新居 1
私と先生のお家の建設が始まって一年ちょっと。やっと土地の整備が終わった。思っていた以上に時間が掛かった。と思ったけど、先生曰く、普通以上の速さで終わらせてくれたらしい。それくらい、土地の整備って時間が掛かるんだとか。
下草を刈って、木を切って、切り株の処理をする。そして、切った木を乾燥させて、建築資材として利用出来るように保管しておく。言うのは簡単だけど、よくよく考えるとやるのは大変だ。うん。反省。みんな、頑張ってくれてありがとう。次はお屋敷の建築をお願いします。
森の中にぽっかりと空いた広い更地。ここに私と先生のお家が建つと思うと、ニヤニヤが止まらない。
「アイリス~! 置いてくよぉ!」
先を歩いていたアオイがそう叫ぶ。私は慌ててその背を追った。今はアオイのお供で来てるんだから、もう少し見たいだなんて我儘は言わない。今度、お仕事の合間の自由時間に、ベルちゃんに乗って見に来よう。そうしよう。
緩衝地帯に着くと、アオイは真っ直ぐ寄宿舎に向かった。私はそんなアオイに別れを告げ、フォーゲルシメーレさんのお家へと向かう。目的は、フォーゲルシメーレさんの家の薬草畑にある。そこには、私の生まれた村で採って来た超高級薬草のマンドレイクが三本植えられている。そのうち一本はアオイので、一本は竜王様の。だから、枯れてないか確認、確認。
「お。アイリス。今日もマンドレイク見に来たのか?」
そう声を掛けて来たのはアクトだ。畑の雑草抜きか何かをしていたのだろう。あちこちに土が付いている。顔にまで土付けて……。まあ、それだけ熱心に薬草畑の手入れをしてたんだろうから、私は何も言うまい。
「ん。マンドレイクは? 元気にしてる?」
「それがなぁ……。最近、暑い日が多いだろ? それで、ちょっと葉っぱの色が悪いんだ。師匠が言うには、暑さに弱い植物なんだろうって」
「えぇ! 大丈夫なの、それ」
暑い日が多くなってきたとはいえ、暑さの本番は来月あたり。今で元気がなくなってきたって事は、夏が越せない可能性があるんじゃ……。
「大丈夫じゃないから植え替えだ。移し替える場所は師匠が作ったし、あとはお前待ちの状態だったから、今日にでもやるぞ!」
「やるぞって、私も手伝うの?」
「おお。お前がいれば、植え替えの失敗も無いって師匠が言ってたかんな。それに、お前の故郷で採って来たんだろ、あれ。枯れたら悲しくならないか?」
そういう聞き方ってずるいと思う。答え、一つしかないじゃないか。
「……なる」
「んじゃ、決まりだな」
ニッとアクトが笑う。私はそんなアクトに無言で手を差し出した。と、アクトが不思議そうに目を瞬かせる。
「何だ、その手……」
「お代。ん」
「いや、お代って……」
「私、これでもこの国で一人だけの治癒術師見習いなんだけど。ん!」
「えぇ~……」
心底困ったようにアクトが眉を下げる。くふふ。良い気味だ。もっと困るが良い。と、悪役の様な台詞を心の中で呟く。
今まで散々いじめてくれた逆襲がこれくらいで済むんだから、アクトは寛大な私に感謝すべきだ。因みに、何で私がこれくらいの逆襲に留めているかというと、アクトが緩衝地帯の為に色々と考えて行動していると、先生が教えてくれたから。先生がアクトを応援しているんだから、手伝わないという非道な意地悪はしない。歩み寄る努力もしてあげなくもない。アクトは先生にも感謝すべきだな。うん。
「おや、アイリス。いらっしゃい」
そう言って家の陰から姿を現したのはフォーゲルシメーレさんだ。手には剪定ばさみと、今しがた採って来たのだろう薬草が握られている。
「師匠ぉ~! アイリスが!」
あ。アクトめ! フォーゲルシメーレさんに泣きつくとは卑怯な!
