研究 1
あっという間に春が終わり、夏が過ぎ、秋になった。日に日に冷たくなる風が、冬がもうすぐそこまで来ていると教えてくれている。
私は魔導書から顔を上げ、う~っと背伸びした。凝り固まっていた肩と背骨がバキボキと音を立てて軋む。
お城の病室の窓から空を見ると、日が少し傾いてきていた。そろそろ約束の時間かな? そう思って、ポケットに入れてあった時を知らせる魔道具を取り出し、時間を確認する。
約束の時間には少し早い。けど、勉強を再開したら遅刻しそうな微妙な時間。遅刻は絶対に駄目。だから、私は勉強を切り上げることにした。戸締りを確認し、廊下に出る。
向かう先は、ウルペスさんの秘密の研究室。今日はそこで定期報告会が開催される。ウルペスさんには、どこまで研究が進んでいるか、数か月に一度、報告してもらっている。報告会の参加者は、ウルペスさん、バルトさん、ミーちゃん、先生、ブロイエさん、私の六人。今日の報告会も全員参加予定で、先生も今日はお城に詰めている。
秘密の通路を抜け、私は研究室の隠し扉をノックした。と、中からウルペスさんの間延びした返事が聞こえる。そっと隠し扉を開くと、室内から独特の臭いが漏れ出てきた。
「お。早いね、アイリスちゃん」
そう言ったのはウルペスさん。何か薬品を調合していたのだろう。作業台の上には多種多様な薬瓶が置いてあり、彼はその前に立っていた。
「久しぶりだな」
バルトさんは培養水槽を組み立てている最中だったらしい。様々な工具が散らばった床に座り、何か作業をしていた。
「なんか、水槽、増えてない?」
「ああ。増やした」
バルトさんが作業をしながら素っ気なく答える。ここにある培養水槽は、元々、ホムンクルスの研究をしていたエルフ族のおじさんが使っていたものだ。それを遺跡から回収して使っているらしい。
最初は掌に収まるくらいの小さな水槽がいくつかあっただけだったのに、あれよあれよという間に、小さ子どもなら入れるくらいの物が数個増えていた。それどころか、今、バルトさんが組み立てている水槽なんて、私の背丈よりも大きい。研究室の大半が水槽で埋まっている。
小さな水槽の中は、よく分からない液体で満たされていた。室内を漂うこの独特な臭いの原因は、水槽を満たす液体だ。薬湯なんかの臭いとはまた違った、変な刺激臭がする。
液体の中には獣。水槽一つに一体ずつ収まっている。前に聞いたら、一応、この獣、生きているらしい。この獣達は、ウルペスさんの研究によって作られた。つまり、この獣自体がホムンクルスって事になる。
「凄いね、この水槽」
私は、背丈よりも大きな水槽にそっと触れた。これはまだ組み立て途中だから、中は空っぽだ。ひんやりとしたガラスの感触が掌に伝わる。
「最終段階で使う事になるらしいが、いつになる事やら」
バルトさんが苦笑しながら言う。と、ウルペスさんが頬を膨らませた。
「使う目途が立っていない物を、わざわざ運び入れて下さいなんて言いませ~ん!」
「そうだな。無意味に部屋を狭くする必要は無いからな」
「そうそう。ただでさえ息が詰まるのに、より息が詰まる空間になんてしませんよ」
「わざわざ遺跡から運んで組み立ててやっているんだ。俺の労力、無駄にするなよ?」
「運んでくれたのはミーさんでしょ。バルトさんは分解して、それをまた組み立てるだけという。虚しくならないですか?」
傍で聞いていると喧嘩しているよう。でも、これがこの二人の交流方法だったりする。これ、仲が良いからこそだと思うんだ。普通、こんなやり取りしてたら、取っ組み合いの喧嘩になる。
「ねーねー、ウルペスさん。私、何か手伝うよ?」
手伝える事、ある? そう思って口を開く。と、ウルペスさんが手を止めた。そして、誤魔化すように笑う。
「その話は後でにしようか?」
「後でって?」
「ラインヴァイス様とブロイエ様が来てから」
何で先生とブロイエさんが来てからなの? 今じゃ駄目なの? そう思ってウルペスさんを見つめるも、彼はそれ以上話すつもりはないらしい。そのまま黙って手を動かし始めた。
私はむ~っとむくれながら、部屋の隅の椅子に丸まっていたミーちゃんの隣の椅子に座った。と、ミーちゃんがのっそりと起き上がり、私の膝の上に移動してきた。そんなミーちゃんを撫でくり回す。私だって、薬の調合くらい出来るんだから。ウルペスさんを手伝うくらい、出来るのに!
