研究 2
頭に血が上って、先生と子どもみたいな言い合いをしてしまった。みんな見てるのに。カッと頬が熱くなる。
「僕はね、アイリスが自分で決めた事なら、やらせてあげても良いと思うよ」
意外な言葉に、私はブロイエさんを見た。と、ブロイエさんが私に向かって優しく微笑む。
「叔父上ッ!」
「アイリスは別に、対価が貰えるからウルペスに協力する訳じゃあないんでしょ?」
「ん。対価が無くても協力するつもりだった」
「それに、ウルペスに血を提供するリスクだって、勿論分かってるよね?」
「ん。ウルペスさんの研究が露見したら、たぶん、私も捕まる」
血や髪の毛、皮膚片といった身体を構成するものは、魔力解析にかければ、すぐに誰のものか分かる。この魔力解析、元々は、戦場で亡くなった人を遺族の元に帰す為に発達した技術らしい。けど今は、犯罪が起こった時、関わった人が誰なのかを知る為に使われている。つまり、ウルペスさんの禁術の研究が露見して、私の血がその研究室にあったら、私が協力者だっていうのはすぐに分かってしまう。
ホムンクルスは禁術だ。禁術を研究しているなんて露見したら、最悪は死罪。協力者だって同罪になる。先生が一番心配しているのはこれだろう。
だから、血なんて提供しない方が賢明だ。いざとなったら、「研究なんて知りません」「研究内容なんて分かりません」で誤魔化せるから。それは分かっている。けど、それでも私は協力してあげたい。
「ラインヴァイス。アイリスにはアイリスの考えも想いもある。それを尊重してあげる事は出来ない? アイリスだって、いつまでも君におんぶに抱っこの子どもじゃないんだよ?」
「っ!」
ブロイエさんの優しく諭すような言葉に、先生が小さく息を飲んだ。そして、苦虫を噛み潰したような顔で席を立つ。
「少し、頭を冷やしてきます……」
そう言い残し、先生が研究室を後にした。私はそんな先生の背を黙って見送る。
「追わなくて良いの?」
そう言ったのはウルペスさん。心配そうに眉を下げる彼に、ニッと笑ってみせる。
「大丈夫。後でちゃんとお話する」
「そう……?」
「それに、今、先生を追っても、また言い合いになっちゃうから」
「そっか」
分かったとばかりに、ウルペスさんが一つ頷いた。そして、フッと笑う。
「アイリスちゃん、大人になったね」
「そ、そうかな?」
改めてこういう事言われると、何だかくすぐったい。背中の辺りがムズムズする。
「城に来たばかりの頃は、ラインヴァイス様に引っ付いてるおチビちゃんだったのに」
「そうそう。ラインヴァイスのマントの中が安全地帯だなんて甘えん坊さんだったのにねぇ」
ウルペスさんとブロイエさんが懐かしそうに目を細める。う~。二人して、言いたい放題だな。ただ、言ってる事があながち間違えじゃないから、否定出来ないのが何とも悔しい。
「団長が甘やかしていたのだから、甘ったれにもなるでしょう」
そう言ったのはバルトさん。これは、フォローなのか、そうじゃないのか……。う~ん……。微妙。
「まあ、それは俺ら魔人族の本能みたいなもんですって。バルトさんだって、ミーさんにゲロ甘じゃないですかぁ」
「それとこれとは話が違うだろう」
「いや。まんま同じですよ」
「お前の言い方だと、アイリスが城に来たばかりの頃から、団長が好意を寄せていた事になるが? 言っておくが、あの頃のアイリスなんて、赤ん坊と大して変わらないガキだったぞ?」
赤ちゃんと一緒にしないでもらいたい。私、もう少し大きかったもん!