「何です? 情けない声を出して……」
「アイリスのヤツ、植え替えの手伝いする代わりにお代を寄越せってぇ!」
「ほう……。良い心掛けですね、アイリス」
そう言って、フォーゲルシメーレさんがにっこりと笑った。思いがけず、フォーゲルシメーレさんに褒められた。へへへと後頭を掻く私を、アクトがジトッとした目で見ている。
「実は、アイリスがそう言うのを見越して、お代はちゃんと準備してありますよ。リリー手作りの茶菓子でお茶など如何です?」
「ん! 良いよ! あ。あとね、いくつか薬草を融通してもらいたいの。はい、これ」
私はポケットからいそいそと紙切れを出し、それをフォーゲルシメーレさんに差し出した。昨日、薬草保管庫の在庫確認をして、少なくなってしまった薬草を書き留めた紙だ。本当は、お城に帰ってから買おうと思っていたんだけど、思いがけず無料で手に入りそうだ。くふふ。
薬草を買うのにも、一応、予算というものがある。一年に一度割り当てられるそれを、上手くやりくりしなくては、必要な薬草が在庫切れなんて事が起きてしまう。だから、節約出来る時にしておかなければ!
「しっかりしてますねぇ……。アクト、準備してあげなさい」
「は〜い」
フォーゲルシメーレさんがアクトに紙切れを手渡した。それに一通り目を通したのだろうアクトがギョッと目を剥く。
「……って、これ、高級なのばっかじゃん! お前なぁ!」
「へへへ」
フォーゲルシメーレさんの所の薬草畑の規模は、最初こそ花壇くらいだったけど、今ではちょっと広い畑くらいある。植わっている薬草の種類も豊富で、良く使う薬草からちょっと高級な薬草まで、幅広く色々植わっていたりする。
「アイリスの治癒術は、それくらいの対価を出しても惜しくないという事ですよ。特に今回は、弱ったマンドレイクの植え替えですからね。しかも、一本は竜王様ので、一本はアオイ様のときている。失敗は許されませんから」
フォーゲルシメーレさんが苦笑しながらアクトに言う。あんまり買いかぶられても困る。けど、褒められて悪い気はしない。ふふん。
アクトは面白く無さそうにぶつくさ言いながらも、紙切れを片手に薬草畑に入って行った。私とフォーゲルシメーレさんは一足先に家の中に入る。
そうしてリリーのお手製お茶菓子をお供にお茶をし、私達はマンドレイクの植え替えに取り掛かった。植え替えの場所は、フォーゲルシメーレさんが作った地下室。魔法の明かりで照らされた室内は明るい。外と同じくらいの明るさだろう。けど、外とは違って室内はひんやりしていた。半袖だと少し肌寒いくらい。もしかしたら、冷気系の魔術で室温も調節しているのかもしれない。
竜王様とアオイのマンドレイクは、地下室の床、地面剥き出しのそこに植え替えとなった。残り一本の緩衝地帯用のマンドレイクは、植木鉢に植え替えだ。研究用に持ち運び出来た方が便利だからって。
私の回復系治癒術で、若干萎れかかっていた葉っぱも元気を取り戻した。ツヤツヤの葉っぱに戻ったマンドレイクを、アクトがしげしげと眺めている。
「凄ぇなぁ。ホント、便利だなぁ……」
「ふふん」
「俺、馬鹿だからよく分かんないけどさ、お前、かなり頑張ったんだろ?」
「え……。まあ、そう、だね……」
寝る時間を削ってって言うと語弊があるけど、寝る前も勉強してるし。アオイのお世話の合間の自由時間だって、ほとんどを勉強に費やしている。魔術を習い始めてから、遊んでいる暇なんてあんまり無かった。
ただ、そういう生活が嫌って訳じゃ無い。これも先生の目を治す為って思ったら、苦になんてならなかった。
「ホント、凄ぇよなぁ……」
そう呟いたアクトの顔は、私からは陰になって見えなかった。ふと、フォーゲルシメーレさんを見る。と、彼は微笑まし気にアクトを見つめていた。
こうしてマンドレイクの植え替えを終えた私は、寄宿舎へと向かった。そろそろ、先生の授業が終わるはず。と思っていたけど、窓から覗いた教室の一つで、先生が授業をしていた。まだ終わる時間には早かったようだ。
