研究 3
ウルペスさんの研究室を後にし、お城の廊下を歩く。目指すは先生のところ。行先不明。でも、頭を冷やすって言ってたから、お仕事部屋じゃないと思う。確証は無いけど。きっと、静かで、余計な物が何も無くて、人もあんまり来ない所じゃないかな。
ん~。そんな心当たりなんて……。あ。一つあった! 思い立ったが吉日。早速行ってみよう。それで先生がいなくても、また別の場所を考えれば良いし。目撃情報を集めてみても良いし。やりようはいくらでもある。
階段を上り、廊下を歩き、また階段を上る。そうしてやって来たのは空中庭園だ。ここなら余計な物は何も無いし、この時期のこの時間帯は人だってあんまり来ない。ここが人気になるのは、春の日の昼間だ。お花がたくさん咲いていて、森からは新緑の匂いが風に乗って運ばれてきて、お昼寝には丁度良いらしい。あるいは、夏の日の夕方。森から吹く風が爽やかで、夕涼みには絶好の場所なんだとか。
もうすぐ冬になる今の季節の夕方は、冷たい風が吹いていてちょっと肌寒い。私は寒さに強い質だからあんまり気にならないけど、寒がりの人だと辛いだろう。
ん~と、先生は……。空中庭園をきょろきょろと見回す。おお。いた! 庭園の端、森を見下ろすような位置取りのベンチに先生が俯き加減に座っていた。こちらに背を向けるような位置取りのベンチだから、私にはまだ気が付いていない。
「先生!」
先生を呼ぶと、ハッとしたように先生がこちらを振り返った。そんな先生の元に駆け寄り、お隣に座る。
「良かった、ここにいてくれて。すぐに見つけられた」
にんまり笑ってみせる。と、先生が自嘲気味に笑った。
「頭を冷やすには丁度良いと……」
「もう、だいぶ風が冷たいね。もう少しで初雪かな? 今年は風花、見られるかな?」
「どうでしょうね……」
「見られると良いなぁ……」
空を見上げてみる。雲一つ無い空は、夕焼け色に染まっていた。空気が澄んでいるからだろうか、夕日がとっても綺麗だ。
アオイのお披露目パーティー以来、風花は見られていない。出来るなら、また見たいな。先生と一緒に。あの時みたいに。
「あのね、先生。私ね、お披露目パーティーの時のドレス、まだ大事に取ってあるんだ。もう着られないからね、一張羅メイド服みたいにアベルちゃんにあげちゃっても良いんだろうけど、何だか踏ん切りが付かなくて」
「そう、ですか……」
「あとね、香油の空き瓶。使い終わっても、何だか捨てられなくて。全部取っておいてあるの」
先生が不思議そうな顔で私を見た。そんな先生にニッと笑ってみせる。
「先生にもらった物は、全部私の宝物なの。先生は私の宝物、ガラクタって思う? もう着られないドレスとか、空き瓶とか、捨てたら良いって思う?」
「……いえ。そこまで大切にしてくれていると、贈った甲斐があります」
「そう? 先生がそう言ってくれるなら、大事に取っておこっと!」
「あの……」
「ん?」
「何故、このような話を……?」
戸惑いがちに先生が問う。まあ、今の話だけじゃ、私の言いたい事なんて分からないだろう。これで分かったら、先生は私の心を読める事になってしまう。
「あのね、先生と私って、たぶん、他の人から見たら普通の恋人同士じゃないんだと思うんだ」
私がそう言うと、先生が隣で小さく息を飲んだのが分かった。あ。これ、たぶん誤解された。別れ話とかじゃないよ、先生。
「私達の関係の始まりは、命を助けた人と助けられた人でしょ?」
「ええ。そう、ですね……」
少し戸惑っているような声で先生が相槌を打つ。
「でね、次の関係は、アオイのお世話をする仕事の先輩と後輩。あるいは、上司と部下。そうでしょ?」
「ええ」
「それでね、その次に師匠と弟子」
「その次が恋人、ですよね……?」
先生がちょっと不安そうにそう言う。私はそれに大きく頷いた。
「そう。でね、恋人になるまでの間の事をちょっと思い出して欲しんだけど、私達の関係って、常に先生が私の上に立っていたと思うんだ。言うなれば、先生は私の保護者。違う?」
私の言葉に、先生が少し考え、無言で小さく頷いた。
「でしょ? でね、保護者期間が長かったせいか、先生はまだ、私の保護者なんだと思う。あ。もちろん、先生が私を愛してくれているのは知ってるし、否定するつもりはないよ? 何て言うのかなぁ……。先生は保護者の立場と恋人の立場、両方から私を見てるって言うかぁ……。それで、私には子どもアイリスと大人アイリスがいるって言うかぁ……」
お互いに切り替えが上手くいっていない。その一言に尽きるだろう。
「言われてみると、そうなのかもしれませんね……」
「それが良いのか悪いのか、私には分らないんだ。先生に守ってもらえる立場なのも、善し悪しを先生が判断してくれるのも魅力的だから。ず~っと甘えていたいって思っちゃうんだ」
「善し悪しを僕が判断していては、貴女はいつまでも大人になりきれないでしょうに……。僕は、貴女を支配したい訳ではありません」
そう口にした途端、先生が目を伏せた。そして、少しの沈黙を挟み、再び口を開く。
「叔父上には、僕がアイリスを支配していると思われたのでしょうか……?」
「ん~……。支配は言い過ぎじゃないかな? ブロイエさん、言ってたでしょ? アイリスだっていつまでも子どもじゃないって」
「つまり、子離れをしろと言われた訳ですね」
先生がこちらを向き、苦笑した。思わず私も苦笑してしまう。
「そういう事なんだろうね」
「少し、寂しくもありますね……」
「ん。でも、普通の恋人同士になる為だから。私も親離れ、頑張るから。どっちが先に子離れ、親離れ出来るか競争だね」
「現状、アイリスが優勢ですね。叔父上に指摘されたのは僕ですし。アイリスの成長についていけてなかったみたいですから」
「ん!」
「理想としては、二人同時に子離れ、親離れ出来ると良いのですが……」
「だね」
二人で顔を見合わせ、クスクス笑う。こうして気付けたんだし、ゆっくり二人で関係を修正していけば良いと思う。お互いに尊重し合う、理想の関係になるのは、ずっと先でも遅くない。だって、先生の寿命は凄く長いし、先生と結婚したら私の寿命も長くなるんだから。急ぐ必要なんて無い。
……なんて。急ぎ過ぎて関係が変になるくらいなら今のままが良いって思ってしまうのは、私がまだまだ子どもだからだろうな……。あんまり先生に甘えて頼ってばかりいると、今度は私がブロイエさんに注意されちゃう。気を付けねば!
