留学 12
翌朝、私は朝日に照らされて目を覚ました。妖精王様のお城では、日の光を遮る厚手のカーテンは使わないらしく、私が泊まっている部屋もその他の部屋も、光が良く入る薄手のカーテン一枚だけしかなかった。だから、こうして朝日が昇ると、その眩しさで自然と目が覚める訳で。実に効率的である。主に、使用人目線で。
寝起きの目に朝日が染みる。私はベッドから起き上がり、シパシパする目を擦った。そして、ベッドから降りようと、何の気なしに手を付く。と、ムギュッと何かを押しつぶした感触が。
「キャイン!」
悲痛な叫び声が響き、驚いて反射的に手を挙げた。そして、手で踏み潰した物の正体を恐る恐る確認する。それは、スーちゃんの尻尾だったみたいで。な、なななッ!
「んぎゃぁぁぁー!」
思わず叫んでいた。だって! スーちゃんは他の部屋にいたはずなんだもん! ここで寝てるなんて夢にも思ってなかった! ベッドの上を、お尻を付いた状態で後退り、そして落っこちた。
「アイリス! 何事です!」
たぶん、私の叫び声が聞こえたのだろう。先生が部屋に飛び込んで来た。逆さまに映る先生がギョッと目を剥く。
「お、おはよ、先生」
照れ笑いをしつつ先生に挨拶をする。と、先生が慌てて部屋から出て、勢い良く扉を閉めた。見なかった事にしたらしい。そりゃそうだ。今の私は寝間着が捲れ上がって、お腹まで見えてるんだから。お腹を冷やさないようにとドロワーズを穿いて寝ていたけれど、それだってれっきとした下着で、しかも丸見えな訳で。婚約者のあられのない姿、普通だったら見なかった事にするよね。うん。
私はもぞもぞと身体を動かし、床にごろんと転がった。そして、乱れた寝巻を整えつつ床に座り直し、恐る恐るベッドの上を覗き込む。
「何でいるの……?」
寝坊助スーちゃんでも、痛い思いをした直後に寝るなんて事はしないらしい。ベッドの上で立ち上がり、こちらを見ていた。恨みがましい目をしているように見えるのは、果たして、私の気のせいだろうか?
昨日、スーちゃんは別の部屋で寝ていたはずだ。アードラーさんの赤ちゃんケルベロスと一緒に。まさか、スーちゃんが扉を開けて出入りするはずは無い。考えられるのは、誰かが連れ出して、わざわざ私の部屋に入れたんだろう。でも、いったい誰が? 私がケルベロスを苦手なの、みんな知ってるはずなのに……。
悶々としながら朝の支度をし、食堂に向かう。そんな私の後を、何故かスーちゃんもトコトコと付いて来た。良く寝る子だと思ってたのに。朝一番で痛い思いをしたから、今日は活動的なの? そんな事を考えながら食堂に入る。
私が一番遅かったらしく、食堂にはみんな揃っていた。護衛担当のバルトさん、ヴィルヘルムさん、アードラーさんの三人は、昨日のお茶の時と同じく、部屋の隅に控えている。もしかしなくても、彼らはもう朝ごはんを済ませているのだろう。
私と一緒に食堂に入ったスーちゃんは、真っ直ぐ掃き出し窓に向かった。バルトさんがそれを開けると、トコトコと庭に出て行く。そのまま、庭で遊んでてちょうだい……。
「おはよ……」
ず~んと沈んだ気分のままみんなに挨拶をし、席に着く。気が付かなかったとはいえ、一晩中、スーちゃんと一緒だったなんて。添い寝してたなんて……。あぁ~……!
「おはよう。元気無いねぇ? 慣れない環境で眠れなかった?」
そう問い掛けてきたのはブロイエさん。私はそんな彼に首を横に振ってみせた。
「違うの。朝、目が覚めたらスーちゃんが部屋にいて……」
そのショックから抜け出せないだけ。スーちゃんに無防備な姿をさらすとは、一生の不覚だよ!
「ちょっと前の凄い悲鳴はそれだったの」
「そうだよ。別の部屋で寝てるはずだったのにさ……。何で、起きたら私のベッドで寝てるのさ。もう、心臓が口から飛び出すかと思ったんだから」
口を尖らせ、そう愚痴る。と、バルトさんが手を挙げた。
「それ、俺だ」
何と! 思いがけない人から犯行の自供が!
「酷いよ! 何でそんな事するの!」
「夜警の間、ずっと寂しいと鳴いていたからな。室内確認のついでに連れて行った」
私の都合よりスーちゃんの都合優先とは。バルトさんらしいと言えばらしい。でも! 何で私の部屋に連れて来るかな!
「先生の部屋に連れて行ってくれれば良かったのにぃ!」
「あのケルベロスをもらったのはアイリスだろう。しっかり面倒見てやれ」
「えぇ~!」
不満の声を上げる私の元に、外に行っていたスーちゃんが戻って来た。スーちゃんは何故かドヤ顔。尻尾を振って私を見上げている。
「褒めてやれ」
「何でッ!」
「外で用を足して来たらしい。独りで上手に出来たらしいぞ。こんな小さくて、基本的な躾だってまだ完璧ではないんだ。お前が面倒見なくて誰が見る」
「先生ぇ!」
「こんなに小さいうちに母親から引き離されたのですから。母親代わり、頑張って下さいね。期待していますから」
「えぇぇぇ~!」
どんなに不服の声を上げても、誰からも助け船は無かった。私がスーちゃんの母親代わりになるというのは、既に決定事項らしい。
そりゃ、スーちゃんは、私のケルベロスへの苦手意識克服の為にもらった子だ。でもでも! みんなして、私がケルベロスを苦手だって分かってるのに、全面的に世話を任せるなんて薄情だと思う! こう、少しずつ交流するようにしてくれても良いじゃん! 先生がご主人様で、私が補佐みたいにさぁ!
