研究 6
ブロイエさんのお屋敷に来てから十日程が経った。私は毎日遊び回っている。兄様、アベルちゃんと共に三人でお屋敷の周りの森を探索したり、近場の川で釣りをしたり、ユニコーンで遠乗りをしたり――。兄様がお仕事中はアベルちゃんと二人、ボードゲームなんかをして遊んでいる。生まれてこの方、ここまで遊んで暮らした事は無い。
母さんと暮らしていた頃は、幼いなりに母さんの役に立とうと必死だったし、母さんと離れて孤児院で暮らしていた頃は、森に行って母さんを待っているか、今考えるとほんの少しだけど、孤児院の家事なんかを手伝っていた。お城で暮らし始めてからは、アオイのお世話をしつつ勉強をしていたし、先生と暮らし始めてからは勉強に打ち込んでいた。
兄様やアベルちゃんと遊ぶのは楽しい。けど、私の心にはぽっかりと穴が開いていた。毎日楽しいのに、充実しているかと問われると答えに詰まる。毎日が楽しいのと充実するのって全然違うんだなって、ここで生活し始めて初めて知った。
「次、アイリスちゃんの番だよぉ!」
見ると、正面に座っているアベルちゃんがぷくっと頬を膨らませていた。いけない、いけない。今はアベルちゃんと一緒にボードゲームしてたんだった。
「んもぉ! アイリスちゃん、すぐぼ~っとするんだからぁ!」
「ご、ごめんね……」
慌てて、次の一手を考える。ええっと……。ここの駒を動かすと、こっちから攻められちゃうしぃ……。かといって、あっちを動かすと、あっち側から攻められちゃうなぁ……。ん~……。これ、どうやっても私の負けじゃない?
「参りました……」
「やった! また僕の勝ちだぁ!」
アベルちゃんが満足そうに笑う。アベルちゃんって、こういう戦略系のボードゲームみたいなの、得意なんだよなぁ。たぶん、相手の行動を先読みするのとか、戦術を考えるのとかがとっても上手なんだと思う。先生もこういうゲーム得意――。
私はハッとして頭を振った。先生の事は考えないようにしているのに……。恩返しもまともに出来ない私なんて、先生の隣に立つ資格は無い。先生に合わせる顔がないんだから……。
「……ねえ、アイリスちゃん?」
「ん?」
「僕、ず~っとアイリスちゃんの味方だからね? 僕がアイリスちゃんを守ってあげるからね?」
「どうしたの? 急に……」
「何となく。僕がアイリスちゃんの事大好きなの、知ってもらいたかったの!」
「そっか……」
「うん! あとね、あとね、アイリスちゃんはね、僕の憧れなんだよ」
「憧れ? 何で?」
私はアベルちゃんに憧れてもらえるような人間じゃない。自分でも呆れるくらい、駄目で弱い人間だ。
「アイリスちゃんはね、いつも自分の事は二の次でしょ? そういうの、凄いなって思うの。とっても優しい人だなって。僕もアイリスちゃんみたいに、周りのみんなの事を考えて行動出来る、素敵な女子になりたいんだぁ!」
アベルちゃんの言葉に、私の胸が酷く痛んだ。みんなの事を考えていたら、顔すら見せず、黙ってここに来たりしない。一番心配してくれているだろう先生にすら、何も言っていない私は、自分勝手でどうしようもない人間だ。
「違う、よ……!」
「え?」
「違う! 私は、私の事しか考えてないもん!」
「そんな事、ないよ……? アイリスちゃんは――」
「そんな事あるの! 私の事、何も知らないくせに! 分かったような事、言わないでよ!」
「……ご……めん、さない……」
目に一杯涙を溜めて、アベルちゃんが消え入りそうな声で謝る。怒鳴るつもりなんて無かったのに……。こんなの、ただの八つ当たりだ……。滲んできた涙を隠すように、私は椅子から立ち上がるとアベルちゃんに背を向けた。そして、部屋を後にする。
