留学 9
「驚いたよね、さっきの」
滞在する部屋、と言うか、離れのような建物に通され、荷物の片づけが終わって小休止。建物のサロンのような部屋でヴィルヘルムさんにお茶を淹れてもらっていると、扉の前で室内の警護をしているアードラーさんがそう口にした。いつ、誰が来ても良いように、護衛係の人は座っていない。本当は、一緒に座ってお茶したいんだけど。
アードラーさんが言った、さっきのとはあれだろう。妖精王様と私のやり取り。恋人いるのいないのって話だと思う。驚いたのもあるし、思い出すとちょっとイラッともする。だから、私は口をへの字に曲げて頷いた。
「彼もいい年だし、少し焦ってるんでしょ」
そう言ったのは、先生の隣に座るブロイエさん。少し、憐れみと言うか、同情するような表情をしている。
「事情も分からなくは無いのですが、それでも不愉快です」
私の正面に座る先生のご機嫌はすこぶる悪い。まあ、婚約者が口説かれそうになっているのを愉快だと思える人などいないだろうから、それも仕方ないとは思う。
「そうですわね。しかも、面倒事だなんて、失礼にも程がありますわよ」
ローザさんがイラッとしたのはそこなのね。でも、私としては、ホッとした一言だった。だって、諦めてくれなかったら修羅場だもん。せっかく短期留学しに来たのに、とんぼ返りは御免被りたい。
「あれでは、誰でも良いと取られても仕方ないでしょうね」
お茶を注ぎながら、ヴィルヘルムさんがそう口にする。まあ、確かに。幼子扱いした直後だったしね。実際、誰でも良いんだと思うよ。女の子なら。
ただね、同情すべき点が無い訳ではないんだよなぁ。謁見の間からこの離れまでだけど、このお城の中を歩いた感じ、女の人なんて一人もいなかったし。出会いが無いんだろうね。だから、女の子と見れば目の色を変える、と。跡継ぎ問題もあるし、必死になるのも分かるんだけどねぇ……。
「どうぞ」
淹れ終わったお茶をヴィルヘルムさんが出してくれる。私はそれを一口啜った。出会いが無ければ作れば良いじゃない。なんて。そんな簡単にはいかない事だって分かっている。伝手が無ければ出会いなんて作れないんだから。
うちの国だって、アオイが孤児院に通っていたお蔭で伝手が出来たんだし。アオイがいなかったら、隊長三人組だって、未だ独身だったと思う。私と先生だって、婚約する事なんて無かった訳で……。
「何~? アイリスってば、難しい顔してどうしちゃったのぉ?」
ブロイエさんが茶々を入れてくる。私はそんな彼をじろっと睨んだ。私の圧に負けて、ブロイエさんがたじろいでいる。
「アイリス。他国の事まで、気を揉む必要は無いのですよ?」
先生はそう言うけど、これって、魔大陸全体の、結構重大な問題だと思う。うちの国だって、他人事じゃない。今は良くても、未来がどうなるかなんて分からないんだから。
「ん~……」
「その顔は、気にするなと言っても無駄でしたか」
先生がクスクス笑う。私はむ~っと頬を膨らませた。人が真剣に悩んでるのに、笑うなんて酷い!
