結婚 8
一月程が経ち、冬も深まって来たある日、リリエッタ様からお手紙のお返事が届いた。お城でシオン様のお世話をしていたら、配達の人がわざわざ私の元まで届けてくれた。
白い封筒には、アイリス様へと宛名があり、裏返してみると、リリエッタ様のお名前と、リリエッタ様のと思しき、羽を広げる蝶と百合の花の紋章の封蝋印。フェアリー族らしい素敵な紋章だ。
これを読むのは、家に帰ってからの楽しみにしよう。そう思い、私はカバンにそっとそれをしまった。
家に帰ると、早速、お手紙を読む事にした。サロンでカバンを漁り、お目当ての品を取り出す。そうして、ヴィルヘルムさんが淹れてくれたお茶を飲みながらお手紙に目を通していった。
お手紙を読む限り、リリエッタ様は、私と先生の関係、何となく気が付いていたようだった。仲睦まじいご様子でしたねと、お手紙に書いてあった。妖精王様とは違い、彼女はそういう事に敏いらしい。それもそのはず。リリエッタ様は結婚していたのだ。お手紙には、「主人と一緒に、必ずお披露目に伺います。楽しみにしています」って書いてあった。
「リリエッタ様、結婚してたんだね」
思わず、そんな言葉が口をついて出てしまう。と、正面の席でドライフルーツの焼き菓子を食べながらお茶を飲んでいた先生が目を瞬かせた。
「アイリスも会っているじゃないですか。リリエッタ様の旦那様」
「へ?」
今度は私が目を瞬かせる番だった。リリエッタ様の旦那様に会ってる? いつ?
「常にリリエッタ様の傍にいらっしゃったじゃないですか」
むむむ。常に一緒にいたって……。私の記憶にある限り、リリエッタ様と一緒にいたのは護衛の若いお兄さんだった。そんな、旦那様らしき人なんて見ていない。
「護衛のお兄さんしかいなかったよ?」
「護衛……?」
二人で顔を見合わせる。ややって、先生がポンと手を打った。
「そうですよね。アイリスは知らないですよね。その護衛と思った方がリリエッタ様の旦那様ですよ。少し歳が離れていて、しかも、旦那様が年下なんです」
「少し?」
「ええ。少し」
リリエッタ様は、どちらかと言うと、私よりもローザさんに見た目年齢が近い。人族で言う所の三十歳前後。そして、護衛だと思っていたお兄さんは、先生や竜王様に年齢が近そうだった。人族で言う所の二十代前半。結構、年の差があると思う。
「結婚するにあたり、ひと悶着あったご夫婦ですからね。かなり有名なんですよ、あのお二人。だから、アイリスが知らない事を失念していました。多分、リリエッタ様もでしょうね」
へ~。そこまで有名なご夫婦なのかぁ。誰でも知っていて当たり前レベルって凄いな。
「因みに、ひと悶着って? 旦那様が年下で、年の差があるから反対された、とか?」
前例が無い! そう反対されたのかな? と思ったけど違ったらしい。先生が苦笑しながら首を横に振る。
「いえ。歳の差で言ったら、魔人族と人族の夫婦よりも少ないはずです。親戚筋なんですよ、あのお二人」
「親戚筋で結婚するのがいけないの?」
「そうですね。王族――特に王位継承順位の高い者に限って言えば、あまり褒められた事ではないかもしれませんね」
「何で?」
「そうですねぇ……。例えば、リーラが今も生きていたとします。それで、スマラクト様と意気投合し、恋仲になったとしますね」
「ん」
「それで、大人になって二人が結婚し、子どもが出来る。すると、跡目争いが勃発します。王位継承権第一位はシオン様ですが、血の濃さで言ったら、リーラとスマラクト様の間に出来た子どもの方に軍配が上がります。慣習を優先するか、血の濃さを優先するか。さて、どちらが正解でしょう?」
「ん~……。私としては、シオン様に次の竜王様になって欲しいし、そうあるべきだと思う」
「アイリスはそうでしょうね。僕としては、実力がある方が即位すべきだと思います。血の濃さを重視する者も一定数いるはずですし、正解は人それぞれです。だから、派閥が出来てしまう。シオン様派か、リーラの子派か。派閥の勢力が拮抗すればするほど、国の情勢が不安定になります」
「もしかして、妖精王様の国って、情勢が不安定なの?」
留学中はそんな雰囲気、無かったけど……。でも、部外者の私が分からなかっただけという可能性も……。
「いえ。あの国に関して言えば、情勢は安定しています。妖精王様がご結婚されていないのもありますし、リリエッタ様にまだお子様がいないのもあります」
「じゃ、じゃあ、もし、妖精王様に跡取りが出来て、その時にリリエッタ様に子どもがいたら、情勢が不安定になったり――」
「それもありません。妖精王様に跡取りが出来たら、リリエッタ様は臣籍に降りますから。リリエッタ様のお子様が王位を継ぐのは、妖精王様がこのまま未婚だった時のみでしょうね」
