新居 3
建物の工事が始まって一年もすると、私と先生のお家も何となく建物らしくなってきた。まだ窓や扉が嵌ってはいないから壁は穴ぼこだらけだし、屋根だって木の板を被せただけの仮の屋根。だけど、完成が大体想像出来る程度には工事が進んだ。
今日は先生と一緒に、お家の中を見せてもらう予定になっている。それに、その時にでも、先生に報告したい事もある。だから、早く寄宿舎に行って、お昼ごはんを食べてしまいたい。けど、そんな私の気も知らず、アオイは、ノイモーントさんとフランソワーズの子どものノルトリヒトと、フォーゲルシメーレさんとリリーの子どものナハトと追いかけっこをしていた。
「まてぇ!」
憤怒の形相で子ども二人を追い掛けるアオイの、何と大人気ない事か。何でこんな事になっているのかと言うと、ノルトリヒトとナハトがアオイに掌サイズのアラクネを投げつけたからだったりする。でも、子どものやる事なんだから……。そんな、目くじら立てなくても……。
「アオイ~! もう行こうよぉ!」
必死に子ども二人を追い掛けるアオイに向かって叫ぶ。けど、アオイの耳には全く届いていない。相当頭に血が上っているんだろう。捕まったが最後、あの二人にはきついお仕置きが待っている。けど、あの二人は魔人族の子どもだ。身体能力はアオイとどっこいどっこいだし、二対一だし、たぶん、捕まえられないだろう。
「ねぇ! アオイ! 置いて行くよぉ!」
再び叫ぶ。けど、アオイは追いかけっこを続けていた。んもぉ! 知らない! 頬を膨らませ、私はアオイに背を向けた。
お城から緩衝地帯の間の道も、緩衝地帯にも、先生の張った結界がある。だから、魔物なんて出て来ない。それに、万が一魔物が出たとしても、アオイなら返り討ちにするだろう。何たって、アオイはこの国で五本の指に入るくらい強いんだから。
私は寄宿舎の扉をくぐると、真っ直ぐ先生のお仕事部屋へと向かった。お部屋で書類仕事をしていた先生に声を掛け、二人で食堂に向かう。そうして先生と向かい合わせでごはんを食べ始めて少しして、アオイが食堂にやって来た。授業が終わったらしい子達もわらわらと食堂に入って来る。
「おや? アオイ様、今いらっしゃったのですか? ……まさか、アイリス、アオイ様を置いて、先に来たのですか?」
咎めるような先生の声を無視してサラダを口に運ぶ。しゃきしゃきの新鮮お野菜が美味。
「アイリス。貴女はアオイ様のお供で来ているのですよ? それを忘れないよう――」
「分かってる!」
言われなくたって、そんなの承知してるもん。ただ、今日はちょっと特別だったんだもん。アオイがいつまでも遊んでるから! 私、先に行くよって言ったもん!
サクラさんと何事か話しているアオイを横目に捉えつつ、アオイの大好物のからあげを口に運ぶ。サクサクの衣とジューシーなお肉が美味。アオイがこれを好きなのも頷ける。
「何だってぇ!」
突然、アオイの叫び声が食堂に響き渡った。普段滅多に聞かないような大きな声に、先生と二人、がたりと椅子から立ち上がる。そして、アオイに駆け寄った。
アオイは呆然と立ち尽くしていた。よっぽど驚く事があったらしい。と、思い出したように、アオイが何かを指折り数え始めた。アオイの不可解な行動に首を傾げる。
「アオイ?」
名を呼んでみるも、アオイはオロオロとしたままだ。
「た、確かに、お月様、遅れてるけど……。酸っぱい物食べたいなんて思わないし……」
お月様? 酸っぱい物? 思わず先生と顔を見合わせる。
「妊娠したって、全員が全員、酸っぱい物が欲しくなる訳じゃないのよ?」
サクラさんの言葉に、やっと合点がいった。妊娠ね、妊娠。……ん? 妊娠? 妊娠だって! アオイ、妊娠してたの? そんなの、全然気が付かなかった! と言うか、よくサクラさん気が付いたな。母親だから、なのかな……?