そうしてしばらくミーちゃんを撫でていると、研究室の扉がノックされた。ウルペスさんが返事をすると、先生とブロイエさんが揃って部屋に入って来る。
「あら。アイリス、随分早かったんだねぇ」
ブロイエさんが部屋の隅の私に目を留め、にこりと笑ってそう言った。
「ん。切りが良いところで勉強切り上げたから」
「そっか、そっか。時間配分を考えて勉強出来るようになったの~。偉いねぇ」
ブロイエさんが手を伸ばし、私の頭を撫でようとする。と、先生がその手をむんずと掴んだ。
「気安く触らないで下さい」
「えぇ~! 僕、アイリスの父親代わりなんだよ? 頭撫でるくらい良くない?」
「良くない」
先生は時々、こうやってブロイエさんや兄様をライバル視しているとしか思えない行動をする。これは、その時々の先生のご機嫌とか、私と先生との距離感とかが関係してるんだって、最近になって気が付いた。気にならない日は気にならないけど、気になる日はとことん気になるらしい。今日は気になる日だったみたいだ。久しぶりのお城勤めで疲れている? それとも、今日は一回も先生のお仕事部屋にお茶をしに行かなかったから? ん~……。両方の気がしてきたぞ。
「先生」
私は先生を手招きし、お隣の空いている席、さっきまでミーちゃんが丸まっていた椅子をポンポンと叩いた。先生がバツの悪そうな顔で私のお隣の席に足を向ける。と、ミーちゃんが逃げるように私の膝から飛び降りた。
あ。あ~あ……。ミーちゃんに、かわいそうな事をしてしまった……。また今度遊んであげるから、今日は大目に見てね。ごめんね、ミーちゃん。
「んじゃ、全員揃ったし、報告会、始めちゃいましょうか?」
そう言ったのはウルペスさん。研究資料だろうか、紙束を手に、手近な椅子に腰を下ろす。ブロイエさんとバルトさんも空いている椅子に座った。とたん、ミーちゃんがバルトさんの膝に飛び乗る。
「ええと、今現在の進捗状況ですけど——」
ウルペスさんが紙束をパラパラと捲る。前回の報告会では、確か、獣を使った実験には成功したって話してくれたはず。その成果が水槽の中にいる獣達だって。
「ミーさんをベースにしたホムンクルスの作成を目指して実験中です」
ミーちゃんを? 思わず、バルトさんの膝の上に座っているミーちゃんを見る。先生、ブロイエさんも驚いたようにミーちゃんを見ていた。
「ミーさんを実験に使う理由は二つ。一つは、ミーさんの身体の治療法を見つける為」
言われて気が付いた。ミーちゃんもバルトさんも、ウルペスさんの研究に力を貸すのは、ミーちゃんの身体を治す為。どこが悪いのかすら分かっていないミーちゃんの治療法が、健康なミーちゃんの身体を作る事で分かるかもしれない。
「もう一つは、ミーさんが異界とはいえ、魔人族に近い種族の女性だからです」
女性だから……? ああ、そっか。リーラ姫のかりそめの身体、男の人って訳にはいかないよね。
「ただ、少し問題がありまして……」
ウルペスさんはそう、言葉を濁した。彼の顔色を見る限り、少しって言ってるけど、重大な問題なんだろう事は容易に想像が付く。
「これを見て下さい」
そう言って、ウルペスさんが傍らの作業台の上から取ったのは、二つの平べったいガラスの器。その器の上には、血のような色の石が乗っている。一方は綺麗な球状をしていて、もう一方はボロボロだ。
「綺麗な方が、実験動物から作った核です。この核を水槽で培養してホムンクルスを作るんですけど、ミーさんの核がこっちのボロボロの方で、このままでは使い物になりませんでした」
ミーちゃんを元にした核が使えない? という事は、実験は手詰まり?