「リリエッタ様はそれで納得してるの?」
「ええ。それが、リリエッタ様が城に戻る際、自身で出した条件でしたから」
「ん? お城に戻るって?」
「一度、駆け落ちしたのですよ、あのお二人。国の重臣達に結婚を反対されて。国の情勢を不安定にする気か、私達の苦労を少しは理解しろ、とね」
はぁ~。それがひと悶着の正体か。大変だね、王族って。
「あの時のリリエッタ様の行動力と言ったら。一人の女として幸せになる権利すらないのなら、いっそ、王族である事を辞めさせてもらう、と。重臣達の前でそう啖呵を切って、その日のうちに荷物をまとめて城を出たそうです。あの時は、うちの国にまで、お二人が来ていないかと問い合わせがあって……。わざわざ捜索隊を結成したんですよ。後々分かった事なのですが、リリエッタ様の捜索依頼、魔大陸全ての国に出していたんです。だから、誰よりも、名前も顔も知られているご夫婦なんですよ」
そう言って、先生がクスクス笑う。今だから笑い話になるけど、その当時は全く笑えなかっただろうな。たぶん、どの国も、血眼になってリリエッタ様と旦那様を探した事だろう。
「そんな、いなくなって大騒ぎするくらい大事なお姫様ならさ、結婚くらい自由にさせてあげれば良かったのにね……」
「第三者的に見れば、ね。重臣達は、リリエッタ様がいきなりそんな、強硬手段に出るとは思っていなかったのでしょうね。リリエッタ様の心情を、誰も理解していなかったと言うか、何と言うか……」
そう言って、呆れたように先生が溜め息を吐いた。そして、お茶を一口啜る。
「せん――」
言い掛け、ハッとして口を噤む。危ない。間違えるところだった! 見ると、先生はジッと私を見ていた。ま、間違えてないよ。私、間違えてないからね! 最後まで言い終わってないんだし、自分で気が付いたんだから大目に見て。お仕置きと言う名の、過剰なスキンシップは止めて!
「あ、あなたは、リリエッタ様の心情、分かる?」
焦りつつもそう問うと、先生は小さく溜め息を吐いてティーカップを置いた。この溜め息は、今の、大目に見てくれるって事? そうだよね? そうだよね?
「多少は。彼女は常に制約があるのでは、と。気軽に友人を作れないような、ね。それが他者からの押し付けなのか、ご自分で律しておられるだけなのかは分かりませんが、我慢の限界だったのでしょうね」
言われてみれば……。留学終わりのパーティーで、リリエッタ様、「友達になりませんか?」すら言えなかったんだよなぁ。先生が気を利かせて私に教えてくれなかったら、今、こうしてお手紙のやり取りすら出来ていない訳で。う~む……。
「王族って窮屈だね」
「まあ、そうですね。ただ、権力はありますから。普通だったら自由にならない事を自由にする事も可能ですし、一長一短でしょうね」
「そっかぁ。でも、私、王族の一員になりたいとか全然思わないんだけど!」
「では、僕は、臣籍に降りていて正解だったという事ですね」
「ん。そう!」
「ところで、アイリス?」
私を呼んだ先生は、にっこりと良い顔で笑った。こ、これは……。
「つい今しがた、呼び方、間違えましたよね?」
「ま、間違えてない!」
フルフルと首を横に振る。
「先生って言い切ってないもん!」
「しかし、言いかけましたよね?」
「う……。そ、そう、だけど……。で、でも! 自分で気が付いたし、さっきのは――!」
「間違いに気が付いて訂正しても、間違えた事実は無かった事にはなりません」
先生が両手を広げる。見逃してくれる気は全く無いらしい……。うぅ……。すごすごと先生の傍に寄ると、先生が笑みを深めた。
「どうするかは、もう分かっていますよね?」
「う~……」
「そんなに嫌ですか?」
「だってぇ……」
恥ずかしい。この一言に尽きる。私はおずおずと先生の膝の上に座ると、その首に腕を回した。先生の腕が私の背に回る。うぅ~。自分から抱き付くって、何回やっても慣れないよぉ。恥ずかしいよぉ。穴があったら入りたいよぉ!
「顔、真っ赤ですけど?」
「恥ずかしいの!」
分かっててそういう事言うんだから! 先生なんて、好きだけど嫌いなんだから! キッと先生を睨むと、先生がクスクスと笑った。
「相変わらず、可愛らしい反応ですね」
「せんせ――じゃなかった、あなたって、良い性格してるよねッ!」
「おや。そうですか? しかし、そんな僕の妻になった貴女はどうなのでしょうね?」
そう言って、先生が私の首筋に顔を埋めた。く、くすぐったい! くすぐったいよ、先生! ほ、ほら! スーちゃんが興味津々でこっち見てるから! ヴィルヘルムさんだっているんだし! こういうの、良くないよ!




