研究 7
夢を見た。癒しの聖女の夢。癒しの聖女の伝記で読んだ、白騎士が片腕を失った場面が夢に出て来た。何故か私が癒しの聖女で、先生が白騎士になっていた。片腕を失った先生の姿が衝撃的で――。たぶん、うなされていたんだと思う。アベルちゃんに揺すり起こされたくらいなんだから。
「大丈夫、アイリスちゃん……?」
「ん……」
頷くものの、大丈夫じゃない。身体が震えて、心臓がバクバクいっている。起き上がる気にもなれなくて、寝そべったまま、天蓋を見つめる。
もし、先生が大怪我をした時、私は癒しの聖女みたいに治療出来るのかな……? 取り乱して、泣き喚いて、まともな判断なんて出来ないんじゃないだろうか……? いや、でも、癒しの聖女も取り乱してたし、それが普通――。
突然、アベルちゃんが自身の服の袖で私の顔をごしごしと擦った。何? 何事?
「涙、出てるよ。怖い夢、見たの?」
「ん……」
先生が瀕死の重傷を負うなんて、これほど怖い夢は無い。それに、白騎士みたいに、隻腕になるなんて――。ん? あれ?
「あぁ~!」
叫びながら起き上がった私に、アベルちゃんは何事とばかりに目を剥いた。驚かせてしまったらしい。けど、今はそれどころじゃない。何で今まで、こんな重大な事に気が付かなかったんだろう! 先入観って怖い!
「何だ、騒々しい……」
寝ていた兄様がもぞもぞと動き、不機嫌そうにそう言った。まだ眠そうだ。このまま放っておいたら、再び寝入ってしまうだろう。
「兄様!」
「何だ……」
「書庫に行こう! 書庫! アベルちゃんも!」
「うん! 行く!」
「書庫ぉ?」
酷く面倒臭そうに兄様が言う。けど、私はお構いなしに掛け布を引っぺがした。そして、アベルちゃんと共に靴を履く。
「兄様、早く!」
「スマラクト様、早く、早く!」
『行こう!』
アベルちゃんと二人、声を揃えて言う。と、兄様がむくりと起き上り、眠い目を擦りながら靴を履いた。そんな兄様を、アベルちゃんと二人で引っ張って行く。
途中、すれ違った使用人さん達に微笑ましい物を見る目で見られてしまった。ここに来てからというもの、三人で一緒にいると、こういう眼差しを向けられる事が多い。だから、だいぶ慣れて来た。
たぶん、私とアベルちゃんに引っ張り回される兄様が珍しいんだろう。兄様はどちらかと言わなくても、人を引っ張り回す人だから。「二対一なら、流石のスマラクト様も敵わないのですね」って、使用人さんの心の声が聞こえるようだ。
書庫に着くと、私は癒しの聖女の伝記を探し、それを持って読書スペースに向かった。読書スペースでは、兄様とアベルちゃんがもう本を読み始めていた。兄様はお気に入りらしい戦記を読んでいる。好きだねぇ、兄様も。アベルちゃんは、と……。ん? 軍事戦略全集って……。そんな、目を爛々とさせて読む本なのかな……?
まあ、二人の事は置いておこう。私は検証しないとだから。パラパラとページを捲り、目当ての場面を見つけてそれを読む。
やっぱり……。何で、今まで気が付かなかったんだろう。癒しの聖女だって、白騎士の失った腕を再生させる事は出来なかった。『再生』の術だなんて紛らわしい名前が付いているから勘違いしていたけど、あの術は失った身体の一部を生やす魔術じゃない。あくまでも傷を治す術であって、欠損した身体の一部を再生させるには、たぶん、その部位が必要になるんだ。白騎士で言ったら失った片腕の先であり、先生で言ったら失った左目の眼球。それが無いと、傷は塞がるけど欠損が残ったままになってしまう。だから、白騎士はしばらくの間、隻腕だった。
癒しの聖女が、隻腕になった白騎士の為に作った義手を取り付けた術は、恐らく、『再生』の術だろう。もしかしたら、義手を取り付ける用に多少手を加えていたのかもしれない。あるいは、義手を取り付ける為に癒しの聖女自ら開発した新しい魔術だったのかもしれない。どちらにしても、『再生』の術くらいしか、思いのままに動くような義手を取り付けられる魔術の心当たりはない。『再生』の術は、私だって使えるようになったんだから、目の代わりになる物があれば――。
「随分良い顔をしているな」
驚いて顔を上げる。と、兄様が目を細めて私を見つめていた。
