留学 3
翌朝、目を覚ますと、先生に後ろから抱きしめられていた。耳元で、スヤスヤという寝息が聞こえる。
先生はまだ寝ているらしい。起こすのも可哀想だな。そう思って、そっと先生の腕を解き、ベッドから降りようとした。とたん、ガシッと腕を掴まれる。
「わっ! 先生、寝てたんじゃないの?」
「今、起きました……」
起こさないように気を付けたつもりだったんだけどなぁ。先生、気配に敏感過ぎるよ。
「どこへ行くのです……?」
そう言った先生は不安そうな目をしていた。私はくすりと笑い、先生の頭を優しく撫でる。くふふ。普段と立場逆転!
「朝ごはん。先生も起きてごはんにする?」
「そう、ですね……」
頷いたものの、先生は起き上がろうとしない。それどころか、ウトウトしだした。二度寝ですか? 常に早起きの先生が。珍しい事もあったものだ。
まあ、今日はお仕事お休みみたいだし、無理に起こす必要はないだろう。せっかく気持ち良く寝てるんだから、このままそっとしておいてあげよっと。再びスヤスヤと寝息を立て始めた先生のおでこにそっと口付けを落とし、着替えを持って部屋を後にする。そうして浴室隣の洗面所で着替えを済ませると、私は一人、食堂へと向かった。
朝ごはんを食べ終わり、食後のお茶をしていると、廊下からバタバタと騒がしい足音が響いて来た。何事? そう思って扉の方を向くのとほぼ同時に、食堂の扉がバンッと勢い良く開いた。そこには、血相を変えた先生。先生は私の姿を見て、ホッとしたように息を吐いた。
起きたら私がいなくなってて、慌てて部屋を飛び出して来たんだと思う。寝間着のままだし、たぶんそうだろう。
「おはよ、先生。朝ごはんにしよ?」
「ええ……。あ。着替え……」
「別にそのままで良いじゃん。私とヴィルヘルムしかいないんだし。それに、今日はお仕事お休みなんでしょ?」
慌てて着替える事もないでしょ。見られて困る人がいる訳でもないし。お休みの日くらい、多少だらけてても良いじゃない。それに、ヴィルヘルムさんが朝から暖炉をつけててくれたお蔭で、薄着でも寒くないんだから。
「そう、ですね……」
苦笑しながら先生が席に着く。そんな先生にヴィルヘルムさんが朝ごはんを配膳してくれた。先生がごはんを食べる姿を、お茶を飲みながら見守る。
「今日は城に行きますから」
思い出したように口を開いたのは先生だ。ヴィルヘルムさんに言ったのか、私に言ったのか……。こっち見てるし、私か?
「そうなの? お休みだって聞いてたから、ゆっくりするのかと思ってた」
「アイリスも行くのですよ?」
「ん」
先生がお城に行くにしろ行かないにしろ、私は行くつもりでいたから問題無い。そう思って頷く。
今回の事で、アオイや竜王様に迷惑も心配も掛けたからね。謝らないと。ブロイエさんとローザさんにも。
それに、短期留学の件もある。昨日のブロイエさんの口ぶり的に、竜王様には既に兄様から話がいっていそうだけど、私から直接お願いするのが筋ってものだ。護衛の人達だって決めないとだし。お城に行ってやらなくちゃいけない事はたくさんある。
「あと、城から帰って来てからなのですが……」
「ん?」
「ノイモーントの店に行くので、少し付き合ってもらっても?」
「ん。分かった」
騎士服の新調かな? 先生ってば、ずっと騎士服だからね。洗い替え、もう少し増やせないか、ヴィルヘルムさんにでも言われたかな?
「お城まで何で行く? ユニコーン? 歩き?」
「徒歩で行きましょうか? 天気も良いですし、急ぐ訳でもありませんし」
「分かった!」
お散歩がてらって事だね。たまには良いよね、そういうの。お休みの日って感じで。
先生の仕度が終わると、私と先生は揃って家を出た。玄関まで見送ってくれたヴィルヘルムさんに手を振る。すると、彼は深々と頭を下げた。こうして使用人さんに見送られて出発って、良家の奥様になった気分。くふふ。先生と手を繋ぎ、ご機嫌に城までの道を歩く。
そうしてお城に着くと、私達は真っ直ぐアオイの部屋に向かった。今回の件で一番迷惑を掛けたのはアオイとローザさんだから。真っ先に謝りたいって思ったから。
アオイのお部屋の扉をノックして少し。中から扉が開かれた。開いてくれたのはローザさん。私の姿を見て、驚いたように目を見開く。
「アイリスちゃん!」
見開いたローザさんの目に、じわりと涙が滲んだ。安心したら泣けてきたんだと思う。ごめんね、ローザさん。心配掛けて。
「アイリス! アンタ、や~っと戻って来たのね!」
アオイが私に駆け寄り、ギュッと抱きしめた。ぐぇ。痛い、痛い! 苦しい! ジタバタともがき、やっとの思いでアオイの腕から抜け出す。
「えぇと……。この度は、ご心配とご迷惑をお掛けしました……」
アオイから少し距離を取り、そう口にする。アオイの近くにいると、またギュッてされるから。アオイは力が魔人族並に強いから、力一杯抱きしめられると痛いんだもん。
「ホントよ。アンタ、どれだけ心配したと思ってんの! もう、帰って来ないんじゃないかって、私、心配で心配で……」
最後の方は、ほとんど涙声になりながらアオイがそう口にする。アオイもローザさんも、私が黙って出て行ったの、そうとう衝撃的だったんだろう。
「ごめんね、アオイ……。ローザさんも、ごめんなさい……」
「帰って来てくれたからそれで良し!」
アオイが滲んだ涙を指で拭いつつそう言う。ローザさんも微笑みながら頷いていた。
「あとね、二人に折り入ってお話が……」
「何? とうとうラインヴァイスと結婚するの?」
私の言葉に、アオイが興味津々の顔をする。さっきまで泣いてなかった? 立ち直り、早くない?