「解決する方法が無い訳ではないのですよ?」
「方法って?」
「おや。心当たり、ありませんか?」
心当たり……? ん~……。分かんない! 早々に考えるのを放棄して、フルフルと首を横に振る。と、先生が苦笑した。
「アイリス。僕達の屋敷は何の為に建てたと? ヴィルヘルムにだって協力してもらって――」
「あ~! そっか! うちで面倒見たメイドさんを派遣すれば良いんだ!」
それなら、多少なりとも出会いが出来る! 先生は私のその言葉に一つ頷いた。
「正解。国を跨ぐ訳ですから、双方の同意が必要ですけどね。気候も文化も、何もかもが違うのですから」
確かに。とは言っても、気候はこの国の方が過ごしやすかったりする。竜王城周辺では雪がちらつく季節なのに、このお城では暖炉に火を入れていない。と言うか、暖炉自体が無い。
妖精王様の国は、一年を通して気温の変動がほとんど無いらしい。常春の陽気が一年中続き、年がら年中花が咲き乱れているんだとか。今だって、この部屋から見える庭では、大輪の花が盛りを迎えている。花が好きな子なら、この国は楽園だろう。逆に、虫嫌いの子からしたら地獄だ。虫がいない冬が無いんだから。
「この国は、こちらからの打診を断らないだろうと思っています。ただ――」
先生の眉間に僅かに皺が寄ったのを、私は見逃さなかった。
「妖精王様が先程のように、誰彼構わず口説かれるつもりならば、考え直さなくてはと思っていますけど」
それは仕方ない。職場の選択肢が増えるのは良い事だけど、うちで面倒見た子達が嫌な思いをするくらいなら、派遣なんてしない方が良い。と、ブロイエさんが「はい」と手を挙げた。先生が目で先を促す。
「妖精王へは、僕の方から釘を刺しておくよ。年上で、小さい頃から付き合いのある僕の言う事だったら、彼も素直に聞くでしょ。それに、アイリスはウチの養女って事にしてあるし。お小言言う大義名分はあるじゃない?」
「それはそうかもしれませんが、叔父上にそこまでさせる訳には……」
「遠慮はなしなし。たまには役に立たせてよ。可愛い甥っ子と娘の、さ」
そう言って、ブロイエさんはにっこりと笑った。こう言われてしまったら、先生だって断れない。先生は小さく笑みを作ると一つ頷いた。
「分かりました。お願いします」
「は~い! お願いされましたぁ!」
ブロイエさんは「やったぁ!」とばかりに喜んでるけど、これ、知らない人が見たら、この人に任せて大丈夫なのか不安になると思うんだ。本当に、ブロイエさんって、行動と実力が一致しない人だ。でも、そこが良い所だったりもする。
実力はピカイチ、行動も普段からそれに見合ったものだったら、取っ付き難くって仕方ないもん。少なくとも私は、恐れ多くて、同じ空間にいるのさえ無理だ。
「ブロイエさんは、ずっとそのままでいてね?」
思わず、そんな言葉が口をついて出てしまう。そして、言ってから急に恥ずかしくなった。何言ってるんだろう、私!
「えっ! やだ! アイリスが可愛い!」
ブロイエさんは両手で口を押さえるという、非常に乙女チックなポーズで私を見た。「感激!」とでも言うように。
「ねえ、聞いた、ローザさん! アイリスが! 可愛い!」
「ええ。良かったわね、アナタ」
そう頷いたローザさんは、微笑まし気な表情をしていた。失敗したよ。大失敗だよ! 何であんな恥ずかしい事を言ってしまったんだろう。ブロイエさんだって、サラッと流してくれれば良いのに。何でそんなにはしゃいじゃうの! んもぉぉぉ!
「良かったですね、叔父上」
先生まで! みんなして弄らないで! 今のは、こう、ぽろっと口から出ちゃったんだから。触れずにそっとしておいてよ! そんな、生温かい目でこっち見ないでよぉ!
今すぐこの場から逃げ出したい。何か理由、理由を探さなければ! 外に行く理由……。理由……。あ! そうだ!
「アードラーさん!」
「え? あ、はい? え? 俺?」
「ケルベロス見たいって言ってたでしょ! 今から一緒に見に行こう!」
「え……。いや、それは流石に……。一応、俺、君の警護で……」
「私が見たいの! だから、一緒に行く!」
「えぇ~……」
アードラーさんは困ったように先生を見た。私も先生を見る。良いでしょ? 私だってケルベロス見たいんだから。見たい二人が一緒に出掛けても問題無いよね? ね? ね?
