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白亜の騎士と癒しの乙女  作者: ゆきんこ
第四部

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225/265

研究 5

 日程調整が難しいなって思っていた先生の目の治療。でも、私の予想に反して、あれよあれよという間に日取りが決まった。みんなが先生のお休みの日に都合を合わせてくれたから。


 お城の病室に、私と先生、竜王様とアオイ、ブロイエさん、ローザさん、ノイモーントさん、フォーゲルシメーレさん、ヴォルフさん、兄様御一行様が待機している。凄い面子だ。国の主要人物勢揃い。たぶん、知らない人が見たら、何事かって腰を抜かすと思う。


 何故、この場にヴォルフさんと兄様達がいるのか。それは、私が最高位魔術を使えるようになったという事を、隠す必要も無いし、浮かれ半分で報告したからだ。それで、先生の治療をみんなが見学するなら一緒に見学したいって事になったから。


 私はドキドキしながら、椅子に座る先生の前に立った。そして、先生の顔の傷跡にそっと触れる。


 失った左目の光も、爪で抉られた顔の傷跡も、私の命を救ってくれた代償だ。先生の事だから、それを後悔する事なんて無かったと思う。それで助かった命があったら、良かったって思ってしまう人だから。それくらい優しい人だから……。


「じゃあ、始めます」


 私は腰のホルダーから杖を抜いた。先生にもらった、大切な大切な杖。思えば、この杖をくれた時から、先生は私を愛してくれていたんだと思う。先生にとってもこの杖は大切な物だったんだから。小さい頃に使っていた、思い出の詰まった杖。たぶん、亡きご両親が用意してくれた物だったんだろう。そんな大切な物を私に譲ってくれたって事は、たぶんそういう事だったんだろうなって、今だから分かる。


 私は杖に魔力を込めると、魔法陣の展開を始めた。じわじわと、私の中の魔力が減っていく。ここで集中を切らせたら、魔術が暴走してしまう。ギュっと両手で杖を握り締め、全神経を魔法陣に集中させた。ゆっくりゆっくりと魔法陣が展開されていく。そうして無事に魔法陣が完成した。虚空に浮かび上がった魔法陣を見て、室内がどよめく。


「レゲネラツィオーン!」


 発動呪文を唱えた瞬間、私の魔力がごそっと失われた。急激な魔力消費に身体の力が抜ける。あ。これ、まずいかも……。ガクッと膝が折れた瞬間、誰かに身体を支えられた。支えてくれた人を見上げる。


「ブロイエさん……」


「意識ははっきりしてるね? 気持ち悪かったり眠気があったりは?」


「ちょっとだけ……。でも、大丈夫。魔力切れじゃないから……」


 魔力切れを起こした時は、もっと気持ち悪かったし、耐え切れない眠気があった。でも、今はそこまででもない。急激に魔力を失って身体に負荷が掛かったけど、魔力切れまではいっていいないのだろう。そう自己診断したものの、それに納得していない人が一人。


「薬湯を飲んで、少し休んだ方が良いですね」


 そう言って薬瓶を持って来たのはフォーゲルシメーレさんだ。手にしていた瓶の蓋をキュポンと引き抜く。とたん、病室内に薬湯の強烈な臭いが立ち込めた。


「臭っ! 何だ、それは!」


 そう叫んだのは兄様だ。ハンカチで鼻を押さえている。そのお隣では、兄様と一緒に来ていたアベルちゃんも鼻を摘まんで顔を顰めていた。


「父さん! あれ、腐ってるよ、きっと!」


 アベルちゃんに袖を引かれたカインさんはポーカーフェイス。いつも通りの表情で、無言で佇んでいる。たぶん、この薬湯を作ったのは私だって分かっているんだろう。


「私特製の薬湯ですけど?」


 何か文句ある? 臭がっている兄様とアベルちゃんをじろりと睨む。と、二人は顔を見合わせ、兄様は慌ててハンカチを懐に仕舞い込み、アベルちゃんは愛想笑いを浮かべながら鼻から手をどかした。


「か、身体に良さそうな匂いだな!」


「う、うん! 僕もそう思ってた!」


 そんな慌てて取り繕われると、逆に腹が立つんですけど! どうせ、私特製の薬湯は臭いですよ~だ! 私はフンと鼻を鳴らすと、差し出されていた薬瓶を受け取り、一気に中身を飲み干した。うぇ~。美味しくな~い!


 でも、薬湯を飲んだからか、少し頭がスッキリした。この薬湯、気付け薬にも使えたりして。今度、夜更かしした時にでも試してみようかな、なんて。


 あ。そうだ! 先生の目! 治った? そう思って先生の方を見る。先生は兄様とアベルちゃんを見て苦笑いしていた。片方の目は依然として閉じられたまま。


「な、んで……?」


 掠れた声で呟く。魔術はちゃんと発動していた。魔力をごっそり失ったんだから、それは間違いない。でも、先生の目は治っていなかった。震える手を先生に伸ばす。


「何で?」


 何で何で何で何で? 何かの間違いだ。でも、触れた先生の目は、魔術を使う前と何一つ変わっていなかった。


「何でよッ!」


 何で治ってないの? 何で! 今日この時の為に、ずっと努力してきたのに! 『再生』の術でなら、先生の目が治るって信じてたのにッ!


 私は衝動的に病室を飛び出した。後ろから、私を呼び止める声が聞こえる。でも、私は足を止めなかった。廊下を駆ける私の目から、ボロボロと大粒の涙が零れ落ちる。


 廊下をひた走り、お城の図書室に着くと、私はその扉を押し開いてそっと中を覗いた。室内はシンと静まり返っていて、人の気配は無い。私はいつも勉強していた席に着くと、テーブルに伏せった。私以外誰もいない図書室に、私の嗚咽だけが響く。


 今まで頑張ってきたのに。先生の目を治してあげたかったから。私のせいで見えなくなった先生の目を……。それなのに……! 今日までの日々は何だったんだろう? 全部無駄だったの? 無駄な努力して、無駄な時間を過ごして……。バカみたいだ……。バカみたい!


