新居 5
三日後、私はユニコーンのベルちゃんに跨って、独りで緩衝地帯へと向かった。アオイの代わりの初視察。と言うと、ちょっと仰々しい。
出かける前、アオイは「いつも通り、遊びに行く気分で行ってきなさい」って言ってくれた。だから、肩の力を抜いて、いつも通りを心掛ける。
今日真っ先にする事は、先生に謝る事。この間はごめんなさいって言わないと……。でも、ちゃんと素直に言えるだろうか?
緩衝地帯に着くと、牧場予定地の広大な空き地のど真ん中で休憩していたアードラーさんとバイルさんにベルちゃんを預かってもらう。そうして私は寄宿舎へと向かった。
途中、ヴォルフさんとミーナの家の前を通る。と、カタンと音を立てて家の窓が開いた。
「アイリス」
私を呼び止めたのはミーナだ。今年双子の赤ちゃんを産んだばかりのミーナは、寄宿舎のお仕事は一休みして、お家で子育てに専念している。
「ちょっとウチ寄ってかない?」
ミーナの申し出は有り難い。正直、このまま真っ直ぐ寄宿舎に行っても、先生に素直に謝れる気がしなかったから。私はこくりと頷くと、ミーナの家に立ち寄った。
ミーナの家の居間でお茶をする。お部屋の隅、日当たりの良いソファには赤ちゃんが寝かされていた。赤ちゃんは一人だけ。二人同時に面倒を見るのは大変だろうからって、もう一人はヴォルフさんが背負って寄宿舎に連れて行っている。ヴォルフさんのそういうところ、気が利くし優しいし、家庭的で良いと思う。
「ウチの人から聞いたんだけどね」
ミーナがそう前置きをし、悪戯っぽく笑う。私は首を傾げた。
「何?」
「アイリス、ラインヴァイス様と喧嘩したんだって?」
「う……」
何て事だ。ミーナがそれを知っているとは……。しかも、情報源がヴォルフさんって……。それって、言い換えると、寄宿舎のみんなが知ってる事なんじゃ……。
「ラインヴァイス様、ここのところ、元気無いみたいよ?」
「ん……」
ちぇ。ミーナにお説教されるのか……。アオイのお説教は、私が反抗期に入ったんだろうって事で回避出来たのに……。
「あ。違うの。別に、アイリスを責めるつもりは無いのよ? だから、そんな顔しないで? ね?」
口を尖らせた私を見て、ミーナが慌てたように言う。
「ただね、喧嘩って、長引けば長引く程、お互いに気まずくなるじゃない?」
「ん……」
言われなくても分かってる。この間だって今だって、先生と顔合わせるの、気まずいもん。
「それにね、ウチの人、ラインヴァイス様のいじけた根性を叩き直してやるって息巻いちゃってて。どう頑張ったって、ウチの人じゃ返り討ちに遭うのにね。だからね、ウチの人が馬鹿な事をする前に、仲直りして欲しいなぁって」
ふわりとミーナが笑う。ミーナって大人だよなぁ。アオイの言っていた大人の余裕って、こういう事を言うんだろう。ミーナに比べたら、私はまだまだお子様だ……。
「分かった。先生とヴォルフさんが揉めるのは嫌だし、仲直りする……」
「ふふ。ありがとう」
先生が元気無いのは本当だろうし。この間の感じが今も続いているって、簡単に想像出来る。それに関しては、私が一方的に悪い訳で。大嫌いなんて、言うんじゃなかった……。
ミーナの家を出ると、今度こそ私は寄宿舎に向かった。そして、寄宿舎に着くと、真っ直ぐ先生のお仕事部屋に向かう。ミーナに仲直りする宣言をしてしまったから、もう後には引けない。ええい! ままよ! ドンドンと、ちょっと乱暴に先生のお仕事部屋の扉をノックした。
「どうぞ」
中から聞こえた先生の声は、ほんの少し、いつもより覇気が無かった。その声を聞いて、扉を開くのを一瞬躊躇する。けど――! バンと勢い良く扉を開くと、お仕事机で書類仕事をしていたらしい先生が驚いたように顔を上げた。そして、私の姿を見て、フッと笑う。どこかホッとしたような笑い方だ。
もしかしたら、先生は、私がもう会いに来ないとか思っていたのかもしれない。少なくとも、しばらくは会いに来ないと思っていたんだろう。そう思っても仕方ない言葉を吐いてしまったんだ、私は。罪悪感がチクチクと胸に刺さる。私はギュッと拳を握り、意を決して口を開いた。
「先生!」
「はい?」
「この間はごめんね! 大嫌いなんて言って。あれ、嘘だから!」
「気にしていませんよ。僕の方こそすみませんでした。アイリスがアオイ様のメイドという仕事に誇りを持っていた事を失念していました」
「ん。いいよ」
お互いに謝って、許し合ったんだから、仲直り出来たのかな……? 仲直りしたんだよね? うん。したした!
