたミーちゃんは、私の腕から飛び降りた。そして、部屋の中央の巨大な水槽の前に座り、リーラ姫のかりそめの身体を見上げる。どこか寂しそうな目をして。
「ミー……」
バルトさんがミーちゃんをそっと抱き上げた。そんなバルトさんの胸の辺りに、ミーちゃんが頭を擦り付ける。
「あの~……。いちゃついているところ悪いんですけど、話の続き、しません?」
ウルペスさんが呆れたようにそう言った。そうか。ミーちゃんとバルトさん、いちゃついてたのか。ミーちゃんが人の姿だったら、抱き合う二人だったのかもしれない。けど、獣姿だと、微笑ましく見えてしまう不思議。
「そうだな」
バルトさんはミーちゃんを抱っこしたまま椅子に腰を下ろした。私も椅子に座り、話の続きをする態勢になる。
「ミーさんの治療法の事はもう話した?」
ウルペスさんに問われ、私はフルフルと首を横に振った。バルトさんも一緒になって首を横に振っている。
「んじゃ、そっから説明だね」
そう言って、ウルペスさんは先程私達が話した内容の要点をかいつまんでミーちゃんに説明してくれた。
「――という事で、俺が術の構築を担当して、アイリスちゃんが実際に術を使ってミーさんの身体を治す、と。すぐに身体を治したいミーさんには待っていてもらわないといけないんですけどね。でも、核の移植よりもこっちの方が安全性がずっと高いし、治る可能性も高い」
「にゃにゃにゃにゃい?」
「どれくらい、だそうだ。待つという意味で、だよな?」
ミーちゃんの言葉を訳したバルトさんがミーちゃんの問う。と、ミーちゃんがこくりと頷いた。
「そうですねぇ……。いくつか、術の元になりそうな浄化術を書き出してみたんですけど、どれもそう難しい術じゃないんですよ。オーソドックスな浄化術なんで、術の構築はそう時間は掛からないと思いますよ。ただ――」
ウルペスさんがちらりとこちらを見る。どれだけ待つかは私次第って事か……。
「アイリスちゃんは治癒術師であって、浄化術師じゃないですからね……」
「だが、治癒術も浄化術も同じ状態魔術だ。目指すべき術の方向性も似ているのだし、全くの素人という訳でもない」
そう言ったのはバルトさんだ。そんなバルトさんの言葉に、ウルペスさんが深く頷く。
「そうなんですよ。だから、逆に未知数と言うか……。あっという間に術を使えるようになる可能性もあるし、逆に凄い時間が掛かる可能性も捨てきれなくて……」
「私、頑張るよ。ミーちゃんが私の患者さんになってくれるなら。患者さんを治すのが治癒術師なんだもん! 絶対にミーちゃんを治してみせるよ!」
「にゃにゃにゃにゃ……?」
「約束? だそうだ」
「ん! 約束する!」
「にゃにゃ――」
ミーちゃんがにゃうにゃうと何かを話す。それをバルトさんが真剣な面持ちで聞いていた。
「ミーには、お前に渡せる対価が無い、と。ただ、それは俺から払わせてもらう。それで構わないな?」
「対価なんて別に要らないよ?」
「そういう訳にはいかない」
「ん~……」
でもなぁ。ミーちゃんの治療で対価をもらおうって気が起きないんだよなぁ。私がミーちゃんを治すのは当然の事と言うかぁ……。今まで散々お世話になってるしぃ……。
「でもね、私、もう対価はもらってると思うの。ミーちゃんにはだいぶお世話になったでしょ? 小さい頃に。ミーちゃんがいてくれるだけで心強かったんだよ、あの頃は」
「にゃんにゃにゃにゃにゃ……?」
「そんな事が、だそうだ。俺も同感だ。お前は魔大陸唯一の治癒術師だ。そんな事が対価になる訳が無いだろう。遠慮しているのなら無用だ」
「遠慮とかじゃないんだよ。私にとっては、あの頃のミーちゃんの温もりが対価なの。心が不安定な時の温もりって、何にも代えがたいものなんだから。私にとっては、ミーちゃんの存在が心の支えになってたんだよ!」
「俺、アイリスちゃんが言ってる事も分かるわ」
そう言ったのはウルペスさん。何かを思い出しているんだろう。机に頬杖を付いた彼は、少し遠い目をしていた。
「辛くて誰かに縋りたい。けど、それが素直に出来ない時、気が付いて傍にいてくれる人がいるって心強いんだよねぇ……」
「そう! ああ、この人は私の味方なんだ、頼っても良いんだって思えるんだよ。ミーちゃんは私にとってそんな人だったの。だから、対価なんて要らないの!」
「魂の傷と治療の研究は、アイリスちゃんの糧にもなる訳ですし、本人もこう言ってるんですし、良いんじゃないですかねぇ? ど~しても気になるってんなら、ご褒美に何かあげれば良いんじゃないですか? 芋とか芋とか芋とか。金よりもそっちの方が断然嬉しいよね、アイリスちゃんは」
お芋っ! ウルペスさんの言葉にこくこくと頷く。ミーちゃんもバルトさんも渋い顔。でも、それ以上は何も言わなかった。たぶん、平行線になる事が分かってるから。
「んじゃ、そういう事で。話も丸く収まったし、図書室にでも行きますか~」
「ん! 浄化術の魔道書、借りて帰らないと!」
私、浄化術の魔道書なんて持ってないからね。良さげな魔道書をウルペスさんに教えてもらって、早速、浄化術の勉強を始めよっと!