「アイリス……」


 呼ばれて顔を上げる。見ると、戸口に兄様が立っていた。凄く心配そうな顔で。私はがたりと椅子から立ち上がると、そんな兄様に駆け寄った。


「兄様ぁ! 兄様ぁぁぁ!」


 ガバッと兄様に抱き付く。そして、声を大にして泣いた。そんな私の頭を、兄様がよしよしと撫でてくれる。


「辛いな……」


「辛いよぉぉ! もう、嫌だよぉぉ! 消えちゃいたいよぉ!」


 縋ってわんわんと泣く私の背を、兄様は優しく擦ってくれた。胸を借りるには小さすぎる兄様だけど、その身体の温もりと手の優しさでだんだんと落ち着いてくる。


「……のう、アイリス?」


 私の背を擦りながら兄様が私を呼ぶ。私はしゃくり上げながら返事をした。


「な、に……?」


「しばらくウチに来ないか? 今までお前は必死に頑張って来た。ここらで少し休憩したって、誰もお前を責めはしない」


「良い、の……?」


「良いも何も。お前は僕の妹で、家族の一員だ。つまり、だ。ウチの屋敷はお前の家でもある」


「あり、がと……兄様……そう、する……」


 今はただ、先生の前から消えてしまいたかった。逃げてしまいたかった。だから、兄様の誘いを受ける事にした。


 本当は、治癒術師として、何で先生の目が治らなかったのか、原因を究明しなくちゃいけないんだと思う。だけど、そんな気力も活力も、何もかもが無くなってしまった。


「皆、心配している。自分で話は出来そうか?」


 兄様の問い掛けに、無言で首を横に振る。


「顔を見せるくらいは?」


 私はそれにも無言で首を横に振った。


「皆、心配しているのだぞ?」


「嫌だ……! 嫌だぁぁぁ!」


 先生にも、応援してくれていたみんなにも、合わせる顔が無い。再び大泣きし始めた私を見て、兄様が溜め息を吐く。そして、私をそっと抱き寄せると、よしよしと背を擦ってくれた。


「無理に連れて行ったりはせぬ。だからもう泣くな」


「誰にも会わないぃぃ!」


「分かった、分かった。だが、屋敷に行くには、父上に送ってもらわねばならぬぞ?」


「ベルちゃんで行くぅぅ~!」


「ベルちゃん……? ああ、お前のユニコーンの名だったな……。いったい、何日かけて行くつもりだ……」


 やれやれと兄様が溜め息を吐く。そして、少し考えてから口を開いた。


「父上には、余計な事は言わぬよう釘を刺しておく。それで我慢してくれぬか?」


「嫌だぁ! ブロイエさん、先生に言うもん~!」


「ん? ラインヴァイス兄様には伏せておきたいのか?」


「私、先生の前から消えるのぉ!」


 私なんて、先生の傍にいる資格は無い。左目と引き換えに命を救ってもらったくせに、その恩返しすら満足に出来ないんだから。私なんて、私なんて……!


「そうか……。分かった。父上にそう伝えておこう。少しここで待っていろ。話をつけてくる」


 そう言って、兄様は私の背をポンポンと軽く叩くと、そっと身体を離した。そして、踵を返す。


「待ってぇ! ベルちゃん!」


 私の叫びで兄様が足を止めて振り返る。怪訝そうに眉を顰めて。


「ユニコーンでは行かぬと――」


「ベルちゃん、連れて行くぅぅ!」


「ああ……。分かった。それも父上に話しておく」


 兄様は苦笑しながら頷くと、今度こそ踵を返して行ってしまった。広い図書室には、私のすすり泣く声だけが響いている。


 私はただ、命を助けてくれた先生に恩返しがしたかっただけなのに……。だから今まで頑張ってきたのに……。頑張って来れたのに……! もう、駄目だ……。もう嫌だ。もう――。


「アイリス」


 呼ばれて顔を上げる。目の前にはブロイエさんが片膝を付いていた。その隣には兄様が佇んでいる。


「スマラクトから話は聞いたから。行こうか?」


 そう言って差し出された手を私は取った。ブロイエさんは兄様が言った通り、何も言わなかった。ただ穏やかに、凪いだ目で私を見つめるだけだった。


 私達三人は、お城から私と先生のお屋敷に転移した。出迎えてくれたヴィルヘルムさんに何も言わず、部屋に行って簡単に荷造りをする。そうして準備が整うと、ベルちゃんがいる厩舎に向かった。ベルちゃんに騎乗具一式を取り付けて荷物を括り、手綱を引いて厩舎を出る。


「準備出来たか?」


 厩舎の外で待っていてくれた兄様が口を開く。私が無言でこくりと頷くと、兄様と一緒に待っていてくれたブロイエさんが転移魔法陣を展開した。そうして三人でブロイエさんのお屋敷に転移する。


「んじゃ、僕はカインとアベルを迎えに行って来るねぇ~」


「二度手間になってしまって申し訳ありませんでした、父上」


「良いのよ~。可愛い息子と娘の頼みですから。じゃあ、また後でね~」


 そう言って、ブロイエさんは笑いながら手を振ってフッと姿を消した。


「兄様……」


「何だ?」


「ありがと……」


「うむ。そのユニコーン、厩舎に連れて行ってやろう」


「ん……」


 私と兄様は手を繋ぎ、揃って厩舎へと向かった。空はいつの間にか茜色に染まっていて、真っ赤な夕日が私達を照らしていた。

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