「朝食が終わったら、一緒に餌やりしようね?」
そう声を掛けてくれたのはアードラーさん。私はそれにむくれながら頷いた。私が全面的に世話を任されたんだから、私が餌やりをしないとスーちゃんは朝ごはんを食べられない。それはいくら何でも可哀想。スーちゃんに罪は無いんだから。
むくれながら朝ごはんを食べ、スーちゃんのごはんの準備に向かう。昨日、妖精王様からもらったスーちゃんの荷物の中に、スーちゃん用のごはんもあったはずだ。
部屋に置いてあったスーちゃん用の荷物を漁る。と、餌と書かれた布袋が一つと、可愛らしい食器を二つ見つけた。それを手に、キッチンに向かう。
何でキッチンに向かうかと言うと、お湯が必要だから。スーちゃんはまだお肉の塊が食べられない、離乳の時期らしい。この時期、本当ならお母さんが噛んで小さくした餌をもらうらしいんだけど、人が育てる子は離乳食を作って食べさせるんだとか。フレークみたいなこれと、ミンチのお肉を混ぜた餌が離乳食らしい。餌の袋に、ちゃんと離乳食の作り方も書いてあった。
キッチンに入ると、一足先に着いたらしいアードラーさんがお湯を沸かしてくれていた。私は食器の一つに水を入れて床に置くと、餌を計り、待つ事しばし。お湯が湧いたら計った餌の中にそれを入れてふやかし、ミンチ肉を追加で入れて、ハチミツをちょろっと。スプーンでぐちゃぐちゃとかき混ぜたら完成、と。
「ほ、ほら……。ごはん、出来た、よ……」
おっかなびっくり、床にスーちゃんの餌を置く。とたん、スーちゃんが餌の食器に飛びついた。ひぃ~! 私は思わず後退る。そんな私を見て可笑しそうに笑いながら、アードラーさんも餌の食器を床に置いた。スーちゃんの兄弟、アードラーさんの子も餌の食器に飛びつく。ガツガツと餌を食べる二匹を少し離れて見守りながら、私は口を開いた。
「ねえ、アードラーさん。その子の名前、決めた?」
「名前? あ~、そっか。家族として迎え入れるんなら、名前、付けてあげた方が良いのか……。家畜は飼ってたけど、愛玩動物なんて初めてだからすっかり忘れてた。ん~、何が良いかなぁ……。アイリスちゃんの子はスーちゃんだっけ? 何でその名前にしたの?」
「スーちゃんね、寝息がプスープスーっていうの。でね、最初はプスちゃんにしようかと思ったんだけど、韻が悪かったから。プスとブスって似てるでしょ?」
「だね」
「だからね、プスーのプを取って、スーちゃんなんてどうかなって。試しに呼んでみたら反応したんだ」
「今もこっち見てるけど」
アードラーさんが苦笑しながら指差した先を見る。と、スーちゃんが「呼んだ?」とばかりにこちらを見ていた。
「ごめん。何でも無い……」
だから、そんな期待の篭った眼差しでこっち見ないで。私の言葉に、スーちゃんがごはんを再開した。ちょっと名前が出たくらいで反応するとは……。
「自分の名前、もう分かってるんだね。ケルベロスって賢いね」
「ん……」
「にしても、寝息かぁ……。それでいくと、ウチの子はクーちゃんになるのか……?」
アードラーさんがぽつりと呟くと、アードラーさんの子が餌から顔を上げた。でも、アードラーさんは気が付いていない。名前を考えてるのか、上の空だから。
「アードラーさん、アードラーさん」
「ん?」
「クーちゃんで反応してたよ」
「本当? クーちゃん?」
アードラーさんが再び呼ぶ。と、アードラーさんの子がこっちを見た。
「おお。本当だ!」
「アードラーさんの子はクーちゃんで決まりだね。スーちゃんとクーちゃんで、ちゃんと兄弟みたいな名前になったね」
「だね。でもさ、二匹とも可愛らしい名前になったけどさ、この子達って成体になったらかなり大きくなるんだよねぇ」
アードラーさんの言葉に、ふと、昨日見た、妖精王様のケルベロスを思い出す。私が乗って移動出来そうなくらい大きい身体だった。今はミーちゃんくらいの大きさのこの子達が、あそこまで大きくなるのか……。あんなに大きくなると、恐怖以外湧いてこない気がするんだけど……。
「立派な身体でクーちゃんとスーちゃんって呼ばれてるの、想像するとちょっと面白くない?」
アードラーさんがそう言って、可笑しそうにケラケラ笑う。私も想像してみた。巨大になったスーちゃんを。そんなスーちゃんを、私がスーちゃんと呼び続けるのを。
「言われてみると、ちょっと面白い、かも……?」
「でしょでしょ! こういうのも名前負けって言うのかね?」
「え~。言わないと思う」
スーちゃんには、しばらく、その名前に合う小さい身体のままでいて欲しい。出来ればずっと小さいままでいて欲しい、なんて。流石にそれは自分勝手すぎるかな……。