「……あの」
ひとしきり笑い終わると、先生が少し言い難そうに口を開いた。私はそんな先生に首を傾げてみせる。
「ん?」
「何故、僕の反対を押し切ってまで、ウルペスに血を提供しようと思ったのですか? 見返りも無く、危険だと分かっていても協力したいと思う程の理由が、貴女の中にあったのでしょう?」
「ん。先生はリーラ姫とお話したいなって思う事、無い?」
「それは、まあ……。妹ですし、出来ればしたいとは思いますけど……」
「でもね、今のままだったら無理なんだって。リーラ姫が言ってたの。ずっと前、私の夢に出て来た時。先生は結界術への適性が高くて、リーラ姫はその反対の攻撃魔術への適性が高いから。例えるなら水と油で、夢を渡れないんだって」
「そうでしょうね。昔、リーラが竜王様の夢に出て来た話を聞いた時、きっと僕の所へは無理だろうなとは思いました。夢を渡るには、僕とリーラでは相性が悪すぎる、と……」
「でも、リーラ姫にかりそめの身体があったら、またお話出来るし、ごはんも一緒に食べられるし、どこかに出かける事だって出来るんだよ!」
「それはそうでしょうが……」
「それにね、リーラ姫とまた一緒に過ごしたいって思ってるの、先生だけじゃないでしょ?」
「ウルペスは僕以上にそう思っているでしょうね」
「ん。それに、竜王様だって、ブロイエさんだって、リーラ姫を知ってるこのお城のみんなだって。また一緒に過ごせるならそうしたいって思ってると思う。そう思ってる人達が私の大切な人達だから、協力したかったの」
「アイリスらしいと言えばらしいですが……」
「でね、リーラ姫のかりそめの身体が出来たら、ミーちゃんの治療法が分かるかもしれない。たぶん、ウルペスさんは、ミーちゃんとバルトさんが協力してくれたお礼に、治療法を一緒に考えてくれると思う」
「そうですね。ウルペスは案外、義理堅い性格ですし」
「私はミーちゃんとバルトさんにも幸せになって欲しい。もちろん、今だって、お互いにお互いを大切に想い合っていて幸せなんだろうけど、今以上に幸せになって欲しい」
「ただ、リーラのかりそめの身体が出来てそれが公になれば、禁術を研究した咎でウルペスが捕まる可能性があります。もちろん、その協力者の貴女も。ウルペスの事ですから、何かしらの切り抜け方は考えてはいるでしょうが……。僕はそれが一番怖い」
「知ってる。先生が私の身を心配してくれてるって。こんな事言ったら強かだって思われるかもしれないけど、先生は何としても私を守ってくれるでしょ? もし私が捕まっても、今の地位、今の生活を捨てても私を助け出してくれるでしょ? 一緒に逃げてくれるでしょ?」
「それは……否定出来ないのが何とも……」
「先生を信頼してるからこその無謀だったりもします!」
元気良くそう言うと、先生が苦笑した。と思ったら、私の頬をそっと撫でた。
「その信頼は、師への信頼? それとも、恋人への信頼?」
そう言った先生の瞳に熱が篭る。ゆっくりと先生が顔が近づいて来た。私は目をそっと閉じながら言う。
「両方」
先生が唇が私の唇にそっと触れた。そんな先生の首に腕を回す。
「こんな事、どこで覚えたのです?」
唇を離し、先生が私のおでこにおでこをくっ付けて言う。
「本」
「どんな?」
「恋愛物の。ローザさん一押しのを借りたの」
「その物語には、この後どうなるか書いてありました?」
「ん~ん」
「物語には、書かれていなくても必ず続きがあるのですよ?」
そう言って先生が笑う。いつもみたいに優しくではなく、妖しげに。あ。これ、拙いやつじゃ……。そう思った時には遅かった。私の腰に先生の腕が回る。
「物語の続き、始めましょうか?」
そう囁いた先生の唇が再び私の唇に振れる。啄むような口付けが、だんだん深く情熱的になってくる。私は先生の首に腕を回したまま、必死にそれに応えた。たぶん、相当ぎこちなかったと思う。でも、大人の口付け、初めてだったんだもん! だから仕方ないんだもん!