「いやだなぁ。色々噂になってたじゃないですかぁ」
「そう、なのか……?」
バルトさんが戸惑いがちにこちらを見る。私? 何も知らない。だから、フルフルと首を横に振る。
「アイリスちゃんは本人だから分かるにしても、何でバルトさんが知らないんです?」
「噂話など、俺の耳に入ると思うか?」
「あ。そっか。……じゃない! 危なく納得するところだった!」
「ウルペスさん、ウルペスさん。たぶん、納得して良いところだよ、今の」
どんな噂が流れていたかなんて私は知らない。でも、話の流れから考えて、先生が私を好きだとか、そういう類の噂だったんだろう。
そんな噂話にバルトさんが乗らない事は、少し考えれば分かる事だ。「くだらん」で一蹴されるのが目に見えているから、誰もそんな話、振らないよ。
「直属の上司が、有名な噂話すら耳に入らない寂しいぼっちとか、俺、嫌なんですけど!」
「大丈夫だよ、ウルペス。今は君がいるじゃないか!」
ブロイエさんがそう言って、良い顔でグッと親指を立てた。私もグッと親指を立てる。見ると、バルトさんまでもが親指を立てていた。そんなバルトさんを、ウルペスさんがジトッとした目で睨む。
「何、どさくさに紛れて、人の事、当てにしてるんですか?」
「お前、副長付きだろう? 俺の補佐をするのがお前の仕事だと思ったが?」
「う……」
「嫌ならば構わん。転属願いでも出しておけ。奇特な副長付きの誰かが代わってくれるかもしれないぞ?」
「いや、そんなヤツ、いないでしょ……」
「第二連隊にならいるんじゃないか?」
「第二連隊……。もしかして、ヴィルヘルムさん付きになれって? 状況、悪化してません?」
「ならば我慢するしかないな」
バルトさんが低く笑う。楽しそうで何より、何より。バルトさんって、本当にウルペスさんの事、好きだよね。たぶん、ウルペスさんの反応一つ一つが面白いんだろうな。
ウルペスさんも、バルトさんが面白がってるの、分かってるんだと思う。だから、軽口を言ったり、嫌味に嫌味を返してみたりしてるんだろう。
ヴィルヘルムさんとじゃ、こういうやり取り、出来そうにない。常に無表情の人相手に、軽口なんて叩ける訳が無い。試そうとも思わないだろう。バルトさんの方が表情は読みやすいし、そういう点では、ウルペスさんにとっては付き合いやすいんだと思う。
「せめて、料理長が取り替えてくれたらな」
ウルペスさんが口を尖らせて言う。と、バルトさんが苦笑した。
「似た者同士で組んだら、班が崩壊するだろう」
ふ~ん。第一連隊のもう一人の副長さんは、ウルペスさんと似たタイプなのか。きっちりしたタイプじゃないだろうし、補佐する人はきっちり系の人が良いと思う。イェガーさんはきっちり系の人だし、妥当な人選だ。うん。
「ま。確かに。バルトさんの下だからこそ、楽させてもらってますし」
「もっと働いても良いんだぞ?」
「遠慮しときま~す!」
バルトさんは役職付きの経験も長いらしいし、何でも独りでやっちゃうタイプだ。信頼してお仕事を任せてもらいたいタイプの人には合わないけど、世の中、そういうタイプの人ばかりじゃない。ウルペスさんにとっては、バルトさんって理想の上司なんじゃないだろうか……?
「あ。そうだ。ヴィルヘルムさんって言えばさ、今、アイリスちゃん家で働いてるんでしょ? どう?」
「どうって?」
「上手くやってる? あの人、バルトさん以上にお堅いじゃん?」
ウルペスさんの言葉に、私はう~んと頭を捻った。引っ越ししてから今日まで、ヴィルヘルムさんと特別何かあったかって聞かれたら、全く何も無かった。だから、仲良くはなっていないし、逆にギクシャクもしていない。
「距離感がね、全く変わらない」
私がそう答えると、ブロイエさんが面白そうに片眉を上げた。そんな彼に首を傾げてみせる。
「何?」
「いんや。ただ、アイリスには突き放したり、冷たくしなかったんだなって思って。ちょっと意外だったから」
「あ。突き放された言い方された時はあったよ。でも、ヴィルヘルムさんにそのつもりはなかったみたいだから。気にしてないだけ、かな?」
「何かさ、アイリスちゃんって大らかだよね」
そう言ったのはウルペスさん。傍らの作業台に頬杖を付き、苦笑している。
「馬鹿にしてる?」
「いんや。逆に尊敬してる。普通さ、突き放されたら不快になるじゃん? それで、相手の事、嫌いになるじゃん? そういうの、無いんでしょ?」
