新居 6
お屋敷の完成は、予定よりも半年以上遅れた。原因は、アオイの妊娠と出産。アオイの子どもは将来、竜王様の跡継ぎになる。だからか、アオイの妊娠を正式に発表したら、国中大騒ぎになった。それこそ、比喩ではなくお祭り騒ぎに。
そうすると、治安維持の為に人が駆り出される訳で。駆り出されるのは、騎士の人達になる訳で。私と先生のお家を建てている職人さん達も先生の部下、つまり騎士な訳で。そんなこんなで工事が出来ない日が続いて、工期が聞いていたよりも随分長くなってしまった。
ただ、それを責めるつもりは無い。だって、おめでたい事だったんだから。仕方が無いよねって諦めがついた。それに、私だってアオイの赤ちゃんが生まれるの、楽しみだったし。楽しみにしてたら、あっという間に冬が過ぎて、春になって、アオイに赤ちゃんが生まれた。
赤ちゃんが生まれたら生まれたで、また国中がお祭り騒ぎになって、完成間近の私達のお家の工事も止まってしまった。けど、その時は私も忙しくて、それどころじゃ無かった。何と、私、アオイの赤ちゃん――シオン様のお世話係りに任命されてしまったのだ。
シオン様のお世話は、それはそれは大変だ。オムツ替えだったり、あやし方だったり、抱っこの仕方だったり、一から覚えないといけない事は山ほどあった。それを子育て経験者のローザさんにアオイと一緒に教えてもらって、アオイが謁見なんかでシオン様を見られない時は、私が責任を持ってお世話する事になった。
当たり前だけど、生まれたばかりのシオン様はお話が出来ない。シオン様に出来るのは泣く事だけ。何で泣いているのか、その時その時で察してあげて、お世話をしなくてはならない。
今だってそうだ。豪華な室内に、シオン様の泣き声が響いている。私はシオン様に宛がわれているこのお部屋で、シオン様専用の小さな揺り籠ベッドを揺らした。でも、シオン様は泣き止まない。
泣いていた理由、オムツだと思ったんだけどなぁ。びしょびしょになっていたオムツは取り替えたから、さっぱりしたはずなのに……。そのはずなのに、シオン様は泣き続けている。
謁見に出る直前、アオイがおっぱいをあげていたから、お腹はいっぱいのはず……。シオン様お気に入りのおもちゃを目の前で揺らしてみるも、シオン様は全く興味を示さない。抱き上げようと試みるも、身体を反らして余計に大泣きし始めた。
「もう、泣き止んでよぉ。お願いだよぉ……」
シオン様があんまりにも泣き止まなくて、私まで泣きたくなってきた。何でシオン様が泣いているのか、私には分ってあげられない。やっぱり、私にシオン様のお世話係りなんて無理だよ。荷が重いよ……。ぐすん……。
「シオン様は今日も元気ねぇ」
突然掛けられた声に驚いて振り返る。と、ローザさんが微笑みながら戸口から顔を覗かせていた。
「ローザさぁん! シオン様が泣き止まないのぉ! 何しても泣き止んでくれないのぉ!」
半べそになりながらそう訴えると、ローザさんが「あらあら」と笑いながらベッドに寄って、シオン様の顔を覗き込んだ。
「おねむなのかしらねぇ……?」
「ベッド揺らしても泣き止まなくてぇ……! 濡れてたオムツも取り替えたのにぃ……!」
「そうなのね……。あら?」
泣き続けるシオン様の頭を撫でたローザさんが何かに気が付いたようだ。泣いてる原因、分かったの? 分かったんだよね?