「んで、もう一つ見て欲しいんですけど」
ウルペスさんはガラスの器を作業台の上に置くと、別のガラスの器をそっと取った。その上にも核が乗っている。と、ウルペスさんが徐に核を突っついた。とたん、核が砂のように崩れ去る。
「この粉々になった核は、ミーさんをベースに、バルトさんからほんのちょっと素材を分けてもらって作った核です。ご覧の通り、見た目は完璧な核でしたが、少しの衝撃で粉々になりました」
うんうん。突っついただけで粉々になってた。
「因みに、ミーさんベースで俺由来の素材を混ぜても同じ結果になりました」
それで? それで?
「ミーさんベースの核を完璧な形にする為には、他者由来の素材を混ぜ合わせれば良い所までは分かりましたが、安定性が非常に悪い。考えられる原因は二つ。一つは種族の違い。そして、もう一つは——」
「性別……?」
先生がポツリと呟く。と、正解とばかりに、ウルペスさんが先生を指差した。
「そう。俺の予想ではたぶんこっち。と言うのも、遺跡で研究してたおっさんは、色々な魔物を混ぜて新しい魔物を作り出していた。と言う事は、種族の差は、そこまで核に影響するものじゃないと考えられる」
確かに。種族が違うと核が作れないんじゃ、色々な魔物を混ぜ合わせた魔物は作れない。
「それで、その……。ちょ~っと、お願いがありましてぇ……」
ウルペスさんがちらりと私を見る。ん?
「ミーさんをベースにした核を作るのに、女性の協力が必要になるんですけどぉ——」
「まさか、アイリスを使おうと?」
そう言った先生の目は冷え切っていた。そんな先生の様子に、ウルペスさんが顔を引きつらせる。
「も、もちろん、協力してくれるなら対価は払うつもりで——」
「良いよ」
こんなの、考えるまでもない。先生は反対みたいだけど、私は協力してあげたい。ミーちゃんの為にも、リーラ姫の為にも。そして、その二人を大切に思っている、ここにいるみんなの為にも。
「アイリス!」
焦ったように先生が私の名を呼ぶ。けど、私の決意は固いんだよ。それくらいじゃ、覆らないもん。
「それで、素材って何を渡せば良いの?」
「血だ」
そう答えたのはバルトさん。うん。血なら想定内。
「量は?」
「数滴。ただ、今までの実験の成功率を考えると、一度で終わるとは思えない」
血を数滴、何度か提供する、と。うん。全然平気。対価なんていらないくらい、簡単な仕事だ。
「じゃあ、今日から提供する?」
「アイリス!」
再び、先生が私の名を呼ぶ。イラついている感じで。けど、無視。私だって、いつまでも子どもじゃない。自分の意志で動きたい。
「どうやって血採るの? やっぱり、ナイフで切る? ザックリいっても、私、自分で治せるからやっちゃって良いよ」
はいと、ウルペスさんに手を出す。と、ウルペスさんが苦笑した。
「流石に、ザックリはやらないよ。ほんの少し、指先に傷を付けるだけ。でも、その前に——」
ウルペスさんが先生を見る。話し合いをしなさいって事なんだろう。けど——。
「私が良いって言ってるんだから良いんだよ」
「良い訳が無いでしょう!」
「じゃあさ、先生。聞くけど、私がここでお断りしたら、ウルペスさんの研究、どうなると思う? 素材が無かったら、いつまで経っても研究は進まないよ?」
「だからと言って、賛成は出来ません。もっと自分を大切になさい」
「大切にしてるもん!」
「貴女の行動は、自分を大切にしている人のそれではありません!」
「先生の分からず屋! 頑固者!」
「頑固者は貴女でしょう!」
「あ~。はいはい。子どもみたいな喧嘩は、そこまでにしようねぇ」
そう言って割って入ったのは、苦笑しながら事の成り行きを見守っていたブロイエさんだった。




