結婚 2
ひとしきりスーちゃんと遊び、私達はお屋敷の中に戻った。冷えてしまった身体を温めようと、先生がキッチンにティーセットを取りに行ってくれる。私は一足先にスーちゃんと共にサロンに向かった。
「たくさん遊んだねぇ」
ソファに座り、私の膝に前足を掛けて立ち上がったスーちゃんの首の辺りをウリウリと撫でる。スーちゃんはご機嫌そのもの。口を半開きにして目を輝かせながら、尻尾をフリフリしている。
「お外、楽しかったの。そっか、そっか。良かったねぇ」
そうしてスーちゃんと戯れていると、先生がティーセットを持ってやって来た。先生と一緒にお茶を飲んで一息吐き、その後、それぞれ留学に持って行った荷物を片付けると、あっという間に夕ごはんの時間になった。
家族用の食堂で先生と一緒にごはんを食べる。スーちゃんは一足先にごはんを食べたから、暖炉の前に陣取ってうつ伏せになっている。物欲しそうにジッとこっちを見ているけど、見ないフリ、見ないフリ。人用のごはんは、スーちゃんにはしょっぱすぎるからね。それに、私達が普通に食べている物でも、スーちゃんにとっては毒になる物もあるらしいから。欲しがっても人用のごはんは絶対にあげたら駄目だって、ケルベロスのしつけ本に書いてあったし、見ないフリ。
「スーの視線が痛いですね」
先生が苦笑する。私も苦笑しながら頷いた。欲しがっているのを分かっているのに、見ないフリを続けるのはなかなか辛いものだ。
「さっき、お腹いっぱい食べたのにね」
「僕らの食べ物に興味があるのですよ、きっと。ケルベロスは好奇心旺盛ですから。美味しそうだなぁ。あのごはん、私も食べてみたいなぁと思いながらこっちを見ているのでしょうね」
「今にも涎垂らしそうな顔してるよね」
「ですね」
先生と二人、クスクス笑い合う。スーちゃんがいると話題に困らないのが良いね。明日からの私達の話題は、もっぱらスーちゃんだろう事は容易に想像出来る。
「……良いですね、こういうの」
先生が目を細めながらスーちゃんを見つめ、そう口にした。
「ん?」
「家族の団欒という感じがして」
家族の団欒かぁ……。言われてみれば、スーちゃんの立ち位置って、私達の子どもに近いのかもしれない。色々面倒を見てあげないといけないし。それに、共通の話題だし。
「そうだね」
だから、私は素直に頷いた。私は、家族みんなが揃っての団欒って、本当に小さい頃——やっと物心が付いた頃の記憶しかない。父さんは、私が小さい頃に死んでしまったから……。
「実は、ずっと憧れていたんです。こういうの」
先生の言葉に、私は思わず手を止めて先生を見た。先生は自嘲気味に笑っている。
「アイリスにどこまで話しましたっけ? 僕の家族の事」
「ええと……。お父さんと折り合いが悪かったのは知ってるけど……」
「実は、家族揃っての食事、あまり記憶に無いんです。父は家庭を顧みない人で……。王としてはそれが正しかったのかもしれませんが、僕はそんな父が嫌いでした」
何と……。先生のお父さんは、先生以上に仕事人間だったらしい……。
「それに、無口で、何を考えているのか分からない人で……。偶に食事時にいても、まともに会話をした記憶がありません」
「ん……」
想像するに、先生の家のごはん、お葬式のようだったのだろうか……? 静まり返った室内に、食器の音だけが響く、みたいな? う~む……。そんな幼少期を送っていたら、家族でお話ししながら笑い合ってごはんを食べるの、憧れるだろうなぁ……。
「叔父上に弟子入りをして少しして、完全に叔父上に預けられている状態になって、母ともあまり顔を合わせなくなりました」
「そっか……」