「ど、どうしよう……!」
そう呟いたアオイは顔面蒼白になっていた。よく見ると、小さく震えている。喜んでいる風には見えない。
「何? 嬉しくないの?」
サクラさんが不思議そうに口を開く。私もアオイの思わぬ態度に首を傾げた。先生も首を傾げている。
アオイはずっと、子どもを欲しがっていた。はっきり口に出しては言わないけど、フランソワーズやリリー、それに、今年になって双子を産んだミーナを羨ましがっていた。三人を見て、少しだけ寂しそうな顔をするアオイの姿、私はすぐ傍で何度も見ている。だから、やっと子どもを授かったんだって、凄く喜ぶと思ってたのに……。
「違う! 違うの! 私、全然知らなかったから……! さっき、走り回ってたの! どうしよう! 赤ちゃんに何かあったらどうしよう!」
そう叫んだアオイは、今にも泣きそうな顔をしていた。と、サクラさんがそんなアオイをなだめるように両肩に手を置き、顔を覗き込む。
「落ち着きなさい。お腹、痛かったり、違和感あったりする?」
「ううん。何も……」
「そう。出血も無ければ大丈夫だと思うけど……。出血してたら、アイリスちゃんに治癒術で応急処置してもらって、フォーゲルシメーレさんの所、行くわよ」
「か、確認してくる!」
そろりそろりと、抜き足差し足でトイレへと向かおうとするアオイの腕を先生が掴んだ。驚いて先生を見上げるアオイに、先生が優しく微笑みかける。
「アオイ様。わざわざ確認せずとも、この場で治癒術を掛ければ良い事かと存じますが?」
『あ……』
先生の言葉に、アオイとサクラさんが同時に呟いた。冷静に見えていたサクラさんも、結構動揺していたらしい。
「この後、フォーゲルシメーレに診察してもらいましょう。アイリスはアオイ様に治癒術を。サクラ様はアオイ様のお食事を。持って出ますので、からあげをパンに挟んで差し上げて下さい」
『はいっ!』
思いがけず、サクラさんと返事が被った。まあ、それはどうでも良い。それよりも、私の出番! 私はいそいそと腰のホルダーから杖を抜き、上級の回復系治癒術「ベッセルング」の魔法陣を展開した。
アオイに応急処置的なものを施した後、四人でフォーゲルシメーレさんの元に向かった。診察はあっという間に終わった。アオイの血を舐めたフォーゲルシメーレさんから、アオイもお腹の赤ちゃんも元気だとお墨付きをもらって。
フォーゲルシメーレさんの家の居間でごはんを食べさせてもらい、アオイはすぐ帰宅となった。因みに、ノルトリヒトとナハトは、アオイにもう悪戯をしないと約束した。と言うか、アオイの妊娠を知った二人は、アオイのお腹のお赤ちゃんに騎士の誓いを立てた。
たぶん、あの二人、アオイに遊んで欲しかっただけなんだと思う。アオイがフォーゲルシメーレさんの診察を受けているのをどこかに隠れて見ていたらしい二人は、アオイが病気か怪我なんだと思って、泣くほど心配していた。遊んで欲しいなら「遊んで」って素直に言えば良いのに。アオイなら喜んで遊んでくれるのに。
先生がアオイの手を取った瞬間、二人の姿がフッと消えた。ちぇ。私、置いてけぼり。口をへの字に曲げ、ついさっきまでアオイと先生が立っていた場所を見つめる。
「アイリスちゃん? ラインヴァイスさんが戻って来るまで、ウチでお茶でもどう?」
サクラさんが気遣ってくれる。けど、私はフルフルと首を横に振った。
「私、帰らないとだから……」
「ラインヴァイスさん、葵ちゃんを送ったらすぐ戻って来るわよ? 待っていて、二人で帰ったら良いんじゃないの? お城まで送って行くって言ってたし……」