そうして宛がわれている部屋に戻ると、私は大きなベッドにダイブした。ギシッとスプリングが軋む。
アベルちゃんの事、傷付けたよね、きっと……。今頃、泣いてるだろうな……。あんな風に怒鳴る必要なんて無かったのにな……。もっと優しく、違うんだよって言えたはずなのに……。
自己嫌悪で悶々としていると、部屋の扉がノックされた。ベッドにうつ伏せたまま、はいと返事をする。と、ゆっくりと扉が開いた。
「邪魔をするぞ」
そう言って部屋に入って来たのは兄様だった。たぶん、アベルちゃんとの一件を聞いたんだろうな……。
「アベルが泣いていたぞ?」
優しい声色でそう言いながら、兄様がベッドに腰を下ろす。キシッとベッドのスプリングが軽く軋んだ。
「何があった?」
「別に……」
「アベルが余計な事を言ったか?」
「別に……」
アベルちゃんはただ、私を元気付けようとしてくれていただけなんだと思う。現に、私を守ってくれるって言ってたもん……。それなのに、私は……。
「アベルに落ち度があったのなら、僕が代わりに謝る。だから、アベルと仲直りしてくれぬか?」
「喧嘩じゃない……。アベルちゃん、何も悪くない……」
私が一方的に八つ当たりをしただけだ。それで、アベルちゃんを泣かせてしまった……。最低だ、私……。
「そうなのか? アベルはお前を怒らせたと、きっともう嫌われたと泣いていたが?」
「嫌ってなんかないもん……」
「そうか。聞いたか、アベル!」
ん? 思わず顔を上げ、すぐ傍に座っている兄様を見上げる。と、兄様が悪戯っぽく笑った。そして、扉の方に視線を向ける。私もそれにつられるように扉の方を向くと、アベルちゃんが開きっぱなしだった扉から顔だけ覗かせていた。
アベルちゃんの顔は、涙でぐしゃぐしゃだった。鼻水も出ている。そんな状態なのに、今の今まで必死に嗚咽を抑えていたらしい。
「兄様……?」
「僕がどんなに嫌われてなどいないと言っても聞かなかったのでな。お前の口から言ってもらう事にした!」
兄様がしてやったりと笑う。私、兄様に諮られたらしい。兄様って、こういう知恵、よく回るよねッ!
「アイリス、ちゃん……ホ、ント……? ぼ、僕の、事……嫌いに、なって、ない……?」
「嫌いになんか、ならない……。アベルちゃんは、私の、大事な友達、だから……」
決まり悪くて、むすっとしながらそう口にする。とたん、アベルちゃんが声を上げて泣き出した。兄様がギョッとするくらいの大泣きだ。私は起き上がり、そんなアベルちゃんを手招きすると、両手を広げた。と、アベルちゃんが泣きながら私の傍に寄り、ギュッと私に抱き付いた。私の腕の中で泣き続けるアベルちゃんの背中を、よしよしと擦る。
「さっきはごめんね? 怒鳴ったりして……」
「うぅう~」
「ビックリした、よね……?」
「う~ぅ~」
「本当に、ご、ごめんね……」
何だか、私まで泣きたくなってきた。しゃくり上げ始めた私を見て、兄様がやれやれと溜め息を吐く。
「二人して泣いていては、この後、遊べないではないか……」
そう言った兄様は靴を脱ぎ、ごろんとベッドに横になった。そして、もぞもぞと掛け布の中に入る。
「今日は三人で昼寝だ! 異論は認めんぞ!」
半ばヤケクソ気味なのは、一緒にやりたい事があったからなのかもしれない。けど、泣いているアベルちゃんや私を引っ張り回さないあたり、ちゃんと心得てるよね、兄様って。
兄様の隣に私が、その隣にアベルちゃんが横になる。大きなベッドだけど、三人で寝るとほんのちょっと窮屈だ。三人でピッタリ寄り添い、掛け布を被る。
兄様もアベルちゃんも、私より体温が少し高いんだろうな……。今日は暖炉に火を入れようか迷うくらいの気温なのに、ベッドの中はぬくぬくだ。この分なら、すぐに眠く――。




