近衛師団長の憂鬱Ⅴ 1
兄上の挨拶で食事会が始まり、僕は給仕をしながらその様子を見守っていた。ノイモーントもフォーゲルシメーレもヴォルフも結婚適齢期。そろそろ、相手を見つけても良い頃合いだ。
ノイモーントは男装の女性――フランソワーズ嬢がお気に入りらしく、甲斐甲斐しく世話を焼いている。元々、ノイモーントは面倒見が良い。それを遺憾なく発揮し、彼女に料理を取り分けてあげたり、飲み物を注いであげたりしている。しかし、フランソワーズ嬢は食事に夢中で、ノイモーントに限らず、男性陣にはあまり興味が無いようだった。まあ、男性の目を気にするような女性であれば、あのような男装はしていないだろう。もしかしたら、彼女はあまり男性が好きではないのでは……?
あ。フランソワーズ嬢の口の端にソースが。僕がナプキンを持って行くより一足早く、それに気が付いたノイモーントがサッと立ち上がると彼女の傍に寄り、自身のナプキンで彼女の口の端を拭ってあげていた。その姿は、食べこぼした幼子の面倒を見る母親のようで。何と言えば良いのやら。こういう場面でこそ、いつもの色気を出すべきじゃなかろうか?
隣のフォーゲルシメーレとリリー嬢は、和やかな雰囲気で食事を楽しんでいた。二人だけの世界を作り上げている。フォーゲルシメーレはリリー嬢一筋らしい。リリー嬢も満更ではない様子だし、この二人は放っておいても上手くいくだろう。問題は――。
先程ヴォルフに求婚したミーナ嬢はヴォルフ一筋らしく、一生懸命ヴォルフに話し掛けていたが、ヴォルフは彼女にあまり興味が無いらしい。しかし、リリー嬢はフォーゲルシメーレとの会話に夢中だし、フランソワーズ嬢とは距離がある。その為、ミーナ嬢の話を半分聞き流し、食事に夢中のフリをしていた。あれだけ熱烈に好意を抱いてくれる相手なのだから、もう少し愛想を良くしても罰は当たらないと思うのだけれど……。それにもめげず、一生懸命話を振るミーナ嬢の何と健気な事か。
「――ヴォルフ。ちょっと」
堪らずといった様子で、アオイ様がヴォルフを手招きする。ヴォルフは渋々といった様子でアオイ様の後を付いて行った。何故か、その後をノイモーントとフォーゲルシメーレまでもが付いて行く。お嬢様方を置いて、何をしているのやら……。
「お食事は口に合いましたか?」
ミーナ嬢のグラスに追加の水を注ぎながら彼女に話し掛ける。すると、彼女は驚いたように僕の顔を見上げた。そして、すぐに柔らかな微笑みを浮かべる。
「はい。どれも、とても美味しいです」
「それは良かった。本日の食事の素材は、どれもヴォルフの働く農園で作った物ですから。そう言って頂けると、あれも喜びます」
「ヴォルフ様の……」
ミーナ嬢は料理へと視線を移すと、小さく溜め息を吐いた。そんな彼女をリリー嬢が気遣わしげに見つめている。
「ねえねえ! ミーナの命の恩人、ヴォルフさんだったんでしょ?」
アイリス……。今、それを言いますか……。突然飛びついたアイリスに驚いた様子のミーナ嬢だったが、すぐに目を細め、慈愛に満ちた笑みを浮かべた。その姿は母親のようで。この中で一番年若いのはミーナ嬢だが、精神的には十分、一人前の女性として成熟しているようだ。
「そうなの。アオイさんがお食事会の参加者の似顔絵を持って来た時、凄く驚いたのよ」
「ず~っと会いたかったんだよね? ず~っと好きだったんだよね?」
「うん。ず~っと好きだったし、これからもず~っと好きだと思う」
「じゃあね、私、協力する!」
「本当? じゃあ、アイリスの期待に応えられるように、私、頑張らないとね!」
「んっ!」
ミーナ嬢とアイリスは互いに笑みを浮かべ、頷きあった。ミーナ嬢と同年代の少女ならば、ああして笑っていられるような心の余裕は無いはずだ。ヴォルフに――ずっと想い続けてきた男に邪険に扱われ、傷ついていないはずが無いのだから。ミーナ嬢は、自分より年少のアイリスに、弱っている姿を見せて不安にさせたくないのだろう。何と健気で、何と誇り高い女性だろうか。
ミーナ嬢は、孤児院という特殊な環境下で育ったせいで、早く大人になるしかなかったのだろう。幼いころから苦労をして、強くなるしかなかったのだろう。もしかしたら、彼女は姉であるリリー嬢以上に苦労をしてきたのかもしれない。姉とは違い、身体が丈夫だっただけに。
「先生も協力してねっ!」
「ええ。勿論です」
アイリスの言葉に僕は頷き、彼女の頭を撫でた。くすぐったそうにアイリスが笑う。アイリスのお願いというだけでなく、僕は僕自身の意思でミーナ嬢の力になりたいと思った。そう思わせる何かが、彼女にはあった。