「いえ。私、これでお暇します」
サクラさんにぺこりと頭を下げ、踵を返す。先生には待っていてって言われた。戻って来たらお城まで送って行くからって。でも、先生を待っている気分にはなれない。だから、独りでお城を目指して歩く。
アオイに赤ちゃんが出来て、嬉しくない訳じゃ無い。何年もアオイのお世話をしてきて、アオイがどれだけ子どもが好きか、どんなに赤ちゃんが出来る事を待ち望んでいたのか知っているから。だから、良かったねって笑顔で言いたい。でも……。
とぼとぼと道を歩いていると、道の脇に開けた場所が見えて来た。私と先生のお家だ。今日、一緒に中を見せてもらおうねって約束してたんだよなぁ……。建設途中の建物の前に立ち、それをぼ~っと眺める。
私と先生のお家、か……。私が帰る場所で、先生が帰って来る場所。でも、先生、ちゃんと帰って来てくれるのかな……? こんな広いお家で独りぼっちにされるなんて、考えただけで泣きたくなってくる。
「お。嬢ちゃん、今日は一人か。団長は?」
足場の上で作業していたおじさんの一人が声を掛けてくれる。何度も先生と一緒に足を運んだから、ここの職人さんとももう顔見知りだ。私は声を掛けてくれたおじさんに曖昧な笑みを返した。
「あの……。少しだけ、中、見せてもらっても良いですか……?」
「おうよ。団長から連絡は来てるからな。ゆっくり見てけよ」
「ありがとうございます」
「但し、頭上と足元には注意してくれな」
「気を付けます」
私は足場をくぐり抜け、玄関扉を付けるのだろう大穴から建物の中に入った。何度も図面を見たから、間取りはバッチリ頭に入っている。玄関ホールがあって、その脇に応接間。その奥が広間で、その奥には日当たり抜群のサロンがある。そこにはサンルームも付ける予定だけど、今はただの大穴だ。お隣にはお客様が来た時用の食堂。そして、左の扉を開くと廊下が続いている。客間が並んでいる廊下を曲がると書庫があって、そのお隣、建物の一番奥が先生のお仕事部屋だ。どのお部屋も広すぎるくらい広い。特に広間。先生ってば、ここでダンスパーティーでもするつもりなのだろうか?
お客様用の食堂に戻り、右の扉を開く。配膳室があって、その奥にキッチン。まだ流しもかまども何も無いから、ただのガランとした空間だ。奥の方には食糧庫もあるし、外に繋がる勝手口もある。この真上に家族用の食堂の配膳室があって、そこにごはんを運ぶ為に天井に穴が開いている。あそこにリフトを付けて――。
「アイリス!」
呼ばれて振り返ると、先生が息を切らして立っていた。アオイをお城に送って、緩衝地帯に戻って、大慌てで私を追って来たんだろう。
「待っていてと言っ――」
先生の言葉を待たず、私は先生の横を抜けた。建物の見学続行だ。私の名を呼びながら追い掛けて来る先生を無視してスタスタと玄関ホールまで戻り、梯子を上って二階に上がる。廊下を左に進み、一番奥の部屋に向かう。ここが私の研究室か。思っていた以上に広い。隣に続く扉の先が薬草保管庫ね。窓は無いけど、扉が二つ。入って来た扉が研究室に繋がる扉で、もう一つが廊下に繋がる扉。私は廊下に繋がる扉をくぐって廊下に出た。そして、お隣の部屋に向かう。ここが私の部屋かぁ。広いなぁ。昔住んでた家の一階部分がまるっと入るくらいの広さがあるんじゃないだろうか?
「アイリス、ちょっと待って下さい。話を――」
「知らない」
どうせ、お小言でしょ。待っててって言ったのにって。でも、私、分かったなんて言ってないもん。待ってるねなんて、一言も言ってないもん!