先生は寄宿舎の責任者をしつつ、子ども達の読み書きと計算を教えている。アオイ曰く、先生は、校長先生兼国語の先生兼算数の先生らしい。三つも兼任って大変だと思う。けど、授業をする先生は生き生きした顔をしているし、たぶん、大変だなんてちっとも思っていない。私が治癒術の勉強を大変だなんて思わないように、先生も寄宿舎での仕事を大変だなんて思わないんだろう。やりたい事をしている充足感の方が大きいから。
授業をする先生をぼ~っと眺めていたら、リンゴ~ンと鐘が鳴った。授業が終わった合図だ。みんなに挨拶をした先生が教室を出て行く。私は慌てて校舎の出入り口に向かった。と、校舎の出入り口から先生が姿を現す。きっと、窓の外から私が授業を見ていたの、先生は気が付いていたんだろう。
「先生ぇ!」
気付いててくれた! 嬉しくなって先生に飛びついてから気が付いた。今、寄宿舎のみんなは授業の合間の休み時間な訳で。次の授業の準備とか色々あるだろうけど、窓の外を見る余裕くらいはある訳で……。
途端、囃し立てる声が飛び交った。慌てて先生から離れる。うぅ。失敗した。恥ずかしい。
「執務室で待っていてくれて良かったのに……」
そう言った先生の耳が淡く色づいていた。先生も恥ずかしいらしい。だから、二人、そそくさとその場を離れる。次の授業はヒロシさん担当の運動だし、あの色めき立った雰囲気もどうにかしてくれるだろう、たぶん。
寄宿舎には現在、三人の先生がいる。先生でしょ、ヒロシさんでしょ、ヴォルフさん。先生が読み書き計算の担当で、ヒロシさんが運動、ヴォルフさんが農業担当だ。再来年辺りからは、そこに酪農担当のアードラーさんが加わる予定。今は牧場を作るので手一杯だけど、牧場が完成してそれが軌道に乗ったら、そこを利用して寄宿舎の授業をしてくれるらしい。読み書き計算が出来て、動植物の世話まで出来れば、寄宿舎の子達の未来は安泰だろう。色んな職業が選びたい放題だもん。
先生のお仕事部屋に着くと、先生がお茶を淹れてくれた。応接用のソファに向かい合わせに座り、先生と二人、お茶を飲む。他愛ない話をしながら。
「そう言えば、私達のお家、いつから本格的に建て始めるの? 先生知ってる?」
「すぐにだとは思いますけど……。そう言われてみれば、まだ連絡が来ていませんね……」
「あ、あのね、先生? 建物の工事が始まったら、一緒に見に行こう? 私が緩衝地帯に来た日は毎回……」
ドキドキしながら口を開く。先生、忙しいかな? 駄目かな? 先生のお仕事の邪魔になっちゃうかな?
「ええ。一緒に見に行きましょうね。アイリスがここに来た日は必ず」
先生がにっこりと笑って頷いた。やった! 嬉しい! 思わずにんまりと笑う。と、先生がクスクスと笑った。
「これくらいの事で喜ぶとは、本当に貴女は可愛らしい人ですね」
「か、かわっ……!」
可愛らしいだなんて。ポッと頬が赤くなったのが、自分でもはっきりと分かった。熱くなった頬を両手で押さえる。うぅ~。
「こ、これくらいって先生は言うけど、私にとっては大事なの!」
先生がここに住み始めてからというもの、緩衝地帯で先生と二人きりになれるのは、先生のお仕事部屋にお邪魔してる僅かな時だけになった。その他の時は、小さい子達が先生の後をくっ付いて歩いているから、二人きりにはなれない。それに、そういう時、先生は小さい子達の事が気になってしまって、彼らの事ばかり見て私を見てくれない。
実は、それがちょっと面白くなかったりする。先生は私の特別な人なのに。先生にとって、私は特別な人のはずなのに、って。小さい子達に妬いてるなんて、大人気ないから誰にも言えないけど。
二人で住む家の工事を、二人で(おまけ付きでも)見学したら、その時だけは先生だって私の事を考えてくれるんじゃないかなぁ、なんて。流石にこれは腹黒い、かな……?




