新居 4
二階と三階は主に、家族用の空間だ。家族用の食堂に、家族用の居間。そして、将来子ども部屋になるだろうお部屋や特に親しい人を通す為の応接間や客室もある。十分過ぎる広さがあるお屋敷だ。
二階、三階と見て回り、最後は主寝室。大きな扉が付くのだろう壁の大穴を抜け、室内に入る。……広いな。広すぎるんじゃないかな、流石に。でも、アオイのお部屋やローザさんとブロイエさんのお部屋と同じくらいだから、お屋敷の主寝室としてはこれくらいが妥当なのかな? 二人分のクローゼットと大きなベッドを入れるんだろうから、逆にこれくらいの広さが無いと狭いのかな?
「アイリス?」
先生が窺うように私の名を呼ぶ。私はそんな先生を振り返った。私の目は据わっているし、口はへの字に曲げたまま。一目で機嫌が悪いって分かる顔だろう。
「怒ってます、よね……?」
「別に」
「結果的にアイリスを置き去りにするようになってしまったのは申し訳ないと思っています。しかし、今回は大目に見てくれませんか? アオイ様のご懐妊を竜王様に一刻も早く報告した方が良いというのは、アイリスにも分かるでしょう?」
「分かってるよ! でも、アオイのメイドは私なんだもん! アオイをお城に帰すなら、私だって一緒に帰る! 一緒に帰りたかった!」
「アイリス……」
「私、アオイのメイドなんだからぁ!」
今日はアオイの一大事だったんだから、一緒にいたかった。一緒にいなくちゃいけなかった。それなのに、先生はアオイを先にお城へ帰してしまった。まるで、私なんていなくても良いとでもいうように。
地団太を踏んで子どものように声を上げて泣く私を、先生がそっと抱きしめた。そんな先生の胸の辺りを、握った拳でポカポカ殴る。
「私だって、アオイの役に立ちたいのにぃ!」
「ええ……」
「必要とされたいのにぃぃ!」
私が先生みたいに頼りにならないのは、私自身が一番よく分かっている。だからって、除け者にしなくても良いじゃないか!
「私の居場所取らないでよぉ! 先生のばかぁぁぁ!」
泣きながらそう叫ぶと、私を抱きしめていた先生の腕に力が篭った。
「先生なんて嫌い!」
「すみません」
「大っ嫌いぃ!」
「すみません……」
しばらくそうして泣いていると、だんだんと頭に上った血が下がって、冷静になって来た。そろそろと先生の胸から顔を上げる。
「落ち着きました?」
そう言った先生は微笑んでいた。けど、いつもよりも幾分か弱々しい笑い方だった。
さっきは怒りのあまり、思わず先生の事を大嫌いだなんて言っちゃったけど……。もしかしなくても、先生、傷付いた、よね……?
「あの……」
「城へ帰りましょう。送って行きますから」
「ん……」
建設中の建物を出て、二人で言葉少なにお城に向かう。謝らないとって思うのに、その言葉が口から出て来ない。悶々としているうちに、お城に着いてしまった。
「では、また」
「ん……」
気まずくてそそくさと通用口をくぐる。素直に謝れば、きっと、先生は許してくれる。「気にしてませんよ」って。分かってるのに、素直になれなかった。先生を傷つけたまま帰って来てしまった……。
アオイのお部屋の扉をノックし、中に入る。と、ソファで寛いでいたらしいアオイがギョッとしたように目を剥いた。部屋の隅で待機していたローザさんも、驚いた顔でこちらを見ている。
「アイリス、何、その顔」
「何って……」
アオイってば、触れて欲しくない事を……。言われなくても分かってるよ。酷い顔をしてるなんて。さっきまで大泣きしてたんだから、目、腫れてるんでしょ。
「やっぱり、ラインヴァイスと喧嘩になっちゃったの?」
アオイが申し訳なさそうに眉を下げる。私は口をへの字に曲げて俯いた。やっぱりって事は、アオイは私と先生が喧嘩するだろうなって予想してたって事で。面白くない!
「そうだよ。喧嘩したよ! 悪い?」
「んもぉ。最近、アイリスってば反抗的だよね。喧嘩が悪いか悪くないかなんて、言われなくても分かるでしょ?」
「分かってるよ!」
「仲直りは? したの?」
「……してない」
謝りたいのに謝れなかった。口を尖らせてそう返事をすると、アオイが溜め息を吐いた。
「次に会う時は仲直り出来そう?」
「分かんない……」
「分かんないんだ」
そう言って、アオイが苦笑する。見た感じ、呆れているようには見えない。という事は、お説教か? お説教が始まるのか?
「やっぱり、反抗期なのかねぇ……」
私の予想に反し、アオイはお説教をする気は無いらしい。腕を組んで、うむむと唸っている。私はそんなアオイに首を傾げてみせた。
「反抗期? 反抗期って?」
「子どもから大人になる途中でね、大人とか社会に対して反抗したくなる時期があるんだよ。アイリスは、丁度今、子どもから大人になる途中なのかなぁって」
「私、もう子どもじゃないよ!」
ちゃんと働いているし。お給金だって、先生が緩衝地帯に引っ越してからは自分で管理してるんだから! 病室の予算だって、私が管理してるし!
「でも、大人でもないでしょ?」
「大人だもん!」
「そうやってムキになるうちは大人じゃないんだよ。大人には余裕が無いとね」
ふふんと、アオイが得意げに笑う。自分は大人だって言いたいらしい。けど、アオイだってちょっとした事でムキになったりしてるもん!
「アオイだって、今日、ノルトリヒトとナハトをムキになって追い掛け回してたくせに!」
「まあ、そうだね。大人気無かったと、ただいま反省中です。お腹の赤ちゃんも、驚かせちゃっただろうしね」
眉を下げてアオイが笑う。アオイのこの顔、本当に反省してるみたい。赤ちゃんに何かあったらって、あれだけ取り乱していたんだから当たり前と言えば当たり前なんだけど。
「あ。赤ちゃんといえば。あのね、アイリス。私、赤ちゃんが生まれるまで、お城から出ない事になったから」
「え……?」
突然の申し出に、私は呆然とアオイを見つめた。アオイは真面目な顔をしていて、冗談や嘘を言っているようには見えない。
「という事で、アイリス。緩衝地帯の視察と報告、お願いね!」
「は? 何それ。何で私なの?」
私はアオイのメイドなのに……。妊娠したアオイのお世話、今まで以上に頑張ろうって思ってたのに……!
「だってさぁ、他に頼める人、思い付かないんだも~ん」
「私、アオイのメイドなんだよ!」
「分かってるよ。だからお願いしてるんでしょ~に。アイリス以外で私の目の代わりになれる人、いると思う? いるんなら教えて」
「それは……」
正直、思い付かない。特に、緩衝地帯の視察に関しては。アオイがいつも見ていたもの、気にしていた事、知ってるのはずっと傍にいた私だけだから。真剣な目で私を見つめるアオイの視線から逃れるように、私は床に視線を落とした。
「いないね?」
「ん……」
「お願い出来るよね?」
「ん……」
私は小さく頷く事しか出来なかった。私の仕事はアオイのお世話をする事なのに……。でも、アオイの目の代わりを任されて、嬉しくないと言ったら嘘になる。
私、アオイに信頼されてるって思っても良いんだよね? 私を必要としてくれてるんだよね? 認めてくれてるんだよね? 私でもアオイの役に立てるんだよね?