薄々気が付いてはいたけど、先生にとって、ブロイエさんは叔父さんであると共に、育ての親でもあったんだね。そりゃ、お互いに遠慮が無いはずだ。たまにある二人の言い争い――と言うか、掛け合いも、親子のじゃれ合いだったんだろう。
「実は、リーラの事も、一時期嫌いだったんです」
「リーラ姫も?」
何と。それは知らなかった。先生はリーラ姫の事、とっても可愛がっていて、大切にしていたんだと思ってたんだけど。
「リーラ姫と先生って、仲が良かったのかと思ってた」
「幼い頃、叔父上に預けられた原因がリーラだと思っていたんです。丁度、僕が叔父上に預けられた時期と、母がリーラを身ごもった時期が重なっていたので。母の愛を一心に受けるリーラが妬ましくて……。リーラさえいなければ、母ともっと一緒に過ごせていたのではないか、と……。今思うと、あの頃から人族との関係に暗雲が立ち込め始めていたのですが、幼い僕はそれに気が付かなくて……。力ある者の務めは知っているでしょう?」
「ん」
「あれは、幼いからといって避けられるものではありません。特に、僕は王族でしたから。戦になれば絶対に戦場に出なければいけない。だから、叔父上に預けられたんです。戦場で死ぬ事が無いように。優れた魔術師になるように、と。それが王である父の愛情でした。しかし、僕はそれが理解出来なかった。愛していると抱きしめてくれたり、よくやったと褒めてくれたり……。そんな直接的な愛情表現だけが本当の愛なのだと勘違いしていましたから……」
「ん……」
「それで、僕が叔父上に預けられた年齢よりもずっと幼くして、リーラが叔父上に預けられました。天真爛漫に振る舞うリーラに、叔父上やウルペスを取られたような気がして嫉妬して……。だから、最初はリーラを邪険に扱っていたんです。でも、リーラはリーラで、めげずに僕の後を付いて歩くんですよ。兄様、兄様って。それで、だんだん可愛いなって思うようになって……」
「凄く大切な存在になったんだね……」
リーラ姫が、勇者と聖女メーアに殺された時、世界の消滅を願ってしまう程に……。
「ええ……。気が付いたら、誰よりもリーラの面倒を見ていました。リーラがいなかったら、今の僕は無かったかもしれません。他者を思いやる心は、リーラが教えてくれたものですから……」
「大きいなぁ……」
ポツリと呟いた私の言葉を聞いて、先生が不思議そうに首を傾げた。今度は私が自嘲気味に笑う。
「先生の中のリーラ姫の存在。私じゃ越えられない……」
「そんな事はありませんよ。僕にとって、アイリス以上に大切な存在はいませんから。リーラでは比べ物になりません」
「でもさ、先生とリーラ姫には血の繋がりがあって、それって切っても切れない縁でしょ? 私は違うじゃん……」
大人気ないとは思う。妹と恋人、どっちが大切かなんて比べるものじゃないのも分かってる。でもさ、先生の中のリーラ姫の存在の大きさを感じると、嫉妬したくなっちゃんだもん!
「……嫉妬、ですか?」
「っ! そうだよ! 悪い?」
図星を指されて開き直る。私はフンと鼻を鳴らすと、お皿の上のお肉の塊にフォークを突き立てた。そして、それを一口で口に入れる。今日のお肉も柔らかくて美味しいねッ! そんな私を見て、先生がクスクスと笑う。
「何ッ!」
「いえ。嫉妬する姿も可愛らしいな、と。照れて開き直る姿も」
「可愛くないもん!」
「可愛いですよ」
「可愛くない!」
「可愛いですって」
何、このやり取り。何だか無性に可笑しくなってクスクス笑う。と、先生も私につられるように笑い出した。
「やっぱり良いね、こういうの」
「ええ」
頷いた先生は、本当に嬉しそうに笑っていた。小さい頃に寂しい思いをした分、家族に対しての思い入れが強いんだろうな。そういう所、私達って似てるよね。