「何か興味深い物でも見つけたか? それとも、面白い事でも閃いたか?」
「それは……」
一瞬、話そうかどうしようか迷った。けど、元々、この本を紹介してくれたのは兄様だ。兄様もこの話は読んでいるんだから、内容は知っている。それに、この本を紹介してくれた時、兄様は言っていた。面白い治療法が載っている、と。
「あの、ね――」
だから、私は兄様に、『再生』の術についての私の見解と、先生の目の治療法についての思い付きを話してみた。
「目玉の代わりになる物、ねぇ……」
「そう。だって、本物の眼球を準備するのは無理でしょ? 他の人から抉り取る訳にはいかないし」
「う、うむ……。まあ、そう、だな……」
「癒しの聖女はどうやって義手を作ったんだろう……? 自由に動かせる義手って、先生の目の治療法のヒントになりそうなんだけどなぁ」
義手の研究記録なんて都合の良い物は無いだろうしぃ……。万が一あったとしても、義手を開発した場所、つまり、メーア大陸にあるだろうしぃ……。それを探しに行くのは流石に無理だ。そこまでの無謀は出来ない。
「癒しの聖女に関係する資料を見る手段はあるぞ?」
思いがけない発言に、驚いて兄様を見る。と、兄様はニヤリと笑った。
「その伝記、隣国――妖精王の城に勤めている薬師が書いたものだ。そやつは、癒しの聖女の、主に魔大陸での足取りの研究をしている研究者でな。魔大陸では、最も癒しの聖女に詳しいはずだ。つまり、癒しの聖女に関する資料を大量に保有している可能性が高い。隣国との関係は良好なのだから、竜王様に一筆もらえれば、短期留学など容易いだろう? お前は治癒術師なのだから、癒しの聖女の研究内容に興味があるとか何とか言って、そやつから資料を見せてもらえば良い。お前の目当ての資料があるかどうかは分からぬが、ここで悶々としているよりはよっぽど建設的だ」
「短期留学……」
「うむ。竜王様へは、僕が一筆書いてやろう」
「本当?」
「ああ。それより、問題はラインヴァイス兄様だ。説得出来るか? なかなか手強いと思うぞ?」
う……。確かに、隣国への短期留学なんて、先生が許してくれない気がする。で、でも! これも全て先生の目を治す為なんだから。何としても分かってもらわねば。
「が、頑張る……」
「既に自信が無さそうだが?」
「頑張る!」
「うむ。その意気だ。この短期間でよく立ち直ったな」
「希望が、見えたから」
照れ笑いをしつつ、兄様に癒しの聖女の伝記を掲げて見せる。この本が無かったら、きっと、立ち直れていなかったと思う。立派な治癒術師になる事も、先生の目を治す事も、全て諦めてしまったと思う。
「やはり、その本を紹介しておいて良かったな」
満足そうに笑いながら兄様が言う。そんな兄様の言葉に、ふと、疑問が湧いた。
「ねえ、兄様? もしかして、こうなる事、予想してた、とか……?」
「うむ。その本を読んだ時点で、ラインヴァイス兄様の目が治る確率は五分五分だろうと踏んでいた。癒しの聖女は、世界最高と誉れ高い治癒術師だ。そんな彼女をもってしても、恋人の腕を生やす事は叶わなかった。だがな、癒しの聖女の時代から比べると、魔術も多少は進歩している。もし、『再生』の術が癒しの聖女の時代より後に組み上げられ、その名の通りの術であったのなら、ラインヴァイス兄様の目は治るだろうと思っていた。しかし、現実はそこまで甘くなかったな……」
「ん……。ひょっとして、なんだけど……。この本を紹介してくれた目的って、『再生』の術では先生の目が治らない可能性があるって示唆する為、だった、とか……?」
「それもあった。だが、僕は言ったはずだ。面白い治療法が載っていた、と。『再生』の術でラインヴァイス兄様の目を治せたら、お前はきっと、目標を失っていただろう? せっかく、治癒術師と名乗れる程の研鑽をしたのだ。それでは勿体ないとも思った。だから、お前が憧れている癒しの聖女が生み出した治療法に興味が湧くのなら、それはそれで良い事だとも思ったんだ」
そっかぁ。そこまで考えて、兄様はこの本を紹介してくれてたのか……。兄様には敵わないな。見た目は私の方が上になっちゃったし、時々手のかかる弟みたいになる事もあるけど、兄様はやっぱり私の兄様だ。兄様が兄様で良かった!