「まずは、ヴォルフを連れ戻さないとですね」
薔薇園をぐるりと見回す。しかし、テーブルから見える範囲にアオイ様達の姿は無かった。仕方ない……。
「竜王様」
「分かっている。行って来ると良い」
「はっ。ありがとうございます」
僕は兄上に頭を下げると、薔薇園の奥へと向かった。歩きつつ、意識を結界に集中させる。この薔薇園には、精霊になったリーラを守る為に結界が張ってある。リーラがアオイ様と契約を交わした今、必要の無い代物なのだが、破棄するのも面倒なのでそのままにしてある。それがこんな形で役に立つとは。魔力が固まっている場所は……こちらか。大まかに場所の見当を付け、僕はそちらへを歩を進めた。
多少大きな声で話をしても、お嬢様方に聞こえないようになのだろう。魔力が固まっている場所は、テーブルから少し離れていた。きょろきょろと辺りを見回すと、ひょっこりとアオイ様が姿を現した。彼女に駆け寄り、口を開く。
「アオイ様、あの三人は――?」
どちらにと問う前に、アオイ様が薔薇の木立を指差す。あんな所に隠れていたのか……。そう思った瞬間、ヴォルフの声が辺りに響いた。
「でも、俺! ラインヴァイス殿みたいに、小児性愛の気は無いんすよっ!」
小児性愛……。僕みたいに、ね……。こんな所でも、その噂が聞けるとは……。こんなくだらない噂をしている者には、相応の罰を……。僕はアオイ様をその場に残し、ヴォルフのいる薔薇の木立へと向かった。
ノイモーント、フォーゲルシメーレ、ヴォルフの三人は車座になり、何かを話し合っていた。大方、この後の相談をしているのだろう。それも、もう、不要だ……。
最初に僕の姿に気が付いたのはノイモーントだった。目を見開き、震える手で僕を指差す。それにつられるように、フォーゲルシメーレが、続いてヴォルフがこちらを向いた。ヴォルフの顔から、サッと血の気が引く。
この男、どうしてくれようか。くだらない事を言うしか能の無い口は、もう、いらないだろう……。この口を塞ぐには……首から上を落としてしまおうか……。ああ、そうだ。それが良い。そうしよう。何て良い事を思い付いたのだろう。
「ふふ……ふふふふふ……」
ああ、愉快だ。笑いが止まらない。こんなに愉快な気分になったのは、いつ以来だろうか?
「ちょ、ちょっと落ち着きましょうか? ね? ラインヴァイス殿」
ノイモーントが僕に声を掛ける。僕は彼に視線を移した。訓練時とは違い、腰に魔力媒介の剣は無い。丸腰だ。フォーゲルシメーレも。そして、ヴォルフも……。これは好都合。一歩、前へと足を踏み出す。
「は、話し合いを! 話し合えば分かり合えますから!」
フォーゲルシメーレが慌てた様子で口を開く。話し合い? 分かり合う? そんなもの、必要無い。僕は腰の剣に手を掛け、ゆっくりと歩を進めた。
「ちょ、まっ――!」
涙目のヴォルフが嫌々というように首を振る。大丈夫。痛いと思う間に、その首は落ちている。怖がる必要は無い。大きく一歩踏み込み、僕はヴォルフの首目掛けて剣を抜いた。
「ぬぉっ!」
刃の軌道を見切ったヴォルフが、大きく上体を逸らす。避けられたか……。流石は、俊敏性に優れるワーウルフといったところか。しかし――!
「ふぉ! まっ――! のぁ! ちょっ! 待って――! ぬぁ! 言ってる――! ぬぉ! にっ!」
「避けるな」
「それは――! ふっ! 無理――! ふぉ!」
ヴォルフはことごとく刃の軌道を見切り、身をかわす。回避に徹底したワーウルフの、何と厄介な事か。仕方ない……。体内の魔力に干渉し、鎧を錬成する。防具の錬成魔術は、ドラゴン族固有の魔術だ。技能と言い換えても良いかもしれない。魔人族には、種族ごとにそうした固有魔術がある。ヴォルフのワーウルフ族にも身体強化という固有魔術があるが、城の中でそれを使う事は絶対に無い。
ドラゴン族の防具錬成には、防御力だけでなく、身体能力全般を向上させる効果がある。太古の昔、ドラゴン族が自身の魔力を使い、肉体を戦いに最適化させた結果、習得した技能だと、そんな研究結果があったはずだ。そんな事よりも――。
「それ、反そ、くっ!」
叫び、ヴォルフが紙一重で身をかわす。はらりと、茶色の髪が数本、宙を舞った。返す刀がヴォルフに迫る。ヴォルフは目を見開くと、尻餅をつくようにそれをかわした。
「終わりです」
笑みを浮かべ、剣を振りかぶる。ヴォルフのこの絶望に満ちた顔。なかなかみられるようなものではない。ああ、何て良い気分なのだろう。鋭い呼気を吐きながら、僕は剣を振り下ろした。