「先生!」
「はい、何でしょう?」
「この後、お家、見に行こう!」
この間は、一緒に見たと言えば見たけど、見てないと言えば見てないし。改めて二人で見て回りたい。それに、その時にでもあの事を報告したい。
「ええ。行きましょう」
そう言って頷いた先生は、満面の笑みを浮かべていた。そんなに喜ばれると照れる。そんな、滅多に魅せないような溢れんばかりの笑顔、しないでよ。んもぉ。
先生はお仕事机の上を簡単に片付けると席を立った。すぐに出発してくれるらしい。お仕事よりも何よりも、私を優先してくれるその行動、ちょっと嬉しい。けど、浮かれてるのを先生に知られるのはちょっと癪だ。だから、ニヤニヤしたりなんてしない。あからさまにご機嫌になったりもしない。
建設中の新居に来ると、前に見学した時のように、一階から建物の隅々を見て回った。前回と違うのは、二人で並んでお話をしながら見た事だろう。家具の配置を考えたり、内装の色を決めたり。現場を見ての打ち合わせって楽しい!
一通り見学が終わると、私達は職人さんに挨拶をして建物を後にした。二人で肩を並べ、寄宿舎に続く道を歩く。
「あのね、先生」
私はずっと話そうと思っていた事を、このタイミングで話す事にした。先生のお仕事部屋で改まってお話するような、重い話でもないし。雑談ついで、だ。
「私ね、やっと、最高位魔術の勉強、始めたんだよ」
先生の目を治せる術の勉強を、ついこの間から始めた。本当はもう少し早くから始める予定だったんだけど、予定には無かった術を勉強しておいた方が良いかもしれないってノイモーントさんが言うから、それを習得してからになった。
予定外の術は、呪術の上級魔術だった。小さな傷からじわじわと肉体を破壊する魔術。治癒系治癒術とは正反対の魔術だ。何でこれを習得しておいた方が良いかもって話になったかと言うと、私の適性魔術が呪術だったから。呪術に絡めて術を構築した方が理解が早いだろうって事で、その術を下準備として勉強した。
それに、一つくらい身を守る術を覚えた方が良いだろうっていうのも、その魔術を勉強する事になった理由の一つだ。ただ、下手したら腕や足を捥いじゃうような魔術、いくら身を守る為とは言っても怖くて使えない。この術はお蔵入りだろうなぁ、なんて。
「そうだったのですね」
「ん。お家が出来上がる頃には、先生の目も治せるかもしれないよ!」
「そうですね。早ければ一年程で習得出来るでしょうからね。屋敷が完成して、アイリスが治癒術師になって、僕の目が治る。良い意味で忙しい年になりますね」
「ん!」
そんな忙しさなら大歓迎だよねって、その日はそんな話をしながら寄宿舎へと帰った。そうして一年と少し。アオイが赤ちゃんを産んで、赤ちゃんの披露目だのなんだのかんだの、国中の大騒ぎが一段落する頃、やっと先生と私のお家が完成した。