「はい」
そう返事をしたのは先生。え? 思わず先生を見る。茶化したつもりだったらしいアオイや、微笑んでいたローザさんもギョッとした顔で先生を見ていた。
「せ、先生? その話、いつ決まったの?」
私達、そんな話、してないよね? 先生の目を治す事が結婚の条件だったんだから、結婚は延期になるんじゃ……? 少なくとも、私はそう思ってたんだけど……。
「昨夜。話したじゃないですか?」
「話してないよ?」
「話しました。留学から帰って来たら結婚すると約束しました」
きっぱりはっきりそう言われても、全然記憶に無い。
「え~っと……。とりあえず、座って話そうか? 留学とか、聞き捨てならない単語が出てきたし。話の内容的に、シュヴァルツやブロイエさんだって呼ばないとだし……」
アオイが遠慮がちに口を開く。私と先生はそれに二人同時に頷いたのだった。
竜王様をアオイが、ブロイエさんをローザさんが契約印で呼んで、第二回、家族会議が始まった。議題は、私の留学についてと、私と先生の結婚について。
留学の件は、案の定、兄様から竜王様にお話が行っていて、すんなり了承が取れた。問題は結婚の方。
「私は反対です! まだ早過ぎます!」
そう言ったのはローザさん。眦を吊り上げ、かなり怖い顔をしている。そんなローザさんをなだめるように、お隣に座るブロイエさんがその背を擦った。
「まあまあ。二人だってもう子どもじゃないんだし、僕は二人の意思を尊重すべきだと思うよ?」
「アイリスとラインヴァイスが結婚したいってんなら、私は賛成」
アオイがそう口にすると、それに同意するように竜王様が無言で頷いた。三対一で、ローザさん劣勢。
「先程、アイリスちゃんも一緒に驚いていたのですよ? それで二人の意思と言えますか? ラインヴァイス様の一方的な望みでしょう?」
確かに。私が同意するように頷くと、先生がしゅんと項垂れた。
「昨晩、確かに約束したのですが……」
先生の言い分も分かる。たぶん、あれだ。眠くて生返事してる時。あの時くらいしか、そんな重大な話を忘れてしまう心当たりが無い。
適当に返事をしていた私にも責任がある。けど! そんな重大な話、ウトウトしている時に話さない欲しい!
「総括するとさ、これってアイリス次第なんじゃないかな? ローザさんが言うように、アイリスがまだ早いって思うなら延期した方が良いし。そろそろ良いかなって少しでも思うなら、ラインヴァイスの希望を叶えてあげたら?」
ブロイエさんがにっこり笑ってそう言う。う~ん……。まあ、そう、なんだよね……。ただ、急な話だからな……。
「す、少し、考えさせて下さい……」
おずおずとそう口にする。と、先生が顔色を青ざめさせた。あ。誤解された。慌てて補足を入れる。
「嫌とかそういうんじゃないからね! ただ、急な話だったから! 今、気が動転してるの!」
先生と結婚するのが嫌だったら、一緒に暮らしたりしない。ただ、やっぱり今回の話は急だと思う。私は、先生の目の治療を失敗してからというもの、すっかり結婚を延期するつもりでいたんだから。そういう約束だったから……。
「アイリス」
静かに竜王様に名を呼ばれる。私は慌てて姿勢を正した。
「は、はい!」
「急だというお前の言も分かる。だが、弟を想う兄の立場から言わせて欲しい。ラインヴァイスはずっと待ってきた」
「はい……」
先生が私の事を考えて、待っていてくれたのは私も分かっている。本当なら、一緒に暮らし始めた時に、ずっと前にした約束なんか反故にして、結婚する事だって出来たはずなんだから。でも、先生がそうしなかったのは、二人で決めた約束を守ってくれたから。私の意思を尊重してくれたから。何よりも私を大切にしてくれてたからだ……。
「す、すぐにじゃないんだよね……? 留学から帰って来てから、なんだよね……?」
私の言葉に先生が一つ頷いた。私の心臓がバクバクと早鐘を打ち、緊張からかドッと汗が吹き出る。
「結婚、する……。留学の後……」
言った。言ってしまった。恐る恐る先生を見る。先生はとても嬉しそうに顔を輝かせていた。
「アイリス!」
「りゅ、留学の後だからね? 留学の日取りだってまだ決まってないんだし、いつになるか分からな――」
「早急に手配しよう」
そう言って、竜王様が立ち上がる。ブロイエさんもそれに倣う様に立ち上がった。そして、二人揃ってフッと姿を消す。
思わぬ人がやる気を出した! アワアワと慌てる私を見て、アオイがクスクスと笑う。
「何だかんだ、シュヴァルツってば、ラインヴァイスとアイリスに甘いよねぇ」
「本当に」
頷いたローザさんは苦笑い。さっきの竜王様の発言、私の留学も結婚も確定事項に、しかも最重要案件になったって事だもんね。私も苦笑するしかなった。
「では、話も無事まとまった所で、僕達は護衛候補の説得に行きましょうか?」
「ん。またね、アオイ」
「はいは~い。またねぇ。今度来るときは、シオンをお願いねぇ」
「ん。じゃあ、ローザさんもまたね」
「ええ。また」
先生と二人揃ってお部屋を後にする。さてさて。次は護衛候補の説得だ。先生の――近衛師団長の権限があれば説得する必要なんて無いんだろうけど、一応ね。お互いに納得していた方が、留学中、気持ち良く過ごせるから。