「駄目だとは言えない圧を感じますね」
そう言って、先生は苦笑した。駄目だって言われても行くもん。とにかく、この場から逃げ出したいんだから。
「あまりお勧めは出来ませんが……。アイリスがどうしても見たいと言うのなら、僕も一緒に行きましょう」
「では、俺も」
そう声を上げたのは、窓側で警護をしていたバルトさん。ローザさんと仲が悪いせいか、今日は完全に空気になっていたけど、ここに来ての積極性。たぶん、バルトさんもケルベロスが見たいんだと思う。流石は、獣好きのエルフ族。
「では、私は留守番ですね。宰相夫妻もいらっしゃいますし」
ヴィルヘルムさんは安定の無表情。でも、毎日顔を合わせているから分かる。実は、置いて行かれるの、ちょっと不服でしょ? ほんの僅かだけど、声のトーンが下がったもん。
「ごめんね、ヴィルヘルム。ブロイエさんとローザさんの事、お願いね?」
「かしこまりました」
私の言葉に、ヴィルヘルムさんが深々と頭を下げた。常に、思っている事を全く顔に出さずに対応するんだから、ヴィルヘルムさんは使用人さんの鏡だと思う。そんな彼に、私がしてあげられる事なんて限られている。なるべく気持ち良く働いてもらえるように、申し訳ない時には申し訳ないと、嬉しい時には嬉しい伝える事くらい。でも、私もアオイのお世話をしているから分かる。それがどれだけ重要かって。
「歓迎パーティーの準備もありますし、遅くならないうちに――」
先生の言葉を遮るように、サロンの扉がノックされた。誰だ? 訪ねて来る予定の人なんていたっけ? みんな同じ事を思ったのだろう。扉に視線が集まった。
「どうぞ」
私の言葉に、アードラーさんが扉を開けてくれる。扉の先にいたのは、フェアリー族の青年だった。その青年は、室内に入る事なく、扉の近くにいたアードラーさんに何事か小声で話している。
「分かりました。確認しますので、外で少々お待ち頂いても宜しいでしょうか?」
アードラーさんが! ちゃんとした態度で、言葉遣いが丁寧! でも、違和感がすごい! そんなどうでも良い事に感激していると、アードラーさんが扉を閉め、こちらにやって来た。
「妖精王様からご招待。アイリスちゃんに見せたいものがあるってさ。護衛も一緒で構わないらしいけど?」
「私に?」
今回の留学の目的、癒しの聖女の研究者である薬師さんとは、明日、顔合わせ予定になっている。だから、妖精王様が見せたいものは、癒しの聖女関係ではないと思う。
今日は、夕方から歓迎パーティーで、それまでは城下町を見て回ったり、パーティーの準備だったりをする自由時間のはずなんだけどな。
「何を見せたいにしろ、断る訳にはいきませんね」
そう言った先生は苦笑していた。私も苦笑して頷く。まさか、王様からのお誘いを断る訳にはいかない。そんな事をしたら、不敬でこの国から追い出される可能性だってある。そうなると、留学の手配をしてくれた竜王様や兄様の顔に泥を塗るようなもので。そんな恩知らずな事は出来ない。
「ケルベロス、見に行く時間くらいはあるかなぁ?」
「何を見せたいかにもよりますね」
「あんまり遅くならないと良いね」
そんな事を先生と話しながら、出掛ける準備をする。とは言っても、残っていたお茶を一気に飲んで、使った食器をまとめてヴィルヘルムさんに渡すだけなんだけど。元々出掛ける話をしていたから、人選も決まっているし、準備はあっという間だ。
「じゃあ、行って来ます」
私は戸口の所でブロイエさん、ローザさん、ヴィルヘルムさんの三人に手を振ると、サロンを後にした。はてさて。妖精王様の見せたいものとは何だろう? 謁見の時のやり取りを帳消しにするくらい良い物だったら良いんだけどね。ま。見てのお楽しみだ!




