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白亜の騎士と癒しの乙女  作者: ゆきんこ
第四部

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留学 2

 先生が変だ。違和感に気が付いたのは、ブロイエさんが帰ってから少しして。お手洗いに立った私の後を、先生がさも当然のように付いて来ようとした時だった。


「えっと……。先生、私、お手洗いに行きたいんだけど……?」


「こちらですよ」


 そう言って、先生が私の手を取る。ち、違う! そうじゃない! いくら私でも、自宅のお手洗いの場所を、留守にしている間に忘れたりしない。


 ここは率直に、付いて来ないでって言うべきなのかな? いや、でも、バッサリ切り捨てたら、先生だって流石に傷つくだろうし……。


「旦那様」


 私達の行く手を遮るように、ヴィルヘルムさんが立ち塞がる。おお。これは、助けてくれる気なんだよね? 流石、ヴィルヘルムさん! 出来る使用人さんは違うね!


「奥様は暗に、付いて来るなとおっしゃっておいでです」


 ……うん。流石はヴィルヘルムさん。良くも悪くも素直ですこと。私、貴方のその素直さ、留守にしている間にすっかり忘れておりました。


「え……あ……。そう、ですよね……」


「用を足すくらい、独りで出来るからさ! すぐに戻って来るからね! 行ってきます!」


 何か、言わなくても良い事を言った気がする。けど、そんなの気にしていられない。先生の様子、変だし。それに、この機を逃したら、また同じ問答を繰り返しそうな気がするから。


 大急ぎで用を足して戻って来ると、先生は落ち着かない様子でサロンの中をうろうろしていた。けど、私の姿を見て、パッと顔を輝かせる。


「お帰りなさい!」


 感動の再会、再び。ギュっと私を抱きしめた先生の腕の力が強すぎて、ぐぇっと変な声が漏れる。


「旦那様、奥様を絞め殺さないで下さいませ」


 ヴィルヘルムさんの言葉に、先生が驚いたように私からパッと手を離す。このやり取りも本日二度目だ。


「すみません……。つい……」


「ん~ん。先生、大丈夫……?」


 こんな風になった先生を見るの、今回で二回目だ。一回目は、兄様の所で風邪をひいて寝込んだ時。あの時は体調が悪かったせいで本能が全面に出ていたんだろうけど、今回は違う。精神的なものなんだって、容易に想像出来る。


「大丈夫、ではないのかもしれませんね」


 そう言って、先生が自嘲気味に笑う。もしかしなくても、これって私のせいだよね……。置いて行かれる辛さも寂しさも、私、分かってたはずなのに……。私は先生に抱き付くと、肩の辺りに顔を埋めた。先生のジャスミンの香油の匂いも、細く見えるのに実はしっかり鍛えられている身体の感触も、私を包み込むようなこのぬくもりも、凄く久しぶりに感じる。


「ごめんね、先生……。黙って出て行ったりして……」


「いえ……。あの……」


「ん?」


 顔を上げると、私を見下ろす先生と目が合った。真剣な眼差しで私を見つめる先生。言葉の先を促すようにジッと先生を見つめる。でも、何故か、先生は何も言わずに私から目を逸らした。


「先生?」


「何でもありません……」


 え? でも、何か言いかけたよね? 何か言いたい事があったんじゃないの? 戸惑う私をそっと離し、先生がソファに腰を下ろす。そして、小さく溜め息を吐いた。


 きっと、話したくなったら話してくれるはず。と思っていたのに、先生から何か特別な話があるでも無く。あっという間に夜になり、寝る時間となった。お風呂に入って寝る準備を整え、ベッドに潜り込む。


 う~。寒い。今日は冷えるなぁ。でも、こんな時間から暖炉に火を入れるのも、何だかなぁ……。ベッドの中が体温で温まれば少しはマシになるし、我慢我慢。そう思いつつ、身体を丸めて小さくなる。そうしてしばらくすると、何となくベッドの中が温まって来た。それに伴って眠気が襲って来る。


 眠りに落ちる寸前だったと思う。小さくカチャッとドアノブを回す音がした。意識がほんの少しだけ引き戻されるも、眠る寸前だったからか、思うように目が開かない。


「アイリス……?」


 私の名を呼んだ先生の声は、決して大きくはなかった。寝ていたら気が付かないくらいの、控えめな呼び掛け。だけど、その声で私の意識がほんの少し覚醒する。


 たぶん、先生は、私がちゃんといる事を確かめに来たんだろう。不安に駆られて。それくらい、私が黙って出て行った衝撃が大きかったんだと思う。


「ん~……。なにー……?」


 ちゃ~んとベッドで寝てますよ。だから、心配しないでね。寝ぼけ半分で返事をする。


「入っても良いですか……?」


「んー……」


 ごろんと寝返りを打ち、扉の方を向く。そうして薄らと目を開くと、廊下からの明かりに照らされた先生の姿が見えた。逆光なのと、つい今しがたまで目を閉じていたのとで、先生の表情までは見えない。


 先生は扉を静かに閉めると、私が寝るベッドの傍に寄った。そして、傍らに屈むと私に手を伸ばし、私の顔に掛かっていた髪を手で梳いた。ひんやりとした手が私の頬に触れる。


「先生、手、冷たい……」


「ベッドに入る気になれなくて……。あの……」


「ん……?」


「朝までここにいても良いですか……? アイリスは寝ていて良いですから……」


「ん……。良いよ……」


 よいしょ、よいしょ。ベッドの中でずりずりと身体をずらし、場所を空ける。


「寒いでしょ? 入って良いよ……」


 私が今使っている、母さんと一緒に住んでいた家から回収して来たベッドは、一人用のベッドよりは少し大きい。けど、二人用という程の大きさは無い。言うなれば、一.五人用。けど、これに母さんと私二人で寝てたんだし、先生と二人で寝るの、決して無理じゃないと思うんだ。


 先生は一瞬、躊躇したようだった。けど、割と素直にベッドに入った。ちょっと狭いけど、寝れない程じゃないな。そう思いつつ目を閉じる。と、先生に抱き寄せられた。


 先生の胸の上に半分乗っかってる感じ。これじゃ、先生重いだろう。そう思って身じろぎすると、先生の腕に力が篭った。まるで、逃がさないとでも言うように。


「先生、重くないの……?」


「良いんです。このままでいて下さい」


 絶対に重いと思うんだけどなぁ。でもまあ、先生が良いって言ってるんだし、良いか。寝れない体勢じゃないし。もう眠いし。


「……アイリス?」


「んー……?」


「明日から、主寝室を使いませんか?」


「んー……。でも、まだ……夫婦じゃない……よ……」


 私達か別々の部屋で寝ている最大の理由はこれだ。正式に結婚してから主寝室は使おうねって約束なのに……。先生、忘れちゃった……の、かな……?


「そう、ですけど……。アイリスと暫く離れていて考え方が変わったと言うか……。結婚に至る条件を破棄したくなったと言うか……」


「んー……」


「僕の目を治してくれるまでという条件では、それがいつになるか全く分からなくなったじゃないですか……。これを機に、もう一度、条件を練り直しても良いのではないかと……」


「んー……」


「僕は、アイリスさえ良ければ……すぐにでもと、思っているのですが……?」


「んー……。私、留学、する……から、ね……」


「え? ええ。では、留学から帰って来てからというのは……?」


「んー……」


 先生の言っている事をほとんど理解しないまま、生返事を返し続けた。だって、眠いんだもん……。もう、私は寝る時間なの……。おやすみなさい……。

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