「汗、かいてるわね……」
「汗……?」
この部屋、汗かく程暑かった? 丁度良いと思ったんだけど……。
「一生懸命泣いていたら暑くなっちゃったのかしら?」
「涼しくしたら泣き止む?」
「それは分からないけれど、汗が不快なのは確かでしょうね」
微笑むローザさんの横で、私は魔法陣を展開した。風を起こす初級の術だ。冷気を出す術で室温を下げても良いんだけど、あんまり涼しくし過ぎても体調を崩しそうだから。
あ。下着のお着替えもさせておこう。湿った下着じゃ、身体が冷えちゃう! 私はシオン様のクローゼットから替えの下着を取り出すと、魔法陣を維持したままシオン様を着替えさせた。
因みに、シオン様の下着は、思っていた以上に湿っていた。ここまでになるまで気付けないとは……。私、シオン様のお世話係り失格だ……。
最初はオムツがびしょびしょで泣いていたけど、一生懸命泣いていたら暑くなっちゃって、下着まで湿り始めて気持ち悪くて泣いていたんだろう。分かってしまえば簡単な事なのに……。
そよそよと吹く風に当たっていたシオン様は、しばらくするとスヤスヤと寝息を立て始めた。寝ているシオン様は本当に可愛い。出来るなら、ずっと寝ていてもらいたいくらいだ。
はぁぁ。疲れた……。どさっとソファに腰を下ろす私を見て、ローザさんがクスクス笑いながらお茶を淹れてくれた。そして、私にそれを手渡すと、ローザさんもソファに腰を下ろす。
「引っ越しの準備は順調?」
お茶を一口飲んだローザさんが口を開く。引っ越しの準備とは、言わずもがな、私のだ。ついこの間完成した私と先生のお家に、私は今月末にでも引っ越す予定になっている。先生は一足先に、一昨日、引っ越しを終えた。
「まあ、ぼちぼち、ね……」
「あら? 念願かなってのラインヴァイス様との同居なのに、あまり嬉しそうじゃないわね?」
「ん~。嬉しいけど、寂しい気持ちもあるんだ。住み慣れた我が家だから、このお城」
「それもそうよね。あと、不安なのもあるのじゃなくて?」
「ん。まあ……」
先生との生活に、不安が無いと言えば嘘になる。先生に「こんなはずじゃなかったのに」って思われたらどうしようとか、逆に私が「こんなはずじゃなかったのに」って思ったら嫌だな、とか。特に、私、お料理ほとんど出来ないし。家事だって、お仕事があるから完璧には出来ないし……。考えれば考えるほど、不安でいっぱいになる。
「使用人は雇ったのでしょう?」
「ん。寄宿舎の見習いの子達を指導出来るような人を、お城から引き抜いたって先生は言ってたけど……」
「顔合わせは?」
「した」
けど、ほとんどお話なんてした事が無い人だったから、どんな人なのか分からない。私に分かっているのは、その使用人さんが第二連隊の副長さんの一人で、ヴィルヘルムさんってお名前だっていう事。それに、竜王様の身の回りのお世話を、アオイがお城に来る前に先生と一緒にしていた人だったらしいって事。
わざわざ先生が引き抜くくらいだから、お仕事は出来るんだろう。と言うか、見るからにお仕事が出来そうな、いや、お仕事に厳しそうな人だった。
「苦手な人だったの?」
「苦手と言うかぁ……何と言うかぁ……」
「アイリスちゃんは人見知りだものね」
ローザさんがクスクス笑う。私は否定する事も出来なくて眉を下げた。
「周りにいなかったタイプなんだもん……」
「あら。私はウチの人から、獣狂いのバルトによく似たタイプだって聞いたわよ? アイリスちゃん、バルトと仲が良いのでしょう? だったら、その使用人の人とだって仲良く出来るのではなくて?」
「まあ、似ていると言えば似ているけど、似てないと言えば似てないんだよ……。親しみポイントがね、無いんだ……」
バルトさんは、獣狂いと言われるほど獣好きだっていう、親しみポイントがある。けど、ヴィルヘルムさんはそういう話、聞かないんだよなぁ……。真面目を絵に描いた人って言うかぁ……。表情も変わらないしぃ……。
「その人の部族は聞いたの?」
「え~? 部族? 何でぇ?」
「意外なところに親しみポイントがあるかもしれないわよ?」
「そうかなぁ……?」
部族が親しみポイントになるかなぁ……? ん~……。ギャップ的な何かがあるとかだったら、多少は親しみポイントになるかもしれないなぁ。
「今日もこの後、緩衝地帯に行くのでしょう? その時にでも聞いてみたら?」
「そう、だね……。そうしてみよっかなぁ……」
引っ越しをしたら、先生だけじゃなくてヴィルヘルムさんとだって一緒に住むんだ。苦手意識をこのまま持ち続けるのは良くないだろう。お互いの為に。
よし。決めたぞ。今日は、ヴィルヘルムさんと少しでも良いからお話して、相互理解を高めよう! そうしよう!
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いしますm(._.)m