「無い訳じゃ無いよ。意地悪な事言われたら嫌いになるもん」
現に、私に意地悪ばかり言ってきたアクトの事は大嫌いだった。まあ、今はそうでもないけど。
「直接的な悪口でなければ気にならないという事か?」
そう聞いて来たのはバルトさん。珍しく、興味津々の顔をしている。
「う~ん……。気にならない、訳じゃ無い……と思う……」
突き放されたら悲しいし、何でそんな言い方するのって思うしぃ……。
「こういう人なんだなって思えば、大抵の人と付き合えるようになったと言うかぁ……。上手く言えないんだけど、私がある人の事を苦手って思ってても、別の人にとっては好きな人って事、あるでしょ? その逆も、もちろんあるでしょ?」
「あるねぇ、そういうの」
ブロイエさんがうんうんと頷く。ブロイエさんにも心当たりがあるんだろう。私で言ったら、アクトがその良い例だ。私は意地悪ばかりするアクトが嫌いだった。でも、ミーナは何だかんだ、アクトを可愛がっている。だからか、私に「アクトと仲良くしてあげて」って、何度も働きかけていた。悪い子じゃないからって。たぶん、アクトにも、私に意地悪しないように働きかけていたんじゃないかなって思う。
「誰にだって、家族や友達、人によっては恋人がいる訳で、私が嫌いって思ったら傷付く人がいるでしょ? そう考えるとさ、その人の根っこの部分を受け入れられるようになりたくなったって言うかぁ……。好きとか嫌いとかいう感情って、気が合う合わないってだけで、その人に対しての評価じゃないって思ったって言うかぁ……」
「それを実行しようと思うなんて大物だよ。俺、アイリスちゃんよりだいぶ長く生きてるけど、そんな事出来ないし、しようと思った事も無いもん。俺だけじゃなくて、城のほとんどのヤツが出来ないし、やらないだろうね。だから、バルトさんとかヴィルヘルムさんみたいなタイプはぼっちなんだし」
頬杖を付いたまま、呆れたように笑いながらウルペスさんが口を開く。見ると、バルトさんもミーちゃんもブロイエさんも、同意するようにうんうんと頷いていた。
「生まれる場所が違っていたら、アイリスは中央神殿の巫女にでもなっていたんじゃないか?」
「あ~。ありそうだねぇ。魔術の才もあるし。それこそ、癒しの聖女の再来だって言われてたかもねぇ」
バルトさんの言葉に、ブロイエさんが笑いながら同意する。癒しの聖女の再来だなんて……。悪くない。
「アイリスちゃんや。ニマニマしてるけどさ、中央神殿の巫女になんてなったら、規則や派閥争いなんかのしがらみに縛られて、自由なんて無いんだからね? 癒しの聖女は癒しの聖女だからあんな生き方が出来ただけで、普通は自由になる事なんて一生無いんだからね?」
「それは嫌かも……」
「それにさ、生まれる場所が違ってたら、今親しくしてる人達とだって出会えてないんだから」
「それは絶対に嫌!」
先生がいない人生なんて嫌だ。それに、ローザさんやブロイエさん、兄様、アベルちゃん、カインさんとも出会えないのは嫌。アオイだってシオン様だって竜王様だって。ウルペスさん、バルトさん、ミーちゃんだって。このお城のみんなとも、緩衝地帯のみんなとも出会えないなんて絶対に嫌だ!
「魔大陸に生まれて良かったでしょ? せんせーもいるし」
「ん!」
「そんな自信満々に頷かれると、ご馳走様すら言えないわぁ……」
ウルペスさんが苦笑する。彼的には、私がもっと照れながら頷くと思っていたようだ。
「さて、と。そろそろやろうか? せんせーの頭、冷えすぎると後ろ向きな思考になって厄介だし」
ウルペスさんが徐に作業台からナイフを取り出す。私はこくりと頷くと手を出した。
「自分でやる? それとも俺がやる?」
「ウルペスさんがやって。自分でやるの、ちょっと怖いから」
「りょーかい。希望の指はあるかい?」
「親指と人差し指以外で。この二本はよく使う指だから、傷があるとちょっと不便だから」
「だね」
ウルペスさんが選んだ指は薬指だった。ナイフの先でほんのちょっと皮膚と肉を裂き、指を絞って血を採取する。それが終わると、丁寧に消毒して、小さく切った白布を細く裂いた布で結びつける処置をしてくれた。
私の血が、ウルペスさんの研究の役に立ってくれると良いな。それで、リーラ姫のかりそめの身体が出来て、ミーちゃんの身体も治って……。私の血には、みんなが幸せになる可能性が秘められている。そう考えると、ちょっと指先が痛いのなんてへっちゃらだ。




